二十六の一 賑わいのはざまで

文字数 1,854文字

 木枯らしから逃れるように、ショッピングモールに駆けこむ。教授のアドバイスで判例六法の最新版を買う羽目になった。四千円もするらしい。
 指定された書店で律儀に購入する。店員の女の子の俺への反応……。この本屋にもちょっと通おうかな。
 アパートに帰ったら、さっそく勉学だ。川田の部屋に入りびたる習慣ができかけて、教授の指摘とおり、ちょっとたるんできた。言われなくても、バイトや遊びばかりではバランスとれないし。
 後期試験も近い。せっかく前期で好成績を残せたのだから、週末はこもろう。バイトのシフトは早番だけだから、二日で二十一時間は専念できるな。集中してやるには丁度よい時間だ。年末年始は帰省して家事全般を母親に押しつけるから、一日十四時間。
 頭のなかでスケジュールを立てながら、にやにやする。俺は勉強も好きだ。

 三階の屋内テラスみたいなスペースに、女の子がいた。手すりから一階を見おろしている。クリスマスと正月にはさまれたモールであって、そこだけひっそりした空間だ。遠目にもかわいく感じて、なにげなく二度見する――。
 俺は立ちどまる。よく知っている子だった。

「ひさしぶり」
 桜井の背中に声かける。「三石と一緒?」

 彼女が振りかえる。俺だと分かり醒めた顔だ。でも俺はうわずっていた。

「なにやっているの?」
 彼女の横にならぶ。四階からの吹き抜けになっていて、一階を行き交う人を見渡せる。

「まじめ君には関係ないし」

 桜井は手すりの向こうに顔を戻す。
 不機嫌なときの桜井だ。半年ほど彼女をちらちら見てきた俺には分かる。親父君とまじめ君。サークル内で川田とセットで呼ばれる呼称など気にならない。
 桜井に会うのはひさしぶりだ。もともと出席率が低かったのが、もう一か月は顔をだしていない。学部がちがうとなかなか会えない。グループラインにもメッセージを残さない。

「じっと見るのやめてくれない」
 いきなり顔を向けられて、あたふたしかける。
「いつもいつも。正直言って気色悪いんですけど」

 彼女はまた顔を戻す。……回復不可能なほどのダメージ。やっぱり、こいつはこういう人間だった。

「分かった。じゃあね」
 俺はエレベーターに向かう。踏ん切りがついた。サークルはやめて勉強に専念しよう。

「横根は元気?」
 背中を向ければ声をかけてくる。

「自分で連絡すれば」俺は立ち去る。

 *

 ラインの電話が鳴る。

『さっきはごめん』
「気にしなくていいよ」
 もう声も聞きたくない。

『戻ってきてよ』

 また俺はエスカレーターを登る。彼女は同じ場所にいた。

「横根ってあれだよね。まじめなのにおもしろくね? 知っている? 三姉妹の末っ子だって。おかしみがあるよね」

 横根のどこがおかしいのか、俺には理解できない。こいつのがおかしい。

「横根のインスタ見たことある?」
 俺は彼女の隣に戻る。「お姉さんの飼っているインコだらけ」

 見てみると言って、桜井はまた一階を眺める。俺も一緒に見おろす。何が楽しいのか分からないけど、彼女との距離をすこしだけ縮める。

「待ち合わせ?」男とではないよな。

「香蓮の買い物に付き合ったけど、また喧嘩になって、香蓮は帰った」

 だからたそがれていたんだ。機嫌が悪かったんだ。あれだけ仲が良ければ、そりゃ喧嘩するよな。
 ……いまは偶然に支配された二人だけの時間だ。どうせすぐに終わる。

「横根って、私を嫌っているよね?」

 桜井が一階を見おろしたまま言う。俺は片隅に気づく。買い物客は目をそらしていた。

「そんなことないと思うよ」
 俺はそいつらだけを目で追う。――強い視線を感じて、彼女に顔を向ける。

「知っているくせに!」
 真顔で言いかえしている。
「私が横根に叩かれたの、みんなでおもしろく言ってるだろ!」

 知っていたし、川田は横根の側に立っているし、三石からも横根寄りの電話があったし、ドーンが面白おかしく言いふらしていたし。
 でも俺は重たい本を彼女に押しつける。

「仲直りしたいのなら、あいだに立つよ」
 こんなとこにいる場合じゃない。
「ちょっと待っていて」
 三階へつながる反対側のエレベーターをめざす。

「あんたが待ちなって」
 桜井は追いかけてくる。「なにがあったの? ……目が怖めだし」

「いじめがあった。カツアゲ」
 俺はエレベーターを歩いて降りる。並ぶ二人連れの一段上で立ちどまる。
「金を返させる」
 横に並んだ桜井へと告げる。

 中学一年の秋。俺は傍観者にならないと決めた。見てみぬふりで素通りできる家族連れやおじさんにはなれない。




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