四の二 大姐の片腕

文字数 4,023文字

 上海ナンバー2の履く軍靴の音が、乱れることなく廊下に響く。

「あんたも党員なのか?」
 ずんずんと歩くデニーを追いながら麻卦さんが尋ねる。

「それには回答しない。代わりに私が聞きたいことがある」
 デニーは振り向かず言う。

「俺も何も答えないぜ。拷問されてもな」
 麻卦さんが背中に答える。

 ……香港魔道団相手に堂々としていた麻卦さんが怯んでいると感じる。雅は思玲にぴったりと張りついている。六魄は姿を見せない。もしかしたら香港に残ったかも。だってこの人は、人間も異形も落ち着かせない。
 無機質で清潔な通路は延々と続く。誰ともすれ違わない。

「翼竜だと日本にはどれくらいかかる? これくらいは答えてくれ」
 今度は思玲が尋ねる。

「もちろんだ。一時間ぐらいかな。その狼の名は?」

 それを聞き、思玲が口笛を吹く。
「雅だ。――無理を承知で聞くが、台湾に寄ってもらえるか? 野暮用を二時間で済ませる」

「この通路でその島の話題をすべきではないな。人の言葉でなくてもだ」
 デニーが部屋の前で立ちどまる。ドアへ手のひらをさしだすと、鍵が解除される音がした。琥珀と同じ術だ。
「時間は取らせない」
 姿勢よく部屋へ入っていく。

「くそ。用心棒から入れ」
 麻卦さんが俺を押そうとしてふわりと滑る。

「マジで拷問はないだろな? 私と哲人は沈大姐と旧知だ。しかも哲人はお気に入りだからな」

 思玲が最初に入室する。雅が唸りながら侍る――人の目に見える姿と化す。
 俺も続く。軍服みたいなのを着た異形が三体いた。三メートル近い背丈の赤鬼だ。知性ある目で俺達を見つめる。

「異形がいるなら道具をださしてもらう」
 両手に扇を持った麻卦さんが最後に入ってくる。

「ならば私もだす」
 デニーの手にでっかい偃月刀が現れる。

「ならば私もだ」
 思玲もバッグから七葉扇をだす。鬼達と向かい合った椅子へどかりと座る。
「……私に食欲を見せぬのか、躾けられているな。哲人も見習え、冗談だからな」

「王思玲。実際の年齢は二十五だったな」
「おばさんと言われる歳ではないぞ。あなたよりはずっと若い」
「二歳上なだけだ。落ち着いているからおじさんに見られる。……しかし、子どもになり乙女になり忙しい奴だ」

 二十七歳だったデニーが制帽をはずし手から刀を消す。あらためて見るとたしかに若い。彫りがやや深くて、かなりのイケメンでもある。彼は壁に寄りかかり腕を組む。
「お前と松本哲人の情報はたっぷりとある。お前達が知る以上にな。私が知りたいのは、東の忌むべき社が何を企んでいるかだ」

「南京の宝を持ち逃げしたからか? 使ってこその宝だが、龍を退治したらすぐに返す」

暴雪(ポクソル)の件だ。奴は半島から消えたが私達の国土に来た形跡はない」

 麻卦さんがちらりと俺を見た。

「朝鮮の白虎が?」
 思玲が上ずった声をだす。「……哲人。うまくないかもしれぬ」

「俺は何も知らぬ。だがデニー、二人だけで話そう」
 麻卦さんの手からも扇が消える。

「やはりこいつらに聞かせられぬ話か?」
 デニーが嫌味に笑う。

「今はまだな。勘違いされても困る」
「こいつらだけで龍退治できると、すでに誤解されているかもな」

 デニーの声と同時に、扇がひろがる音がした。円状の七葉扇。

「私を売ったのか?」
 思玲が素早く小刀も取りだす。「哲人を売ったな!」

 雅が執務室長へと飛びかかれる姿勢を取る。

「だから勘違いするな!」
 麻卦さんが怒鳴りかえす。

 俺は風軍の上での思玲と式神の会話を思いだす。
 小学生だった思玲は、琥珀と九郎を韓国へ向かわせた。楊威天を倒したことをキム老人という魔道士に伝えるため。峻計達のせいにするため。
 そしてキム老人の式神が白虎。その名が暴雪……。

「私は干渉しない。事実を確認できればいい」
 まだデニーは麻卦さんへと蔑む笑みを向けている。
「姑息な日本人の金儲けの邪魔はしない」

 麻卦がドアを見る。デニーが手をかざす。施錠される音がした。
 俺は馬鹿じゃない。ヒントが一個あれば三ぐらい分かる。韓国の老人の復讐の手助けのために、わざわざ思玲を香港へ迎えに来たのならば、こいつを許せるはずない。
 龍退治なんてかっこよくて責任ある言葉に、乗せられていたのならば。

「イウンヒョク」
 麻卦が堪忍したように口にする。「知っているか?」

「いや」
 デニーが答える。

「キム爺の唯一の弟子だ。いや弟子だった。そいつは日本にいる」
 麻卦はデニーだけを見る。
「ウンヒョクに気配なき暴雪を狩らせるために、二人には餌になってもらうつもりだった。――実際に殺される訳ではないぜ。ウンヒョクは凄腕だ。あの男が半分野放しの異形を狩ったならば、社と契約して働いてもらうつもりだった」

「なるほど。だが時間軸が合っていない。暴雪が消えたのは今朝。よほど忙しく動き回る必要がある」
「その通りだよ。俺の頭の片隅に常に白虎がいたからな。あれは危ない。キム爺に本当の意味で従っていなぐえっ!」

