四十五の二 アイシャルノーターン

文字数 6,787文字

 俺、川田、思玲、夏奈、ドロシー。まだここにいる五人。
 扉が破壊されて出入り自由の男子部屋に、その五人は集まる。手持ち無沙汰。夏奈がシャワーを浴びる音が途絶え、ドライヤーの音に変わる。音痴な鼻歌混じり。
 ドロシーは俺のベットの掛布団の上に寝転んでいる。青ざめた顔。疲弊を隠せない眼差し。俺と目があうと、それらをすべて消し去る。高級キャンディを音をたてて噛み砕き、飲みこむ。

「王姐のおかげで回復した。また戦える」
 紅潮した頬で体を起こす。

「そのために血をゆずった。……瑞希から戻ってきたが、あいにく私は祈りの資質がない。ドロシーが受け継いでくれ」
 椅子に座った思玲は、海神の玉のペンダントを手にしていた。

 護布も赤い珊瑚も上海に渡す必要はなくなった。横笛と法具は横根が返還済だ。

「私も上手じゃないけど、これならば誰にでも祈りが届くかも。瑞希さんに代わって私がみんなを守ってみせる」
 ドロシーがペンダントの紐を首にかける。「……輝かない」

「私もだった。邪念が強いのだろ」

「でも心を守ってくれる。シャワー浴びるときもつけていようかな」
 ドロシーが影添大社特製の銀丹(一粒五十万円)を口に放りこんだあとに、
「だったら、これは返しておく。私を選んだみたいだけど」
 その手に七葉扇が現れる。

 思玲の顔がひきつった。

「それは燃え尽きたのだぞ。なぜに復活する? しかもお前のもとへ……私がか弱い少女のときに、お前が使いまくったせいだろ。そもそも黙って使い続けるつもりだったのか……そういや師傅の護布は?」
「私が大事に預かっている」
「……まあいい。それもこれもやる。大判振る舞いだ」
多謝(どーちぇ)!」
「思玲は戦いをやめるのか?」

 ドロシーは喜ぶだけだけど、川田が床に寝ころんだままで尋ねる。

「どう思う?」思玲が不敵な笑みを向ける。

「分からんから聞いた」
 川田がそっぽを向く。「思玲は敵より弱いから、いてもいなくても同じだ」

 また思玲の顔がひきつった。

「いまから思玲は俺と一緒に魔道具を作る。さらに強くなる」

 もうひとつの椅子に座った俺が言う。麻卦執務室長が言っていたように、戦いは魔道具で決まる部分がある。でもそれは並の魔道士や異形の戦いでだ。そして強い魔道具は強い魔道士を選ぶ。
 月神の剣が藤川匠を選んだように。独鈷杵が奴の手もとに向かったのもそうかもしれない。

「私は聞いてない。私も行く」
 ドロシーがさらに頬を赤らめる。また銀丹を口に放る。それだけ舐めれば気休め以上の効果がありそう。

「だったら俺も行ってやる」
 川田が背を向けたままで言う。「やさしいお前らだけだと、やさしいものしか作れないからな。また強い主を求めて、松本の女のもとに逃げられる」

ぞわっ

 ドライヤーの音がとまった。

「川田君、その呼び方はやめよう」
 夏奈が半乾きの髪のままででてくる。
「私も疲れた。だけど一緒に行く」

 座るドロシーの脇から、俺のベッドに飛び込み転がる。

「松本の女だから、そう呼ぶ。……女が二人いてもいいのか? 選ばなくていいのか? だったら桜井も松本の女だ」
「話を戻すが、弱い主しか選べないやさしすぎる魔道具も存在する」
 思玲が絶妙に逸らす。「だが、たしかに強い小刀が欲しい。なので川田にも付き合ってもらう。危険があるかもしれぬので、虎にさらわれた奴と血を分けてもらった奴はここにいろ」

「松本の女達だけにしていいのか?」
「哲人を残したら、さらに修羅場だろ」

 ……そして沈黙。テレビでもつけようかな。それよりドロシーと二人きりになりたい。
 エレベーターが降りてくる音がした。

「上海さんが帰国する前に会いたいって。思玲と松本とドロシーだけついてきて」
 巫女の正装に着替えた大蔵司が顔をだした。
「もうこの服しか残っていない」

 清楚できれいなはずなのに、染めたショートヘアだとちぐはぐだ。

「ランドリーは(川田やドロシーに)

