三十九の二 麗しき朱雀

文字数 4,501文字

「手が痛い!」
 ドロシーが冥神の輪を投げ捨てる。
「指が溶けた……。これぐらいでこれじゃ、あれを使えない。ま、まだ人がいる。デニーさん傀儡払いの術をして。私もできたんだ。やってやる」
 一人で騒ぐ。その手に何も現れない。
「魔道具があれしかない。だけどいまは異形だ。やってみせる」

 彼女は両手を上へとかざす。赤いドレスシャツ。赤茶色の髪。赤い唇。胸もとの谷間。手入れされた脇。気品と優美とあどけなさ……。

「噠! 噠! 噠!!!!!」

 強烈な術がホール内を駆け巡る。立ったままの人々が気を失い倒れていく。

「おのれ! なぜに護符を持っている!」
 峻計の杖から黒い焔が飛ぶ。

「哲人さんの恋人だからだ!!」

 ドロシーは宙に浮かぶ。焔を軽々と避ける。その手から紅色の光を発する。峻計が杖ではじく。スプリンクラーは作動しない。
 人の姿が蝙蝠のように舞う。おぞましい妖術の力でなく、ごく自然に浮かぶから見惚れてしまう――。私は手に扇をだす。魔道具に名をつけるのは好まない。しょせんは使い捨ての道具だ。それを振るう。
 峻計へと貪達へと刹那に飛ばす記憶消しの術。……誰にも効果なし。強敵なのを再認識できただけ。

「デニーさんは人間を起こしてください。外へ誘導して」
 彼女は困難なことを言ってくる。だけどその通りだ。不良どもだろうと、か弱い人だ。守るべき対象だ。
「じゃないと殺しちゃうかも」

「やりすぎなんだよ」
 褐色肌の貪が口を裂けるほどに広げる。炎を吐き散らす。

()!」
 また掛け声を発してしまう。私の振るう刀からの青白い光が、異界の炎を断ち切り消滅させる。

「ゲヒゲヒ、俺様とさしでやりあう気か? だがな」
 貪が座ったままの二体の異形に顔を向ける。
「シズメとイクワルも戦え。そしたら匠様に接見させてやる」

「この西と東の混血児(私のことだ)は、僕を封じた神父より強いですよ。かわいいお化けちゃんは東洋のお札を持っているし」
 シズメと呼ばれた若い白人が、にやけながら立ち上がる。
「だけど異教の札は僕に効果ない。お相手するか」

「その男が当代屈指の祓いの者か。まずまずだな」
 イクワルと呼ばれた巨漢の黒人も立ち上がる。
「人を守りながらだと、神を背いたものに通用しない」

 こいつらは冥神の輪にも消滅しなかった。つまり最低でも五つ星クラスの上の上。さらに貪と峻計。まがまがしきオールスターだな。
 私が持って生まれた力――人の式神を奪う力。だが貪と峻計を名前を呼ぼうが従えられなかった。私の術より強いのか、奴らの主が強すぎるのか。おそらくその両方に加えて、こいつらは主に従ってない。

「私は梓群と相性が悪い。イクワルも娘の相手をしろ。最下級だったとしても堕天使の力を見せてくれ。底辺だったとしてもな」
 峻計の溶けた手はすでに復活している。
「貪も梓群を倒せ。デニーは私一人で充分。イクワルの進言どおりに人を盾にさせてもらうわ」

