四十六の二 チラシの裏から0.5-tune
文字数 3,128文字
「しかし、とんだ食わせ者だったな。この壁紙はなんだ」
段ボール製の子犬のトイレ掃除をする俺のかたわらで、スーリンがごろ寝でスマホに毒づく。
「哲人。19万8千香港ドルとはいくらだ?」
またこの手の話か。子どもの遊びに付き合ってやる。
「270万円ぐらいかな」検索して答える。
「台湾元で答えろ」
「約77万ニュー台湾ドルだってさ」
入力しなおして答えてやる。
「そんなものか。だが持ち合わせは浄財の日本円だけ」
スーリンが天井を見つめる。
「取り立ては若手のエリートどもだろうな。だったらケビン。未成年はさすがに来ないから、サポートはシノやアンディあたりか。ふん。誰が来ようが今の私は無抵抗だ。またお茶会に呼ばれてヤムチャだ。……担保の話がでないな。だとすると剣を奪ったのは魔道団ではないのか」
スーリンの独り言を聞いて、あの青年から受けとったものを思いだす。
「スーリンちゃん、鍵を返してもらえるかな?」
「なにか思いだしたのか? 川田の机に置いてあるぞ」
この子と二人きりになるとさらに頭が痛くなる。俺は眉間を押さえながら、カップ麺やコンビニ弁当の食卓と化したデスクに転がる鍵を、ポケットにしまう。テーブルに汁が飛んだままだ。ここもきれいにしないと。
*
「戸締まりして、なにかあったら携帯に電話してね」
眠っている子犬の頭を軽くなでながら言う。
「じゃあね、リクト。……スーリンちゃんも、小さいうちから寝ころんでスマホばかりだと目が悪くなるよ」
「どうせ私は十四五歳で眼鏡の厄介になる。余計なお世話だ」
小学生の女の子に鼻で笑われる。
「しかしフーポーの罠を喰らって、よくあれだけで済んだな。私など怖くてアルバムも開けられない。……人に戻ったお前へのはなむけに、土着の護符が最後にひと仕事したとしか思えぬな」
この子といると本当に頭が痛くなる。……この子の声を聞かされるとだ。
「せめて座ってやりな。火遊びは絶対に駄目だよ。鍵もちゃんとかけてね」
俺は部屋からでる。八月初旬の太陽は朝から痛烈で、苦笑いを浮かべてしまう。
「哲人、護刀が欲しいよな」
振り返るとスーリンはちょこんと座っていた。
「我が力が戻ったときに、七葉扇と対になる魔道具が欲しい」
淡い緑色の扇子で遊んでいる。円状にひろがる風変わりな扇だ。……スマホ以外に遊ぶものがないのかな。友達だって、彼女の頭の中にいる小鬼だけかもしれない。
「やっぱり夕方には戻ってくるよ。そしたら、リクトを連れてみんなで散歩するからね」
女の子に笑いかけて、俺は一人で大学へと向かう。バイト先には、お勉強会が長引けば遅れますと連絡済だ。夏休み中だけ高校生のバイトが来るから(オーナーの姪とその友達だ。俺が寝こむ二日ほど前から急きょ店を助けることになった)、すこしは気が楽だ。
カップ麺ばかりで、俺もネグレクトの片棒を担いでいるよな。明日には児童相談所だかに問いあわせるしかないな。
***
夕方、管理事務所には誰もいない。ビニールに包まれた臨時休業の張り紙が、さきほどの夕立のしずくを垂らす。番号を確認し、ロッカーに鍵を差しこむ。23番は待ちかねたように扉を開ける。押しこまれた大きめなバッグを引っぱりだす。テニス場からすこし歩いて、まだ濡れたベンチを手で拭いて腰かける。
おそらく女の子のカバンだ。中身を確認しないわけにもいかないから、まず財布を取りだす。現金とカードがあるぐらいだ。パスケースも確認する。見ず知らずの女の子の私物を探ることに、すこしだけ興奮を覚えてしまう。
大宮から大学のある駅までの通学定期券。カード型の学生証も差しこんであった。同じ大学の文学部の二年生だ。名前は判読できない。貼りつけられた写真を見る。模様があるだけだった。よく見ると学生証なんかでないことに気づく。
他愛もないただのカードだ。
そんなはずがないだろ!