破壊されてないぞ。……京も疲れているな」
「思玲に言われたくないけど、術を使いまくったのに休ませてもらえない。私も横になりてぇ」

 大蔵司が、ベッドにいる夏奈とドロシーを交互に見比べる。俺に目を向ける。

「松本と川田だけ元気そうだね。やっぱりタフさが違う。私も男に生まれたかったな」

「俺は雄だ」川田が大蔵司をじっと見つめる。「お前は雌のがいい。外見だけなら瑞希より上だ」

「あん?」大蔵司の手に神楽鈴が現れる。

「川田さん、躾けるよ」
 ドロシーが七葉扇をひろげる。

「私も怒る」夏奈から龍の気配が漂う。

「……ボスでも勝てない」
 川田がまたそっぽを向く。

「では指名されたものは向かおう」
 思玲がすたすたと廊下へでる。

 ***

「ここの娘は……なんて名前だっけ?」
 一階にある

で、座布団を枕に横になる沈大姐が言う。

「大蔵司京です。とてつもない資質です。ドロシーに匹敵する」

 デニーが立ったままで答える。同じく俺達も立ったままだ。……純和室。さすがに上海の二人とも靴を脱いでいる。

「ああ。だが彼女は戦いで身でなく心を削るタイプだ。心が弱まっている。盛りのついた王思玲みたいに邪念にとらわれている」

 またもや思玲の顔がひきつった。

「あんたで勝てないなら、誰も藤川匠に勝てない」
 その背後で川田が言う……わあ! ついてきやがった。

「成敗したくなるから、獣人もどきは黙れ。奴には後日たっぷりとお礼をする。だがそれをするのは、十四時茶会も一緒だ。なので交渉役を香港に送った」

 俺は隣りにいるドロシーと目をあわせてしまう……。迷彩柄のリュックサックを肩にかけている。肩ひもが調整済だし、出かける気が満々だ。

「香港と和解するのですか?」
 思わず口にしてしまう。

「部外者も黙れ。近い将来の話だ」
 大姐は俺に目を向けず「デニーからの提案だが、魔道団と決裂したら、梓群は上海で預かってやる。この辺り(荒川区)よりは都会だ」

どくん

「私は中国が嫌いです。なので香港に戻りたい」

 大姐の顔がひきつった。俺の鼓動は安堵を覚える……。
 どのみち香港に帰るのか。そりゃそうだよな。ここは異国だ。

「香港も中国だが、もちろんそれが最善だ」
 デニーが言う。「そのためにドロシーは、まだまだ動かないとならない。だが元気になるのが先決だ。……この国の銀丹は値段以上と言われる。君が口にする飴はすべて不夜会が立て替える。血肉の再生能力を増進させ、少しだけでも休んでくれ。その後は、松本の飛び蛇とともに露泥無を追ってほしい」

「デニーさんも食べますか?」
「なんで袋ごと持っている? ……もちろん私も三粒いただいた。充分すぎるほどだ」

 俺が見ただけでも、ドロシーは銀丹を十粒以上連続でぼりぼり食べた。影添大社の在庫が切れるまで噛み砕かせよう。

「追うだけでいいのですか?」
 なぜだかむかつく俺が尋ねる。九尾孤を封印した玉を持ち逃げしようと、世話になったムジナを倒せない。本来なら見つけても引き渡せない。
「露泥無はなんのために玉を奪ったのですか?」

「部外者は黙れと、また叱られるぞ」
 デニーが薄く笑う。「ここから先は憶測だ。そして上海と香港だけの話になる。日本の一般人は関与しない」

「だったらなぜ哲人を呼んだ? ちなみに私も部外者だ」
 思玲が言う。

「いろいろ世話してやったから、礼を言う機会を与えてやった」
 王姐が腰を上げる。「私は殲とともに上海へ帰る。傷が癒えぬデニーは残るらしい」

 それは聞いていた。でも深手を負ったデニーも帰国すると思っていた。

「王姐こそお疲れだ。この方に代わり、私が後始末を手伝う。貪そしてボランティアで白虎を今夜倒す。それにもドロシーの力が必要だ」
 デニーが彼女を見つめながら言う。「異形になる必要はない。また魅了されてしまうからな」

 感謝すべき人なのに、俺はこう思う。人の彼女に露骨なんだよ。

「俺も戦います」
「私もだ」

「満月の夜にか? 勝手にやってくれ」
 沈大姐が俺と思玲をにらむ。「お前達の大事な仕事は、そいつを抑えることだと思うけどな」 
 ついで川田をにらむ。

「貪は明日以降ならば逃げる。今夜ならば、おのれの力を過信して現れる」
 ドロシーが語りだす。「大姐はいない。哲人さんもいない。私と重傷のデニーさんだけならばやってくる。実質私だけが戦う。だったら無理だ」

