四十一の一 女魔道士の矜持

文字数 4,900文字

「つぎは腰だ」
「はい」

 屋上から部屋に戻っても、王思玲はマッサージを続けさせられた。

「この針には守りの術がかけてある。縫えば護りが授けられる」

 ハラペコであるおばさんは、私が持ちこんだ服を縫いなおしてくれている。針仕事が丁寧で早い。護りの強さは師傅に及ぶはずないけど感謝はする……。

「封じられると思いますか?」

 ソファにうつ伏せる陳桂栄の腰を揉みながら尋ねる。
 正直に言うと、その意識は持ってなかった。龍を封ずるなんて、私とは違う次元の話だ。ただただ眼前の敵を倒すのみ。

「そうでなければ行かせない。うまくいけば、消滅させられるかもしれない」
 大姐は素気なく答える。

「たしかに」

 異形になったドロシーは怖いほどにきれいで、実際に怖かった。殺意を一瞬向けられただけで、足もとが瓦解するような錯覚を覚えた。
 いままで会ったもののなかで、ずば抜けて怖かったのは、異形でも妖術士でもなく劉師傅――昇様。なのに私へのドロシーの眼差しは師傅を凌駕した。震えることも赦されず小動物のように固まってしまった……。
 まあ師傅にしても哲人なんかに負けたわけだし、上には上がいたってわけだ。みずから異形になるようなネジが吹っ飛んだ連中が。新月に率先して白猫に戻った瑞希にしろ。
 言えることはひとつだけ。哲人と関係をもたなくて、マジでよかった。残念だけど縁がなかったってことだ。

「考えごとしながらマッサージするな。気を入れろ」
「はい」

 うるさいおばさんだ。この人は徒手空拳だから私でも勝てる。代わりにデニーにやられる。もしくは上海不夜会のお尋ね者になる。

「松本が受けた呪いの告刀は女絡みだろ。あいつになおさら効果ない」

 おばさんがずばりを言うが、思玲は返事しない。マッサージに専念するだけ。

「私が若いころは魔道士同士の恋愛はご法度だった。見つかれば、それこそ粛清された。……女魔道士に人を育てられるはずないので子を産むな。そう言われてきた。その必要なく、私は魔物との戦いで子を作れぬ体になった。そんな私が1990年代に自由恋愛を導入してやった。だが女魔道士と一般人の色恋は認めないまま」

「どうしてでしょうか?」
 どうでもいいけど尋ねてしまう。どうせ私は結婚しない。子どもを産み育てるなんて考えられない。楊偉天はその辺りに無頓着だったので、好きにできたとしても。

「よほどの男でなければ、か弱い彼女達を守ってやれないからさ。そんな男はいない。そして不幸が訪れる」
「私達は弱いですか?」
「私だって弱かった。この力を嘆いてばかりだった」

 だったら力を隠して交際すればいい。二十歳を過ぎて鍛錬を続けねば、その力はすぐに霞む。よほどの忌むべき力を持たぬ限り。もちろんこのおばさんに反論しない。

「放っておけば、お前の魂は数年で死ぬ。寿命まで生きた屍みたいに過ごす」
 大姐が気のないように言う。

 警告はありがたく受け止めるが、私は最後の最後の最後に済ませりゃいい。麻卦に色仕掛けすれば告刀を受けるのは容易だろう。体を許すはずないけど。……あの親父は口はセクハラでできているのに、そこまでエロく感じない。私の尻は触ったらしいが。
 ……誰に女にしてもらおう。第一候補はデニーだが、あいつはドロシーばかり目で追っていた。見た目が若すぎるのか私を白目のふちにも入れなかった。そんな奴はごめんだ。
 イウンヒョクもイケメンでしかも年下だが、いざとなれば十代女子と関係を持つことから逃げそうだし……。香港にも強くて若い男がいたな。でもケビンは好みじゃない。マッチョすぎる。

「手から邪念がでているぞ」
「おっしゃるとおり、よこしまを考えていました」

 男より、この怖いおばさんに聞きたいことがたっぷりある。でも怖いからひとつだけ。爆雷だとしても。

「大姐は小鬼の死を見ましたか?」
「ああ、私が藤川匠にやられる直前にな。思いだしても腹が立つ。もっと、しっかり揉め。……あの小鬼は悪しき存在だった。人の魂が浮かびあがった。あんなのを作った楊偉天は、この世から消えて正解だ」

