四十一の二 老祖師

文字数 4,122文字

 刈りこんだ白髪頭の160センチもない削げた体。濃紺シャツに灰色の麻ズボン。気配も感もない、杖を持ったありふれたお年寄りにしか見えないけど……、
 こいつが楊偉天。

「夏奈や、怯えるではない。お前の名前は鏡に刻ましてある。異形になろうと忘れぬようにな。ヒヒッ」
 そう言うと、楊偉天が俺の目を見上げる。俺の手を握る。
「傀儡の術は無理か。おお、土着の神がうごめきだしたぞ。すばらしい力だ」

 呆気にとられていた俺は、ようやく老人の手を振りはらう。俺の手の中で、護符は狂おしいほどに発動していた。
 俺はあとずさる。……逃げるな。川田達を救うのだろ。

「大鴉どもにお前を倒せぬはずだ。さらには月神の光を浴びたとなると、この老いぼれでも難しい」

 楊偉天は首筋をまわしつつ言う。すべてを見抜かれている底知れぬ恐怖。でも思玲達を助けるのだろ。

『松本君だけじゃ無理だよ。師傅さんを呼びなって』
 俺の意識は心の外に向かっているから、桜井が声にだす。

「昇は忙しいのだから無理を言うではない。儂や式神どもと戦っているのだからな。……今は儂だけか? ヒッヒッヒッ」

 楊偉天が見上げた空を俺も見上げる。対の炎が小柄な影を追っていた……。ドーンも吸いこまれていなかった!

「師傅を呼べ!」上空に叫ぶ。

「朱雀くずれが鴉とはな。さらには飛行する」
 楊偉天が杖を天にかかげる。杖の先から小豆色の光が雁行となり、上空へ向かう。ついで杖さきで地面を叩く。
「ロタマモとサキトガよ。儂は心を開いているではないか。呼ばれたならすぐに現れなさい」

 さらなる恐怖が寝汗のように湧きでた。

『読まれぬためにバリアしていて、消すなり叱責か』
『キッ、気づくはずないだろ』

 使い魔達の声。あっちの陣営にくだったのか。俺はまたしても後ずさる。

『そいつといまだ契約中だ。姿を現せない』
『それに、あんたはさっきのあんたではないだろ? 厳密に言えばな。キキキ』

 ……手下になったとは、ちょっと違うようにも思える。

「妖魔ごときが逆らうな」
 楊偉天が杖をかざす。そして地面を叩く。

 コンクリートの駐車場が揺れる。俺は耐えきれず地に手をつける。
 老人が俺を見おろす。

「お前も逃げるのならば、夏奈を置いていきなさい。天上ならまだ開けてある。大鴉達が窮屈にならぬようにな。ヒヒヒ」

 蔑んだ目。護符を持つ俺を木っ端のように扱っている。

『ホホホ、癇癪をおこさないでおくれ』
『時間がないのは、みんな一緒ってことで』

 使い魔達の声とともに、俺と楊偉天のあいだに黒い煙がわきあがる。

「哲人君、実体で会うのは初めてだな」フクロウの化け物の声「これは不可抗力によるものだから契約には影響しない」

 煙の消えた地面に、ロタマモとサキトガが転がっていた。

「イケメンに戻れてよかったな」おぞましいコウモリの声。「スペードのエースを持つ、クローバーのジャックさんよ。キキキキ」

 二匹まとめて太い有刺鉄線のようなつるで、がんじがらめになっている。羽根をひろげることもできないのに、ふてぶてしい目を俺に向ける。

『使い魔? 瑞希ちゃんを人に戻してくれた奴ら?』
 桜井が俺の心に聞いてくる。

「キキキ、そうだよ。ロタマモ見ろよ。龍は愛でる男に抱かれてうっとりだぜ」
「サキトガ。まだ龍ではないだろ。まだまだ、ただの桜井夏奈だ。ホホホ」

 俺達の心に割りこみやがって……。桜井をまやかすつもりか。

『当たり前のことを言わないでくれる?』
 心を読まれても、彼女は平気みたいだ。
『契約するよ。みんなをはやく人に戻せ。引き換えに、このジジイの魂をやる』

 さすが桜井。でも、そんな都合のいいことが通用するのか?