 彼女はごまかした。白銀弾を隠しもつドロシーの前に貪は現れない。餌もない。引きずりだす何かが必要。

「イウンヒョクが共闘してくれる。ふたつ返事だった」
「不夜会のエリート小隊も呼んだ。そいつらは被害を拡大させぬために戦うので、前線にでるのは三人に変わらない」

 二人の話を聞きながら俺は考える。この人達は手柄を独占するために俺と思玲を排除するわけじゃない。俺と思玲だと、今夜の戦いに生き延びれる可能性が低いからだ。人のままである俺だと……。でもデニーの儀式は受けたくない。

「俺も戦いたい」川田が唐突に言う。
「お前はここの地下の地下にいろ」沈大姐がきっぱり告げる。

 ドロシーは俺の隣で悩んでいる。俺も悩んでいる。彼女と一緒にいたい。

「哲人は桜井夏奈を守る。藤川匠に奪われないためにだ」

 思玲の言葉に、ドロシーが俺へと顔を向ける。切れ長のアーモンドアイに憂いが漂った。
 俺はドロシーと一緒に戦いたい。でもたしかに夏奈が無防備だ。今日の折坂さんはあてにならない。影添大社自体を守るのは大蔵司だけ。堅牢でなくなる。
 だったらドロシーが満月の夜の狩りに参加しなければいい。俺の口から言えるはずない。
 ドロシーは無言で悩んでいる。すぐ隣にいるのに、俺の手を握ってこない。俺から握れるはずない……。

「思玲は夏奈を守らないの?」俺は尋ねる。

「私は今夜一人で峻計を倒す。なのでどちらにも参加しない」

「一人で? だったら私はそっちの戦いに参加する」
「も、もちろん俺だって。……ドロシー?」
不是(ぷーしー)

 ドロシーが否定した。つまり、昨夜峻計が果し合いを押し付けた件を、思玲は知らないはずなのに。

「そのやり取りはなんだ? それで意図が通ずるのか? そんで沈大姐は、陰辜諸の杖ってのをご存じですか? デニーは煙草を一本恵んでくれないか?」

「ここは禁煙だ。その杖はたいそうな品か?」
 沈大姐の目がコレクターのものと化した。

「私は療養中なので喫煙を控えている」
 デニーがポケットから煙草の箱をだし、思玲へ投げる。
「銘柄にはこだわるから『中華』だ。大姐に代わって私が回答させてもらおう。その杖ならば知っている。伝承では魔物と化した台湾の魔道士が所持していたものだが……なるほど、それに頼ろうとするのか。あり得るかもしれぬが、川田がさらに異形になる可能性もある。私ならすがらない」

「五本しか残ってないが謝謝。その杖がここにあるそうです。沈大姐の力添えで台湾に返還させてくれないでしょうか?」
 デニーの話を半分も聞いてない思玲が言う。

「……エクセレントだ」
 ドロシーが無意識みたいに俺の手を握る。「その杖で儀式をする。まずは折坂で試そう」

「俺で試せ」川田が言う。「俺はもっと強い異形になってもいい」

「お前らの話を聞くと傷が(うず)くから黙れ。……麻卦に聞いてやるが期待するな。終わったら手間賃として私によこせ」

「執務室長は存在を知りませんでした」
 俺が伝える。

「だったら内宮の宝庫にあるのだろ。あそこは大和獣人とは別の異形が守り続けるところだ。それほどのものだけが珍蔵されている。あきらめろ」
 大姐がまた寝転がる。
「デニー、あの天珠はどうする?」

「ドロシーに預けたままにします。これは不夜会頭領の決断です」
「へへ、責任重大だ」

 龍さえも封じる賢者の石のことか。大姐は、断言したデニーと彼に笑みを向けるドロシーを眺めていたけど、

「勝手にしろ。話は以上だ。私も梓群――ドロシーを嫌いじゃない。いろいろ教えてやるし鍛えてやる。上海に来てもらいたいが、香港に帰りたいならば力になってやる。それでよければ、

牢屋みたいな部屋からこっちに移動しな。ここはシャワー付きの寝室が三つあり、浴場まである」

「ワインとビールと日本酒もだ。もちろんジュースも」
 デニーがドロシーへと笑いかける。

 ドロシーは俺の手を握ったまま悩んでいる。

「話が以上でしたら、私達は行かせてもらいます。すべきことがあるので」
「松本、はやく行くぞ」

 思玲と川田にうながされるけど、俺も悩んでいる。ドロシーにかける言葉を探している。

「わかりました。ここに移動します」
 ドロシーが告げる。
「でも夏奈さんを守らないとならないので、彼女も一緒にです。哲人さんもです。夏奈さんは隣室で、私と哲人さんは同室にしてください。恋人だけどやましいことはしません」
 俺を見上げてくる。
「そして内宮に忍びこみ、陰辜諸の杖を借りよう。それで川田さんを人間に戻そう。夏奈さんから龍を抜こう」

