三の三 台湾島最後の魔道士
文字数 3,469文字
麻卦さんは、もとの席より奥へと移動していた。俺はその背後に再び立つ。ドロシーが隣に並ぶ。思玲の弁護人としてだ。
「鬼は退かすべきだろ? 飛び蛇も」
梁勲が隣に座る周婆さんに言う。
隠密の飛び蛇か……。峻計も飼っている。しかもあれは有能な気がする。
「だったら異形だかなんだか分からんのも退かせ。この子は残すよ。律と令はあっちの世界に行っていな」
二体の鬼へと振り向いた周婆さんの手に金色の扇が現れる。仰ぐなり鬼達が消える。
「冥界送りかよ。怖い怖い」
麻卦さんがつぶやく。
「宗教的な意味の冥界ではないよ。闇に潜ませるみたいな言い回しがあっているかな」
ドロシーが教えてくれる。
「私ももう一度行ってみたいな。いろんなのが蠢いているはずなのにすぐに――」
もう一度?
だけどドアが開いた。
「連行してきました」とアグネスが顔をだす。
続いて高校生ぐらいの少女が入ってくる。拘束はされていない。赤と白の縞柄シャツと水色デニム。すらっとした長躯。長い黒髪を雑に結んだ王思玲……。
彼女は正面に座る梁勲達に小さく会釈する。目線が横にずれドロシーに気づき、俺を見て露骨にぎょっとする。
「て、哲人じゃないか。なぜにここにいる?」
俺はなんだか分からん異形だから。
眼鏡をかけてない若い思玲は黒目がちで整った容姿で、俺は明け方前のゴルフ場で舞った彼女の裸体を思いだす。
俺は異形だから、この娘をじぶんのものにしたいと疼きかける。もちろん表にださない。今よりも成熟した思玲とも、今よりも幼い思玲ともたっぷりと接してきているのだから現しようがない。それでも、どちらの王思玲よりも、いまの思玲に惹き込まれる。……でも俺は異形だから、十代の彼女を不気味にも感じる。
人のくせに、なぜこっちの世界にいる?
「あなたを返してもらうためです。日本で待っていても埒が明かないので」
これくらいは訥々 と言える。
「ふざけるな。川田や瑞希達を見捨てたようなものではないか。琥珀と馬鹿燕は何をしていやがる」
きつい目をしようが綺麗。背が俺ぐらいあろうがかわいい。花の盛りの美しさを持つ思玲に惑わされる。夏奈よりもドロシーよりも圧倒的に惹かれる。
もちろんおくびにも出さない。中身を知っているから出しようがない。
「横根と夏奈は影添大社に保護してもらっています。ここに俺が来れたのも陰陽士のおかげです」
「影添大社だと? 陰陽士だと?」
思玲の目がすっと細くなる。そして広がる。
来るぞ。
「お前の頭は香港の市場で売っている果物ほどにふにゃふにゃか? 大蔵司で懲りているだろ。あそこに関わるのは愚かでなく危険だ。金がすべての碌でもない一団だ。すぐに日本へ戻れ。みんなを奪い返してこい。そして九郎をここへ来させろ。あいかわらず見張りもできない馬鹿燕め。二度目だ、絶対に許さない」
「ははは、威勢がよい子だ、ははふが」
周婆さんが笑いだして入れ歯が落ちた。握ったままの扇をあおいで口へと飛びこませる。
「私はこの子が大好きだ。このまま香港に置いておきたい。私の遺産をすべて譲ってやる」
「そうすべきかもしれませんね。彼女は日本がお嫌いのようだし」
麻卦執務室長が
思玲がぎょっとする。
「……陰陽士か。おられたのですね。さっきのは私の意見でなく、魔道だ……大陸のどこぞの一味が言っていました。そこの貉 がです。台湾と日本は友好の虹でつながっています。それは魔道士と陰陽士もです」
ぺらぺらとその場しのぎを……。この女は若くなろうが年を取ろうが変わらないじゃないか。
「執務室長。彼女の口が悪くて申し訳ございません。ただし腕は一流です。龍退治の力になってくれます」
俺も麻卦さんの背中へ弁明する。影添大社の心証だけは害してはいけない。
「見た目も一流だ。お酌してもらいたいぐらいだ」
麻卦さんが振り向かずに言う。
「魔道団がこの娘を解放しないのは何故だ? 楊偉天一派が消滅して根無し草になったのが理由ならば、わが社で責任もって世話していいぞ」
それを聞き、思玲は嫌悪を浮かべる。唾を吐きそうなほどに。
「龍退治をさせるのか?」
梁勲が仏頂面で言う。合議制と言っても発言するのは、ほとんどが年長の二人だけだ。
「イエス」麻卦さんが人の言葉で答える。
「お前さんは人の話を聞いてないのかい。王思玲を預かるのは私だよ」
周婆さんが目をひん剥いて早口に言う。
「話が飛び過ぎだ。魔道団の血は台湾の異形と魔道士によって流された。仲間割れに巻き込まれてだ。最後の一人に責任をとってもらわないとならない」