もう一度まじまじと見る。なんでこれが学生証に見えない。模様だって、チラ見したときは写真だと感じたはずだ……。あのカードと同じだ。あれだって読みとる機械以外は、俺も店員も(偽造じゃないよね?)、クレジットカードと認識できなかった。
背筋が寒くなる。頭が痛くなる。また、あの声が聞こえる。
バッグをさらに探る。読み聞かせボランティアのプリントの裏に、走り書きが残されている。違った。単なる幼稚園児のいたずら書きだ。でも、そんなはずはない……。
俺は気づく。ドーンとあの子に接したためだろうか、存在しないけど存在しているものに気づいてしまう。落書きは文字の羅列だと思うけど、字として認識できない。この走り書きさえも、この世界に存在しない。俺は自分のレポート用紙に一文字一文字書き写す。
頭が痛い。この一週間悩まされた頭痛だ。……頭痛のもとである、あの声が聞こえる。
その娘をとめろ
頭に埋めこまれているみたいだ。その頭痛に耐えながら、文字のような模様を写し続ける。
やがて書き終える。気づかぬうちに街灯が灯されていた。薄暮のなか、自分の文字を読みかえす。
スーリンのあたらしい結界はすごくやさしい。まえのは暗くてきゅうくつだったけど、これは木もれ日のなかみたい。光に包まれているから、じぶんへの手紙もかける。
例の夢物語か? 俺は読み続ける。頭が痛い。
いまはカラスの和戸くんと二人だけ。和戸くんはすごくムリしている。祈っても、はやくしないと和戸くんは
途切れるように文章が終わり、あらたに始まる。
びぼうろく わたしの字だから信じるように
・まず全員いるかかくにん。松本、和戸、川田、桜井か奈ちゃん。いない人はさがす。わすれていてもさがすこと。
・あのハコがあったらこわすこと! 絶対にあけてはいけない!
・みんなネコやオオカミになった。でも同じままだった。みんな人とかわらないまま。だからみんなを信じる。松本くんだけは、こわくなったけどかわいかった
・スーリン。たいわん人。王思玲。心に伝わるから漢字もわかる。絶対にさがすこと。台わんに行ってでもお礼をする。わたし一人でもかならず。サンゴを返す。
・しふにもお礼。おひめさまだっこ
・川田くんの目がなおっているか、かくにんする
・重要! 松本くんにおしえる。大とうげの山の神。たすけになると、お札が言っていた。おてんぐさんの木札。明王はおくにいた。こわかった。たきにいる。しょうだい寺のどこそ?
・重要!! かなちゃんに
・和戸くんをドーンくんと呼ぶ。本人のきぼう
・フサフサにお礼。大きい毛だらけのネコ。お寺にいるかも。えさをあげる?
・やっぱり、かなちゃんにだけ伝える。くぐつのときに、あいつが言ったこと。
信じないし、怒るし、きずつけるから言わないこと。覚えていても。
おしえないとだめ 絶対に
・コーヒーのただ券を2枚もらう
・カラスに気をつけ3
***
最後の3は、「る」か「ろ」だろう。この人(ドーンが言う瑞希ちゃんを当てはめてしまう)は、急いで書きおえたのかもしれない。この子になにがあったのかは知らない。ドーンとスーリンが関わっているらしいし、俺もみたいだ。
信じられるか、こんな雑記を。俺は頬にとまった蚊をおもいきりひっぱたく。信じられるか、できそこないのおとぎ話を?
