十六の一 魔道士と愉快じゃない異形達

文字数 2,658文字

 異形の馬は登山道に入り、人は結界をまとうのをやめた。

「強いものに変身できないのか?」
 馬上のケビンが露泥無に尋ねる。

「僕は武闘派じゃないから、雌にしか変われないし、容姿は固定される」

 露泥無は人の姿に戻り、ケビンの腰にしがみついている。ガブロと呼ばれた装甲をまとう馬は、車の通れぬ山道を速歩していく。

「だいぶ近づいた」
 先頭の川田が振りかえる。「奴らも人の目に見えるのか?」

 こいつは完全な猟犬となりケビンに従っている。

「なぜ、そこまで分かる。オニハイエナは夜半を過ぎると忌むべき異形となる」
 ケビンが言う。

 そんなのを日本に連れてくるな。まして俺の故郷に。

「さすがに疲れるよ」

 フサフサは持久走を苦手のようで遅れがちだ。俺は彼女の手からふわりと離れる。
 ケビンが俺達を連れてきたのは、俺達を信じていないからに決まっている。ドーンと思玲を置いてきたのは、あの二人ならドロシーでも楽勝と判断したからだ。狩ることに献身的な川田を連れてきたのは、今のところは正解かもしれない。
 二時間は付き合おう。それから桃畑に戻れば、みんなで夜明けを迎えられる。

「松本。猫は帰らせようぜ」

 前方からいらだつ川田の声がした。馬は逆に歩みを緩める。

「楊偉天の配下は俺達を狙うかも」
 俺はケビンへ告げる。

 竹林の言い分から、まだ思玲の復活はばれていない。だけど俺の存在は大カラス達に知られた。あいつにも伝わったと覚悟しておくべきだ。

「俺は戦いから逃げてきた。奴らが一体だけだろうと俺はかなわない」
 ケビンが答える。
「俺は臥龍窟を張れない。だが鳳雛窩は思玲に劣らない。いざとなれば隠れる。上海以外はな」

 臥龍が跳ね返しで、鳳雛は姿隠しだよな。とにかく冷静な判断だ。でも執拗なあいつを相手に延々と隠れつづける羽目になるかも。そんな時間はない。

「護符があるのだろ。哲人とリクトとあの人間がいれば勝てるさ。私とハラペコは木の上に登っているよ」
 荒い息のフサフサが俺達に追いつく。

 楽観論を言われても……。そもそも倒しにいくわけじゃない。
 フサフサはハイエナ達を恐れているのに逃げようとしない。それ以上にケビンが怖いからだ。思玲もこの男を恐れていたな。でも軍馬の上から見おろされようとも、彼からは劉師傅ほどの畏怖は漂わない。

 *

 沢の音が聞こえるだけの完全な闇だ。人の気配があるはずなく、生きものも息をひそめている。木霊は無関心を装っている。

「わあ!」

 馬上の露泥無が声をだしてのけぞり、ガブロが立ちどまる。

「でかい声をだすな」
 先頭の猟犬が駆け戻ってくる。

「天珠が振動した」
 女子である露泥無が口から赤い石を吐きだし(こっちを向いてするな)、耳に当てる。
「こちら露泥無。……つながるか試しただけ? もう切れた。まったくあの台湾娘は」

 露泥無がつなぎのデニムのポケットに天珠を突っこむ。

「その馬は無口だね」
 石に腰かけたフサフサが言う。

「高尚な異形は主としか言葉を交わさない」
 ケビンがガブロから降りる。「ここからは歩く。貴様も猫になって歩け」

 フクロウの声が遠くで聞こえる。ロタマモではない。奴よりは高尚な本物の鳥だ。

「法則がある。人の形からだと、命あるものの上で変げできない。降ろしてもらえないと猫になれない」

 馬上の露泥無が騒ぐ。こいつも高尚でないらしい。
 ケビンは川田と並んで闇の向こうをにらむだけだ。

「私が降ろしてやるよ」
 フサフサが立ちあがる。彼女を抱えておろす。
「一度はハラペコとじゃれたかったしね」

 フサフサが露泥無の華奢な体のあらゆるところをまさぐりだす。女の子が悶絶する。

「騒ぐな」川田がうなる。

「悪かったね。もうしないよ」
 地面でぴくぴくする露泥無に尻を向け、フサフサがにやつきながら俺へと歩む。
「かすめたよ」

 こっそりとなにかを手渡される。……天珠だ。なんて奴らだ。いそいでポケットにしまおう。ふたつの笛とぶつかりあう。
 ケビンが緊張感のない俺達へと顔を向ける。

「沢沿いを進む。――ガブロ。もし俺が戻らねば、何百年たとうがここで次の主を待て」

 男に頬をさすられた異形の馬は軽くいななき、山道沿いの巨岩と化す。

「お目付け役をなんだと思ってやがる。ひどい連中だらけだ」
 猫に化した露泥無が、浮かぶ俺の背に飛びつく。
「まともなのは松本だけだ」

「まともと哲人か」
 川田が振り向き牙を向ける。たぶん笑ったつもりだ。

「はあ?」と露泥無は答えるだけだ。
 猟犬は顔を戻し山道をはなれる。けもの道をくだる。藪をかき分けるケビンとフサフサに続き、黒猫にしがみつかれた俺も浮かんであとを追う。イノシシの匂いがかすかに残っていた。

 ***

 お盆が近いというのに、カジカガエルがまだ鳴いている。俺達が近づけば鳴きやみ、離れればまた鳴く。真っ暗な沢を、ケビンは水に足を取られることなく進む。フサフサも岩に妨げられることなくついていく。速度がゆるみ余裕を取りもどしている。

「狼は雌だってな。いい女か?」

 岩の上でみんなを待つ黒虎毛の猟犬がケビンに尋ねる。十二磈のようにげすい声だ。こいつは彼女のいる身で横根にも露骨だったが、さすがにここまででは……。
 思いだした。七実ちゃん、日向七実。あの人は川田をかすかに覚えているかも。偶然かもしれないけど、柴犬を飼おうとしていた。

「どういう意味で聞いた?」
 ケビンの息は荒くならない。
「お前よりは賢く強い。蒼く艶ある毛並みだ」

「よほどの雌だろうな」
 川田が岩から跳ねおりる。
「リーダーとして迎えなおされたぜ。俺達は囲まれている」

 ……それって嵌められたってことだよな。
 露泥無が俺から降りる。溶けて、ヨタカとなる。木の枝に止まる。

「僕は戦わない。見て、大姐に報告するだけだ」

「天珠がないお前など立ち去ってもいい」ケビンが答える。

 気づいていたのか。ヨタカがあわててなにかを吐きだそうとする。

「猫は怯えなくていい。お前のがハイエナより強い。進むぞ」
 ケビンが何事もなかったように、上流をさらに目ざす。

「槍をだしたほうがいいのでは」
 俺はおずおずと尋ねる。

「逃げられずに済んだ。気づかぬ振りを続ける」

 そうだった。狩るのは俺達だった。いや説得するのは俺達だ。

「松本は俺達のリーダーだが、今夜はこいつがボスだ」
 七実ちゃんの彼氏だった猟犬が、片側の目だけで俺を笑う。こいつらに狼どもを連れ戻す気はあるのか?

「天珠を返せ!」
 ヨタカが空からフサフサをつつく。フサフサは相手にせず、神妙な顔で最後尾を歩く。




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