九の一 触れ合っていた二人
文字数 2,047文字
みんなはあきらめが悪い。
「ふん。護符の気配は消えたよ。さっきまでは若い雄猫みたいだったのにね」
急な階段を降りながら、フサフサが鼻を鳴らす。
「見捨てられた神様などあてにしないことだ」
「踏ん切りついたって言っただろ」
ドーンがフサフサの肩から暗い枝に移る。
「でも武器もなしで麓に行けるはずねーし。大カラスが飛んでいたし、それよりずっとでかいタカが二羽もだぜ。しかも、あの化け物だ。畑の中でうねっていたぜ」
ドーン以外は静かだ。夏の虫すら鳴いていない。こいつらのせいで。
「フサフサ、万が一のときには戦ってくれ。猫に戻るために。瑞希を探すためにだ」
そう言って、思玲が林道わきに目を落とす。
「さらに万が一になったら、こいつを放つ」
クーン、クーン
鎖でがんじがらめに転がる柴犬が不憫だ。「リクト」と声をかけても返してくれない。
「哲人、我慢するじゃん。て言うかさー、思玲はあの子と面識があったのかよ。……かわいかったな」
「あった」
林道にしゃがんでいた思玲が立ちあがり、ワンピースをはらいながら言う。
「ポーチを落としてしまった。扇とスマホが入っている。探しながら戻る」
そんな大事なものを……。
「ふん。あんたが歩いたあとを追えばいいのだろ?」
フサフサがリクトを拾いあげる。
「こいつと二匹で探してくるよ。マチまで先に行きな。――ぼうず、スーリンの匂いを追うよ」
フサフサがリクトの頭をこづいて去っていく。俺達も歩きだす。
「で、なんで知り合いだったんだよ? 香港と台湾って近かったっけ?」
ドーンがうながす。
「海を隔てている。それすらも知らぬのか? さすがはエスカレーターだな」
うわっ(俺は教えていない)、頭上のカラスがピクリとする。
「まあよい。夜道の連れに教えてやる。――以前の哲人に告げたかもしれぬが、私は本来の世界の決まりごとに関わってしまった。師傅の了承を得て、自力で解決することにした。しかし色々うるさい今の世に、魔道士がさらに関わってしまった」
思玲は闇を恐れない。月もない真っ暗な林道を、異形を連れに歩いていく。人がでくわしたら、少女も異界のものと思うだろう。
「二千年続いたルールがほころぶかもしれぬ。大陸の連中が私を詰問しにやってきた」
少女は話を続ける。
「まっさきに来たのは、海をまたいで福建だ。名だたる魔道士達は私の弁明に大笑いし、師傅とひと晩飲みあかし、私にセクハラまがいの言葉を残して帰っていった。
続いて上海不夜会が来た。マジでビビったが事務的に質問しただけだった。あそこは聞くより先に手をだすところだから、はなから形だけだったのだろう。
さらに広州も来たが、携帯電話がないことを笑いやがった。カタログを広げだしたから、茶に鼻くそをいれてやった」
話がさっぱり分からない。でも女の子は指揮棒を振りながら、懐かしそうに語り続ける。
「次に来た瀋陽は、北だけあって生真面目だった。正論をぶちまけて、私をかばう師傅と言い争いになり魔道具をだす始末だ。捨て台詞を残して去った。
……大陸の動向を見定めて、最後に香港がやってきた。私を連行して喚問すると言いやがった。『胸を張っていけ』と、まさか師傅が従った。おかげで香港の魔道士どもと知り合う羽目になった。
ドロシーは十五歳だったから、いまは十八。それで遠征が許されるとは末恐ろしいな。――早いな。さすがは百戦錬磨の野良猫だ」
闇から白人女性が現れる。異形の目より早く、思玲は気配に感づく。
「ふん。崖の下に落ちていたよ。ドーンでも見つけられたさ」
そこだと、たぶん見つけられない。フサフサがポーチを下手で投げる。思玲はうしろによろめきながら、胸でキャッチする。
女の子のひとり語りも興味あるが、俺からも伝えることがある。
「ドロシーがここに現れたのは俺のせいらしい。おそらく人間だった俺と会っているから、異形である俺の気配も追える」
「そんなはずないだろ」
漆黒の中で女の子が鼻白む。
「ドロシーといえども、よほどお互いの相性がよくなければあり得ぬ。人の目に見えぬ異形であろうと、強い感情なく触れあえるほどでないとな」
……彼女に抱えられたし、普通に手もつないでいたが。そもそも、
「それを言うなら、思玲ちゃんとも触れあえるだろ」
「ちゃん付けで呼ぶな。私は別格だ」
「俺、考えたんだけどさー」ドーンが頭上で言う。「護布をかぶって、いったん人に戻ろ。態勢を取りなおしたほうがよくね? ……フサフサは今のままね」
「だれが卵を怯えさせられる? 誰が魔道士のカバンに手を入れられる?」
少女が即答する。
「護符を手にし、破邪の剣を取りかえさねばならない」
タイムリミット二日の意味がリアルに色づけられた。
「ふん。はやくマチに行くだけさ」
フサフサが思玲を持ちあげる。女の子は抵抗したが、異形におんぶしてもらう。
タカがいるから飛びたくないと、ドーンは俺の頭に居座りつづける。
山をくだるペースがあがる。集落を静かに抜けて、ブドウ畑にまぎれこむ。
