一の二 客室乗務員始めました

文字数 2,606文字

「申し訳ないですけど映画消してもらえますか?」

 絶滅危惧種な座敷わらしだった俺が、狭い機内で人の作りし音と光に耐えられたのは三分だけだった。この頭痛は、じきに吐き気になる奴だ。
 香港へはまだ六時間かかる。はやく飛行機から出たい。

「大型テレビがひとつあるだけなのにか。スッチーもいないのに暇になるぞ」
 麻卦執務室長がぼやきながらアクション洋画を消す。
「つまりここならば、楊偉天を倒した君でも倒せるかな」

 この下品な親父の強さなど知らない。でも、俺の強さは琥珀が(かなり脚色して)影添大社に伝えてあるようだ。

「滅邪の輪を使ったら、いくらでも倒せますよ」

 あれが荷物で検査を突破できるはずない。俺の胸に刺さったものを、この男は隠し持っているはずだ。

「あの輪っかは宮司がお祓い済だからもう汚さない」
 執務室長が赤ワインを飲み干す。「シノちゃん、おかわり」

 機内の空気が更に剣呑と化した。

「俺が持ってきます」

 俺よりこの親父より、ケビンを怒らせるこそがやばい。二本目のボトルを取りに立ちあがる。

 *

「注ぎましょうか?」嫌味っぽく言う。

「男のお化けにお酌されたくねーよ。君が手に持つボトルはオージー製だとしても、資質なき人間には宙に浮かんで見えるのだぞ。資質ある人間は十万人に一人しかいないし、ほとんどが大人になるまでに霞むか気が狂ってしまう。だから香港で物を宙に浮かすなよ。
しかし、あーあ、引き受けてくれないとはな。龍退治を香港が引き受けないとはね」

 麻卦さんが、三列前に座るケビンとシノに聞こえるようにぼやく。
 貪のことだ。藤川匠の傘下になった邪悪な龍。夏奈であるはずない。

「台湾が引き受けます。だから長である王思玲を――」
「シャラップ!」

 ケビンのいかづちの如き怒声。俺も執務室長も黙りこむ。

 ***

 拷問的な刻の流れ。まだ三時間しか経っていない。まだ三時間もある。俺は人でないから鋼で閉ざされた空間がさらに堪える。

「体が薄くなってないよね」
 なのでシノに尋ねる。

「気ニスルホドデナイデス」

 シノが日本語で笑う。執務室長がトイレでいない時だけ彼女の機嫌がよくなる。というより、やはり薄らいでいるのか。うまくないぞ。香港に着陸したころには消えかかっているかも。

「ジツハ、オバケノ哲人サンニ慣レナイデス。記憶ガ混乱シタママ……」
「シノちゃん日本語喋れたの? だったら隣に座ってお相手してよ。暇で暇で」

 二本目のワインも開けたアル中親父が戻ってきたぞ……。
 ケビンが目を開けたぞ。
 立ちあがったぞ!

「日豚、俺が相手してやる。手合わせしよう」
 その手に槍が現れる。

「ボディガード、出番だ」

「全員やめて! アンディの魂は喜ばない!」
 シノが異形の言葉で叫ぶ。ケビンが座る。

「俺は何もしてねーだろ」
 麻卦が不機嫌に座る。「水割り作って。スリーフィンガーで」
 俺へとコップを突きだす。

 *

「とは言っても松本君はたいしたもろだぁ」
 セブンフィンガーぐらいで作ってやった水割りを飲みながら麻卦が言う。ろれつが怪しくなってきた。
「楊偉天を倒すなんてたいしたものらぁ。人に戻れなけれぇばぁ俺の式神にぃなれよ。好待遇だぜぇ」

 俺の手に独鈷杵が現れた。すぐに消す。

「異形のくせに法具か」
 このオヤジは気づく。しかも酔いの醒めた声。ひやりとさせる声。
「宮司のヘリに封じたモモン蛾だって月に一度は解放してやっているし~、影添大社は異形を憎むけど式神にはやさしいんだよぉ。松本君がぁ人に戻っても大社にスカウトしようかなあ~」
「ふつうに喋ってください」

 もう騙されない。このオヤジは蟒蛇(うわばみ)だ。酔った振りをしていやがった。

「怖い目をするな。劉昇みたいだぞ」
 にらみ返される。「お前には資質がないだろ。ほんとのところは、人に戻ったお前が大社に来ても一般職だ。事務方しかできない。しかも君の大学卒では出世は見込めない」

 気流がちょっとだけ乱れて俺の体がふわりと浮かぶ。大人の体の座敷わらしでも風に乗れば飛べるのか……などと感心するものか。

「入社する気もありません」
 着地しながら答える。
 ……冷静になれ。こいつの力がないと、十四時茶会に顔をだせない。思玲を取りもどせない。しかも夏奈と横根を匿ってもらっている。さらには川田とドーンを見逃してもらっている。ましてやだ。
「おかわり作りましょうか?」

 ケビンが鼻で笑った気配がしたけど、俺はこの程度の人間崩れだ。……ましてや影添大社のご機嫌を損ねる訳にはいかない。みんなを人に戻すためには影添大社の宮司の力が必要と、琥珀から聞いている。

「薄めにな」
 麻卦がグラスを突きだす。
「作りながら俺の持論を聞け。日本語でもシノちゃんにばれるから妖の言葉のままだ。――魔道士の強さは資質が三割だ。鍛錬が一割。残りの六割はなんだと思う? ケビンが答えてもいいぞ」

 ケビンは黙ったまま。だから俺も黙ったまま。執務室長が言葉を続ける。

「残りは魔道具だ。魔道団の若い連中は異論があるだろな。だが梁勲に聞いてみろ。
年を取れば嫌でも資質は落ちる。魔道具に頼る。老い果てた楊偉天の杖が典型だ。あれを資質あるものが用いたら……。俺はいらないぞ。あの杖に匹敵するものがある」

 執務室長が俺へと挑戦的な眼差しを向ける。異形を狩る眼差し。その両手に紺色の扇が現れる。

勝蟲扇(かっすせん)洋波扇(やっぱせん)。サムライブルーだ。どちらも“大鹿”を封じてある。本来の力に異形の力が加わっている」

 輪っかを使うまでもない。こいつはそんな目で俺を見る。
 扇から漂う異形の気配……。たしかに力ありそうだ。でも俺は、もっと怖い魔道具と散々すれ違ってきた。

「影添大社にだけは気を許すな。こいつらは看財奴(守銭奴)だ」
 ケビンの声がした。

「若造。それはお互い様だ」
 麻卦の手から扇が消える。
「茶会は値を釣り上げようとしているみたいだが、いまのお前の一言で決めた。影添大社は龍の退治を台湾に依頼する。なので王思玲も解放してもらおう」

「彼女はまだ本来の姿に戻ってないと聞く。戦えるはずがない」
 ケビンが語気を荒げる。

 明け方前のゴルフ場での衣服をまとわぬ十代の思玲を思いだす。闇に浮かぶ姿は物語の精霊みたいに綺麗だったけど、夏奈もドロシーもいる場で欲望を抱くはずなく、その妖艶な姿に再認識できただけだった。
 彼女はいまの俺よりはるかにずっと、こっちの世界の住人だ。人だけど人ではない。




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