四十三の一 原生の深山

文字数 5,300文字

 大蔵司京が灯油缶からタンクへガソリンを直接注入する。いきなりスリルある展開。彼女はそのままサイドカーに座る。てっきり大蔵司が運転すると思っていた。
 俺は座席をまたぐ。ハンドルの位置がゲルマン民族の体躯に合わせてあって、前屈姿勢になってしまう。後ろにはタンデムシート。映画とかで真っ先に落ちる人が座る場所だ。ここに夏奈を乗せて帰る。
 左右のハンドルレバーがいかつい。現代のバイクと操作法が極端に変わらないだろうし、どうせ封印されたコカトリス任せだ。

「私は射手。……忘れていた、あぶね」
 彼女が立ち上がるなり神楽鈴を鳴らす。

シャンシャン、シャンシャン……

 四方へと向きを変えながら鈴を揺らす。

ドクン

 俺のポケットでお天狗さんが目覚める。

「あぶね、あぶね」
 大蔵司がパンツのポケットに手を突っ込む。ウィッグをとりだし、頭に乗せる。茶髪が消えて長い黒髪。大峠のお寺でも被ったのを見かけたけど。
「これも儀式の道具。私の意識を高めるもの。木札さん、清楚に捧げるから我慢してね」

シャンシャン、シャンシャン

 大蔵司がまた鈴を鳴らす。それだけなのに、思玲の舞みたいに見惚れてしまう。……お天狗さんさえも。

「思玲から教わった。毎日何度も練習した」
 黒髪の大蔵司がにっかり笑って座る。火伏せの護符が発動しないまま、バイクは姿隠しに包まれた。
「あぶね、あぶね。はいこれ」

 サイドカーの座席から旧ドイツ国防軍ぽい軍用ヘルメットを渡される。彼女も髪を後ろで結びヘルメットをかぶる……。
 大蔵司が護符を無効化した。その彼女が俺を見る。

「はやく行きなよ。飛び蛇が外で待っている。あれはここに入れないから」
Kikeriki(キッキリッキー)!』

 大蔵司と鶏子にせかされて、ペダルをキックしてアクセルレバーを引く。軍用バイクが急発進する。開いたままのシャッターから飛びだす。非常階段の下側でドロシーを抱えるウンヒョクと横根が見えた。
 ドロシー……。いまは夏奈だろ!

 新幹線が視覚で届く。紫紺と白のストライプ……銀色のがかっこよかった……つばさだ。

「ニョロ子が山形と伝えてくれた」
「つまり出羽三山のどれかかな。それか蔵王。神を(かた)る獣が好みそうな場所だね……なに?」

 ニョロ子からの視覚が続く。非常階段を数段飛ばしで駆け上がる人でなきもの。そいつは手すりを乗り越え、跳躍して、空中に浮かんだばかりのサイドカーを包む姿隠しを突き破り――

「川田う、うわあ!」
「落ちるな」

 BMWのクラシック軍用バイクに飛び乗った川田に落とされかけた俺は、片手一本でつかまれて日暮里上空で宙ぶらりんになる。
 片手一本で持ち上げられる。川田がフロントシートにまたがり姿勢を整え、俺はその後ろの、映画で真っ先に落ちる人が座るシートに腰をおろす。

「一晩中部屋に閉じこもって体が爆発しそうだ」
 川田が振り向く。「ボスの言葉に従い今後は先頭で戦う。もう見ているだけはしない」

シャンシャンシャン……

 鈴の音が再び聞こえた。大蔵司がサイドカーに立ち、川田が開けたであろう穴に神楽鈴を振るう。結界に再度包まれたところで、彼女も俺を見る。

「よくね? とりあえず私がいない間に瑞希が襲われる心配が消えた」
 にっかりと笑う。「川田も危ないからヘルメットしな。ふたつしかないか」
Kikeriki(キッキリッキー)!』

 彼女が座りなおす。軍用バイクが賛同する。

「どうやって部屋をでてきたの?」
「入り口を壊した」

「夏奈が乗れない」
「松本か川田が抱いて帰りな」

 バイクは荒川を越える……。

 ***

 手負いの獣人がいれば戦闘力は格段にあがる。俺が御すればいいだけだ。でも夏奈を抱えるにはサイドカーは狭すぎる。いまさらどうにもならない。

「どこへ行く?」
 ナチスのヘルメットをかぶった川田が無線機に尋ねる。欲しがったから俺のを渡した。

Kikeriki(キッキリッキー)!』
「ニョロ子を追えよ」

 鶏子は無線機からの雑音混じりの適当返事だけで、自分で向きを変えない。川田が東北方面へハンドルを傾ける。見えない軍用バイクは大宮から高架線路に沿って北東を目指す。つばさやこまちを次々追い越していく。

 栃木上空で一度、トランクにあったガソリン缶から給油して、この上ない緊張を味わった。……ドロシーは天珠を持っている。でもあれに通信機能はないとデニーが言った。そもそも人に戻った彼女と連絡をとりあえない。

