三十二の一 中央エクスプレスウェイ

文字数 4,124文字

『ブレーキは逆に危険だ。私に任せろ』
 赤信号で止まろうとしたらモニターの鹿アイコンに怒られた。

「すべて任せるよ。首都高から中央道に乗ってひたすら進んで」
『ナビに入れてくれ。ハンターの気配はいまのところない』

 信号が変わらぬうちに発進されるが、実家の住所を登録したあとはハンドルを握るだけにする。風を感じないバイクは乗り心地が悪いだけ。

『到着予想時間はあてにするな。おそらくその半分以下だ』

 瞬く間に速度計が100キロメートルを超えた。でも九郎のアクロバティックな四輪車の運転を経験しているし、ドロシーの人が操縦する常識範囲ギリギリの運転も経験しているから平気……150キロメートルだと? なぜ事故を起こさない。知らぬ間に首都高に乗っているし。
 思玲からも緊張が伝わる。彼女もおのれの身を他人に任せられぬたちだ。でも俺は、このスピード感ならゲームで体験している。風を感じないから現実感は……カーブで車体が地面すれすれに倒れる。

「姿隠しの結界がこすれたぞ。ヘルメットが欲しかった」
 思玲がつぶやく。

「ドロシーが、ヤッパの奥さんを倒したことを後悔して号泣していた」
 やっぱり現実逃避的にモニターへ話しかけてしまう。

『私も妻の勝蟲(カッス)も、香港への旅路であなた達を見てきた。カッスのお気に入りはあの娘だった。同様に一本気だったからな。なので本望だろう』

 社交辞令に思えたけど、こっちの世界の住人はドライだから本心かもしれない。

「哲人からどぶの匂いがしてたまらない。なのでどこかに止めてくれ。たっぷり深呼吸したら私が前になる。しがみつくなよ」

 思玲はまた体を離していたが、そういう理由か。

『麻卦様の代理は松本哲人と聞いている。王思玲に従う筋合いはない』

「執務室長代理だろうと俺は休憩を指図しないよ。それより思玲があの後どうなったか教えて」
「さらに生意気になったな。私はウンヒョクに助けられて影添大社に連れられた。公園にいた桜井達と会わずにな。大蔵司が怪我を治してくれて、あっという間にピンピンになった。だが幽閉されたままだった。……出してくれとそこまで無理強いしなかった。哲人が殺されたと何となく感づいたから、無気力になっていた」

 思玲もだったのか。俺の存在はでかかったなと、うぬぼれそう。
 いきなり壮信の後ろ姿が視覚で飛びこんできた。自分の部屋で机に向かい、真剣な表情で英語の参考書を広げている。眺めが道からの我が家に変わる。それが延々と続く……。

「弟はまだ傀儡でない。峻計は姿を消して家の前で張っている。そうなのだね? ニョロ子ありがとう。引き続き頼む。次からはいきなり伝えないでね」

 驚かされたけど、だいぶ安心できた。あいつは家に侵入できない。おぞましい顔で近寄ることもできない。お天狗さんのおかげに決まっている。

「あれだけで、よく理解できるな。勘違いだとしても、小利口こそ哲人の武器だな」

 思玲が感心するけど、たしかにそうかもしれない。でもドロシーだって賢かった。だから戦いでは阿吽の呼吸的にアクションを起こせた。だけど救いなく破茶滅茶で自分勝手だった……。

「それからどうなったの?」
「あん? 謙遜しない皮の厚さも武器だな。
以後はとくにない。強いていうなら、下のフロアだけフリーに動けたウンヒョクが、ウザくてしょっちゅうドアを叩いてきた。京も滅多に顔をださないので、奴が話し相手になってくれた。女慣れしているのにジェントルマンに接してくれた。私の実年齢を知らないから生娘として扱っていたな(教えておけ)。だが韓国人の話題は芸能に片寄ってつまらなかった(偏見じゃないか?)。
気づいたら一週間が過ぎた。今朝早くに社内がざわめいた。なにかが起きたと感づいたが、まさかドロシーが殴り込みをかけたとは思わなかった。そして解放された」

 やはり思玲も失われた無意味な一週間を過ごしていた。みんなと同様に。ドロシー以外と同様に。

「琥珀と九郎の件も聞いたよね。俺は細かく教えてもらっていない」

「よく理解できぬが、九郎は車に封印されて韓国へ行こうとして、沈大姐の式神になったらしい」
『封印?』
「鹿は聞き耳立てるな。言葉の綾だ。師傅が亡くなられて、九郎はすぐにいなくなると思っていた。それが私がおらずとも働いてくれた。充分だろう。……琥珀は藤川匠にいきなり殺されたらしい。おそらく峻計が吹きこんだのだろう。かたきは必ずとる」

「俺は琥珀が戻ってくる気がする」
 慰めでも気休めでもなくて、そう感じている。

「根拠は?」
「大ガラス」

 俺の問いに、しばし沈黙が流れる。バイクはすでに高井戸を過ぎた。料金所のプチ渋滞を風のようにスルーする。

「魂をふたつ持つ。そう言いたいのだな」
 しばらくして思玲が答える。「だが小鬼は鴉とちがう。哲人が座敷わらしになったのと似た理屈だと思う。楊偉天は弱小な新月系をまとわせることを生みだした。だが弱小はなにをしても弱小なので、使い道がなくほぼ放置された。憶測だ」

