二十八の二 歌うな吠えるな誘うな飛ぶな

文字数 2,637文字

 琥珀が俺の顔に飛びつく。俺の耳をふさぐ。

『ダ、スウォリアクスカゾ、デ、スォリ……』
「ザイシンガイガツエダツ! ザイシンガイガツエダツ!」

 力づよい祓いの言葉が呪いの言葉をかき消す。

「いまのは人への呪いだろ! 哲人だけを狙ったな!」

 ……琥珀も劉師傅のように祓いの言葉を使えた。それよりも機会だ。

「俺を狙ったなら契約違反だ!」
 アドレナリンに頼り空へと叫ぶ。「無効だ! 違約の報いとして横根を返せ」

『……この程度の瑕疵で契約を破棄するわけにはいかない。お詫びとして一度だけ姿をさらそう』

 接するほどにフクロウの顔がいきなり現れる。あざけた笑いを巨大な目に浮かべる。
 腰を抜かした俺を見おろしながら、ロタマモは空へと羽ばたき消える。

『琥珀よ。祓いの言葉が使えるとはな。ということは、あれだな。夜の極みを待って、異形同士で勝負してみないか?』
「断る」

 琥珀は俺の背に浮かび獣人達を牽制していた。……足の痛みが出没してきた。肩の痛みも。どの傷からも血が流れている。おそらく不衛生な傷だ。医者にいかなきゃ。
 俺は立ちあがる。

『痛いな』
 頭になにかが当たる。『偶然にしろ、気をつけてくれ』

 見えないロタマモに蹴とばされる。無警戒だった琥珀を背中で押しつぶしてしまう。

シャアアアア

 獣人達が飛びかかってきた。爪と牙が襲いかかる。俺は顔と首を守るだけだ。不快なお経のハーモニーが一瞬だけ流れて、獣人達がようやく退く。
 バーベキューの鉄板みたいな地面から起きあがる。

『クマダとコ・ムウよ。私はとやかく言えないが、それぐらいで充分かもな』

 その声に、獣人達が空へとかしずく。

「これでロックされた。僕には逃げる方法が思いつかない。急いで考えろ」

 スマホを握った琥珀は傷だらけだった。頬をざっくりとえぐられ、フードは噛み裂かれて、たんこぶみたいなツノが見える。ほかにも怪我しているのか、浮かんだ体から血が地面にしたたり消えていく。
 琥珀も俺を見ていた。

「さもないと哲人はあと十分で動けなくなり、さらに十分で死ぬ」

 自分の体を見る。右腕から胸へとざっくりと切られ、左わき腹のシャツも赤くにじんでいた。
 痛みはまだ出現しなくても、両手で体を押さえる。手につく赤い血は消えずに増していく……。

『ホホホ。サキトガがいれば残りの時間を数えたかな』
 見えないロタマモが笑う。
『琥珀よ。小鬼だけになったとして箱を守れ――、ホゲ!』

 突風が吹いた。

「梟が昼間からえらそうにするな」
 聞きなれた雷鳴のような声。
「四玉の箱は魔道士のカバンと劉昇の布きれで守られている。そんなでこいつを殺すと、青龍の光かすは、さ迷い消える。そううかがっている」

 獣人達が風に数メートルも飛ばされる。コ・ムウは巨大なくちばしに腹部を貫かれたかのようにうずくまり、クマダは巨大な爪に裂かれたようにうずくまる。
 流範が現れようが不思議ではない。俺の命を狙っているのはフクロウだけではないのだから。

『さすがに早すぎるぞ。あの男の蛇は優秀だな』
 ロタマモの声は泰然としている。
『大鷹二羽をあしらった流範よ。力勝負でお前に勝てるものは、そうもいまい。そして琥珀よ。邪魔が入ったから用件を急ごう。哲人君に箱を開くように頼んでもらえないだろうか。そうすれば哲人君の傷も――、あぶないな。私だけを狙わないでくれ』

 日のもとならば、闇にまぎれない流範は見える。黒い疾風が飛んでいる。奴にもロタマモが見える。
 箱を晒してから俺を殺せば、青い光は玉に戻る。流範は四玉と箱一式必要だが、ロタマモは青龍の玉だけを運べばいい。藤川匠のもとへ。

「梟ジジイ。俺は貴様の処分に差し向けられた。夜になるまで追い続ける。松本哲人を捕獲するのは俺の使命じゃない。……だがな」
 流範が羽ばたきを弱め、姿を見せる。
「裏切り者が生きていやがった。――飛び蛇は峻計に向かわした。あいつから老祖師に伝えてもらう。そして老祖師に伝わるより早く、梟でなくお前を殺す」
 熊のような巨体が上空に浮かび、羽根を漆黒に輝かせる。

「よりによって流範かよ」
 琥珀は俺の背に隠れていた。
「異形同士の肉弾戦なら、こいつは峻計にも負けない。昼間ならばなおさらだ」

 そうだった。琥珀は楊偉天を裏切ったんだ。奴らの身中の虫だった。流範の憎しみは半端ないだろう。
 琥珀がやられたら俺も終わりだ。この怪我は人間だから重傷の範囲だ。逃げるしかない。

『哲人君、箱を開ける必要ないかもな』ロタマモの呼ぶ声。『君に逃げられるかもしれない』

 太陽は空の頂点に近づいていて、まぶしくて直視できない。俺は本来の世界にいるはずなのに静かな田舎町は無関心すぎる。ピンク色の軽自動車が車道をもそもそ通りすぎるだけ。
 白昼の町なかの座敷わらしは、いまの俺にも増して弱い存在だ。でも空に浮かべる。林をめざし、俺と琥珀ならば逃げまわれるかも。
 だったら異形になるべきなのか。いや、それが狙いだ。

「松本哲人どけ!」流範が吠える。「琥珀、顔をだせ!」

 小鬼は俺のまわりをぐるぐる回る。俺を盾にしている。

『哲人君。小鬼はじきに殺される。私は鴉に追われ逃げる羽目になるだろう』
 使い魔が耳もとで誘う。
『それでも君は異形となるべきかもしれない』

 どっちだよ。フクロウの言葉にまどわされてしまう。

「哲人、ぼさっとしてるな」

 琥珀が叫ぶ。黒い風は俺を巻きこまぬように渦を巻いている。……痛みがよみがえる。あせりだす。

「流範! 俺はじきに死ぬ」空に叫ぶ。「青い光が消えるぞ。琥珀より先にロタマモを倒せ」
 自分の生死さえ人質にしてやる。

「太陽が雲をかぶっただろ!」
 いまいましげな声。
「あの梟は照らされないと、俺にはうっすらも見えない。貴様は老祖師に殺されるまで頑張って生きろ!」

 腹いせのような突風が吹き、起きあがった女の獣人が薄らいでいく。

『クマダよ。コ・ムウを連れて林に逃れなさい。――哲人君。私からはなにも依頼しない。だが善意の意見を述べれば、やはり箱を開けるべきかもしれない。ホホホ、開けないべきかもしれない』

 白人の男が女の肩に手をまわす。俺の流れた血が靴に溜まっていることに気づく。暑いのに寒くなった。
 立っていることさえ辛い。……ロタマモの言うとおり、四玉の箱を開けるしかない。いや、ロタマモの言うとおり開けてはいけない。いや開けないと――

ブッブブブッブー

 クラクションを鳴らしながら、ピンクの軽自動車が空地に暴走してきた。




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