売国奴

文字数 1,796文字

 異国の言葉。異国の香り。異国のドラム。異国の男どもに城は凌辱された。
 祖国の血。祖国の死。祖国の怨嗟。それでも祖国の人は生き延びた。
 私のおかげではない。あの者の死と引き替えに。

 年老いた男は異国の天幕に一人いた。テーブルには、異国の酒が手つかずでグラスを満たしている。

「司祭長」と声かけられてその老人は振り返る。

「あなたの言いつけに従い、即座に処刑しました。……ゼ・カン・ユは私の存在に気づかぬまま死にました」

 金髪に碧眼の若武者が彼に告げる。兜を脱がないでくれ。

「そうか。……使い魔は?」
 司祭長と呼ばれた年老いた男が聞く。なによりも、
「龍は?」

「ロタマモとサキトガは不明です。私は奴らを狩りません。あなたに任せます」
 背丈は劣ろうと、目を引くほどの美丈夫が醒めた目を向ける。
「フロレ・エスタスは寝ています。皇帝が欲しています」

 漁夫の利の異教徒め。欲は尽きぬか。

「龍を望むならば、誰一人国に帰れないと伝えろ」

 司祭長はもう一度だけ見つめる。
 全身にまとった鎧。兜を脇に持ち、体躯に似合わぬ大ぶりなソードを持つ。短い金髪。青い瞳。誰もが垂涎する美貌。武の女神、いや美の女神と見間違うほどの……さもないだろう。

「サマー・ボラー・ブルートよ」
 彼は忌むべき異名を口にする。
「汝の剣だけが、龍を終わらせられる。それとも私を終わりにしたいか?」

「戯れを」
 当代最強である祓いの者が笑う。
「ゼ・カン・ユは異形に寄り添いすぎました。いずれ人の世は瓦解したでしょう。あなたは阻止するために城を売った。国を売った」

 それでも私を売国奴とはっきり呼ぶのか。事実だから仕方ない。
 ゼ・カン・ユは強大過ぎた。私達だけでは勝てない。ゆえに、あの大魔導師を逃げられぬ状況に追いやり、異教徒の力を借りて、自ら死を選ばせた。姑息な私では、それが精いっぱいだった。
 もうひとつの“花咲き誇る夏”が手もとにあろうと。

「私の存在はロタマモやサキトガには見えません。ゼ・カン・ユにさえ。理由はご存知ですよね」
「もちろんだ」
「それでもなお、あなたは姉の処刑を私に任せる。卑劣だ。非道だ」

 なんとでも言ってくれ。酒を口にしたい。

「黙ったままですか。禍々しき私の飼い主にふさわしい態度だ。……姉が私を隠していた。私を守るために。そして姉がなおも生きているのは――」
「フロレ・エスタスと呼びなさい」
 司祭長が声を強める。「あの龍が生きているのはお前を思ってではない。私を憎んでだ。私を殺す機会を得るためだ。だから私はあの美しき雌龍を見ない。遠目でさえも」

 天幕の中を静寂を包む。外の喧騒を遠く感じる。

「分かりました。殺してきます。姉は私をあなた以上に憎むでしょう」

 サマー・ボラー・ブルートが一礼をして去っていく。
 姑息な私は告げていない。フロレ・エスタスの血で蘇った麗しき忌むべき人は、姉と呼ぶ龍の死とともに消滅することを。

 司祭長は椅子に座る。盟友であったゼ・カン・ユを思いだす。
 彼は英雄だ。正義だ。異形を倒し魔を滅ぼした。しかし魔を用いてだ。異形を憎もうが異形に慕われていた。彼が望むのは、人が異形を使役する世界――許されるはずがない。
 知恵あるロタマモならば気づいているだろう。人の世は変わりだした。私達は存在してはいけないものだ。だとしても、あの梟は主に従う。それがゼ・カン・ユの怖さだ。終わらせねばならない理由だ。

「ゼ・カン・ユよ、生まれ変わるな。私には斯様な徳がないのを知っているよな。さすがに付き合えないぞ」
 司祭長はまた自分だけになった天幕でひとり話す。
「お前の正義は未来では更に異端だ。二度と龍を巻き込むな。魔女までも生まれ変わる。装いを変えた……私への憎しみを育んだ化け物がな。あの子は人を憎むぞ」

 司祭長は毒が仕込まれたグラスを手にする。
 貪欲で愚かな異教の皇帝よ、私が気づかぬと思うのか。だが望むとおりにしてやろう。自死を選んで私は終わりだ。永劫に炎で燃やされる。

 ……もし、あの男がまた人の世に現れるならば、異形を引き連れるならば、それに抗う者よ身を削れ。苦難を受け入れろ。私の意志を継いでくれるならば、“花咲き誇る夏”を奪え。姉弟で殺し合わせろ。さすれば勝機はある。
 必ずや、いずれのものの息の根を止めてくれ。

 年老いた売国奴が異国の酒を口にする。




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