十一の三 綱渡り

文字数 3,363文字

「魔道団はここで引き返したのではないか? 僕達も頭を使うべきだ」
 吊り橋を前にしてリュックサックが言う。

「式神を使って進んだに決まっている。お前もそろそろ役にたて。ここに置いていくぞ」
 大蔵司が背中へと答える。

「だったら封印を解いてくれ」
「折坂さんじゃないと無理って言っているだろ」

 俺の意見は式神がいないのだから引き返すべきだけど、それこそここまで来てからあり得ない。空飛ぶ式神がいれば……。

「露泥無はやかんの姿が本来の闇。いまのリュックサックは何の姿?」
「猫だ。ちなみに人になろうとすると赤ちゃん人形に変げする。完全なる闇にはなれない」
「ヨタカの姿は何になる?」
「……試してみよう」

「もう背負わないよ」
 大蔵司が黒いリュックをおろす。リュックが闇に包まれて……黒い麦わら帽子になる。

「役に立たないね」
 大蔵司が頭にかぶる。「行くしかないかも。いざとなったら人封地封空封するよ」

 流範を葬った極悪な結界のことだ。

「夏奈は(できれば俺も)思玲の結界に入れよう。……最初に俺が行くから待っていて」

 それが最善だろう。でも露泥無が正論を言っても思玲の意見が通るように、

「私が先頭だ。桜井は大蔵司の結界だ」
 思玲がむきになって歩きだす。あれがどんな結界か説明しても半分も聞かない。
「峻計は賢い。いたとしても現れない。なぜならば、ここの森は陰湿で私をよく知っていて……しかも一番うまそうな年ごろだからだ」

 俺は気づく。同時に身震いする。思玲は木霊のことを言っている。おのれを餌に呼び寄せる……。知恵あるからこそ峻計は勘ぐり避ける。

 つり橋に彼女の体重が乗るなり、縄がきしむ。腐った床板まできしむ。魔道士の罠が仕掛けられていなくてもスリルありすぎる。左右の手すりも朽ちた縄だけだし。
 思玲がバランスを取りながらゆっくり歩くのを見ていると、妖怪のくせに手に汗を握ってしまう。

「ははは、面白そう」

 これを見て、そのリアクションだと? さすが夏奈と言うべきなのか。

「俺達が渡りきってから来てください。夏奈をよろしくお願いします」

 大蔵司へ告げて俺もつり橋に乗る。やはり俺の体重はかからないので、きしまない。でも浮かべないから、橋が破壊されたら下に落ちて川に流される。
 真ん中あたりで思玲に追いつく。彼女は真剣だ。振り向かない。俺は振り向く。大蔵司と夏奈は順番が待ちきれなくて疼いているみたいだけど……俺ならば、ここで攻撃するよな。なんたって敵は抵抗できない。

「火焔嶽!」

 懐かしくはない(しゃが)れ声。
 土色の作務衣を来た隻腕の大男が対岸に現れた。残された手にはおぞましい槍。人の手のような赤い穂先を、土壁は俺達へ向ける。
 人の頭ほどの大きさの火焔弾が飛んでくる。

「我は人を護るためここに戻りし」
 思玲が扇を振るう。「哀しみに満ちた地で我を眠らせることなかれ」

 思玲の目前に迫った炎が跳ね返される。吊り橋が大きく揺れる。
 俺の手に独鈷杵が現れる。

「うほっ」

 土壁が楽しそうに笑う。こいつが木霊を恐れるはずない。槍をおろす。右側の縄が切断されて吊り橋が傾く。

「くそ」

 思玲がよろめく。俺もよろめく。法具を投げ損ねる。
 背後から駆けてくる気配――
 この足場を?

「火焔嶽!」

 紫色の玉が結界に弾かれる。

「片面だけの跳ね返しだ。約束通りに仕留めてやる」
 思玲が振り向かずに言う。カバンから小刀をだそうとしている。

「それどころじゃないだろ!」
 俺は叫ぶ。このままだと橋ごと川に落とされる。

 土壁が再び槍を振りあげる。俺は独鈷杵を投げる。
 え?
 おぞましい槍に法具が叩き落とされた。そのまま吊り橋の左側の縄へ振り下ろされる。

「よせ! 烈!」

 大蔵司の声とともに背後から白色の光が飛んでくる。

「馬鹿やめろ」
 思玲が怒鳴る。光は結界にぶつかり弾かれて「哎呦(アイヨー)!」

 思玲に直撃しやがった! ……ジェットコースターが動き出す瞬間のごとき感覚。
 橋をつなぐ縄がすべて切断されて、肩を押さえる思玲が落ちていく。続いて俺も。
 大蔵司も。その頭から麦わら帽子がふわりと抜ける。

