三十一の三 紺碧のオフロード二輪

文字数 3,367文字

 ニョロ子が肩に戻る。伝えるべきことはないようで、次の指図を待っている。

「まず弟を確認して。そして峻計。どちらも大至急。俺は移動するけど見つけられるよね」

 ニョロ子が顔をにゅっと俺の前にだす。片目をつぶってウインクする。そしていなくなる。

「哲人さんの式神なら、きっと私も触れる。指示も聞いてくれるかも」

 その根拠がどこにあるのだよ。相手する必要ない。

「かもね。……ドーンを覚えている?」
「ごめんなさい。私も忘れた。私が覚えていられるのは哲人さんだけかも」

 そんなこともあったな。気色悪い。
 二人は並んで公園に戻る。誰も見当たらない。ドロシーがいないから姿隠しにもぐったか。

「割っていいかな?」すでに見抜いていやがる。

「開けてくれるよ」

 言うと同時に、扇を持つ思玲と夏奈が現れる。

「京は瑞希と川田を連れて影添大社へ戻った。私が寝泊まりした場所へらしい」
 思玲が教えてくれる。

「どういうところですか?」ドロシーの問いに、

「窓がなく外から鍵をかけられた川田の部屋だな。もう少し狭いか。快適ではないがくつろげた」
「二人が?」

 思わず人の声をあげてしまった。それはうまくないだろ。マジで危険だ。

「別室に決まっているだろ。ウンヒョクも私も隣室で寝泊まりしていた。それに、こいつらが向かうまでは京が見張りについている」
「そういうこと。じゃあドロシーちゃん行こうか、牢屋じゃなく松本君の故郷へ。冗談だし、ははは」
「ちなみに桜井にはドロシーを見張るために、ここへ残ってもらった。どちらも絶対に追いかけてくるなよ。京にしっかり謝り、静かに閉じこもっていろ」

「もちろん王姐に任せる」
 ドロシーが殊勝な言葉を口にする。そこでやめておけばいいのに「だけどゼ・カン・ユもいたら呼んでください。みんなで倒す。それで終わりだ」

 夏奈も聞き流せばいいのに「思玲など返り討ちされる。あんただって、たくみ君にボコられて泥だらけで顔を腫らしただろ」

「だから?」ドロシーもにらみ返す。「沈大姐が敗れたものに勝てるはずない。でも哲人さんと一緒ならば別だ。あのときは

が私達の邪魔をした。そうでなければ、あそこで終わっていた」

「……あのときのことを誰も口にしないでいてくれた。お前が初めてだ」
「言いだしたのはそっちだ」
「お前だろ。未成年が口のきき方に気をつけろ」

 二十歳の夏奈が拳を握る。十八歳のドロシーが股を閉じる。

「やめろ、馬鹿ども。続きは折坂にレフリーしてもらえ」
 十六歳ぐらいの思玲が乱暴に仲裁へ入る。そこでやめとけばいいのに「藤川匠は師傅の剣を盗んだこそ泥だ。生ぬるい日本で粋がる甘えた不良なだけだ。引きこもり娘や年寄りがひるむ程度の、私ならばたやすい相手だ。命の取り合いを教えてやる」
 根拠なく端からけなして、外へと顔を向ける。
「かっこいいな。あれを貸してくれるならば、ここも少しは信じてやるか」

 ノーヘルの麻卦さんがバイクに乗って園内に入ってくるのが見えた。……思玲相手には夏奈もドロシーも黙る。百戦の猛者となりつつある彼女には、そんなオーラが漂いだしている。見た目は二人よりうら若くても。

「たくみ君を殺すなよ。殺されるなよ」
 それでも夏奈は小声で言いかえす。

 ***

「ホンダですね。乗りたいです。やっぱり大鹿ちゃんと仲直りして、私と哲人さんで向かいます。私は足が届かないから哲人さんの運転だ、へへ」

 致命的に懲りないドロシーが、マリンブルーのオフロードバイクに目を輝かす。バイクは威嚇するようにエンジン音を高める。

「その反省せぬ態度を日本人として見習いたいよ。そりゃ俺が命じれば誰でも乗せるけどさ、気にいらぬものとだとポテンシャルが大幅に下がる。よっこらしょ」
 バイクから降りた麻卦さんが、煙草に火をつける。園内禁煙を破るのも許されているらしい。

「本音は私の車に毒蛾を封印してもらいたかったが、もちろん礼を言う」
 思玲が雨水に濡れるボディをさすりながら言う。「ポテンシャルを教えてくれ。結界をかけても平気か?」