「燃費がよすぎる。さすがドイツ車(ほんとかよ)。さすがコカトリス」
Kikeriki(キッキリッキー)!』

 大蔵司の機嫌も戻っているような。彼女も鬱憤が溜まっているに決まっている。というか緊迫感が薄い。
 白河の関を越えたころには、川田は居眠り運転。大蔵司はしょっちゅう誰かしらと連絡を取り合っている。俺も夏奈に連絡するけどつながらない。

 山形盆地の上空でバイクをアイドリングさせて、斥候にでたニョロ子の帰還を待つ。下に流れるは最上川。上には快晴の空。太陽は東を離れようとしている。時間がかかるのは仕方ない。横根に電話してもでてくれない。でも俺は焦っていない。

「よくない話を教えておく。執務室長が言うには、一階にある医務室の使用料が八十万円。地下室の修理代が合わせて一千万円」
 電話を切った大蔵司が言う。「それと医務室の賠償金が二千万円。魔道団が支払い拒否したら松本に請求するって」

「……ドロシーが?」
「人の血を私に入れるなと、半でなく全狂乱したらしげ。手のひらから光をまき散らして、ウンヒョクさんが結界で跳ね返さなければ、瑞希も先生も看護師もやられていた。先生はデニーさんの傷を処置して当人に記憶を消されたばかりなのに、またも記憶を消された」

「ドロシーは?」
「いまはウンヒョクさんの子熊を抱いて寝ているぽい。治療できなければどうにもならない。どうする? 戻る?」

「もちろんすぐに戻る。でも夏奈を連れてだ。……俺からもよくない話をしておく。おそらく白虎は森に入る。しめ縄の結界は通用しない」
「ドロシーが負けた相手だから?」
「現時点で考えられる最高の術でも、巨大な虎は悲鳴をあげるだけだった。しかも傷を負って凶暴化している」

 天宮の護符と冥神の輪の螺旋。それすら跳ね返された。火伏せの護符を握った俺のパンチはそれを上回ったけど、あそこはガチガチにホームグラウンドだった。

「なので倒すでなく取り返すのみか。でもね、虎は桃子とこいつ(鶏子)を冥界に送るだけだった。異形の雌にやさしいエロだとしても、つまり理性がまだ勝っている。それに」
 ヘルメットをかぶった大蔵司が真顔で見上げてきて、どきりとしてしまう。
「私はすごいものを持っている。影添大社に闖入した異形になら使用が許される」

 錆びた白銀の苦無……。

「純度は?」
「気づいていた! あれには『九十九(つくも)』と(しる)されている。その名の通りに、この世に存在する最高の純度。弱った虎ならば倒せる」
「あの虎は白猫みたいにすばしこいよ」

 暴雪は純度百の白銀弾を避けた。……ドロシーが隠しもつお守りを教えるべきではない。なぜか感じる。

「ごめんなさい」

 ドロシーが頭を下げる……。いまの状況で彼女を視覚に使うなよ。
 ニョロ子そのものも頭をさげて現れた。尻尾で前方を指し示す。

「山形より北? ……うまくないな」
「北海道かな」
「そこまで行ってくれたらまだマシだけど、秋田と青森の県境に広大なブナ林がある」

 白神山地かよ。そこは初期に登録された(本物の)世界遺産だ。入山禁止だ。ナチスの機銃つきバイクで向かっていいのか?

「急ごう」知ったことじゃない。「戦いが終わったら、たっぷりと休ませてあげる。俺の肩でね」

 ニョロ子がうなずき、風と消える。知らぬ間に起きていた川田がアクセルを握る。

Kikeriki(キッキリッキー)!』

 鶏子も突風となり追いかける。

 *

「奴らは私の存在に気づいておらぬ」
 幼くなった思玲が不敵な笑みを向けてくる。

 ニョロ子はこの子がお気に入りのようで、視覚でしょっちゅう使う。
 眼下に広がる緑の海。スマホは圏外。有能な飛び蛇がいなければどうにもならなかった。

「一服してぇ」大蔵司がつぶやく。

「(結界のなかであろうと仕方なく)吸っていいよ、川田が怒るかもしれないけど。吸い殻はこの森に捨てないで」

「私さあ、あんたの真面目ぶった態度がかなり――ん?」

「キョキョ」
 ニョロ子が俺と大蔵司の間に現れて、珍しく声を立てた。思わせぶりに真下を覗く。

「ようやく到着だね。OK」
 黒髪の大蔵司がゴーグルで目もとを覆う。自分の頬を二度叩く。

「ニョロ子は無理しない。囮になんて絶対になるな」

 ニョロ子が俺の言葉にうなずく。姿隠しの結界からでようとしない。ここから案内しようとしている。まさに核心だ。
 ここに夏奈がいる。さらわれてから一時間ほどしかたってない。死にかけた俺へと死にかけたドロシーが癒しを授けてからまだ一時間……。
 右手の甲を爪でえぐる。痛みはない。俺は人に戻るなり殺されかけて、また痛覚なき人間になった。