 お前らは、その儀式を引き継ごうとしただろ。もちろん思玲は口にはしない。

「その魂は大人でしたか?」
「現れるなり消えたから知らん。藤川は魂さえも消滅させた……が、何かを庇おうとする素振りを見せた」

 消える魂が守ろうとしたもの……。

「琥珀は大鴉どもと違い、魂はひとつだけですよね」
 ハラペコおばさんが私の持ち込んだ服をたたむ。
「小鬼自体は哲人の座敷わらしと同じ理屈の存在だから。――はい。両方とも仕上がったよ」

「知るか。思玲は露泥無より按摩がうまい。お前も台湾へ修行にいけ」

「……ふたつあったかもしれません」
 思玲は受けとった服をカバンにしまいながら言う。魂のひとつは消えずに残ったかも。

「私に聞かせるな。おぞましい話は好まない。露泥無は聞き耳を立てるな。天珠が鳴っているだろ。思玲、つぎは尻を揉め」

「こちらは露泥無だ。…………大姐に確認する」
 ハラペコが天珠に手のひらを当てる。「デニー様が怪我なされたそうです」

「哲人は無事か?」
 でかい尻をつかみながら尋ねる。

「王思玲。異形の様態など気にするな。それで傷の程度は? いや聞かなくていい」
 大姐がうつ伏せのままで言う。
「本人からでないなら、死ぬほどではない。だが、かすり傷でもない」

 さすが上海不夜会。これでは哲人とドロシーの状態をしつこく聞けないが、連絡できるのだから、こちらも死ぬほどでないだろう。とりあえず哲人は。
 大姐はしばらく黙っていたけど、いきなり肉声を発する。初めて聞かされた。

「思玲は戦えるか?」

 もうやだ。峻計、貪、白虎。そんな奴らと喧嘩したくない。しかもへとへとだ。さらに峻計は逆恨みしやがって、私を儀式に使おうとしている。二度と矢面に立ちたくない。ここでマッサージだけして過ごしたい。

「もちろん先頭で戦います」
「だったら預けてある宝をすべてお前らにやる。唐が援護する。殲は作戦続行だ」

 護布や珊瑚のためでない。そんなものは、それぞれドロシーと横根に――使いこなせる持ち主達にくれてやる。惜しいけど……。私は台湾最後の魔道士としてのみ戦う。

「手筈は整えてあります。――松本聞いてくれ。大姐と思玲と僕はデニーのもとへ向かう。殲は、霊園と米軍ヘリポートの境にある公園上空で待機している。さきほど横根を降ろした場所らしい」
「忙しくなりそうだね。だけど僕は、魂がいくつもある小鬼の話を聞いてみたい。峻計から聞いた話は側面だけだから」

 その声は奥の部屋から聞こえてきた。見覚えある若者。憂いある瞳……。
 藤川匠。

「な、な、なんで貴様が」
 思玲はのけぞってしまう。眼鏡がずり落ちかける。

「即座に殺さないとならないから、理由は知らないほうがいい」
「松本の飛び蛇だろ。私はマーキングを消したつもりだったが残っていたのか」
「さすがだ。でも裏切り者を寝床に呼ぶべきでなかったね」
「それはお前もだったな。……西川口のマンションまで追ってくるストーカーならば、どうにもならない」

 沈大姐は寝転がったままだ。この人は武器を持っていない。
 思玲は肩から下げたカバンに手を入れる。七葉扇を取りだすなり円状に広げる。
 人同士の戦い。因果のように繰り返される。戦いから逃れられない宿命だとしても、悪しき(弱い)異形だけを退治していたかった。

「君は子どもだったね。やけにきれいに育ったけど」
 藤川匠は思玲へ涼し気に笑う。
「魂はさらに削られて寿命が近そうだ。かわいそうなんて思わない。多かれ少なかれ、誰もがそうして生きている」

 力ある方々が端から心配してくれるけど、そんなの自分が一番分かっている。哲人が護符を手にしてから、奴らは私を遠目に見ている。それが何よりの証拠だ。誰よりも私が一番死に近い。

 いきなり藤川匠の背後が爆発する。破片が衝撃波とともに飛んでくる。
 思玲はとっさに扇ではらう。沈大姐は闇に包まれる。……衝撃が少ない。
 藤川匠は避けようともしない。跳ね返しの結界。私達まで守られた。

