四十一の一 陽炎のビル
文字数 2,400文字
4.5-tune
「人間をどこへ連れていくのだ? 峻計さんもそこに行くのか?」
国道脇を進む俺達に姿をさらす勇気もないくせに、野良犬はまとわりついている。
車やオートバイがごくたまに追い越していく。誰も思玲と横根に興味を示さない。深夜の子犬の散歩だとでも思っているのか。そもそも目前にしか興味ないのか。
この町もいずれ日が昇る。
「あの声を聞くと落ち着かない。追いはらうか?」
先頭の川田が聞いてくる。
「とっちゃん坊やのシバ野郎。誰に話しかけている。やはりボスの異形がいるのだな」
ツチカベが言いかえす。俺は人の姿に戻ろうと野良犬にすら見えない。
「なにかいるのか?」
最後列の思玲も気にしだす。人である思玲には、さすがに生きものの声まで聞こえない。
「さっきの野良犬だと思います。でも、ゆがんだ声……」
俺の背後で横根が答える。人であるのに、あらゆる声がまた聞こえている。
「ただの犬なんか追いはらうじゃん。俺があぶりだす」
元気になった姿を見せるかのように、ドーンが声へと飛んでいく。
いきなり闇からツチカベが浮かびあがる。おとなの首もとを優に超す跳躍力で、ドーンに飛びかかる。
思玲が畳んだままの扇をかざす。野良犬は地面に叩きおちる。うめき声を飲みこむ。
「いてえ……。これがテッポウって奴か? やはり尋常でない集まりだな」
野良犬は狭い路地へと消えていく。
「峰打ちとは思えぬ打擲だったな。生身の犬に悪いことをした」
思玲は新たな扇を感心したように見つめる。
「あざす。あの犬は、あいつと連れになった。もっと痛い目にあわせてもよかった。マジで」
ドーンが彼女の肩に戻る。
「お前達、なんで立ちどまっているんだよ。完全に捕らえたぞ。先にいくからな」
先頭の子犬がキャンキャンとわめく。口では言いながらも、傷を負った思玲にあわせたペースで駆ける。
「あそこの電柱で立ちションしながら待っていろよ」
『ははは』
背後のドーンの軽口が聞こえて、桜井が俺の服の中で笑う。
***
『ここはどこ? すごく近いね』
桜井がみんなへと声かける。
「俺は背が低すぎて、場所までは分からん。でも、ここが終点だな」
川田が国道脇の建物を首が折れるほどに見上げる。
「な、なんで、こんなことができるの」
横根は呆然と見ている。
『だから、どこなの!』
桜井はいらだちを隠せなくなっている。
「ただのビルだと思う」俺は答える。「でも歪んでいる」
そのテナントビルは、闇の中で陽炎のようにゆらめいている。階のところどころに、人のものではない明かりが灯されるのが見える。ありふれた小さなビルだったのに、今は強大な妖術の嵐に襲われた廃墟だ。
誰も寄りつけない魔窟……。窓を数えると四階建てで一階は不動産屋みたいだ。
妖術に覆われたしょぼくれたビルが決着の地とは。人間もどきと四神くずれにはもってこいだ。
思玲もビルを見あげる。
「おそらく、この鏡のごとき揺らぎは、はるか昔に龍を封じた結界。今の世では楊偉天だけが使える代物だ」
俺達に目を向ける。
「忌むべき世界に属するものが踏みこめば、奴を倒さぬ限り二度とでられぬ。……人除けの術も充満している。こっちは師傅によるものだな。我々以外は、人でないものしかここにいられぬ」
「カカッ、今さらどうでもよくね?」ドーンが笑う。
まったくだ。俺達は閉じこめられてきた。そこから抜けでるために、箱の中の箱に入るだけだ。
子犬が臆することなく妖術の陽炎に飛びこんでいく。俺も揺らめきへと入る。
ヒヒヒ
老人の笑い声が聞こえた。……警告などではない。ただのあざけりだ。
「ほんとだ。でられない」
振り向くと、横根が内側から陽炎をノックしていた。外の世界が揺らめいて逃げ水のように見える。
「師傅はどこだ?」俺は川田に尋ねる。
「師傅ならてっぺんだな。屋内ではない」
