四十三の三 夜空から襲撃
文字数 2,336文字
翼竜の背にいる俺達に風は当たらない。結界に包まれている。でもすべる。
「藤川匠を追いつめる。サキトガも現れざるを得ない」
沈大姐が言う。
「もし、そいつが力に目覚めていたら、それは人間の魂を奪う重罪を犯した結果だ。だから私が成敗する。だが、そいつに人としての力しかないのならば、お前達だけで倒せ」
ただの人間には手をださないのか。大姐が俺達を連れてきた理由が分かった。
「楊偉天は?」
俺は尋ねるけど、大姐は「知らん」と答えるだけだった。
仮に藤川一味を倒しても、まだ奴らがいる。張麗豪の空中からのトリッキーな攻撃は、強烈でなくてもきつい。見えない竹林もドロシーがいないと厳しい。さらには法董の冥神の輪。土壁の魔道具。巨大な式神。神殺の鏡。しぶとくしつこい峻計。
メンバー的にはあいつらのが脅威だ。
「大姐。藤川はどこにいるのですか?」
ヨタカになった露泥無が、沈大姐の肩から尋ねる。
「すぐそこの森だが、いったん上空にでる」
彼女は二胡の音慣らしをしながら「天高くから強襲する。鳳雛窩で私らの姿は見えん。大鷲の雛みたいに馬鹿高く馬鹿早く飛ぶ必要はない」
どっちにしても急降下攻撃か。……そこに藤川匠がいる。あいつを倒して、ドロシーを奪還する。夜半を迎えても行き場のない夏奈を、全員で呼び戻す。そしてみんなで人に戻る。
そんなにうまくいくだろうか。仮に大団円を迎えても、まだやるべきことがある。思玲……。おとなであった彼女を思いだす。泣き顔も悪そうな顔も笑顔も、抱えられたぬくもりも……。
まだ考えるな。まだ俺達の進むべき道だけを考えろ。
もし藤川匠が生身の人間だったら、俺だって倒したくない。でも夏奈は完全なる龍になり、ドロシーは朽ちるまで奴隷となる。ゆるせるはずない。倒すに決まっている。
俺の怒りは絶え間なく湧きあがり、おかげでドーンはいつまでも迦楼羅のままだ。
「あんたは恐ろしいほど強いな」
川田が大姐へと口をゆがませる。
「お前達よりはな」
彼女は二胡を弾きはじめる。
「殲、この高さでいい。これ以上登ると、龍と怪物に鉢合わせる。連中は成層圏まで降りてきた」
夏奈とハイイロクマムシのことだ。どういう戦いをしているのか想像できない。加勢にも行けるはずない。
「おばさんがどんなに強くても、川田は渡さねえからな。ていうか哲人、護符を寄こせよ」
ドーンが沈大姐に念押しする。もう少していねいな言葉づかいをして欲しいが、肝心の大姐は一瞥もせずに中国の音楽を奏でるだけだ。
「なんて曲ですか?」横根が尋ねる。
「高山青 」沈大姐がそっけなく言う。「台湾の民歌。若者と娘の出会いの歌だ」
音響も考えた結界なのだろうか。爽快な旋律が、ことさら響きわたる。
不意にかき鳴らす。川田の頭で風軍が跳ね起きる。
「露泥無と大鷲は上空で待機していろ」
沈の命令に、風軍はあくびをしてそっぽを向く。露骨に聞こえぬふりだ。
「殲、追いはらえ」
いきなり凍てつく突風が飛びこんできた。風はすぐにやみ、ヨタカと大ワシがいなくなる。
「『ドロシーちゃんを救出したら笛を鳴らしてね』だと。言付けぐらいしてやる」
大姐が俺に言う。とりあえず風軍は無事みたいだ。
どれくらいの高度だろうか? 太平洋沿いの光のネックレスさえも小さく見える。この高さからならば気づかれないだろう。
翼竜は束の間に目測を定め、急降下を始める。風切音が聞こえるだけだ。結界がなければ、つるつるの鱗の上から落ちただろう。
「松本、短期決戦だ」大姐が横で言う。
短期ってどれくらいだ? 俺はうなずくしかできない。大姐はまた二胡を奏でだす。
*
山あいに松明がいくつも灯されている。そこに藤川匠がいるのか。ドロシーがいるのか。
「結界をはずせ。なにも感じとれない」
川田は翼竜の頭上に移動していた。
大姐は殲に合図をださない。俺は白猫を抱き寄せる。
「カカカッ、獣人だらけだ」
結界内に浮かんだドーンが嘘笑いする。
「いまの俺は目が滅茶苦茶いいからな。五十体はいるぜ。俺達に気づいてないかも」
俺も浮かびあがってみる。人家の明かりもまばらな山間だ。……低山の鞍部に家屋の残骸が数件見える。廃村だ。そこに、人の目に見えない血の色の松明が無数にある。
「儀式の準備中だ」
沈大姐が演奏をやめる。
「なんの儀式ですか?」横根が尋ねるが、
「知るか」と即答して「手負いの獣よ。意外におとなしいな」
先端の狼に問いかける。
「ボスがおとなしいからな」
川田は振り向かない。「それでいておっかないからな」
俺のことか? たしかに今夜の川田は暴走が少ない。俺といるからか?
