十の二 信頼すべき人

文字数 3,138文字

 ドーンの言ったとおりだ。タカが待ち伏せていた。逃げ場などない。身を固め巨大な羽音を待ちかまえる……。
 なにも起きない。恐る恐る見渡しても、猛禽はなおも見当たらない。ついでにカラスも見当たらないことに気づく。

「斑ちゃんは、(ヤア)に呼ばれて飛んでいった」
 のんびりした声が心に届く。
「斑風と灰風が命令を聞く順番は、雅ちゃんのがシノ様より上」

 タコの声だ。こいつ、喋れたんだ。

「魔道士が狼以下の扱いとはな」
 シノがスマホを取りだす。「くそっ、まだ圏外だ」

 シノがまた草鈴を吹き、いまいましげに口からはなす。
 タカがいないのならば……、俺は上空に浮かぶ。飛行機の明かりが、夏の星のぼやけた煌めきをかすめていく。盆地の夜景が見えて泣きそうになる。ドーンはどこにもいない。

「タコ! カラスをどうした!」

 異形の大タコに怒鳴りつける。見上げてさえくれない。敵の妖怪など完全スルーか。

「ドーン!」
 闇空に向けて叫ぶ。返事はない。血の気が引く。

「ドーン、返事しろ!」
 地上へと叫ぶ。光が飛んでくるだけだ。蹴りかえす。

「ドーン!」
 救いを求めるように叫ぶ。

――ドーン、ドーン、ドーン……

 異形の声がこだまとなった。眼下で土蛸が怯える。

――テツト、テツト、テツト……

 木霊がドーンの声を輪唱する。どこにいる……。あの林か!
 この高さにまで飛んできた異界の光をヘディングで落として急降下する。

 ***

「ドーン!」杉林の上で再び叫ぶ。

「何度もでかい声だすなって」
 カラスが飛びでてきた。杉の枝にとまる。
「絶対にバレたな。そこにタカがいる。ドロシーも一緒だ」

 俺もドーンの隣に立つ。枝はしなりもしない。

「タカは俺達を狙っているのか?」
「羽根が折れているから無理じゃね。それでも俺を襲おうとして、勝手に力尽きて枝を折りながら墜落した。カカカッ」
 おそらくタカがいる場所へと、ドーンがくちばしを向ける。「でもドロシーがタカへと祈っていた。……また飛ぶかも」

 片耳につけられた真珠のピアスの祈り。俺も授かり生き延びた。

「ドーンはここで待っていて」
 俺だけふわりと降りていく。

「人の話を聞けよ。タカがリカバリーするかもしれねーぞ」
 ドーンの声だけが追いかけてくる。
「もう一羽いるし、俺は待たないぞ。俺は……、俺が護符を持ってきてやる」

 それは無理だろ。でもドーンの忍ばせた羽音が山へと去っていく。
 静かすぎる闇だ。差しこむべき月も浮かんでいない。植林された杉に木霊はいないと感じる。

「ドロシーさん、異形です。山のものでしょうか?」
 タカが俺の存在に気づく。

「たぶん知っている妖怪だ。灰風ちゃんは、もう飛ばないでいいからね。じきに雅が来る」
 ドロシーが闇にまぎれた異形を探している。

「さっきはごめん。リュックを返しに来た」

 背後からの俺の声に彼女がびくりとする。
 ドロシーの影へと寄っていく。……うずくまる大タカは八畳間ぐらいある。黄色い瞳が闇の中でなおも光る。俺を獲物として見つめている。

「貴様など見たくない。立ち去れ!」
 ドロシーが浮かぶ俺を探しながら言う。
「言っておくからね。私はリュックを手にした瞬間に、貴様を消し去る」

「話を聞けよ!」
 時間がない。俺はシャツをめくりリュックサックをだす。
「俺達は魔道団の敵ではない。おそらく思玲も」

 ドロシーがようやく俺に気づく。
「へっ、あれだけの仕打ちをしておいて。あんな攻撃的な式神をいくつも引き連れて」
 切れ長の目は怒るときつくなる。

「式神じゃない。みんな人や猫だった」それだけは反論する。「楊偉天の仕業だ。さっきの箱のためにみんな異形となった。思玲もそのために小学生になった。……まだ異形のままの人達を助けるために、俺達はこの世界に戻った」