「峻計さんは懲りないな。今度こそ匠さんに消されるぜ。俺はまだまだシズメと楽しむぜ」
 貪が姿を消す。
「夜半を過ぎた。シズメよ、吸血鬼が本領を発揮する時間だろ」



 **松本哲人**

「思玲が言うには、『ニョロ子が視覚で意味不明を伝えてきた。しかも私のバッグを漁ろうとしたから蹴っ飛ばしてやった。逃げていった』とのことだ」

 露泥無から天珠で連絡があった。それどころでないのに。

「ちなみに僕はその視覚を見ていない。端折って説明されても僕には分からない。戦闘シーンだったらしいが」

 粗雑な人間だと、ニョロ子が絶妙なニュアンスで伝える内容を理解できないのか。俺は鱗肌の上で護符を探すに忙しい。「また連絡する」と天珠を切る。

「落としたのかな?」一緒に探してくれる横根が言うけど、
「それだと気付く。飛び蛇が持っていたのではないか?」殲が答える。

 ……あり得るかも、なんて思ったそばから視覚が飛び込む。

 天宮の護符を掲げる幼い思玲。天宮の護符をくわえる狼だった川田。天宮の護符で森を紅色に照らすドロシー……。

 簡単な謎解きじゃないか。思玲も露泥無も気づけよ。
 つまり、またも誰も戦地に雷木札を持たなかった。俺は関与しない札なのだから、思玲もドロシーも気が回らなすぎる。でも慌てる必要はない。

「あの木札は俺を守るものだから、眼下の戦いに不要だよ」
 俺はひさびさに姿を現したニョロ子に言う。ニョロ子はちょっとだけ首をかしげる。
「忍は(本名を殲に聞かれるのもうまくないかも)、もうひとつの護符を知っているかな」

 再びの視覚。火伏せの護符を手に立ち上がるドロシー。ホールの天井近くを舞い、人々にかかった術を消すドロシー。
 ニョロ子は説明の手間も惜しんで、俺から掠め、ドロシーへ渡したのだろう。木札に彼女を護らせるために。俺だけを護らないお札……。
 謎がひとつ、解けてしまった。

「き、きれいじゃない。美しいよ」
 横根が嘆息する。

 俺だって見惚れたい。彼女はまさに朱雀の化身だ。でも大空を飛べばもっと美しいはず。
 俺はあらためてニョロ子を見る。

「天宮の護符は後回しでいいので、ドロシーとデニーの情報を頼む。状況によっては助けてあげて。……俺達も向かうべきかな」

 ニョロ子が大きく首肯する。

「私はデニー様から命を受けている。松本達はここで待機して、現れた貪を私とともに倒す。ここから二人はださない」

 重低音が響く。ニョロ子は去っていく。
 ……思玲も夏奈も無事だろうか。だけどまた、一人だけしか考えられなくなっていく。振り子式電車は廃止された。



 **デニー**

「へっ、堕天使なんてかっこよく呼ぼうが、いわゆる悪魔だろ」
 ドロシーの手に冥神の輪が戻る。煌々と輝いたままだ。
「ほら見ろ。成敗の対象だ! あちち」

「悪魔ではない。堕落しようが性根は善のままだ」
 イクワルが飛んできた冥神の輪をつかむ。
「ゆえに藤川匠へ仕えたい。……私だけが心底従えられる。お前達が繰りひろげた(いさか)いは、私を真なる主へ導く茶番だった」
 ドロシーへ投げ返す。

「これが通用しないならば素手だ」
 彼女は輪を消して、両手を蟹型にする。いきなり振り向く。何もない空間へと、
「噠!」

「おっと」貪の声がした。「あぶねえ、あぶねえ」

 天井だけがえぐられる……。いまのドロシーは恐るべき力を持つ異形。なのに人よりも美しき異形。

「貪は油断するな。その娘に姿隠しは通用しない」
 私と距離を開けて対峙する峻計が言う。
「背後に人間をいる位置を保て。避ければ人に当たる。こいつらは術を飛ばせない」

「人はたっぷりと僕の眷属にしたいな」
 吸血鬼であるシズメがくすくす笑う。
「僕とイクワルは新月系だ。後方から、満月のお二人をサポートします」

「まだ寝ぼけているのか? 私が魔道士との戦い方を教えてやる」

 全身を黒で覆った峻計が杖を掲げる。そして降ろす。
 入口近くで気を失う若い男女に黒い光が当たる。二人はびくっと背をのけぞらせ、動かなくなり、魂が浮かび上がる。

「即座に地面へ引きずられたぜ。よっぽどの悪さをしてきたな、グヒヒヒ」
 姿をさらした貪が醜悪に笑う。

 私は恐怖より怒りが勝っている。あいつは、ためらいもなく見せしめで人を殺した。これ以上に邪悪な存在があるものか。

「異形と化した娘よ。恋人がいるらしいが」
 堕天使イクワルが、ドロシーへと声かける。
「本当に大事なものならば、異形になどさせない。お前が望もうが、身を張ってでも阻止する。そして守る」