なぜだか川田の部屋の匂いを思いだす。思玲達に乗っとられるまえの、ありふれた部屋の――。
「飛び降りられる高さになったら合図しろ。お前が切りこめ。最低でも十体は消せ」
大姐が川田に用件だけ述べる。
川田が大姐へと振りかえる。
「みな殺しだろ」
にやりと笑う。こいつはやっぱり川田ではない。
俺の目でも獣人達が確認できる高さになった。十階建てビルほどの高度か。捨てられた集落の一角に、木でつくられた舞台みたいなものが見える。
「狩りの時間だ!」
手負いの獣が吠えた。同時に風が飛びこみ、俺は後方に流される。殲の頭上から川田が飛び降りる。
「カカカ」
迦楼羅であるドーンが続く。
空からいきなり魔獣が現れて、獣人達がパニックになっている。手負いの獣がまたたく間に三体を消して、ドーンが天宮の護符で獣人を叩く……。護符は輝いてはいない。
「横根、行くよ」
俺も法具を手に続かないとならない。浮かびあがり振り向くと、沈大姐は空中で直立していた。その下に見えない殲がいるはずだ。
「大失敗だ! 松本は戻れ!」大姐が叫ぶ。
次回「陽炎の村」
「藤川匠を追いつめる。サキトガも現れざるを得ない」
沈大姐が言う。
「もし、そいつが力に目覚めていたら、それは人間の魂を奪う重罪を犯した結果だ。だから私が成敗する。だが、そいつに人としての力しかないのならば、お前達だけで倒せ」
ただの人間には手をださないのか。大姐が俺達を連れてきた理由が分かった。
「楊偉天は?」
俺は尋ねるけど、大姐は「知らん」と答えるだけだった。
仮に藤川一味を倒しても、まだ奴らがいる。張麗豪の空中からのトリッキーな攻撃は、強烈でなくてもきつい。見えない竹林もドロシーがいないと厳しい。さらには法董の冥神の輪。土壁の魔道具。巨大な式神。神殺の鏡。しぶとくしつこい峻計。
メンバー的にはあいつらのが脅威だ。
「大姐。藤川はどこにいるのですか?」
ヨタカになった露泥無が、沈大姐の肩から尋ねる。
「すぐそこの森だが、いったん上空にでる」
彼女は二胡の音慣らしをしながら「天高くから強襲する。鳳雛窩で私らの姿は見えん。大鷲の雛みたいに馬鹿高く馬鹿早く飛ぶ必要はない」
どっちにしても急降下攻撃か。……そこに藤川匠がいる。あいつを倒して、ドロシーを奪還する。夜半を迎えても行き場のない夏奈を、全員で呼び戻す。そしてみんなで人に戻る。
そんなにうまくいくだろうか。仮に大団円を迎えても、まだやるべきことがある。思玲……。おとなであった彼女を思いだす。泣き顔も悪そうな顔も笑顔も、抱えられたぬくもりも……。
まだ考えるな。まだ俺達の進むべき道だけを考えろ。
もし藤川匠が生身の人間だったら、俺だって倒したくない。でも夏奈は完全なる龍になり、ドロシーは朽ちるまで奴隷となる。ゆるせるはずない。倒すに決まっている。
俺の怒りは絶え間なく湧きあがり、おかげでドーンはいつまでも迦楼羅のままだ。
「あんたは恐ろしいほど強いな」
川田が大姐へと口をゆがませる。
「お前達よりはな」
彼女は二胡を弾きはじめる。
「殲、この高さでいい。これ以上登ると、龍と怪物に鉢合わせる。連中は成層圏まで降りてきた」
夏奈とハイイロクマムシのことだ。どういう戦いをしているのか想像できない。加勢にも行けるはずない。