 思玲が振った小刀から金色の光が飛びだし、麻卦の太鼓腹に直撃した。煙があがる。

「王やめろ」
「やめぬ!」
「ぐえっ」

 デニーの制止を無視した思玲の飛び蹴りが、麻卦の太鼓腹にめり込んだ。麻卦が嘔吐して、すえたアルコールの臭気が部屋に満ちる。

「……ふざけるなよ」
 麻卦の右手に紺色の扇が現れる。右手に……身震いした。滅魔の輪が現れる。
「松本は動くな。脅しではない」

「雅だったよな。お前も動くな」
 デニーが蒼き狼に話しかけたあとに、呆れた笑みをこぼす。
「特別に借りた部屋を汚したな。島育ちどもは愚かすぎる」
 その手に朱色の扇が現れる。閉じたままで思玲に向ける。

「やっぱりお前らが一番の敵か!」
 思玲が机を盾に転がる。
「我に護るものとめどなく多し」
 七葉扇が円状にひろがる。跳ね返しの――
「なおも……」
 白目を向き大の字で後ろにぶっ倒れる。

 俺の手に独鈷杵が現れる――。主が倒れても雅は見ているだけ?

「お前もだ」
 デニーが麻卦にも扇を向ける。

「効くか!」
 麻卦が扇を交差させる。そのままうつ伏せに倒れる。その手から魔道具が消える。

「ほお。敵の手に落ちぬように術をかけてあったのか。――今のは記憶消しの術だ。もちろん異形にも効果ある」
 デニーが俺へと扇の先端を向ける。
「松本哲人。君もやり取りを忘れて日本に帰るか?」

「やめてください」

 俺は両手を上げる。瞬間のやり取りで分かった。この人は破格に強い。術をだすのに動作を必要としない。それよりも雅……。絶対的忠誠の式神が、主を倒されても傍観している。

「だったら犬の格好をしろ。靴を舐めろ」
 扇の先を向けながら、デニーが近づいてくる。

「……ふざけるな」
 俺の鼓動に独鈷杵が同調する。

 鬼達が立ち上がる。俺の背後に六体の黒い靄が漂うのを感じる。
 デニーは動じずに俺を観察する。

「やめておこう」と椅子に座る。気絶したままの思玲を一瞥して、
「私は最初に王思玲を狙った。彼女が一番強いからだ。殺意ある術を向けていたら、彼女は対応しただろう。むろん総合力では麻卦のが上だが、この肥満は自分の手を汚すのに躊躇する。それくらいは情報を集めている」

「あなたは敵ですか?」
 騙していた麻卦と同じように。怒りを堪えて聞く。

「私は少数民族の出自だが、力を抑えられずに意図せず漢人を複数殺めてしまった。十代前半でだ。だが、送り込まれた沈大姐は私を処分しなかった。私は上海へ連れられた」
 デニーは立ったままの俺を見上げる。やや癖のある黒髪。緑色の瞳。
「大姐の後継者になるためだ。あの方へ報いるために、ゆくゆくはすべての魔道士の頂点に立たないとならない。あの方の感覚的な行動も咎めないとならない。そのために邪魔な存在がいる。分かるか?」

 俺ですか? などと聞くほど馬鹿じゃないし自惚れていない。だから答える。

「……藤川匠」

「つまり私は君の敵ではない。盟友に近かったかもしれない。……影添大社と君達だけでは奴らを倒せない。白虎(ポクソル)もな」
 そう言って、彼は思玲の式神へと顔を向ける。
「雅、お前の記憶も消す。こっちに来い」

 蒼き狼は従う。デニーへと(こうべ)を垂れる。

「私は人に従った異形を我が物にできる。記憶を消せばもとに戻る」
 雅へと閉じた扇を向ける。
 雅もうつ伏す。
「だから殲も唐も使える。君にも試してみたが……、君は誰にも従ってないようだな。野良の異形だ。露泥無のようにな」

 当たり前だ。俺は人だ。ムジナとは違う……。

「露泥無と同じ?」
「大姐は気づいてないが、持って生まれた力のおかげで私には分かる。腹に一物あるあれも、いずれは処分の対象だ」

どくん

 その言葉に俺はデニーをにらむ。手には独鈷杵が残ったまま。左右に三体ずつ六魄が並ぶ。でも怯えている。
 恥ずかしいからやめてくれ。おかげで冷静になれた。ここで戦いになっても利は何もない。

「白虎も狩りの対象なのか?」
 代わりに聞く。

「強大な異形を心底服従させられるものなど滅多にいない。力だけでなく心こそ必要だ。キム老人の命がついえたら、誰があの化け物を従えられる? 主と離れ離れの今こそが機会だ」
 そして付け足す。
「しかるべき時が来たら、儀式を執りおこなう。あの化け物もその邪魔になる」

 儀式?

「デニー様、二十時を過ぎました。そろそろ時間です」

 赤鬼の一体が親指にはめた腕時計を指し示す。こいつは眼鏡までしている。

「そうだな」
 デニーが俺へと扇を向ける。「従えないのだから、君も不要だ」


――すべて殲の背中に乗せておけ。露泥無もな。……その娘に手をだすな。涎すら垂らすな

――承知しました。魄どもは闇に逃げました。私どもでは追跡困難です

――ほおっておけ。……こいつらは誰に殺されるかな。赤三謉(チーサンクェイ)よ、賭けてみるか?

――そりゃ貪ですよ。あれは主を得たので、鬱憤晴らしが必要だ

――日本に着くなり暴雪に決まっているだろ。ゲヒヒヒ……


 そんな言葉を聞きながら俺の意識は遠ざかる。異形のくせに……




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