次回「ブドウ棚の下で」
「ふん。護符の気配は消えたよ。さっきまでは若い雄猫みたいだったのにね」
急な階段を降りながら、フサフサが鼻を鳴らす。
「見捨てられた神様などあてにしないことだ」
「踏ん切りついたって言っただろ」
ドーンがフサフサの肩から暗い枝に移る。
「でも武器もなしで麓に行けるはずねーし。大カラスが飛んでいたし、それよりずっとでかいタカが二羽もだぜ。しかも、あの化け物だ。畑の中でうねっていたぜ」
ドーン以外は静かだ。夏の虫すら鳴いていない。こいつらのせいで。
「フサフサ、万が一のときには戦ってくれ。猫に戻るために。瑞希を探すためにだ」
そう言って、思玲が林道わきに目を落とす。
「さらに万が一になったら、こいつを放つ」
クーン、クーン
鎖でがんじがらめに転がる柴犬が不憫だ。「リクト」と声をかけても返してくれない。
「哲人、我慢するじゃん。て言うかさー、思玲はあの子と面識があったのかよ。……かわいかったな」
「あった」
林道にしゃがんでいた思玲が立ちあがり、ワンピースをはらいながら言う。
「ポーチを落としてしまった。扇とスマホが入っている。探しながら戻る」
そんな大事なものを……。
「ふん。あんたが歩いたあとを追えばいいのだろ?」
フサフサがリクトを拾いあげる。
「こいつと二匹で探してくるよ。マチまで先に行きな。――ぼうず、スーリンの匂いを追うよ」
フサフサがリクトの頭をこづいて去っていく。俺達も歩きだす。
「で、なんで知り合いだったんだよ? 香港と台湾って近かったっけ?」
ドーンがうながす。
「海を隔てている。それすらも知らぬのか? さすがはエスカレーターだな」
うわっ(俺は教えていない)、頭上のカラスがピクリとする。
「まあよい。夜道の連れに教えてやる。――以前の哲人に告げたかもしれぬが、私は本来の世界の決まりごとに関わってしまった。師傅の了承を得て、自力で解決することにした。しかし色々うるさい今の世に、魔道士がさらに関わってしまった」
思玲は闇を恐れない。月もない真っ暗な林道を、異形を連れに歩いていく。人がでくわしたら、少女も異界のものと思うだろう。
「二千年続いたルールがほころぶかもしれぬ。大陸の連中が私を詰問しにやってきた」
少女は話を続ける。
「まっさきに来たのは、海をまたいで福建だ。名だたる魔道士達は私の弁明に大笑いし、師傅とひと晩飲みあかし、私にセクハラまがいの言葉を残して帰っていった。
続いて上海不夜会が来た。マジでビビったが事務的に質問しただけだった。あそこは聞くより先に手をだすところだから、はなから形だけだったのだろう。
さらに広州も来たが、携帯電話がないことを笑いやがった。カタログを広げだしたから、茶に鼻くそをいれてやった」
話がさっぱり分からない。でも女の子は指揮棒を振りながら、懐かしそうに語り続ける。
「次に来た瀋陽は、北だけあって生真面目だった。正論をぶちまけて、私をかばう師傅と言い争いになり魔道具をだす始末だ。捨て台詞を残して去った。
……大陸の動向を見定めて、最後に香港がやってきた。私を連行して喚問すると言いやがった。『胸を張っていけ』と、まさか師傅が従った。おかげで香港の魔道士どもと知り合う羽目になった。
ドロシーは十五歳だったから、いまは十八。それで遠征が許されるとは末恐ろしいな。――早いな。さすがは百戦錬磨の野良猫だ」
闇から白人女性が現れる。異形の目より早く、思玲は気配に感づく。
「ふん。崖の下に落ちていたよ。ドーンでも見つけられたさ」
そこだと、たぶん見つけられない。フサフサがポーチを下手で投げる。思玲はうしろによろめきながら、胸でキャッチする。
女の子のひとり語りも興味あるが、俺からも伝えることがある。
「ドロシーがここに現れたのは俺のせいらしい。おそらく人間だった俺と会っているから、異形である俺の気配も追える」
「そんなはずないだろ」
漆黒の中で女の子が鼻白む。
「ドロシーといえども、よほどお互いの相性がよくなければあり得ぬ。人の目に見えぬ異形であろうと、強い感情なく触れあえるほどでないとな」
……彼女に抱えられたし、普通に手もつないでいたが。そもそも、
「それを言うなら、思玲ちゃんとも触れあえるだろ」
「ちゃん付けで呼ぶな。私は別格だ」
「俺、考えたんだけどさー」ドーンが頭上で言う。「護布をかぶって、いったん人に戻ろ。態勢を取りなおしたほうがよくね? ……フサフサは今のままね」
「だれが卵を怯えさせられる? 誰が魔道士のカバンに手を入れられる?」
少女が即答する。
「護符を手にし、破邪の剣を取りかえさねばならない」
タイムリミット二日の意味がリアルに色づけられた。
「ふん。はやくマチに行くだけさ」
フサフサが思玲を持ちあげる。女の子は抵抗したが、異形におんぶしてもらう。
タカがいるから飛びたくないと、ドーンは俺の頭に居座りつづける。
山をくだるペースがあがる。集落を静かに抜けて、ブドウ畑にまぎれこむ。
次回「ブドウ棚の下で」