四十六 どんどん無敵

文字数 3,049文字

4.5-tune


「哲人さんはどこ?」
 ドロシーはサキトガが消えた地にしゃがんでいた。
「このオーロラはきれいだけど邪だ。……哲人さんはどこなの!」

 ドロシーと、俺は声をかける。なのに、もう届かない。

「松本ハ楊偉天ノ横ダ!」
 人間のおばさんが焦げた白猫とカラスを抱えていた。
「僕ハズット見テイタ」

 最強形態である露泥無がリュックサックを片手で投げる。地面から掘り起こしたように泥まみれのそれを、ドロシーは片側の肩にかけ立ちあがる。

「貉、ありがとう! 私はあなた達を赦す。だから、あなたも私をゆるして!」

 ドロシーが嵐の中を駆けだす。俺がいる舞台へと。楊偉天が待ちかまえるもとへと。

「梁勲の孫か……。心の傷はいやせたか?」
 楊偉天が杖をつき立ちあがる。
「台湾で梁勲が古酒に酔って寝たこと覚えているか? 儂はお前にせがまれて、難しい術を教えてやった。まさか出来るとは思わず、ましてや暴走するとも知らずにな。
お前に貸してボロボロにされた扇は貴重な品だったぞ」

 楊偉天が杖をかかげる。ドロシーが泥へと押し倒される。

「噠!」
 彼女は逆さまの跳ねかえしも跳ねかえす。
「だから? 楊老師、心も魂も衰えていますよ。死ぬまえに、哲人さんを解放しなさい」

 ドライに言い放つドロシーの片手に銃が現れる。

「ヒヒヒ、お爺ちゃんにおねだりした玩具か? 我が命が死者の書に吸われたとでもいうのか? ……儂はお前を恐れていない」
 楊偉天が鏡に命じる。
「貪よ、吐きだしなさい」

ゲヒヒヒヒ

「……こいつは? きゃっ」

 魔物の笑い声がドロシーを弾く。
 瞬時に彼女が見えなくなる。俺は閉じこめられたまま。

「土壁、いるよね」あいつの声がした。「もはや私は誰にも従わない」

 おさまりいく炎の中から、巡る黒羽扇に護られた峻計が姿を現す。楊偉天をにらむ。

ミシリ

 空がきしむ。陽炎がきしむ。老人が不安げに見あげる。

「十全に閉ざした神殺の結界は、もはや龍も破れるはずない。なのに鏡の曇りが消えない。……無死の餌になるものを置いておけない」
 楊偉天が杖をかかげる。
「蜂達よ。白猫と松本、人間以外を刺し殺せ。それが済んだら、おのれを刺して消えろ」

 待機していたオニスズメバチの群れが飛んでくる。

「老祖師様。私も殺すの?」竹林の悲鳴。「峻計! 一緒に謝ろうよ」

「竹林、儂の式神……」
 老人が恍惚の目で死者の書に問う。
「五歳にして異形と化す。人であった名前は、黄品雨(ホァンピンユイ)。――鏡よ、その名を刻め。……儂が二度と忘れぬように」

 老人が蜃気楼と消える。

「私モ人間デスヨ」
 露泥無である女性の顔が青ざめていく。
「私ニハ天珠ガアリマスヨ」

 横根達へ祈り続ける露泥無の前で、蜂達はカーブする。

「ウホ、俺が手始めかよ。だったらクジョだ。火焔嶽!」
 蜂の一団は、林の奥から発せられた炎と毒に瞬時に消滅する。
「峻計さん、今回ばかりは俺も逃げたい。この結界を消すには、爺さんを殺せばいいのか? 鏡を壊せばいいのか?」

 ドロシーがいなければ、俺はなにもできない。気を失わぬのに精いっぱいだ。また結界がきしむ。陽炎の先でなにかが起きている。

「殺すべきはゼ・カン・ユと松本哲人」
 指を鳴らし峻計も消える。
「あのビルで、老祖師は私を青龍の生贄にしようとした。だが、老祖師の魂はもはや死者の書に囚われている。……鏡を壊せば全員が死ぬ」

 残された手で首筋を掻きながら、土壁が荒れ果てた通りへと登場する。

「ボスを殺したくないのだろ?」
 土壁が峻計を笑う。
「でも、あの鏡は峻計さんが持つべきだ。あんたならまだ抑えられる。爺さんを落としてくれ」

 俺はなにもできない。座敷わらしではない俺を誰も助けに来ない。情けなさすぎる。

「松本」友の声がした。「こいつは固いな」

 気配もなく手負いの獣が結界を噛んでいた。噛んだそばから復活する結界が横目に見える。

「川田!」もう一人の友の声。「これを使え!」

 ドーンであるハシボソガラスが天に浮かぶ。赤く光る天宮の護符をくわえている。
 空は駄目だろ!