「楊偉天どもも天上だろう。我が師傅と戦うとき、奴らは逃れるべき空を必要とする」
思玲が俺を追い越す。
また屋上か。そこから曙光を見るのだろうか。それまでに終わるのだろうか。
「これが術の気配かよ。俺にすら分かるぜ」
ドーンがうそぶく。
「それよか、閉じこめられた人がいたらどうすんだよ。ブラックな会社なら土日も寝泊まりしてるかも」
「いないな」手負いの獣が断言する。「ネズミすらいない。……死臭もない」
「いたとして救うまでだ」
思玲が扇をひろげる。円状になった七葉扇に術を乗せて、狭いエントランスをあおぐ。淡緑の光は開いたままの入り口に飛びこみ消える。
彼女が振り向く。
「気休めにもならぬな。階段を行くか。裏にでもあるだろ」
異形の俺達には非常階段も似つかわしいようだ。ただ、この規模のビルにあるとも思えないが。
思玲と子犬は気おくれせず、ビルの横へと向かう。数台分の駐車場は網目のフェンスで道と仕切られ、営業車が一台停まるだけだ。
……道路がゆがんで見える。ここすらも、まわりの世界から分断されている。見あげると高い空は揺らいでいない。師傅から逃れるべき空か。
「俺が見てくる」
俺の視線を深読みしたのか、ドーンが思玲の肩から飛びたつ。「やめろ」と思玲が怒鳴る。
――思玲。まずは挨拶が常識だ
どこからか声がした。
――こちらに来なさい
護符が発動した。同時に背中を引っぱられる。後ろにいた横根の悲鳴が、またたく間に遠ざかっていく。前にいた思玲と川田も、俺の背後へ吸われていく。
強烈な力に護符が抗う。俺自身も必死にこらえる。俺だけは飛ばされない。
「噂どおりに強いお札だ。我が術を脱ぎ去りし若者よ」
上空からの声。
「護符と忿怒を授かりし物の怪というべきか。面白い存在ではあるが、儂でもさすがに使いこなせない」
声の主は近づいている。
『あの声がする……。気配がないのに』
人である桜井が俺へとしがみつく。
『あのジジイだよ』
俺は振り返る。老人がぴたりと張りついていた。
次回「老祖師」
「人間をどこへ連れていくのだ? 峻計さんもそこに行くのか?」
国道脇を進む俺達に姿をさらす勇気もないくせに、野良犬はまとわりついている。
車やオートバイがごくたまに追い越していく。誰も思玲と横根に興味を示さない。深夜の子犬の散歩だとでも思っているのか。そもそも目前にしか興味ないのか。
この町もいずれ日が昇る。
「あの声を聞くと落ち着かない。追いはらうか?」
先頭の川田が聞いてくる。
「とっちゃん坊やのシバ野郎。誰に話しかけている。やはりボスの異形がいるのだな」
ツチカベが言いかえす。俺は人の姿に戻ろうと野良犬にすら見えない。
「なにかいるのか?」
最後列の思玲も気にしだす。人である思玲には、さすがに生きものの声まで聞こえない。
「さっきの野良犬だと思います。でも、ゆがんだ声……」
俺の背後で横根が答える。人であるのに、あらゆる声がまた聞こえている。
「ただの犬なんか追いはらうじゃん。俺があぶりだす」
元気になった姿を見せるかのように、ドーンが声へと飛んでいく。
いきなり闇からツチカベが浮かびあがる。おとなの首もとを優に超す跳躍力で、ドーンに飛びかかる。
思玲が畳んだままの扇をかざす。野良犬は地面に叩きおちる。うめき声を飲みこむ。
「いてえ……。これがテッポウって奴か? やはり尋常でない集まりだな」
野良犬は狭い路地へと消えていく。
「峰打ちとは思えぬ打擲だったな。生身の犬に悪いことをした」
思玲は新たな扇を感心したように見つめる。
「あざす。あの犬は、あいつと連れになった。もっと痛い目にあわせてもよかった。マジで」
ドーンが彼女の肩に戻る。
「お前達、なんで立ちどまっているんだよ。完全に捕らえたぞ。先にいくからな」
先頭の子犬がキャンキャンとわめく。口では言いながらも、傷を負った思玲にあわせたペースで駆ける。
「あそこの電柱で立ちションしながら待っていろよ」
『ははは』