「やばいやばい。空封!」

 大蔵司が川へと神楽鈴を鳴らす……。お前の結界のがやばいだろ。クッションどころか、ずたずたに切り裂かれる。
 だとしても俺達はどうでもいい。俺は異形だからこれくらいで死なない。十メートル落下したぐらいで、この二人が死ぬとは思えない。死ぬかもしれないけど、それより夏奈が上に取り残されている。

「受けとめるから飛び降りろ!」

 俺は落下しながら叫ぶ。張りだした木の枝をつかむ。
 人には聞こえない声。人には届かない叫び。

「マジで受けとめてよ!」

 なのに夏奈が落ちてきた。両手をひろげてスカイダイビングみたいに。

「うほほーい!」

 毒も炎も狂ったように降ってくる。
 渓流からは水しぶき。ふたつの結界が暴れている。思玲と大蔵司はどうなった? 俺は落ちてくる夏奈へ飛びつく。
 夏奈の頭に麦わら帽子がふわり乗る。夏奈の自由落下の速度にブレーキがかかる。おかげで彼女をキャッチするタイミングがずれて、俺は水面に尻から落ちる。
 夏奈は水上にふわりと着地する。

「地封していない結界は内側を跳ね返さない」
 水面に立っていた大蔵司が細い煙草をくわえる。
「私は電子煙草嫌い派なんだ。落ち着くために一服させて」

「吸い過ぎだ。結界内が煙るだろ」
 肩が破けたシャツの思玲が顔をしかめる。「肌が焦げて骨が見える。お前がやった傷だ。はやくさすれ」

「心が昂っているうちにしておかないとね」

 大蔵司がくわえ煙草で揺れる水上を歩く。毒と炎を思玲の結界が跳ね返している。俺達は二つの結界にサンドイッチされている状態か。

「また松本が助けてくれたんだ。いまはどこにいるの?」

 夏奈は川の上に浮かぶなんて超常現象を受け入れて、すぐ上で炎が祭りみたいに弾かれるのにも臆せず、周囲を見回している。
 彼女を助けたのは露泥無だけど、俺の声は届かないから否定しようがない。

「受けとめるから飛び降りろって言ったよね。心に伝わったよ」

 夏奈がそう言って笑う。黒い麦わら帽子が大人びている。

 ***

 炎と紫色の毒の塊がひっきりなしに降ってくる。タフな加減知らずめ。

「土壁だけだよな? ハラペコが飛んで見にいってくれ」
 大蔵司に肩をさすってもらった思玲が、沢の上の狭い空を見上げる。

「残念だが浮かべない。下にゆっくり降りられるだけだ」
 麦わら帽子が夏奈の頭で告げる。

「峻計がいたならば、もっと賢い戦いをしたはずだ」
 俺が告げる。

 俺達こそ賢くなかったが、奴らは挟み撃ちでも何でもできたはずだ。ましてや先頭を行く思玲と俺が実質無傷で済むなんてあり得ない。思玲は重傷を負ったけど仲間に背後から撃たれた系だ。確信できないけど土壁だけだと思う。

「それよりどうするの? ジャングル歩きたくないよ」
 大蔵司が二本目の煙草に火をつける。

「ジャングル言うな。私はここで十年近く過ごした。裏道も知っている。そこを通り杖を奪う。当初の目的を変更しない」

 土壁の攻撃がようやく途絶えた。至近戦を仕掛けてきたら、大蔵司の結界が本領発揮する。

「それは間違いなくまだあるの?」
 夏奈が尋ねる。

「場所は私と楊偉天しか知らない。楊偉天が場所をチェンジしてなければある」
「だったら行こう。そして日本に帰ろう。……なんだか瑞希ちゃんが心配になってきた」

「そろそろ空封が溶けるから川に落ちるまえに出発しよう。……桜井ちゃんは信じられないくらいハートが強いね」
 大蔵司が煙草を結界の上で踏みしだく。なんて奴だ。「やっぱり……かもね」

「聞こえましたよ。龍じゃないすよ」
 夏奈がむすっとしながら対岸に飛び降りる。

「問題は上流まで十分ほど登らないとならない。鍛えていない桜井には困難だな」

 思玲が言い、俺は(ひらめ)く。

「露泥無はナマズになろうとするとどんな姿になるかな」
「試してみよう」

 即座に返答してくれた。俺とチベット黒貉の相性は悪くない。
 夏奈の頭上で麦わら帽子が黒く溶けて、黒い浮き輪になる。

「人が乗る分にはおそらく沈まない。紐がついているし、松本が引っ張ればいい」
 夏奈の首にはまった浮き輪が得意げに言う。

「気色(わる)

 浮き輪は夏奈に放られて、沢を流れていく。俺が拾いにいく。




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