信じるしかないだろう。この世に存在しない言の葉を、俺が書き写したのだから。
その娘をとめろ
あの声がまた聞こえる。なのに頭の痛みを受けいれかけているから。
気づけばあたりは暗闇だ。街灯に照らされて人けのない公園に一人いる。バイトなんかよりあのアパートに戻らないと。
おそらく俺はあの箱を開ける。
第一部完
次回 第二部『5-tuneⅡ 四神獣達のシフトアップ』
ぶっ続けで連日行かせてもらいます。
段ボール製の子犬のトイレ掃除をする俺のかたわらで、スーリンがごろ寝でスマホに毒づく。
「哲人。19万8千香港ドルとはいくらだ?」
またこの手の話か。子どもの遊びに付き合ってやる。
「270万円ぐらいかな」検索して答える。
「台湾元で答えろ」
「約77万ニュー台湾ドルだってさ」
入力しなおして答えてやる。
「そんなものか。だが持ち合わせは浄財の日本円だけ」
スーリンが天井を見つめる。
「取り立ては若手のエリートどもだろうな。だったらケビン。未成年はさすがに来ないから、サポートはシノやアンディあたりか。ふん。誰が来ようが今の私は無抵抗だ。またお茶会に呼ばれてヤムチャだ。……担保の話がでないな。だとすると剣を奪ったのは魔道団ではないのか」
スーリンの独り言を聞いて、あの青年から受けとったものを思いだす。
「スーリンちゃん、鍵を返してもらえるかな?」
「なにか思いだしたのか? 川田の机に置いてあるぞ」
この子と二人きりになるとさらに頭が痛くなる。俺は眉間を押さえながら、カップ麺やコンビニ弁当の食卓と化したデスクに転がる鍵を、ポケットにしまう。テーブルに汁が飛んだままだ。ここもきれいにしないと。
*
「戸締まりして、なにかあったら携帯に電話してね」
眠っている子犬の頭を軽くなでながら言う。
「じゃあね、リクト。……スーリンちゃんも、小さいうちから寝ころんでスマホばかりだと目が悪くなるよ」
「どうせ私は十四五歳で眼鏡の厄介になる。余計なお世話だ」
小学生の女の子に鼻で笑われる。
「しかしフーポーの罠を喰らって、よくあれだけで済んだな。私など怖くてアルバムも開けられない。……人に戻ったお前へのはなむけに、土着の護符が最後にひと仕事したとしか思えぬな」
この子といると本当に頭が痛くなる。……この子の声を聞かされるとだ。
「せめて座ってやりな。火遊びは絶対に駄目だよ。鍵もちゃんとかけてね」
俺は部屋からでる。八月初旬の太陽は朝から痛烈で、苦笑いを浮かべてしまう。
「哲人、護刀が欲しいよな」
振り返るとスーリンはちょこんと座っていた。
「我が力が戻ったときに、七葉扇と対になる魔道具が欲しい」
淡い緑色の扇子で遊んでいる。円状にひろがる風変わりな扇だ。……スマホ以外に遊ぶものがないのかな。友達だって、彼女の頭の中にいる小鬼だけかもしれない。
「やっぱり夕方には戻ってくるよ。そしたら、リクトを連れてみんなで散歩するからね」
女の子に笑いかけて、俺は一人で大学へと向かう。バイト先には、お勉強会が長引けば遅れますと連絡済だ。夏休み中だけ高校生のバイトが来るから(オーナーの姪とその友達だ。俺が寝こむ二日ほど前から急きょ店を助けることになった)、すこしは気が楽だ。
カップ麺ばかりで、俺もネグレクトの片棒を担いでいるよな。明日には児童相談所だかに問いあわせるしかないな。
***
夕方、管理事務所には誰もいない。ビニールに包まれた臨時休業の張り紙が、さきほどの夕立のしずくを垂らす。番号を確認し、ロッカーに鍵を差しこむ。23番は待ちかねたように扉を開ける。押しこまれた大きめなバッグを引っぱりだす。テニス場からすこし歩いて、まだ濡れたベンチを手で拭いて腰かける。
おそらく女の子のカバンだ。中身を確認しないわけにもいかないから、まず財布を取りだす。現金とカードがあるぐらいだ。パスケースも確認する。見ず知らずの女の子の私物を探ることに、すこしだけ興奮を覚えてしまう。
大宮から大学のある駅までの通学定期券。カード型の学生証も差しこんであった。同じ大学の文学部の二年生だ。名前は判読できない。貼りつけられた写真を見る。模様があるだけだった。よく見ると学生証なんかでないことに気づく。
他愛もないただのカードだ。
そんなはずがないだろ!
