二十六の一 座敷わらしとずたぼろ女

文字数 2,586文字

「つ、剣を戻せ。使い魔はまだ箱にいる。はやく封じろ」
 思玲がよろよろと立ちあがる。

「短剣は消えました。あとかたもなく。それより大丈夫ですか?」
 鬼がしでかしたとてつもない暴力に、彼女の体を心底から案じてしまう。

「消えただと? 愚か者め」
 俺の心配など聞いていない。でも悪態さえ弱弱しい。
「仕方ない。いずれ消してやる。眼鏡がどこかに落ちた。明かりをつけてくれ」

 思玲の頼みでも、それだけは堪忍してほしい。

「暗くても見えますから、俺が探しますよ」
「つけてくれ」

 思玲がそこまで願うのなら、従うに決まっている。脇に転がる箱に目を向ける。剣をだしたときのはずみで、金属で装丁された骨董品の本がはみ出ていた。天使が悪魔を討伐する表紙だ。まがまがしい気配を感じる。
 あいつらはまだここにいる。せめてもと、本を箱に戻しふたを閉じる。
 入口横のスイッチを押す。人の作ったものだから固すぎる。全身の力を傾けて、ようやく反対側に傾く。人の明かりがしばたき、部屋が照らされる。

「つらいのならば室外で待ってくれていいが、その前に見てもらいたいものがある」

 蛍光灯に照らされた思玲は右目に青痣をこしらえ鼻血をながし、左腕には太ったミミズほどの掻き傷が幾重にあった。赤いTシャツの胸もとはおそらく血でさらに暗い赤となり、右手は頭髪を気にするように触れていた。

「長髪にする以上は毛も根も鍛えはしたが、禿げてないか?」

「見た感じでは分かりませんけど……」
 人の明かりが耐えられない。部屋の外にふわふわと逃げる。

 *

 思玲が眼鏡をかけて現れる。足を引きずっている。
 使い魔達の声はもう聞こえない。本当に力を使い果たしたのか、あいつらの言葉など信用できない。
 彼女は書庫を見まわす。

「人除けが消えたな。むき出しだから静かに去るぞ」
「それより珊瑚を使いましょう。まず横根を探しましょう」

 白猫の心臓になっている珊瑚は、祈りと癒しの玉だと言っていた。ぼろぼろの思玲にこそ必要だ。

「あの玉は受け継がれた。もう私には扱えない。そもそも珊瑚の祈りを受けても、人は心に癒しを受けるだけだ。つまり私には不要だ」
 思玲が俺を追い越す。書棚のあいだを行く彼女の顔が、非常灯に緑色に照らされる。
「ここから先も、みなを守るだけだ。そのためだけに我々は存在を許されるのだから」

 その体で、どうやって守るというんだ。案の定、彼女はよろめき座りこむ。

「もうリタイアしてください。人を呼んで病院に行ってください。ここに来たのだって、あいつらに歯が立たないからではないですか」
 なのに状況はさらに悪化している。

「ここに来たのは私が怯えていたからだ」
 思玲がわき腹をおさえながら言う。
「お前を胸に抱いた頃からうすうすと感づいた。ゆえにもう逃げぬ。……ちり紙など持ってないよな。鼻血がうっとうしい」

 満身創痍でよく言えるな。俺は鬼にやられたダメージなど、とうに消えている。でも人の体ならば、回復に数日数か月もかかる。そんな体で峻計達と相見えたら、彼女は間違いなく殺される。
 それを口にだして伝えても、

「魔道士は衣服に守りの術をコーティングする。それがかすれてきたらこの有様だ。……じきに師傅が来られる。それまで耐えればいい。楊偉天は峻計とともに戦わねば、師傅に対抗すらできない」
 思玲は鼻の穴に指を突っこみ言うだけだ。指に付いた血をパンツにこするし。

「それだって分からないじゃないですか。楊偉天は峻計のボスですよね。さらに強力な妖術を使えるのではないですか? もしかしたら――」
「哲人は、師傅のおそろしさを知らぬからな」

 俺の言葉をさえぎる。

「二年前に朝鮮の北部で(みずち)が暴れたことがある。その兄弟である国がとばっちりを恐れて、魔道士を送りこむことにした。しかし、あの白虎使いの老いぼれは国の求めに応じず、代わりに劉師傅が依頼をお受けになられた」

 北朝鮮と韓国の話か? 韓国には、四神を式神とする者がいるというのか。

「師傅にかかれば、巨大な蛟といえどもかないはせぬ。即座に消し去ったが」
 思玲が手をつき立ちあがる。
「そこで大陸の者達と出くわした。彼らは中国から依頼を受けたのだ。愚かにも、瀋陽(シェンヤン)の魔道士達はメンツにこだわった。その七人は、先を越された腹いせを師傅に向けた。……大陸の東北を占めていた一派は壊滅した。戦いにおける師傅の力は無尽に強まる」
 再び歩きだす。
「我が師傅は戦いにおいて情けを知らぬ。師傅が恩義を捨てたとき、楊偉天は死ぬ。……私とて、あの男が倒されたことを知るまでは決して死なぬ」

 彼女の意志が、傷だらけの彼女をなおも歩かせている。そんな思玲に聞かねばならない。

「そして師傅は俺達を殺すのですか? それでも師傅を待つべきなのですか?」

 彼女の話が事実ならば、楊偉天よりさらに強い師傅こそが俺達への執行人だ。
 思玲がまた本棚に体をもたげる。

「峻計は師傅でなければ倒せぬ。その先のことなど分かるか」
 額の汗をぬぐいながら言う。「だが桜井だけは赦さぬだろう。あと腐れを残さぬに決まっている」

 青龍となる資質が許されぬというのか。そもそも桜井はなんで大層なものを持って生まれてきたのだ? 容姿はかわいく、性格は(よく言えば)天真爛漫。ちょっと変わってはいるけど、常軌を(激しく)逸脱しない程度にだ。それなのにインコにさせられたうえに処分されるなんて、ゆるせるはずがない!

「思玲から説得してください。俺も一緒に頼んでみます」

 俺の力ではそれが精一杯だ。彼女は俺の問いかけを闇に笑うだけだ。再び足を引きずり歩きだす。

「師傅は力しか認めぬ。その心に届くには、おさなごを残したままの母親のように、我が身を差しだすほどの情念が必要だ」
 思玲は手すりをつかみ、体を引きずるように階段を登る。
「それよりも瑞希だ。哲人は私をおびき寄せる焼き芋的存在だったゆえ、あいつらはろくに条件もつけずに瑞希を人に戻す約束をした。まさか貧弱な妖怪が剣を取りだすとは思わぬからな。……魂を奪う契約はなかったよな」

「それはないと、フクロウは断言しましたけど……」

 ふわふわと階段を登りながら答える。
 悪魔に魂を売るって奴か。サキトガの後出し契約が気にかかる。もしかして俺は、横根の魂をかなりきわどい立場に追いやったのかも。底知れぬ心配ごとが増える一方だ。




次回「夢見るは人」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み