「おばさんがどんなに強くても、川田は渡さねえからな。ていうか哲人、護符を寄こせよ」
ドーンが沈大姐に念押しする。もう少していねいな言葉づかいをして欲しいが、肝心の大姐は一瞥もせずに中国の音楽を奏でるだけだ。
「なんて曲ですか?」横根が尋ねる。
「
音響も考えた結界なのだろうか。爽快な旋律が、ことさら響きわたる。
不意にかき鳴らす。川田の頭で風軍が跳ね起きる。
「露泥無と大鷲は上空で待機していろ」
沈の命令に、風軍はあくびをしてそっぽを向く。露骨に聞こえぬふりだ。
「殲、追いはらえ」
いきなり凍てつく突風が飛びこんできた。風はすぐにやみ、ヨタカと大ワシがいなくなる。
「『ドロシーちゃんを救出したら笛を鳴らしてね』だと。言付けぐらいしてやる」
大姐が俺に言う。とりあえず風軍は無事みたいだ。
どれくらいの高度だろうか? 太平洋沿いの光のネックレスさえも小さく見える。この高さからならば気づかれないだろう。
翼竜は束の間に目測を定め、急降下を始める。風切音が聞こえるだけだ。結界がなければ、つるつるの鱗の上から落ちただろう。
「松本、短期決戦だ」大姐が横で言う。
短期ってどれくらいだ? 俺はうなずくしかできない。大姐はまた二胡を奏でだす。
*
山あいに松明がいくつも灯されている。そこに藤川匠がいるのか。ドロシーがいるのか。
「結界をはずせ。なにも感じとれない」
川田は翼竜の頭上に移動していた。
大姐は殲に合図をださない。俺は白猫を抱き寄せる。
「カカカッ、獣人だらけだ」
結界内に浮かんだドーンが嘘笑いする。
「いまの俺は目が滅茶苦茶いいからな。五十体はいるぜ。俺達に気づいてないかも」
俺も浮かびあがってみる。人家の明かりもまばらな山間だ。……低山の鞍部に家屋の残骸が数件見える。廃村だ。そこに、人の目に見えない血の色の松明が無数にある。
「儀式の準備中だ」
沈大姐が演奏をやめる。
「なんの儀式ですか?」横根が尋ねるが、
「知るか」と即答して「手負いの獣よ。意外におとなしいな」
先端の狼に問いかける。
「ボスがおとなしいからな」
川田は振り向かない。「それでいておっかないからな」
俺のことか? たしかに今夜の川田は暴走が少ない。俺といるからか?
なぜだか川田の部屋の匂いを思いだす。思玲達に乗っとられるまえの、ありふれた部屋の――。
「飛び降りられる高さになったら合図しろ。お前が切りこめ。最低でも十体は消せ」
大姐が川田に用件だけ述べる。
川田が大姐へと振りかえる。
「みな殺しだろ」
にやりと笑う。こいつはやっぱり川田ではない。
俺の目でも獣人達が確認できる高さになった。十階建てビルほどの高度か。捨てられた集落の一角に、木でつくられた舞台みたいなものが見える。
「狩りの時間だ!」
手負いの獣が吠えた。同時に風が飛びこみ、俺は後方に流される。殲の頭上から川田が飛び降りる。
「カカカ」
迦楼羅であるドーンが続く。
空からいきなり魔獣が現れて、獣人達がパニックになっている。手負いの獣がまたたく間に三体を消して、ドーンが天宮の護符で獣人を叩く……。護符は輝いてはいない。
「横根、行くよ」
俺も法具を手に続かないとならない。浮かびあがり振り向くと、沈大姐は空中で直立していた。その下に見えない殲がいるはずだ。
「大失敗だ! 松本は戻れ!」大姐が叫ぶ。
次回「陽炎の村」