 軍用バイクが静かに林へ降りていく。緊張が伝わる。川田からも。
 ここも雨が降ったらしく、ブナ林のなかは濡れていた。紅葉は始まっていない。でも緑は褪せている。
 ニョロ子が鎌首を曲げて方角を指図する。川田がハンドルを傾けるたびに、貴重なブナ林の枝葉を折りまくる。

「静かにしろ」幼い思玲に怒鳴られる。
Kikeriki(キッキリッキー)……』無線機がすまなそうに告げる。

 軍用バイクが自動運転となり、軽やかに林を縫いだす。だったら最初からそうしろ。

サワサワサワ……

 木霊が朝から興奮しだした。
Kike(キキ)?』無線機から不安げな鳴き声が漏れる。
 ニョロ子が振り向いて何かを訴える。

「エンジンを切ればいいのかな?」
 大蔵司が感づく。
「川田はスイッチをやさしくひねって。そうそれ、賢いね――逆だよ反対に回せ。鶏子はここから自力でバイクを引きずりな。……不服そうだな。また白虎にゆるしてもらえると思っているか? いいか、男でなく私を信じろ。そうすれば生き延びる」

 鳥の鳴き声は遠い。滴る音。枝葉が揺れる音。緑に覆われた急峻な尾根を越え、清らかな水が流れる沢を越える。結界の中にまで苔の香りが漂ってきそう。
 世界に誇る宝だけど、どこかに巨大な虎がいる。そこに夏奈もいる。

「こういう戦いだと、私の跳ね返しは扱いづらい」

 サイドカーの大蔵司が言うとおり、あれは敵を閉じこめてタコ殴りするには最強のアグレッシブな結界だ。時間が過ぎれば解除されるなら持久戦で守りきれないし、自分で消せないなら攻撃に転じられない。

「機銃からは紫毒がでるのかな」大蔵司に尋ねる。
「さあ。実弾は錆びていたからはずしたけど」
「あれは効果あるとイウンヒョクが言っていた。彼の矢なら三十本当てれば倒せるらしい」

 しかも今回は、コカトリスの黒ずんだ紫毒を、重機関銃という恐ろしい代物から――。
 ニョロ子が俺の左手を甘噛みしていた。痛覚がないから気づかなかった。

「戦うものはでろ!」
 天宮の護符を手に結界から飛びだす思玲。

 つまりだ。ここがゴールだ。

「ブレーキを握るぞ。大蔵司、結界をはずせ」
 川田がむっつり言う。「狩りの時間だ」

「……OK」

 大蔵司が神楽鈴を音たてぬまま揺らす。姿隠しが消えて、森の空気が流れ込む。
 大蔵司が黒髪のウィッグをはずす。俺は木札を手に握る。彼女は苦無を手にしない。
 八十年前の軍用バイクが音を立てずに深山の森へ着陸する。
 左手は崖だけど平坦な一角。四方すべてが樹木、樹木。沢の音。葉がこすれる音。鳥のさえずり。苔むした地面。関東よりはるかに秋深まった森。
 ニョロ子が俺の肩に降りる。舌をだして進むべき先を教える。

「そこに夏奈がいるのか?」
 俺の問いかけにニョロ子がうなずく。

「暴雪もいるよな?」
 大蔵司の問いかけにニョロ子がそっぽを向く。

「暴雪もいるよね?」
 俺が聞いてニョロ子が首をかしげる。

 ツキノワグマが築いたような獣道を、ニョロ子を首に巻いた俺を先頭に進む。大蔵司が続く。サイドカー付きバイクが二人よりもひそやかについてくる。川田がしんがりを務める。
 ひときわ大きい倒木があり、苔むした樹肌に桜井夏奈が横向きで横たわっていた。自分の手を枕にしている。幻想的でさえあるけど……、

「罠かな?」俺はつぶやく。
「だろうね」大蔵司が答える。「化けているかもしれない」

「龍が生まれそうだ。はやく倒すぞ」
 川田が俺達を押しのける。



 **王思玲**

 窓のない部屋で、女魔道士は目を覚ます。
 蛍光灯がまぶしい……。影添大社の地下室か。また戻ってきた。
 ベットから降りる。ほかに誰もいない。トイレを済ませて顔を洗う。服をすべて脱ぎ、全身を鏡に映す。
 大蔵司の力で体の傷は消えた。でも外面だけだ。皮膚の奥で疼痛が、藤川の剣でやられた各所に、敗北の印のように残る。
 命が残っただけで幸いだ。奴が倒れたら、いずれ痛みを忘れるだろう。

「まだ王を死なせてはいけない」
「裏切り者であろうと」
「また女王が喪に服してしまう」

 部屋から声が聞こえた。

「森の女主(おんなあるじ)を御するものよ」
「命の残り火を見せてくれ」
「それは今日」




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