 ***

 俺まで頭が痛くなった。

「私がたっぷりと譲歩してやったのに、だったら出ていけ」
 沈大姐に追いだされてしまった。

「みんなを代表してお礼します。ありがとうございました。あなたにも、殲にも唐にも、とてつもなく感謝しております」
「ふん。はやく思玲を手伝ってやれ。ここまで来たら誰も死ぬな。達者でな」

 さすがに同じ部屋で寝泊まりできないし、影添大社の上階に忍びこめない。俺が拒否したら、ドロシーも同意した。……手をつないでくれた彼女と二人きりになりたい。いろいろ伝えたい。怒られることも。悲しませることも。

「体調はどう?」
 川田と思玲もいるからこんなことしか聞けない。

「生き返ってからずっとずっとよくない。よかったときなんてない」
 俺の隣で答える。「だけど慣れた。だから私も一緒に行く」

「松本の女だけ来ると、もう一人の松本の女が怒る。お前は部屋に戻れ」

 ドロシーの顔がひきつったぞ。俺の手を放す。

「川田さん。今後は私をドロシーと呼んでください」
「松本の女は龍だけか?」

はやく逃げろ

「わ、わかった。お前はドロシーで、龍は桜井だ。そう呼ぶ」

 川田がドロシーにおびえた。折坂さんにもひるまなかったのに……。
 ドロシーが思玲へと顔を向ける。

「私はここに残り夏奈さんを守る。だから哲人さんとちょっとだけ二人きりにさせてほしい」
「愛しあう二人の邪魔はせぬ」

 ひきつった顔の思玲が即答して、二人は地下駐車場に残る。ドロシーが俺の真正面に来る。

「七葉扇はなんでドロシーのもとに現れたの?」

 とても思玲には聞けないことを質問する。消滅した魔道具が復活するなんて、あり得ないはずだ。

「哲人さんが樹木に頼んで生まれた扇だからだと思う」

 答えになってない気がするけど、たしかに……。このまま沈黙が続くかなと思ったら、彼女は俺の目を見上げてくる。

「ずっと哲人さんが大人に思えていた。でもデニーさんと会ったから本当の大人を知った。哲人さんも瑞希さんも子どもだったんだ。そりゃ二歳しか違わないものね、へへ」
「あの人は落ち着きすぎだよ。思玲は中身は二十六歳だけど、あんな感じだし」
「ほんとだ。……お寺で、人の世界に戻してとお願いしたよね。その返事を聞いてない。いま聞かせてほしい」

 俺の目を見ながら忌むべき声で伝えてくる。

「もちろんだよ。必ず君が人に怯えないようにしてみせる。そのためにずっと二人でいる。……だけど伝えなければならないことがある。俺は今日の戦いで夏奈と――」 
「言わなくていい。私を選んでくれるならば、哲人さんの口から聞きたくない」

 そしてドロシーが目を閉じる。あごを少し上げる。
 俺は夏奈の顔が目に浮かぶ。夏奈の唇の感触も。

「……痛覚がまた消えちゃうかも。生きるための戦いには必要だよ」
 おどけて彼女の手を握るだけにする。
「俺が戻ってきたら、二人だけで露泥無をつかまえよう」

 横根だったら『ずるい』を連呼したかな。ドロシーは目を開けるだけ。悲しげなアーモンドアイ。

「哲人さんとは戦いの場にしかいない」
「だって戦いだらけだもの。それが終わるのはじきだよ」
「……わかった。そのために私もすべきことをする。そのときに、すべてを終わらせるために」

 ドロシーが俺へとリュックサックを渡す。二人は並んで明かり差し込む車道へでる。すでにタクシーの後部座席に思玲と川田が乗っていた。
 ……なんとなく遠ざかりそうな気がする。いまこそ伝えておけよ。

「俺は誰よりもドロシーが好きだ。……日本にずっといてもらいたい」
「へへ、それは嫌だな。いまから寒くなる」

 二人は手を離す。彼女は非常階段に向かう。俺は桜井夏奈を思いだす。ふたつの花咲き誇る夏の間で宙ぶらりん。俺こそたぶらかされていると感じてしまう。

「たっぷりキスしたか?」
「植物園までお願いします」

 思玲を無視して運転手へ告げる。リュックの肩ひもを長めに調節する。




次回「過重労働な式神」
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