梁勲はそう言うと、もう冷めたであろう茶でのどを潤す。すかさず足そうとする下っ端を手でとめる。
思玲が両手をひろげる。
「梁大人は、かわいいかわいい孫の話を信じないのですか。魔道団の方々を倒したのは楊偉天一味と藤川匠の使い魔です。私と劉師傅は奴らと戦い、ついに忌むべき奴らを消し去りました。言うなれば私はかたきを」
「お前こそ話を聞いてないのか。仲間割れに巻き込まれたと言った。責任は両者にある」
「梁大人」
ドロシーが祖父に声かける。
「でも王思玲の話は事実です。彼女はここにいる松本哲人さんとともに私達のために戦ってくれました。子どもだったのに哲人さんを補助して復讐を成し遂げてくれました。
ケビンとシノも哲人さんと一緒に戻りましたよね? 哲人さんと王思玲の活躍を、彼女達からも聞いてください。哲人さんそうだよね?」
「私の孫も人の話を聞かなくて恥ずかしい」
梁巌が茶碗をテーブルに置く。
「夏梓群や、私は『仲間割れに巻き込まれた』と何度も言ったよな。台湾が日本に遠征してまで争わなかったら、仲間の魂は奪われることなかった。責任は生き延びた王思玲にこそある」
どういう理屈だ。
「だったら俺達にも責任がありますね。戦いを傍観した影添大社にも」
俺は梁勲を見つめながら言う。「乱入してきた上海不夜会にも」
「気色悪い存在が」
声がした。椅子も蹴る音がした。座る茶会メンバーも護衛の連中も俺をにらみだす。
「上海の名前をだしちゃ駄目だよ……」
ドロシーが小声で言うけど、もう遅い。
「そうです、そうですよ」
十代の思玲が手を叩いた。
「争いがでかくなった原因は使い魔と
なんて奴だ。異形を惹きつける魅力がかすみそうだ。でも、
「それとですね。哲人をキモいと言った奴は立て」
一同をにらみ回す。沈黙と敵意がブランドされていく。
「誰も言ってない。それで、だったらどうしたいの?」
座っていた四十代女性が初めて口を開く。
「……哲人、どうするのだ?」
俺に振りやがった。
「ひょひょひょ」
周婆さんが気味悪い笑い声をあげた。
「こいつらが上海の輩にけじめを求めるのだろう。面白いじゃないか」
「待ってくださいよ」
俺は急いで口を開く。
「沈栄桂さんやその式神は俺達を助けてくれた。あの人達がいなかったら、みんな楊偉天に殺されていたかもしれない。使い魔に消されていたかもしれない。ドロシー、そうだよね」
「わ、私はそうは思わない。そんな話を振らないで」
そう言ながらも、ドロシーは俺の手を握る。
「ルビーも老大大もやめてください。お爺ちゃん、話を王姐のことだけにして」
「ほら見たことか。阿公 で呼びだしたぞ」
周婆さんが目をひん剥く。「三度目だ。約束通りドロシーは茶会からでていけ」
「でません」
ドロシーがきっぱりと言う。「私は哲人さんと一緒にいる」
手をさらに強く握る。
「異形に惚れたのか?」
そんな人の声が聞こえた。
「今発言したものは立ち去れ。そして永久に口をつぐんでいろ」
梁勲の押し殺した忌むべき声。会計係が土色の顔で立ち上がり、部屋からでていく。
沈黙が漂うなか、麻卦さんがワインをグラスに手酌する。一気に飲み干し、口もとを手でぬぐう。
「私は強行軍で疲れたので、そろそろ宿に行かせてもらいます。この不評な異形も連れ帰りますので、結論をだしてください」
俺へと後ろ手で指さす。
「それと明日中国本土で南京坊主と会うのに、こいつだけだと不安だ。一人ほど貸してもらえますかね?」
そう言って振り返る。俺へと「誰がいい?」
なんだそれは? 俺に振るのか? ちがう、この人の善意からだ。人が異形になっただけで嫌悪される俺をかばってのセリフだ。たぶん。
ならば決まっている。
「王思玲です」
座敷わらしだった人間崩れが即答する。
「私です」
貼りつくほど隣にいるドロシーも即答する。
次回「龍肝」
「鬼は退かすべきだろ? 飛び蛇も」
梁勲が隣に座る周婆さんに言う。
隠密の飛び蛇か……。峻計も飼っている。しかもあれは有能な気がする。
「だったら異形だかなんだか分からんのも退かせ。この子は残すよ。律と令はあっちの世界に行っていな」
二体の鬼へと振り向いた周婆さんの手に金色の扇が現れる。仰ぐなり鬼達が消える。
「冥界送りかよ。怖い怖い」
麻卦さんがつぶやく。
「宗教的な意味の冥界ではないよ。闇に潜ませるみたいな言い回しがあっているかな」
ドロシーが教えてくれる。
「私ももう一度行ってみたいな。いろんなのが蠢いているはずなのにすぐに――」
もう一度?