『私は牡鹿だ。二人を乗せて鳳雛窩(姿隠しの正式名称)をまとおうが、東京の道も林のように駆け抜けられる。林に入れば誰も追えない』
 アフリカツインという名称らしきバイクが答える。
『だが我々は森の王の獲物だ。狩られるものが三体一緒に行動するが、主の命に従うのみ』

 鹿は虎の獲物か。麻卦さんの決定を暗に非難していたが、これで進むしかない。……俺と思玲と大鹿のトリオ。白虎の餌。どうせどこにいても狙われるなら、巻き添えは少ないほうがいい。故郷で家族を狙うなど絶対に赦さない。峻計め、藤川匠め。

「イウンヒョクはどうなった? 奴がいないとマジで白虎の飯になるぞ。私が朝食、鹿がディナーだ」
 俺はランチか。

「あいつはお水の姉ちゃんと御殿場へデートに向かっていた。その子はアウトレットして、車だけ

松本君の故郷へ向かうそうだ。場所は教えた」

 俺の情報は影添大社に筒抜けか。ちょっと怖いけど、いまは間違いなく味方だ。
 俺もバイクのシートをさする。車高が高いな。俺でもつま先がぎりかも(背丈は俺より麻卦さんのがある)。

「名前はヤッパだっけ。よろしくね。俺は大型二輪の免許はないけど運転できるかな」
『恥ずかしくもオートマなので乗馬の感覚で済む。人も車も私が避けるから心配するな。方向をハンドルで指示してくれればいい。速度は任せてほしい』

 理屈は分からないけど、なんとかなるだろう。
 地元の友人の原チャリに二度ほど乗っただけの俺がシートをまたぐ。ナビパネルに鹿のアニメ顔が写っていた。ようこそだって。時計をひさしぶりに確認する。十二時二十二分。知らぬ間に午後かよ。人に戻ったので腹は減るはずなのに、食欲などとてもわかない。

「お前が運転する気か。途中で代われよ」

 相変わらずの跳躍力。思玲がさっそうとタンデムシートに飛び乗る。俺の腰を太ももで挟む。手はサイドのキャリアを握っているからそれ以上の密着はない。
 ドロシーが複雑な目で俺達を見てうっとうしい。

「ヘルメットは?」俺は聞くけど、

「ふたつあったが、大蔵司の術の練習に使って破損した。なのでノーヘル」

「気をつけろよ、弟君によろしく」
 夏奈はいつもの能天気だ。

「折坂が言うには、貪は変わらずこの界隈にひそんでいるらしい。だが襲ってこない。伝説の邪悪な龍は、馬鹿でないうえに慎重。だから名を残す悪事を働けた。奴が本気をだすのは、追い詰められたときだろうな。怖い怖い」
 麻卦さんが煙草を踏みにじりながら言う。
「とにかく配下を倒せ。藤川匠を追い詰めろ」

 そして最後の対決が待っているのか。まだまだたどり着けない。

『身を隠さなくていいのか』
「忘れただけだ」

 鹿に指摘された思玲がシートに立ち上がる。舞をおさめる下半身がミラーに見えた。俺達は二人だけの世界に閉ざされる。思玲がシートに戻る……今度は腰に手をまわしてきた。胸の感触が伝わるほどではないけど。

「ヤッパ行くよ」

 俺はちょっとドキドキしながらアクセルを回す。ぐっと加速される。エンジン音はしない。

「結界をはずしたいな。風を浴びないと憂さ晴らしにならぬ」
 思玲が人の声で――遜色ないほど流ちょうな日本語でつぶやく。邪魔するものはないから、彼女の声がしっかり届く。


*****


 報いとして、社を仕切る男を倒すつもりだった。松本哲人も一緒に。
 だがあの太った男は異形のように強靭だった。さらに松本哲人は、あの飛び蛇を従えた。さらに俊敏に攻撃を避けられたが……太った男はそれに勝る動きだった。そしてウンヒョクさんの登場に気を取られた一瞬を、折坂と蒼き狼につかれた。

 私が弱いことがよく知れた。先生がいないからではない。先生に長く付き従いすぎたからだ。善なる心を浴びすぎたからだ。そもそも私は先生の力に服従したわけではない。あの方の智と仁と徳に感服しただけだ。
 人は群れる。虎は群れない。仲間はいらないし……主も不要かもしれない。
 もちろんはぐれるはずない。それでも老いた先生より、ウンヒョクさんなどより、強い方に出逢えいたい。

 あの二人が仲間から離れた。牡鹿に乗って山を目指すようだ。いよいよ私も舐められてきた。ならば蛮龍を見習い、犠牲をいとわず襲撃すべきか。




次回「中央エクスプレスウェイ」
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