「迦楼羅め。……楊偉天め!」
 峻計が対の黒羽扇をかかげる。「竹林すまぬ」

 陽炎の中を幾多の雷が飛び交う。老人と大カラスが地に落ちる。
 ドーンだけが軽やかに避ける。

「避けてもシビれるし」
 ドーンが舞台へと飛びこむ。そのくちばしから、狼が木札を受けとる。

「峻計さんの頼みだから、殺しはしないぜ」
 荒廃した広場で、土壁が動かぬ老人を片手で持ちあげる。口で鏡の鎖をむしり取ろうとする。

 その背を藤川匠が切り裂く。土壁が倒れる。

「松本、よそ見しているのか?」
 護符をくわえた川田の凶悪な顔が面前に近づいた。
「旦那はなんて言ったっけな? たしか……、これは我らが心!」

 それを言ったのは思玲だ。木札が黒く激しく光る。なのに狼はそれを吐きだし、牙を向ける。
 ちがうだろ、天宮の護符を使え!

「もう鏡は曇るだけだ」
 藤川匠が楊偉天の懐を探る。「見たいのはこれだ」

 藤川匠を囲む獣人の一体が黒い螺旋に消える。藤川匠は気にもせず、死者の書を取りだす。

「灯!」
 神殺の結界内が紅色に照らされた。
「滅!」
 機銃音。獣人達の残存が体をかばう。
「誅!」

 人除けの凝縮を、藤川匠は片手の剣で跳ねかえす。

「こいつがゼ・カン・ユ?」
 泥だらけのドロシーが、藪を掻き分けて腰を押さえつつ稜線上に現れた。
「想像以上のおぞましい人間だな。――哲人さん、ここは閉ざされているのに私一人の力では無理。一緒に開放しよう!」

 ドロシーは転がる楊偉天や土壁に目を向けない。俺だけを目ざして駆ける。黒羽扇の光ときわどく交差する。
 俺の面前では、

「お札をくわえろよ、どこまでも頑固だな」
 焦ったカラスが狼の頭をつつく。
「哲人がもう溶けているかもしれないぜ。瑞希ちゃーん、はやく来て」

 俺は見えていなかったのだ。そこまでじゃないけど毒でぼろぼろだ。
 ドロシーが舞台の上に飛び乗る。

「横根さんはずっとかわいくなった。でもまだ復活してない。ドーン君達が貉を守ってあげて」
 紅潮した顔で見わたす。
「川田ちゃんがこれを使ったら、哲人さんまで傷つけるかも。私が結界を裂く」

 ちゃん付けしているけど、前科からしてドロシーにされるほうがずっと怖い。なのにドーンを乗せた川田が舞台から降りる……。傷だらけ泥だらけの彼女が、天宮の護符を拾いあげる。紅色に輝く。紅色の唇を舌で舐める。見えない俺と目があう。
 強い眼差しで護符をかかげる。

「噠!」

 紅色の閃光のような一振り。
 楊偉天が幾重にも張った結界が、増殖もゆるされず消滅していく。
 彼女は横たわる俺に抱きつく。

「いつもの姿のままで、パパの服を着た異形なんてエキゾチックすぎる!」
 そして祈り。
「私は人である最愛の異形のために心を分かちます。……父母への感謝と、あの夜に傷つけた人々への償いを込めて」

 俺はじわじわ復活する。体はこわばったままだ。ドロシーが俺の手を握る。

「このオーロラも破壊する。力を貸して」
 ドロシーの唇が俺に重なる。俺の吐息を含んだ息を、魔道具である銃に吹きこむ。
「滅びまくれ!」

 機銃掃射。彼女の力と砂粒ほどの力が混ざった術が、陽炎へと吸いこまれていく。

「へへへ、リミッターが壊れちゃったよ。無敵すぎるね」

 ドロシーが笑うと同時に豪雨が降りそそぐ。龍さえも壊せぬはずの……神殺の結界が崩れた空では、二頭の巨大すぎる怪物が戦っていた。

 龍が舞台に目を向ける。咆哮が響きわたり、廃屋がひとつ崩壊する。




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