三十五の二 千客六魄万来

文字数 3,573文字

 ここに俺がいるのはバレバレだろう。しかし、なんで俺の帰宅と、はかりあわせたように現れる?

「関わらせるな。何時間でも無視を続けろ」

 思玲の心の声こそ正論だ。でも俺は思う。これも導きか?
 夏奈だったらドアを開ける。川田は無視する。ドーンは開けるのをやめさせる。横根も開けない。ドロシーは、二人だけの愛の時間がなんたらとか言いだして、怒るために開けそうだ。だったら俺は、

「いるのなら開けますよお」

 思玲め、鍵をかけろよ。日向七実が顔をのぞかせる。

「か、彼女がいる。シャワーを浴びている」

 とっさに俺は言うけど、七実ちゃんはきょとんとする。心の声だった。

「友だちが来てシャワーを貸している」あらためて言いなおす。

「ええ、失礼でした~」
 のんびりと言われる。
「でも川田君ですかあ? ひと月以上前に喧嘩してから、ずっと会ってないんですよお。ここにいるかなって思いついて」

「川田の彼女か。だが中に入れるな。外で話せ」
 部屋の鍵を閉めない粗雑女に心の声で命じられる。
「誰? 着替え持たずに入ったから、絶対に上がらせないでよ」
 ごていねいに人の声も付け足す。

「わあ、ごめんなさい。すぐに帰りますけど、ちょっとだけ松本君を借りますねえ」

 七実ちゃんに続いて、俺も外にでる。またシャワーの音がした。

 *

 彼女は、ドーンと話した場所で立ちどまる。存在感あるアフリカツインに興味を示さない。
 さらっとした長い黒髪。シンプルなシャツとスカート。美人だが彼女はスマホを持っていない。背丈は160弱ぐらい。横根はずっと小柄だけど、かわいい系でスマホを持っている。
 二人の共通点は真面目な感じ。でも七実ちゃんはガラケーだけの変人だ。でも都内国立大学生。ずばり言うと東大生で文一。

「猫ちゃんは元気ですか?」

 ほがらかに聞いてくるので、きょとんとしかけてしまう。……電車に駆け込み乗車したフサフサのことだ。彼女は、あのときのことを覚えている。

「もう会うことはないかも……。俺から電話したのは覚えている?」
「半月前かな? 電車に乗っていましたね。三人で会おうと約束しましたー」

 記憶の改ざんが混ざってはいるけど、あのときも川田の記憶を残していた。なんだかまたひんやりとしてくる。

「いきなりだけどさ、七実ちゃんって幽霊とか信じる?」
「はい。見えるたちですし~」
 のんびり即答されてしまった。

「川田君は電話でないですよー。かけなおさないし、メールも返信くれないしー。別れるなら別れるで、きっちり会って伝えてほしいです~。川田君らしくないですよねえ」

 七実ちゃんは、人が変わってしまった川田の件で、俺に相談したいようだ。しかも人に戻るのを待っていたかのように出没した。そして俺は、とてつもないことに気づく。
 何食わぬ顔でポケットに手を入れる。護符を握る。

「なんでここを知っている?」
 教えているはずない。川田も単独で一度来ただけだ。

「あの猫ちゃんが夢で教えてくれたからです~」
 のんびりと言われる……。

「ちょっと来て」
 彼女の手をつかみ部屋へと戻る。ドアを開ける。「スーリン違った思玲(しれい)!」

 飛びこむと彼女はいなかった。

「なんだ?」

 心の声に振りかえる。思玲は白ブラジャーと白パンツだけの姿で、七実ちゃんの首へ閉じた七葉扇を当てていた。

「そ、その子にオーラはあるかな」

 心の声で返す。後ろから抱えられた七実ちゃんは蒼い顔で固まっている。

「忌むべき力のか? ……かすかだな。霊媒師ていどだ。町を歩けば棒にあたるぐらいは普通にいる」
「意味分からないし、彼女から手を離せ」
「哲人が悲鳴をあげて逃げてくるからだ。……たまに見えるだけの羨ましい連中は、百万人に一人ぐらいかもな。根拠はないがそれくらいだろう」

 思玲が七実ちゃんを解放する。彼女は玄関に崩れる。

「こんちは、松本さんですね? 管理会社の……」
 その背後に白シャツの男が現れた。
「そこに女性がうずくまり、そこで下着姿の女の子が踊っていた気がしたけど……」

 すでにどちらもいない。さすが思玲。姿隠しが瞬時すぎる。俺も隠してほしかった。

「やめてくださいよ。不動産屋さんが事故物件みたく言わないでくださいよ」
 七実ちゃんがしゃがんでいたらしき場所をまたぎ、入り口をふさぐ。管理会社の社員から言われることは分かっている。