「だから? その話は琥珀ちゃんから聞いている。その結果がこれ。……あなた達を倒さずに香港に帰れば、私は不能(プーナン)と嘲笑される」

 ヨタカが遠くで鳴いている。俺達を煩わしがる声色だ。俺達はあらゆるものにうとまれる存在だ。
 ……助けなどいらない。なぐさめもいらない。敵であることをやめてもらうために、事実を伝える。

「思玲は術を使えない。それでも俺達のために魔道団に歯向かった」

 こんな重要な秘密をばらしても、ドロシーは闇の中でせせら笑うだけだ。

「だから? もはや私は敵に情けをかけない。私も敵の情けを受けない。リュックサックなど投げ捨てるがいい。スティックをへし折り、スマホも壊せばいい」

 指揮棒は思玲が振りまわしていて、スマホはとっくにフサフサが踏みつぶしている。

「と、とにかくこれは返すよ。楊偉天の式神がまた来るかもしれない」

 らちが明かないから、リュックを放り投げる。ドロシーの手前に落ちる。彼女は俺を見上げながら(にらみながら)、それを拾う。羽根が折れた大タカは静かに俺を見ている。

「箱が入ったままだ」
 ドロシーは触れるだけで気づく。「へっ、私しかだせないからだ」

 魔道士のカバンには術がかかっているからか。忘れるとヤバい。気をつけないと。

「どっちにしろ俺には重すぎるし」
 宙に浮かんだまま答える。
「俺はさっきの神社に行く。その間だけでも持っていてほしい」

「なんのために行く」

 いきなり大タカが声をだした。この図体だ。響きわたる。巨大な目が鋭い。

「み、みんなを守るために」
 とっさに心にあることを述べてしまう。チビ妖怪のくせにと笑えばいい。

「スティックもスマホもない。どうやって信じろというの?」
 ドロシーはリュックの内ポケットをあさっていた。

「ドロシーさん。私はこいつを信じます」
 タカがまたくちばしを開く。
「か弱き精霊よ。私の名は灰風。こんな有り様だが、斑風とともにアンディ様の両翼をなすものだ。ドロシーさん、その箱というものを私にお渡しください。こいつに代わり私が守ります」

 ドロシーは灰風をやさしく見つめる。

「アンディがいないからって勝手な真似はやめよう。それに、こいつは精霊なんかじゃない。人間だ」
 彼女は外ポケットも確認する。

「それはよかった。人を守ることこそ、与えられた最大の使命です」
 灰風が体を持ちあげる。
「そもそも私はこいつに呼ばれたようです。しかも助けを受けいれてしまった」

 大タカは立ちあがっただけで、浮かぶ俺の高さに達した。……太く巨大な足が見えた。いまのフサフサですら掴んで飛べそうな大きさだけど、どちらの足もボロボロだ。欠けた指や爪もある。

「俺の名前は松本哲人」名乗るべきだと感じる。「箱はドロシーに預けたい」

 灰風が見つめかえす。ドロシーが、その傷ついた足をさすろうとして手が滑る。首を振って俺を見上げる。

「人であったときの名前ね。……私は人を守るために魔道士になったのではない。異形を救うためだ」
 ドロシーがリュックを背にかける。
「でも君は助けるべき異形じゃない。この箱は上の者に渡す。立ち去って」

 リュックは返せたところで、そう言うわな。あいつらは大丈夫だろうか? こんな五人でピクニックみたいに忌むべき世界に来た報いだ。すべて受け入れるしかない。

「その箱に思玲の本来の体が閉じこめられている。だから重たい。……俺が大事だったらしい人の心も」
 人としての俺も……。これ以上喋っている場合ではない。
「シノはすぐそばにいる。スマホも草鈴も使えないみたいだから、合流できるまで灰風を守ってあげて」

 俺はふわっと山の奥へと向きを変える――。目のまえに壁が現れた。大タカの羽根に叩き落とされる。杉林の底の土は固かった。

「ならば、お前はドロシーさんを守れ。いずれ大鴉が来る」
 地面にころがる俺を、灰風の巨大で鋭利なくちばしが見おろす。
「それより先に荒れ狂った手負いの獣が来る」




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