「ホホッ、まずはお前達で倒してくれ。交渉はそれからだ」

 こいつらこそ都合がよい。いまの敵は楊偉天だけ。なのに老人は俺など見ていない。

「くだらない。西洋の魔物よ、代償を求めるのはやめなさい」
 楊偉天が使い魔達へと杖をかざす。
「もうすぐ日の出だ。消えたのちの千年を羽虫で過ごすか、東洋人の式神となるか、考える時間は少ない」

「勘弁してくれよ。俺らは契約がすべて――」

 使い魔達の抗弁を無視して、楊偉天が杖をおろす。
 マジかよ。奴らを縛るいばらをほどきやがった。……いばらは空中で蛇のようにうねりだす。
 楊偉天が杖をあげる。そしておろす。ミシッと地面がまた揺れる。震源は……、使い魔達は解放されなかった。透明ななにかに押しつけられたように、奴らは地面に打ち伏す。

「知りたいか? こいつらには臥龍窟(ウオロンクゥ)を逆さに張ってみた。今の若い奴らは反弾(跳ねかえし)とか呼んでいるがな」
 楊偉天が化けフクロウ達を見おろしながら言う。
「簡単に見えて難しい。あの思玲も、指南の甲斐なくものにできなかった。あれだけの結界を作れるのにな」
 俺へと杖をかざす。
「お前にも通用すると思うが封じこむまでが面倒だ。まずこれを試してみる」

 楊偉天が杖をおろす。
 宙に浮かぶいばらの蛇が、俺へと向かってくる。前屈みにかわすが、とげの胴体がかすめる。
 痛っ。肩のシャツが裂け血が流れだす。傷はすぐに消えていく。

「ヒヒッ。やはり邪教徒として扱われたな」
 楊偉天がまた杖をかかげる。「東と西、どちらが勝る?」

 楊偉天が杖をおろす。数メートルもあるいばらが、双頭の蛇となり襲ってくる。俺は護符をかかげる。かまわずに蛇と化したいばらが巻きついてくる。護符がさらに強く発動する。それを受けて、いばらも強く発動する。
 とげが体中に突き刺さる。俺は絶叫する。身動きもできないまま地面に倒れる。

『松本君!』桜井も絶叫する。

「ヒヒヒ。さすがは、いにしえの法具だ。梟よ、これはよほどに由緒あるものだな」
 楊偉天が笑う。
「これを用いて終われると思うか? なあ蝙蝠よ」

『ジジイ、ほどけ!』
 桜井が俺から這いでようとしている。

「桜井、でるな……」
 全身に突き刺さる痛みに耐えながら、それだけを伝える。

『そうだ。桜井……、やめろ』
『お、お前をおびき出すための罠だ……』

 使い魔達の桜井を誘う声が、彼女とつながる俺にも届く。

『だったら助けろ!』
 桜井がTシャツを切り裂こうとする。

『ホ……、潰された私達にはなにもできぬ』
『打開できるのは、哲人君だけ。キキ……』

 ……そうだ、俺だけだ。などと決意するだけで、いばらがさらに食いこんでくる。
 こ、これが拷問。とげが貫通した両腕で、小鳥の、いる腹、だけを覆う……。

『哲人君、聞こえているのだろ? お、お前よりも、川田達はさらに苦しんでいる』
『封印の箱を解いた、あ、あの力を使え。さもないと、仲間は……、みんな死ぬ』

 全身を、締め、つけられる。……し、死んだほうが楽かも。

『お前を、恨みながら……。お、重い』
『桜井も、お前を呪いながら龍になる。……これは、いばらより、き、きつい』

『ざけんな!』
 俺の腹からの金切り声。
『みんなに恨まれて呪われるのは私だ!』

 ……さ、桜井を、誰にも、う、恨ませない。

「夏奈、だれと話している?」楊偉天の声がする。「妖魔とか?」

 さ、桜井を、誰にも呪わせない!