「だったら君は一人で何していたの? パラパラ? アップはやめとくべきかな。
そうそう、あのバイクは君の? あれだと駐輪代は三台分だね。
何度か部屋で大騒ぎしたよね。何人呼んだの?
ちょっと前に、犬がうるさすぎると苦情が近所から来たしね。
今朝がた、ふいに思いだしたから、こうして注意にきた。室内を見せてくれたら帰るので」

 ユニットバスのドアが破壊されている。

「今日は立て込んでいるので明日にしてください。すぐに出かけるので」

 初犯だからか、不動産屋社員は不審な目を残すだけで去ってくれた。ドロシーに吹っ飛ばされて曲がったフェンスを川田に直させておいてよかった。
 ……こんなのは七難八苦に加われない。七実ちゃんのが問題だ。思玲は一般人を結界に閉じこめやがった。彼女は記憶消しを使えない。

「操られてはないが、念のため傀儡祓いをかけた。気絶した」
 下着姿の思玲が現れる。「じっとり見るな。着替えてくる」

 たしかに見つめてしまった。どんな状況下をも忘れさせる美しさだから仕方ない。
 思玲はユニットバスに戻る。狭すぎる玄関の下駄箱に寄りかかる七実ちゃん。とりあえず鍵をかける。……スカートがめくれて水色の下着が見えているが、なおすべきだろうか。

ぞわっ

 マジかよ。あいつらの気配だ。思玲がいなくなるなり。

「私達は女王に頼まれて、ここに来た」
「松本哲人の力になるため――」

 部屋で揺らぐ影が現れるなり薄らぐ。

「お前はすでに王ではない」
「その護符は苦しみを与えるもの」
「裏切り者め」
「あーあ、残念」

 影達が即座に消える。

「なんかでましたか~、昼間からいっぱい」
 七実ちゃんが目を覚ます。

「六魄が来たな。さすがにうっとうしい」
 白Tシャツにショーパンの夏スタイルな思玲も、濡れた髪のまま戻ってくる。眼鏡をかける。
「この娘をどうするのだ? 哲人が考えろ」

 *

「この子は思玲(しれい)ちゃん。格闘技に長けている。勘違いして君を襲った」
「具体的でないですよお。気絶させるなんて傷害罪です。きっちり説明してくださいー。場合によっては、警察に相談しますよお」

 七実ちゃんはのんびりしているが単純でない。ここで時間を使う場合ではない。

「悪かった。ゆるせ」
 思玲が頭をおろさずに言う。「お詫びに川田に会わせてやる。今日は帰ってくれ」

「その態度はよくありません。なおさら看過できなくなりました」
 七実ちゃんの喋るテンポがアップした。
「教団の人ですね。被害届をださせてもらいます。松本君も聴取されますよ」

「教団? 影添大社のこと――なんでもない」
「俺達はそこ(どこだか知らない)と戦っている。川田達を取りかえすためにだ」

「ふうん。具体的に活動を教えてください」

 この女は苦手だ。嘘をつくたびに深みにはまっていく。

「一般人に素性がばれる。たまに起こりえる話だ」
 思玲の声のトーンが変わる。バッグに手を入れる。
「しまった。声にだしてしまった。いまさらどうにもならないな」
 七葉扇を取りだす。

「始末する気でないでしょうね」
 俺は心の声で敬語を使ってしまう。

「当然だ。だが怖い目に遭わせる。生涯口をふさいでもらう」
 心の声で返される。

 思いだした。こいつには前科がある。台湾でトラブルを起こし、関わった弁護士を脅している。……ろくでもない奴だった。
 なんて、思玲だけは思ってはいけない。ずるくてその場しのぎで目上に媚びる彼女は、他にも性格的に難はあるけど、俺達のためだけに戦っている。みずからの宿命みたいに。

「思玲やめよう」
 それでも心の声で言い、人の声で続ける。
「俺は七実ちゃんに正直に話したい。細かく教えたい。でもできないことに……口にすれば笑い飛ばされることに、俺達は関わっている。川田もだ。彼が一番にひどい仕打ちに遭っている。そこから戻るために時間がない。明日の夜までは戦い続けないとならない。
だから見逃してください。そして、もうちょっとだけ、俺達に関わらないでください。明後日の朝には、川田と普通に笑いあえるから」

 七実ちゃんは真剣な顔で俺をじっと見ていた。言葉の一つ一つを吟味されていると感じる。
 彼女はちょっとだけ口もとを緩ます。

「最初から正直に話してくださいよ。いまの話が一番信じられます」
 彼女はまだ俺を見つめている。
「片目を怪我していない川田君とかな。……夢のなかで会える、横柄だけどのんびりして優しい川田君に。だったら協力します。関わりますう~」




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