もう一度まじまじと見る。なんでこれが学生証に見えない。模様だって、チラ見したときは写真だと感じたはずだ……。あのカードと同じだ。あれだって読みとる機械以外は、俺も店員も(偽造じゃないよね?)、クレジットカードと認識できなかった。
背筋が寒くなる。頭が痛くなる。また、あの声が聞こえる。
バッグをさらに探る。読み聞かせボランティアのプリントの裏に、走り書きが残されている。違った。単なる幼稚園児のいたずら書きだ。でも、そんなはずはない……。
俺は気づく。ドーンとあの子に接したためだろうか、存在しないけど存在しているものに気づいてしまう。落書きは文字の羅列だと思うけど、字として認識できない。この走り書きさえも、この世界に存在しない。俺は自分のレポート用紙に一文字一文字書き写す。
頭が痛い。この一週間悩まされた頭痛だ。……頭痛のもとである、あの声が聞こえる。
その娘をとめろ
頭に埋めこまれているみたいだ。その頭痛に耐えながら、文字のような模様を写し続ける。
やがて書き終える。気づかぬうちに街灯が灯されていた。薄暮のなか、自分の文字を読みかえす。
スーリンのあたらしい結界はすごくやさしい。まえのは暗くてきゅうくつだったけど、これは木もれ日のなかみたい。光に包まれているから、じぶんへの手紙もかける。
例の夢物語か? 俺は読み続ける。頭が痛い。
いまはカラスの和戸くんと二人だけ。和戸くんはすごくムリしている。祈っても、はやくしないと和戸くんは
途切れるように文章が終わり、あらたに始まる。
びぼうろく わたしの字だから信じるように
・まず全員いるかかくにん。松本、和戸、川田、桜井か奈ちゃん。いない人はさがす。わすれていてもさがすこと。
・あのハコがあったらこわすこと! 絶対にあけてはいけない!
・みんなネコやオオカミになった。でも同じままだった。みんな人とかわらないまま。だからみんなを信じる。松本くんだけは、こわくなったけどかわいかった
・スーリン。たいわん人。王思玲。心に伝わるから漢字もわかる。絶対にさがすこと。台わんに行ってでもお礼をする。わたし一人でもかならず。サンゴを返す。
・しふにもお礼。おひめさまだっこ
・川田くんの目がなおっているか、かくにんする
・重要! 松本くんにおしえる。大とうげの山の神。たすけになると、お札が言っていた。おてんぐさんの木札。明王はおくにいた。こわかった。たきにいる。しょうだい寺のどこそ?
・重要!! かなちゃんに
・和戸くんをドーンくんと呼ぶ。本人のきぼう
・フサフサにお礼。大きい毛だらけのネコ。お寺にいるかも。えさをあげる?
・やっぱり、かなちゃんにだけ伝える。くぐつのときに、あいつが言ったこと。
信じないし、怒るし、きずつけるから言わないこと。覚えていても。
おしえないとだめ 絶対に
・コーヒーのただ券を2枚もらう
・カラスに気をつけ3
***
最後の3は、「る」か「ろ」だろう。この人(ドーンが言う瑞希ちゃんを当てはめてしまう)は、急いで書きおえたのかもしれない。この子になにがあったのかは知らない。ドーンとスーリンが関わっているらしいし、俺もみたいだ。
信じられるか、こんな雑記を。俺は頬にとまった蚊をおもいきりひっぱたく。信じられるか、できそこないのおとぎ話を?
信じるしかないだろう。この世に存在しない言の葉を、俺が書き写したのだから。
その娘をとめろ
あの声がまた聞こえる。なのに頭の痛みを受けいれかけているから。
気づけばあたりは暗闇だ。街灯に照らされて人けのない公園に一人いる。バイトなんかよりあのアパートに戻らないと。
おそらく俺はあの箱を開ける。
第一部完
次回 第二部『5-tuneⅡ 四神獣達のシフトアップ』
ぶっ続けで連日行かせてもらいます。