「罠というほどでないが仕掛けておいた。楊偉天の遺物を渡すわけにはいかない」
 露泥無に守られながら、大姐が言う。

「玉はでかいだけで不完全だったうえに、いまので割れただろうね。しかもふたつだけだった。……これだけあれば充分だ。台湾語は峻計も貪も読める。スマホで翻訳してもいい。便利な世だ」

 藤川匠の手にレポート用紙が現れる。ぎっしり書かれたのは老師だったものの癖字――

「返せ!」

 思玲は七葉扇を振るう。萌黄色の光は藤川匠の前で力を失せる。

「問答無用か。怖いな」
 笑う藤川匠の手に剣が現れる。
「君も計ってみよう」

 藤川匠が破邪の剣をかざす。……私へと蒼白に輝きやがった。劉師傅の剣が。
 昇様の剣が! それだけは赦せぬ!

「それは私のものだ!」
 思玲は藤川匠へ飛びかかる。
「ぐえっ」
 結界に跳ね返される。

「戦いたいならば、守りを消してやる」
 藤川匠が月神の剣を中段に払い、下段に構える。
「性別に関わらず加減はする。それでも死ぬなら君の責任だ」

「邪悪め!」

 思玲は、扇を振るいながら立ち上がる。同時に腰を落とし、藤川匠の足を取ろうとする。

 藤川匠は光を剣ではじき落とす。思玲は顔面をカウンターで蹴られる――その攻撃を読んでいたのに直撃。後ろにひっくり返る。受け身より反撃ってはやっ

「うっ」

 みぞおちに膝を落とされる。……剣を持つものにマウントを取られた。

「わ、われ、人を護るため」

 王思玲は扇を振るう。藤川匠は弾かれるより早く離れる。
 ……こいつは喧嘩も強い。哲人よりずっと。思玲は結界に守られながら思う。

「君は戦い慣れているな。だったら因果をずいぶんと背負っているはずなのに」

 藤川匠が剣を横に薙ぐ。
 思玲は片面だけの結界をぬぐい背後に転がる。即座に立つ。床が1メートルほど切り裂かれた。
 こりゃ喧嘩じゃないな。やはり殺し合いだ……援護はどうした?
 沈大姐は闇に守られて傍観していやがる。あなた様なら、魔道具がなくても人を殺せるだろ……ただの人相手なら。

「くそ!」

 思玲は扇を振るう。藤川匠が剣を払う瞬間にバッグから――雷木札は使い物にならない。だったらこっち――小刀をだす。……戦いを経験して、ドロシーも魔道具を手に隠すようになった。それが当然だ。でも私は、殺し合いの武器は、そのときまでカバンにしまっておく。

「なるほど。だから君の因果は少ないのか」

 待ち構えているな。偉そうな言葉を口にするな。てめえの声は届かない!

「我が心!」

 思玲は小刀と七葉扇を交差させる。七色の螺旋が飛びだす――。

「結界が震えもしない。僕は君よりはるかに上手だ」

 室内が伽藍洞になりかけても、藤川匠は笑って立っていた。
 瞬間に張られる跳ね返し。その手には月神の剣。なおも憂いある瞳。



 **松本哲人**

 ただれたような肌の気色悪いヅゥネにまたがる。ぼこぼこした突起がでているので、ある意味つかみやすい。尻にも当たるけど。羽根の付け根に足をかければ、落ちる心配はなさそうだ。

「哲人もコカトリスも人の目に見える異形だ。夜明けまでに終わらせろ。幸運を祈る」

 イウンヒョクと横根は、殲に乗って影添大社に向かう。俺だってドロシーだって他に行く当てはない。横根は忌むべき杖を握りしめている。

「ヅゥネ、行くぞ」
「コケコッコー!」

 ニワトリの異形が殲の背中から飛び立つ。速い。見た目に我慢すれば有能な天馬だ。

「……さっきは脅してごめんね」
「コケコッコー」
「助かったよ。ヅゥネも良き異形だ」
「コケコッコー」

 コカトリスのヅゥネは乗せてくれただけで、話しかけてもコケコッコーだけだ。

「ドロシー!!!!!」俺は夜空で吠える。

 東の空が薄らいでいる。異形になって何度も経験した夜明け。希望より絶望が多かった夜明け。

「ヅゥネも呼んで」
「コケコッコー!!!」

 ドロシーどこにいる? 墜ちてないよな。ニョロ子はどうした? 遅すぎるぞ。
 でも俺は心配しない。ひとつになるのが宿命ならば、広い空でも出会えるはずだから。




次回「異形は捨て駒」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み