二十三の二 白秋

文字数 3,120文字

 俺の敵は多すぎる。……ドロシーは貪にもひるまなかった。夏奈である龍にも立ち向かおうとした。挙げるとすれば。

「藤川匠か?」彼女が震えるのは人。

「おそらく暴雪。哲人さんが怒ったからだ」
「意味が分からない。俺が感情さらせば異形を呼ぶのかよ」
「だから怒らないで! そのせいで、ここの木霊がうろたえた。いまは安堵が伝わる」

 俺は囲む林を眺める。ただの樹木達。だけど俺達を見ている。握ったままの天珠をタップする。

『さすがにしつこい。急いでいるよ』
「違う。白虎が来る。ドロシーが気づいてくれた」
『それは疑心暗鬼からだ。思玲様ですら感づけなかった暴雪を、あの女が距離を開けて察するはずない』

 近ければすでに命がないってことか。

「察したのは木霊だ。それに気づいたのがドロシー」
『……とにかく逃げろ。ふもとを目指せ。あのでっかい猫はキム老人の飼い猫だ。人の命だけは絶対に巻き添えにしない。――九郎聞いたよな。マジで十分で行くぞ。そしてまたレベル11だ』
『しくじったら今度こそ食われるな。どこぞの人間達みたいによみがえられねー、チチチ』

 思玲の式神達は独断で俺を守ろうとしている。戦おうとしている。ドロシーと同じく。
 そのみんなが逃げろと言っているけど、俺は逃げない。思玲ならば人を盾にしない。藤川匠にまた(さげず)まれる。
 立ち上がろうとしないドロシーへ告げる。

「ここで待つ。ここで戦う」
 まずは死をもたらすストーカーを倒す。

「だ、駄目だよ。白虎は森の王だ。森で傷つければ木霊が怒り狂う。私達は仕打ちを受ける」

 俺は冷静になれる。俺こそ樹木の成れの果てどもが怖い。でも奴らがいない森がある。

「杉の植林地を目指す。歩けないならば背負う」
「む、無理だよ。私は何も履いてない」

 護布を頭からかぶり直し、ふくらはぎが丸出しになる。なんて奴だ。

「だったら布ごと抱っこする」

 人が人を地面から抱え上げる。筋肉が悲鳴を上げようが痛覚なき俺には届かない。筋が切れるまでお姫様抱っこできる。……護布がドロシーを守っている。尻の肉の感触が伝わらない。

「素敵……こんなのを夢見ていた」
 男だったらしきドロシーがうっとりと俺を見る。「護りの術をする。私達を全ての災禍から守らせる…………全ての敵から二人を護る! 噠!!!!!」

 緋色の布が彼女の体から滑らかに抜ける。俺達の周りで破滅的に回転しだす。
 これで高度二千メートルから落ちても無傷なはずだが、人間に戻った体でドロシーの柔らかさを感じている余裕はない。どうせ暴雪の攻撃はそれを上回る。
 杉林はお天宮さんの上にある(というかこの一帯だけ雑木林が残されている)。そこまで駆け上がれ。

ぞわっ

 ドロシーの手に紅色の拳銃が現れる。抱える俺を不敵に見つめる。

 *

 痛覚がなくても息は切れる。腕の筋肉が震える。
 補修されない荒れた林道は、両脇の杉林と同化されつつあった。

「ここで待ち構えよう」

 筋肉が限界を超えていきなり落としてしまう前にドロシーを降ろす。

「哲人さんに抱かれたら回復した」

 また松葉杖をだしたドロシーは言うけど、顔はまだ真っ白だ。彼女は戦いのときに緊張から蒼白にならない。紅潮する。それでも自分の足で地面に立つ。
 背中合わせになるべきだけど彼女は俺の隣を選ぶ。リミッターが吹っ飛んだらしい松葉杖の石突が腐葉土にうずまる。