「どけ」

 俺の命令に、いばらの鎖がほどけて落ちる。受けた傷はふさがっていく……。
 俺はいばらを拾い立ちあがる。俺の行動をしげしげ見つめる老人へと振りかざす。
 いばらが鞭となり、楊偉天が吹っ飛ぶ。

「夏奈、落ち着けよ。守るって言っただろ」

『て、哲人君、私どもも、だしてくれ』

 ロタマモだ。ふざけんじゃない。その声を無視して、俺は地面にしゃがんだ楊偉天へと歩を進める。奴のシャツの胸元は斜めに大きく裂けていた。老人が俺を見あげる。

「昇に傷を負わしたのはお前だったのか」
 楊偉天は怯えていない。驚愕しているだけだ。

「楊偉天さん。あきらめて、俺達を人に戻してください」
 俺は老人へと声をかける。人を鞭で叩いたことに、すでに後悔しはじめている。

『馬鹿野郎。力がおさまっていくぞ』
『そ、その前に、私達を助けろ』

「なんだ? もう仕舞いか」
 楊偉天が大儀そうに立ちあがる。

『む、無視するな。劉昇が来たら、羽虫にもなれずに消える。あとで帳尻をあわせる。は、はやく開放しやがれ』
『ええい、くそ。特記事項を付け足そう。け、契約が不履行でも、ゆ、猶予を与えてやる!』

 焦りだした妖魔達がうるさい。かまうものか。楊偉天の首根っこをつかんででも説得するだけだ。
 楊偉天は俺を待ちかまえている。かまうものか。

『使い魔を救ったほうがいいかも』桜井がつぶやく。

 青龍の感か? 今さらそんなのに従えるか。楊偉天を拝み倒してでも――。

『従ってよ。私を信じないの?』

 一年生の冬。吹き抜けのテラスから一階を見おろしていた桜井。俺へと期待の目も向けなかった桜井……。記憶の断片が蘇る。

 信じるに決まっている。俺は使い魔達へと向きを変える。

「契約なんかあるはずないだろ?」
 結界へとむちを振りおとす。力が落ちてきて、へこみもしない。ふざけるな。
「壊せ」

 もう一度振りおろすと結界は縦にひび割れ、増殖しようとしながらはらはらと消えていった。俺の命令を受けいれたいばらも朽ちて、手もとから崩れて消える。

「妖魔などと手を結ぶのか?」楊偉天があきれていやがる。

「す、すぐに清算してやる」サキトガの声だ。「それより契約は残っているぞ。お前もそのために戦っているのだろ?」

 桜井を守れと後付けした件か。あれが契約であるものか。
 みすぼらしいコウモリとフクロウの化け物が、よろよろと宙に浮かびあがる。

藤川(ふじかわ)(たくみ)。心の奥底からたびたび浮かんできたな」
 羽根の毛も半分落ちたロタマモから怪訝な声がする。
「龍になるものが導かれる存在か。こんな身であろうが気にはなる」

『その名前をだすな!』

 桜井の叫び声に上空がどよめく。楊偉天さえ空を見上げる。

「夏奈よ。まだ耐えなさい」老人が苦々しく言う。

 俺が思ってしまうのは、桜井が動揺する名前。藤川匠――たくみ君。

『やめてよ。それより、やっぱり来たよ』

 俺の心が伝わろうが、そんな言葉しか返してくれない。
 返せるはずがない。あいつの怒りの気配が俺にも伝わる。人であったときに心を寄せる猶予だって、俺達に存在するはずなかった。




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