背後のドーンの軽口が聞こえて、桜井が俺の服の中で笑う。
***
『ここはどこ? すごく近いね』
桜井がみんなへと声かける。
「俺は背が低すぎて、場所までは分からん。でも、ここが終点だな」
川田が国道脇の建物を首が折れるほどに見上げる。
「な、なんで、こんなことができるの」
横根は呆然と見ている。
『だから、どこなの!』
桜井はいらだちを隠せなくなっている。
「ただのビルだと思う」俺は答える。「でも歪んでいる」
そのテナントビルは、闇の中で陽炎のようにゆらめいている。階のところどころに、人のものではない明かりが灯されるのが見える。ありふれた小さなビルだったのに、今は強大な妖術の嵐に襲われた廃墟だ。
誰も寄りつけない魔窟……。窓を数えると四階建てで一階は不動産屋みたいだ。
妖術に覆われたしょぼくれたビルが決着の地とは。人間もどきと四神くずれにはもってこいだ。
思玲もビルを見あげる。
「おそらく、この鏡のごとき揺らぎは、はるか昔に龍を封じた結界。今の世では楊偉天だけが使える代物だ」
俺達に目を向ける。
「忌むべき世界に属するものが踏みこめば、奴を倒さぬ限り二度とでられぬ。……人除けの術も充満している。こっちは師傅によるものだな。我々以外は、人でないものしかここにいられぬ」
「カカッ、今さらどうでもよくね?」ドーンが笑う。
まったくだ。俺達は閉じこめられてきた。そこから抜けでるために、箱の中の箱に入るだけだ。
子犬が臆することなく妖術の陽炎に飛びこんでいく。俺も揺らめきへと入る。
ヒヒヒ
老人の笑い声が聞こえた。……警告などではない。ただのあざけりだ。
「ほんとだ。でられない」
振り向くと、横根が内側から陽炎をノックしていた。外の世界が揺らめいて逃げ水のように見える。
「師傅はどこだ?」俺は川田に尋ねる。
「師傅ならてっぺんだな。屋内ではない」
「楊偉天どもも天上だろう。我が師傅と戦うとき、奴らは逃れるべき空を必要とする」
思玲が俺を追い越す。
また屋上か。そこから曙光を見るのだろうか。それまでに終わるのだろうか。
「これが術の気配かよ。俺にすら分かるぜ」
ドーンがうそぶく。
「それよか、閉じこめられた人がいたらどうすんだよ。ブラックな会社なら土日も寝泊まりしてるかも」
「いないな」手負いの獣が断言する。「ネズミすらいない。……死臭もない」
「いたとして救うまでだ」
思玲が扇をひろげる。円状になった七葉扇に術を乗せて、狭いエントランスをあおぐ。淡緑の光は開いたままの入り口に飛びこみ消える。
彼女が振り向く。
「気休めにもならぬな。階段を行くか。裏にでもあるだろ」
異形の俺達には非常階段も似つかわしいようだ。ただ、この規模のビルにあるとも思えないが。
思玲と子犬は気おくれせず、ビルの横へと向かう。数台分の駐車場は網目のフェンスで道と仕切られ、営業車が一台停まるだけだ。
……道路がゆがんで見える。ここすらも、まわりの世界から分断されている。見あげると高い空は揺らいでいない。師傅から逃れるべき空か。
「俺が見てくる」
俺の視線を深読みしたのか、ドーンが思玲の肩から飛びたつ。「やめろ」と思玲が怒鳴る。
――思玲。まずは挨拶が常識だ
どこからか声がした。
――こちらに来なさい
護符が発動した。同時に背中を引っぱられる。後ろにいた横根の悲鳴が、またたく間に遠ざかっていく。前にいた思玲と川田も、俺の背後へ吸われていく。
強烈な力に護符が抗う。俺自身も必死にこらえる。俺だけは飛ばされない。
「噂どおりに強いお札だ。我が術を脱ぎ去りし若者よ」
上空からの声。
「護符と忿怒を授かりし物の怪というべきか。面白い存在ではあるが、儂でもさすがに使いこなせない」
声の主は近づいている。
『あの声がする……。気配がないのに』
人である桜井が俺へとしがみつく。
『あのジジイだよ』
俺は振り返る。老人がぴたりと張りついていた。
次回「老祖師」