だけどドアが開いた。
「連行してきました」とアグネスが顔をだす。
続いて高校生ぐらいの少女が入ってくる。拘束はされていない。赤と白の縞柄シャツと水色デニム。すらっとした長躯。長い黒髪を雑に結んだ王思玲……。
彼女は正面に座る梁勲達に小さく会釈する。目線が横にずれドロシーに気づき、俺を見て露骨にぎょっとする。
「て、哲人じゃないか。なぜにここにいる?」
俺はなんだか分からん異形だから。
眼鏡をかけてない若い思玲は黒目がちで整った容姿で、俺は明け方前のゴルフ場で舞った彼女の裸体を思いだす。
俺は異形だから、この娘をじぶんのものにしたいと疼きかける。もちろん表にださない。今よりも成熟した思玲とも、今よりも幼い思玲ともたっぷりと接してきているのだから現しようがない。それでも、どちらの王思玲よりも、いまの思玲に惹き込まれる。……でも俺は異形だから、十代の彼女を不気味にも感じる。
人のくせに、なぜこっちの世界にいる?
「あなたを返してもらうためです。日本で待っていても埒が明かないので」
これくらいは
「ふざけるな。川田や瑞希達を見捨てたようなものではないか。琥珀と馬鹿燕は何をしていやがる」
きつい目をしようが綺麗。背が俺ぐらいあろうがかわいい。花の盛りの美しさを持つ思玲に惑わされる。夏奈よりもドロシーよりも圧倒的に惹かれる。
もちろんおくびにも出さない。中身を知っているから出しようがない。
「横根と夏奈は影添大社に保護してもらっています。ここに俺が来れたのも陰陽士のおかげです」
「影添大社だと? 陰陽士だと?」
思玲の目がすっと細くなる。そして広がる。
来るぞ。
「お前の頭は香港の市場で売っている果物ほどにふにゃふにゃか? 大蔵司で懲りているだろ。あそこに関わるのは愚かでなく危険だ。金がすべての碌でもない一団だ。すぐに日本へ戻れ。みんなを奪い返してこい。そして九郎をここへ来させろ。あいかわらず見張りもできない馬鹿燕め。二度目だ、絶対に許さない」
「ははは、威勢がよい子だ、ははふが」
周婆さんが笑いだして入れ歯が落ちた。握ったままの扇をあおいで口へと飛びこませる。
「私はこの子が大好きだ。このまま香港に置いておきたい。私の遺産をすべて譲ってやる」
「そうすべきかもしれませんね。彼女は日本がお嫌いのようだし」
麻卦執務室長が
日本語
で異形の言葉を伝える。思玲がぎょっとする。
「……陰陽士か。おられたのですね。さっきのは私の意見でなく、魔道だ……大陸のどこぞの一味が言っていました。そこの
ぺらぺらとその場しのぎを……。この女は若くなろうが年を取ろうが変わらないじゃないか。
「執務室長。彼女の口が悪くて申し訳ございません。ただし腕は一流です。龍退治の力になってくれます」
俺も麻卦さんの背中へ弁明する。影添大社の心証だけは害してはいけない。
「見た目も一流だ。お酌してもらいたいぐらいだ」
麻卦さんが振り向かずに言う。
「魔道団がこの娘を解放しないのは何故だ? 楊偉天一派が消滅して根無し草になったのが理由ならば、わが社で責任もって世話していいぞ」
それを聞き、思玲は嫌悪を浮かべる。唾を吐きそうなほどに。
「龍退治をさせるのか?」
梁勲が仏頂面で言う。合議制と言っても発言するのは、ほとんどが年長の二人だけだ。
「イエス」麻卦さんが人の言葉で答える。
「お前さんは人の話を聞いてないのかい。王思玲を預かるのは私だよ」
周婆さんが目をひん剥いて早口に言う。
「話が飛び過ぎだ。魔道団の血は台湾の異形と魔道士によって流された。仲間割れに巻き込まれてだ。最後の一人に責任をとってもらわないとならない」
梁勲はそう言うと、もう冷めたであろう茶でのどを潤す。すかさず足そうとする下っ端を手でとめる。
思玲が両手をひろげる。