 やはり思玲は知っている。知らなくても感づいている。そしてなんだろうと琥珀とは再び会える。
 単に俺の願望かもしれない。あいつと一緒にいる時間は意外に多かった。徐々に親しみを感じていた。

「手が疲れた。臭いが我慢する」

 思玲がまた俺の腰に手を回す。さっきよりずっとしっかりと密着してくる。鼻をすすったのは荒川の匂いのせいではないだろう。話しかけたいことはいろいろあるけど、もうしない。ただただ人の体で思玲の熱を感じるだけ。

 ***

『ハロー、ハロー』
「わあ」

 いきなりモニターに麻卦さんの顔がアップしてのけぞってしまう。

『韓流スターから連絡があった。日本の道の制限速度を知らないから、じきに到着するだと。台湾アイドルは約束を忘れずにとも言っていた。俺が依頼したときより一生懸命だ。じゃあな』

 モニターがまた鹿のアイコンに戻る。ちらり見えた速度計は210キロだったけど、

「約束ってなに?」
「白虎を狩ったらデートに付き合う。浦安の遊園地だそうだ」

 胸がちょっと痛くなった。

「そんなふざけた奴が力になれるはずない」
「妬いてくれるのか? ウンヒョクは顔がいいだけでない。白虎を見つけられる」
「だけど俺を置き去りにした」
「根に持つな。あの状況なら、私と哲人のどちらかを助けるしかなかった。麻卦みたいに瞬間移動ができなければな……。あんな術は初めて見た。魔道具の力らしいが、過去の文献でも見かけた覚えはない」

 魔道具でなくて星五個の異形がなせる技かもしれないけど、麻卦さんにはやんわり口止めされている。それよりもだ。

「妬くわけがない。俺には夏奈がいる。夏奈のために戦っている」
 そのために弟を助ける。後門の憂いをなくす。『たくみ君、たくみ君』だろうと。

「そうか。ならばウンヒョクと逢引きする。お前みたいな薄情な奴は知らぬ」

「い、痛いって。くすぐったいって」
 わき腹を握りやがった。「俺はドライに決まっている。こっちの世界に関わってからはなおさらだ」

 息を吸い込む音がした。来るぞ。

「鹿が聞いていようと、ずばり言うぞ。お前は影添大社の術にかかっている。冷たいのは私へでなく」
『ゆがませるな。俺はお目付けでもあるので通報するぞ。そして折坂さんが怒る。禰宜様が関わられるので、あり得ぬほど怒る』

 モニターが即座に割りこんだ。異形同士だと『様』づけでなく『さん』づけなのか。そんなことに感心することなく、思玲の言いかけた『術』が気になる。麻卦さんが含みを持たせた『呪』のことだとして……俺もかかっている?
 思玲は黙りこむ。だったら鹿のいない場所で聞くだけだ。無事にひと段落したら、一瞬だけ俺の部屋に寄ろう。ついでにドーンのスマホの所在も確認しよう。

「わあ!」

 またも、のけ反ってしまった。目の前にニョロ子が現れた。舌をチロっとだす。どっちにしても驚かされる。

「こいつは高速の結界内でも自在か。有能すぎるな。どうやって式神にした?」
「首を絞めて。じゃあニョロ子教えて。後ろのモテる自慢の人にも見せてやって」

 俺らしくない言葉を発してしまった。ニョロ子は動じない態度でモニターの上でとぐろを巻く。景色が瞬時に背後へ消え去るなかで、また視覚が飛び込んでくる。

 自室で勉強する壮信。ひたすら勉強する壮信。受験生だものな。スマホが鳴って操作する。その目で分かる。まだ傀儡ではない。……壁には無造作に金札が立て掛けれていた。お天狗さんが守っている。お天狗さんはニョロ子を受け入れている。
 場面が変わる。俺の家の前。シーンは変わらない。

「峻計はしつこいね」
 俺の問いにニョロ子が首を縦に振る。

「あいつは何をするつもりだ?」
 思玲が聞く。ニョロ子はスルーする。

「あいつが何を狙っているか分かる?」
 俺の問いにニョロ子が首を横に振る。返事してくれただけだ。

「どっちにしろ急ぐべきだな。先手必勝のための――」
 思玲の手が腰から下がってくる。俺のジーンズをまさぐりだしやがった。
「スマホと財布とこれは……鍵だけじゃないか。どっこいしょだかの法具はどこだ? 人になってもシャツに隠せるのか?」

「かってにポケットを探るなよ。独鈷杵は藤川匠に取られたらしい」

 ニョロ子が首肯する。やや得意げ。お前が拾って届けたんだよな。

「貴様は間抜けか? では武器は? 鉄砲でも仕入れたのか?」
「ないよ。まさに無鉄砲。でも俺は、この手でロタマモを消滅させた」
「峻計の首も絞められるのか? 奴が死ぬまでに五十回は殺されるぞ」

 言われてみればその通りだけど、今さらどうにもならない。……金札は武器になるだろうか? 家族を守ってもらわないとならない。一家四人分と家の分。本当は五本必要だけど、真冬の祭祀の日しか手に入らない。だからこそ力を持つのだろう。

「では雷木札はどこだ?」
『山に入った。ここからは人の道を離れる。そちらのが速い』

 会話にヤッパが割りこむ。八王子の料金所手前で大型バイクがハイウェイからジャンプする。さすがにバイクへしがみついてしまう。
 思玲は俺にしがみつく。背中に彼女の胸をしっかりと感じながら正直に答える。

「忘れた。置いてきた」




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