三十一の一 血の値段、命の値段
文字数 1,894文字
「消毒しなくてよかったの?」
横根の声に目を開ける。かすんで見える。
「余計なことはしないほうがいいって」
大蔵司は自分の腕に刺さった破片を取っている。……俺は後部座席に寝かされていた。まぶたが重い。
裂かれた心臓が治癒している。切断された肋骨も、折られた指も――。彼女への感謝と畏怖を心に刻む。
痛みさえ消えていた。でも寒いし、喉が渇くし、心臓が弱弱しい。
「車が汚れちゃったね。ごめんなさい」
横根が俺を挟んで大蔵司に頭をさげる。おそらく俺の血で。吐いた記憶も。また目がふさがる。
「シートごと変えちゃう」大蔵司が平然と言う。「さすがにこれは哲人君に請求するけどね。Tシャツ代も一緒に」
やめてくれ。声がだせない。
「当然のようにやってるけど、あり得ないぜ。そこまでの傷は楊でも無理だ。ましてや他人の傷など――。天珠に着信だ。静かにな」
琥珀の声がボンネットからする。
「病院に行かないのなら輸血してください。一番新しいのと二番目を」
横根が俺に確認せず決断する。
「OK。だったら人に戻ったら会おうね」大蔵司に緊張感はない。「私の部屋で料理しよう。瑞希はお酒飲める?」
「俺も誘え。つまみはいらねえ。蒸留酒だけあればいい」
九郎が割って入る。
頑張って目を開ける。かすんだ横根と目があう。不安そうな顔だけだ。
「静かにと言っただろ。のろすぎると、思玲様がだいぶお怒りだ」
琥珀が天珠をポケットにしまう。
「輸血は動きながらにしよう。九郎、安全かつ迅速な運転を頼む」
ちらっと見えたが天珠は穢れていた。あの言葉の仕業……。
「チチチ、だったら琥珀がアクセルとブレーキをしてくれ。右肩を叩いたらアクセルだからな」
フロントガラスは外郭からじわじわと回復している。俺は横根の膝を枕にしていた。足が延ばせず胎児のようにうずくまっていた。
腕に注射針を刺される。後遺症が起きるかもしれないけど、今のままのがおそらくヤバい。影添大社の医務室で処理はされているというし……そこが何だか知らないけど。
水が飲みたい、トイレに行きたい、もうちょっと寝たい。
「京、はやくクーラーボックスを閉めろ。開いたままだと運転しないからな」
「そうだよ。滅魔の輪が入っているのだから。折坂って人からの返事はまだ?」
九郎と琥珀が順繰り言う。
「人じゃないって。あれ? 執務室長からだ」
大蔵司がスマホを耳にあてる。
「お疲れさまでーす。今日もゴルフですか? 熱中症に気をつけてくださいよ」
彼女は一分ほどで電話を終える。琥珀へとにやりと笑う。
「折坂さんは私の直属の上司だけど、お金絡みだから、さらに偉い麻卦さんに相談したみたい。で、本物だったら七十万で引きとるって」
「本物だよ! 思玲様に五十万……。スマホの代金も梁大人の借金も楽勝で支払える!」
琥珀が九郎の頭をぺんぺん叩く。
「哲人は二十万だ。文句ないよな?」
どうやら俺の胸に刺さった法董の輪を影添大社だかに売るようだ。それくらいの価値だったのか。おそらくこの車の内装代に足りない。
「琥珀はたまに短絡だからな。書面にしとけよ」
九郎がくちばしを挟む。
「京、USドルだろうな?」
「当ったり前じゃない! 私にもでっかい給料日だ!」
大蔵司もペンギンの頭を叩こうとして滑る。
「歩合制最高! やっぱりやめるのやめようかな」
二十万ドルっていくらだろう? 一ドルが百円としても……。
どうでもいいや。やっぱりもう少し寝たい。
「哲人君は異形に触れられるよね。私ぐらい霊感強くても見えるまでなのに」
大蔵司は寝かさせてくれない。
「もしかして、その青い目が異形だから?」
彼女は見抜いている。
「相性がよくても触れあえる」頑張って答える。
「ふうん。じゃあ私は、九ちゃんとも琥珀ちゃんとも相性悪めってことだ。瑞希とも」
大蔵司が助手席から乗りだしてくる。弱弱しく寝ころぶ俺へ挑むみたいに。
車のエンジン音が高まっていく。
「そんなことないって。僕も九郎も――」
「台輔、落ち着こ!」
琥珀の声を彼女がさえぎる。異形の車がアイドリングをストップさせる。
「でも、いまは触れたりして」
大蔵司が横根の頬をさする。横根の膝がびくりとする。
「ほらね。相性なんか関係ないよ。どちらかにアグレッシヴな感情が芽生えると、人と異形は触れあえる。襲いたいとか、倒したいとか、食べたいとか」
異形だった俺もテニスコートで横根を持ちあげた。あのときの感情は、おそらく守りたいだった。ドーンと横根をアグレッシヴに守っていた。
横根は顔をそらしたのに、大蔵司はまだ彼女に微笑みかけている。かわいいけど肉食獣の笑みだ。