「梁大人は、かわいいかわいい孫の話を信じないのですか。魔道団の方々を倒したのは楊偉天一味と藤川匠の使い魔です。私と劉師傅は奴らと戦い、ついに忌むべき奴らを消し去りました。言うなれば私はかたきを」
「お前こそ話を聞いてないのか。仲間割れに巻き込まれたと言った。責任は両者にある」
「梁大人」
ドロシーが祖父に声かける。
「でも王思玲の話は事実です。彼女はここにいる松本哲人さんとともに私達のために戦ってくれました。子どもだったのに哲人さんを補助して復讐を成し遂げてくれました。
ケビンとシノも哲人さんと一緒に戻りましたよね? 哲人さんと王思玲の活躍を、彼女達からも聞いてください。哲人さんそうだよね?」
「私の孫も人の話を聞かなくて恥ずかしい」
梁巌が茶碗をテーブルに置く。
「夏梓群や、私は『仲間割れに巻き込まれた』と何度も言ったよな。台湾が日本に遠征してまで争わなかったら、仲間の魂は奪われることなかった。責任は生き延びた王思玲にこそある」
どういう理屈だ。
「だったら俺達にも責任がありますね。戦いを傍観した影添大社にも」
俺は梁勲を見つめながら言う。「乱入してきた上海不夜会にも」
「気色悪い存在が」
声がした。椅子も蹴る音がした。座る茶会メンバーも護衛の連中も俺をにらみだす。
「上海の名前をだしちゃ駄目だよ……」
ドロシーが小声で言うけど、もう遅い。
「そうです、そうですよ」
十代の思玲が手を叩いた。
「争いがでかくなった原因は使い魔と
くそ
上海にあります。沈大姐にあります。私なんかよりはるかにずっとです」なんて奴だ。異形を惹きつける魅力がかすみそうだ。でも、
「それとですね。哲人をキモいと言った奴は立て」
一同をにらみ回す。沈黙と敵意がブランドされていく。
「誰も言ってない。それで、だったらどうしたいの?」
座っていた四十代女性が初めて口を開く。
「……哲人、どうするのだ?」
俺に振りやがった。
「ひょひょひょ」
周婆さんが気味悪い笑い声をあげた。
「こいつらが上海の輩にけじめを求めるのだろう。面白いじゃないか」
「待ってくださいよ」
俺は急いで口を開く。
「沈栄桂さんやその式神は俺達を助けてくれた。あの人達がいなかったら、みんな楊偉天に殺されていたかもしれない。使い魔に消されていたかもしれない。ドロシー、そうだよね」
「わ、私はそうは思わない。そんな話を振らないで」
そう言ながらも、ドロシーは俺の手を握る。
「ルビーも老大大もやめてください。お爺ちゃん、話を王姐のことだけにして」
「ほら見たことか。
周婆さんが目をひん剥く。「三度目だ。約束通りドロシーは茶会からでていけ」
「でません」
ドロシーがきっぱりと言う。「私は哲人さんと一緒にいる」
手をさらに強く握る。
「異形に惚れたのか?」
そんな人の声が聞こえた。
「今発言したものは立ち去れ。そして永久に口をつぐんでいろ」
梁勲の押し殺した忌むべき声。会計係が土色の顔で立ち上がり、部屋からでていく。
沈黙が漂うなか、麻卦さんがワインをグラスに手酌する。一気に飲み干し、口もとを手でぬぐう。
「私は強行軍で疲れたので、そろそろ宿に行かせてもらいます。この不評な異形も連れ帰りますので、結論をだしてください」
俺へと後ろ手で指さす。
「それと明日中国本土で南京坊主と会うのに、こいつだけだと不安だ。一人ほど貸してもらえますかね?」
そう言って振り返る。俺へと「誰がいい?」
なんだそれは? 俺に振るのか? ちがう、この人の善意からだ。人が異形になっただけで嫌悪される俺をかばってのセリフだ。たぶん。
ならば決まっている。
「王思玲です」
座敷わらしだった人間崩れが即答する。
「私です」
貼りつくほど隣にいるドロシーも即答する。
次回「龍肝」