 それだけの言葉で、ドロシーの顔が蒼白になっていく。

「惑わされるな!」私は叫ぶ。

「……夏奈さんのことだ。あの人を龍にさせないために……守るために、私は異形にさせられた」



 **松本哲人**

 ニョロ子が聴覚も伝える。吸血鬼だと? 堕天使だと? 邪悪な龍に、しつこい峻計。しかも人の盾。

「電話がつながらない。たぶん電波をゆがめられている」
 横根がスマホを手に言う。

「殲、俺達も戦う。作戦は大失敗だ。デニーを救いにむかう」

「すでに大姐にうかがってある。だが拒否なされた。デニー様から依頼があるまで待機しろと仰せだ」
「ドロシーもいるだろ! すぐに向かえ。結界をどかせ!」
「しつこく騒ぐと食っちまうぞ、人間くずれの気色悪野郎め」

 重低音で威嚇される。……殴ってやってもいいけど、護符が通用しなかった殲のがおそらく強い。

「忙しい飛び蛇だな。さすがにウザくなってきた」

 殲のぼやきとともにニョロ子が現れた。同時に視覚と聴覚を伝える。

「急げ! 気後れするな!」

 幼い姿であろうと先頭を駆ける思玲こそが、俺を奮いたたせる。
 俺こそ地上の戦いへ乱入しろ!
 気づけば俺の手に護符があった。お天宮さんでなくお天狗さん。火伏せの護符。

「ニョロ子ありがとう」
「ニョロ子?」

 殲の怪訝な声に返事しない。謙遜して首を横に振るニョロ子が求めることは分かる。護符の力で殲の結界をほどき、下界へと向かうこと。でも護符の力は――

ピキッ

 夜空に蜘蛛の巣状の亀裂。結界が瞬時に崩れていく。……お天狗さんの望むことも分かった。
 ドロシーを救え。
 なんのために? それはきっと……。この木札を将来所有する子の、母親になる人だから。

「松本の独断に感謝するが、お前に結界をかけることは許されない」

「俺は玄武だよ。結界などいらない。必要ない!」
 思玲みたく根拠なく叫び、デニーの置いていった服を抱える。
「横根はそこにいてね」

 きょとんとしたままの彼女を置いて、土砂降りの闇へ飛び降りる。
 これは導きでも呪いでも、お天狗さんの望みに応じるわけでもない。
 自分の意志だ。大事な人を守る。なんであろうと俺の一番大切な人が揺らぐはずない。



 **デニー**

「緑の目に黄色い肌。混血を繰り返した子孫が持つ天珠は心を隠す。赤い目のお前の心もだが、それでも私には分かる。お前に母はいるか? 父は存命か?」
 イクワルは表情を変えずにドロシーへと寄っていく。
「お前は麗しき異形の姿がよく似合う。親は見たくないだろう」

「それ以上喋らないで。近寄るな!」

 彼女は護布をかぶり泣いていた。陽から陰へ。弱すぎる心……。

「ゲヒゲヒヒ」
 貪が馬ほどの大きさの飛龍と化す。
「この姿でも犯せるぜ。ちょっとでかいがな」

「戦え! 戦ってくれ」

 私は刀をはらいながら叫ぶ。西洋の吸血鬼はおぞましい犬歯を見せて遠巻きに笑っている。

「お前こそ人を守れ」
 峻計が杖をおろす。また一人の命が奪われる。

「ドロシー! 夏梓群!」

 私は懸命に叫ぶ。だけど私の声は彼女に届かない。
 ……だったら守らないとならない。私よりずっと若い、仇敵のボスの孫娘を。強くて弱い娘を。ここには私しかいないのだから、人々を犠牲に夏梓群だけを守らないとならない。そうすれば、彼女は人の姿で微笑んでくれる――。

 近くで爆撃の音がして、異形どもさえ不穏な顔になる。でもそれは一度きり。
 階段を降りる足音。……緊張をほぐすためジョークで置いていった私の服。

「早々に来てくれたな」峻計がつぶやく。

 飛び蛇の先導で、黒いタキシードを着こんだ松本哲人が現れる。胸ポケットにはイミテーションの白い薔薇。




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