次回「後部座席の二人」
横根の声に目を開ける。かすんで見える。
「余計なことはしないほうがいいって」
大蔵司は自分の腕に刺さった破片を取っている。……俺は後部座席に寝かされていた。まぶたが重い。
裂かれた心臓が治癒している。切断された肋骨も、折られた指も――。彼女への感謝と畏怖を心に刻む。
痛みさえ消えていた。でも寒いし、喉が渇くし、心臓が弱弱しい。
「車が汚れちゃったね。ごめんなさい」
横根が俺を挟んで大蔵司に頭をさげる。おそらく俺の血で。吐いた記憶も。また目がふさがる。
「シートごと変えちゃう」大蔵司が平然と言う。「さすがにこれは哲人君に請求するけどね。Tシャツ代も一緒に」
やめてくれ。声がだせない。
「当然のようにやってるけど、あり得ないぜ。そこまでの傷は楊でも無理だ。ましてや他人の傷など――。天珠に着信だ。静かにな」
琥珀の声がボンネットからする。
「病院に行かないのなら輸血してください。一番新しいのと二番目を」
横根が俺に確認せず決断する。
「OK。だったら人に戻ったら会おうね」大蔵司に緊張感はない。「私の部屋で料理しよう。瑞希はお酒飲める?」
「俺も誘え。つまみはいらねえ。蒸留酒だけあればいい」
九郎が割って入る。
頑張って目を開ける。かすんだ横根と目があう。不安そうな顔だけだ。
「静かにと言っただろ。のろすぎると、思玲様がだいぶお怒りだ」
琥珀が天珠をポケットにしまう。
「輸血は動きながらにしよう。九郎、安全かつ迅速な運転を頼む」
ちらっと見えたが天珠は穢れていた。あの言葉の仕業……。
「チチチ、だったら琥珀がアクセルとブレーキをしてくれ。右肩を叩いたらアクセルだからな」
フロントガラスは外郭からじわじわと回復している。俺は横根の膝を枕にしていた。足が延ばせず胎児のようにうずくまっていた。
腕に注射針を刺される。後遺症が起きるかもしれないけど、今のままのがおそらくヤバい。影添大社の医務室で処理はされているというし……そこが何だか知らないけど。
水が飲みたい、トイレに行きたい、もうちょっと寝たい。
「京、はやくクーラーボックスを閉めろ。開いたままだと運転しないからな」
「そうだよ。滅魔の輪が入っているのだから。折坂って人からの返事はまだ?」
九郎と琥珀が順繰り言う。
「人じゃないって。あれ? 執務室長からだ」
大蔵司がスマホを耳にあてる。
「お疲れさまでーす。今日もゴルフですか? 熱中症に気をつけてくださいよ」
彼女は一分ほどで電話を終える。琥珀へとにやりと笑う。
「折坂さんは私の直属の上司だけど、お金絡みだから、さらに偉い麻卦さんに相談したみたい。で、本物だったら七十万で引きとるって」
「本物だよ! 思玲様に五十万……。スマホの代金も梁大人の借金も楽勝で支払える!」
琥珀が九郎の頭をぺんぺん叩く。
「哲人は二十万だ。文句ないよな?」
どうやら俺の胸に刺さった法董の輪を影添大社だかに売るようだ。それくらいの価値だったのか。おそらくこの車の内装代に足りない。
「琥珀はたまに短絡だからな。書面にしとけよ」
九郎がくちばしを挟む。
「京、USドルだろうな?」
「当ったり前じゃない! 私にもでっかい給料日だ!」
大蔵司もペンギンの頭を叩こうとして滑る。
「歩合制最高! やっぱりやめるのやめようかな」
二十万ドルっていくらだろう? 一ドルが百円としても……。
どうでもいいや。やっぱりもう少し寝たい。
「哲人君は異形に触れられるよね。私ぐらい霊感強くても見えるまでなのに」
大蔵司は寝かさせてくれない。
「もしかして、その青い目が異形だから?」
彼女は見抜いている。
「相性がよくても触れあえる」頑張って答える。
「ふうん。じゃあ私は、九ちゃんとも琥珀ちゃんとも相性悪めってことだ。瑞希とも」
大蔵司が助手席から乗りだしてくる。弱弱しく寝ころぶ俺へ挑むみたいに。
車のエンジン音が高まっていく。
「そんなことないって。僕も九郎も――」
「台輔、落ち着こ!」
琥珀の声を彼女がさえぎる。異形の車がアイドリングをストップさせる。
「でも、いまは触れたりして」
大蔵司が横根の頬をさする。横根の膝がびくりとする。
「ほらね。相性なんか関係ないよ。どちらかにアグレッシヴな感情が芽生えると、人と異形は触れあえる。襲いたいとか、倒したいとか、食べたいとか」
異形だった俺もテニスコートで横根を持ちあげた。あのときの感情は、おそらく守りたいだった。ドーンと横根をアグレッシヴに守っていた。
横根は顔をそらしたのに、大蔵司はまだ彼女に微笑みかけている。かわいいけど肉食獣の笑みだ。
次回「後部座席の二人」