 桜井夏奈桜井夏奈桜井夏奈と、俺はひとりずっと暗闇で唱えていた。戻ってきても夏奈はいない。代わりにドロシーがいてくれる。二人だけで化け物虎と戦ってくれる。

「暴雪の気配は?」

「わかるはずない」彼女はきっぱりと答えて「いたとしても、これを警戒する」

 拳銃の銃口へ息を吹きかける。上唇を舐める。臨戦。
 俺達を他界と(へだ)つ緋色の渦。師傅の護りはなおも二人を守っている。

「この術も力を消費するんだ。でも加減できない、へへ」

 ドロシーは健気に立っている。ちょっと休んでなんて言えない。
 俺は独鈷杵を持つ。……人で戦いに使うのは初めてだ。ただの人の手に戻ってきてくれるだろうか?
 そして授かったのはドロシーの癒しだけ。痛みを感じないだけで、異形でないのだから切断した腕は生えてこないし、血すら止められない。でも彼女の唇でまた回復する――

“あれは魔道団では禁止されている”

 祖母が眠る寺で彼女は言った。それでも傷を負ったら授かるしかない。彼女が俺に授ける妖術を――

“もう魄じゃないよね?”

 彼女の罪はあの死できっとリセットされた。生まれ変わったドロシーから癒しは受けない。彼女を二度と妖術士になどさせない。代わりに普通のキスなら……。

「ごめんなさい。もう尽きちゃった」
 ドロシーが裾を押さえながらうずくまる。その肩に緋色の護布が下りる。
「これは哲人さんが使って。白虎は私を狙わない」

 護布を俺へ渡そうとする。
 暴雪は、思玲と俺だけになるのを待ち構えていたように襲ってきた。思玲もそれを充分に警戒していた。狙われるのは俺。ならば俺が使うべき。

「敵は暴雪だけじゃない」

 俺は護布を奪うように取り、彼女の頭からかける。ふわっと包まれると同時に、彼女は風に吹き飛ばされる。十メートル離れた杉へ、しならすほどに激突するのが見えた。

ドクン

「ドロシー!」

 何より彼女のもとへ走る。暴雪は俺じゃなくドロシーを狙った。護布を俺に渡し、守るものがなくなる瞬間を狙った。
 敵は何も見えない。だけど巨大な爪先に引っ掛けるように、彼女を包む布が持ちあがるのが見えた。
 ドロシーは動かない。

「やめろ!」

 俺はがむしゃらに独鈷杵を投げる。5メートルほど放物線を描き、力なく地面に落ちる。
 俺の手に戻ってこない。

「白銀弾を撃て!」

 自分を守るために撃て。
 背中に衝撃。
 腹に穴が開くのが見えた。
 俺は宙に浮かび地面へと叩き落される。

「ドロシー起きろ!」

 見えない爪に背骨を砕かれ貫かれようとも、痛みなき俺は彼女を守れる。それでも呆気なく、俺達は揃って三度目の死を迎えるだろう。だとしてもギリギリまでドロシーを守る。

 護布が杉林の上に浮かんでいた。奴の前足のどっちか。もう一つの前足は先にどちらを狙う? 俺は死にかけと思えないほど冷静だ。

「ここの神が困惑しているぞ。お前を守らないといけないらしい。ここでだけは死なせたくないらしい」
 上空から声が聞こえた。「だけど私に逆らえない」

 俺は地面に伏せられる。見えない肉球が俺を押しつぶす。加減しながら。
 死にかけのネズミで遊びだしたな。いやらしい猫め。痛みない獲物が楽しいのだろ?

 夏奈夏奈夏奈夏奈……。また口ずさんでしまいそう。俺はなぜに夏奈にすがった?
 それは死の間際に、飛び蛇が気まぐれで見せてくれた……あの笑みをまた見たいから。だから夏奈にすがった。この一年、ずっと俺に力を与えてくれた人を頼った。
 三度目の手前だからわかる。すべては夏奈よりはるかに大好きになってしまったドロシーに会うためだった。お互いに。だからまた会えた。そして一緒に終わる。
 ざけんな。これから始まりだろ。

 猫が獲物を横向きにずらす。気を失ったままのドロシーが見えた。
 残虐な猫は彼女の死を俺に見せたいらしい。同時ぐらいに俺も死ぬのだろう。こんな大怪我を化け物みたいな誰であろうと治せるはずない。誰もいない。でも届く。ここならば、必死な俺の頼みは必ず。
 だったら叫んでやる。俺が誰よりも甘えられる人へ。

「早苗お祖母ちゃあんんん!」


おばあちゃあん、おばあちゃん、おばあちゃん……


 俺の叫びがこだまとなり、社ある森へと消えていく。
 ドロシーの右手のひらが紅く光る。その手に天宮の護符は現れる。
 杉の林が紅色に染まりだす。




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