二十一 どん底までクールダウン

文字数 3,023文字

0-tune


 殺されたけど死んでたまるか。消滅してたまるか。

 消滅してたまるか。


 俺は異形。俺は妖怪。俺は化け物。
 だから生き延びている。
 復活してやる。

 桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。

 死んだからなおさら分かった。俺が好きなのは桜井夏奈だ。幼いころの弟より十万倍好きだ。だって滅茶苦茶かわいいし。あの笑顔。入学式の日。雨あがりの午後。間近で見た大きな瞳。
 人とは思えぬほどかわいかった。

 桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。

 もう一度あの笑顔を見るんだ。違う。付き合って結婚して夏奈が俺の赤ちゃんを産んで、一緒に年をとって、布団で死ぬまで、あの笑顔を正面で見続けるんだ。
 奴さえいなければ限りなく両想い。
 だからあがけよ俺。首だけになって殺されるなんて惨めな仕打ちを受けようが、心のダメージは皆無。行かせるな。呼び止めろよ俺。

 ドロシー。王思玲。

 二人だって大好きだ。ドロシーなんか誰にも渡したくないくらい好きだ。
 だけど桜井夏奈。ずっと執着してきたのは桜井夏奈。

 川田陸斗。和戸駿。横根瑞希。

 三人こそ愛している。だから五人で人に戻る。すぐにでもハッピーエンドにさせてやる。

 ここがどこだか知らない。なにも存在しないのだから知りようがない。俺はここに踏みとどまる。消滅しない。

桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈……

夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈
夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈
夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈井夏奈夏奈

 これさえ唱えていれば消滅しない。夏奈に『キモイ』と引かれるほどに執着してやる。

 あがけ、あがけ、あがけ、あがけ。
 耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。

 ……ほら。なにかが近づいてきた。

「君とはなにかでつながっている」
 なにかが中国語で話しかけてくる。
「だから君に気づけた。そして会話もできた」

「俺は松本哲人。君は誰?」
「王俊宏と呼ばれていた。……人間だった時は」

 聞き覚えがある。

「君は思玲の弟だ」
「ああ。僕の姐姐(ジェージェ)は思玲だ」
「君は死んだよね。やっぱり俺も死んだが確定したな」
「でも君はしがみついている。僕はどちらにも行けないのに」
「俺は戻りたい。君の姉にも会いたいけど、もっと好きな人を守りたい」
「僕だって姐姐に会いたい。でも会えない。……君もお姉ちゃんを守ってくれるならば、手助けしたいな」
「もちろん」

 夏奈を守るために全員を守る。そうすれば、みんなが力になってくれる。

「だったら僕の友達を尋ねよう」
「友達?」
「ああ、楊聡民」

 覚えている。その名を持つ杖に、俺は殺された。

「どこにいる?」
「知っているけど、僕には会ってくれない。僕が彼を殺したから」
「どこにいる?」
「ここに来ているけど避けられている。新しい友達といる。あの人ともまだいる。君と一緒ならば会ってくれるかも」
「あの人?」
「うん。お姉ちゃんを守ってくれる。さあ行こう」

 俺達はさ迷う。無言でさ迷う。


「戻っちゃったみたいだね」

 王俊宏がふいに言う。寂しそうに去っていく。俺はまた一人になる。


 ***


 桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。
 桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。
 桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。桜井夏奈。

「おいおい、本当にいたよ。こんな場所であがいている」

 どれだけ経ったか分からないけど、癖ある中国語で話しかけられる。

「梓群が心に残ってないじゃないか。聞いた話と違う」
「思いだした。夏梓群はドロシーだ。彼女にだって会いたい」

 彼女にこそ会いたい。死んでいようが死ぬほど会いたい。そして俺が司法試験を突破するなり国際結婚。若い二人は周囲の反対を押し切るけど、日本と香港どちらに住むか揉める。あいだを取って式は洋風。それは確定だ。ゆっくりじっくり俺が人の世界に戻してあげるから。二人で子どもを育てながら。魔道士なんか引退させて。

 違うだろ。死んでまで惑うな。俺とかすかにつながる強い光に執着しろよ。夏奈を呼び止めれば、きっとみんなはハッピーエンド。
 だから桜井夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈……。

「ああうるさい。私は異端の魔道士だ。異形を冥界に送ることもできれば、引き上げることもできる」
「だったら俺をすぐに戻してください。会って守りたい人がいる」
容易(たやす)い。だけど、お前さんは完全な異形になる。もう人には戻れない」
「それは困ります」

 いまから続くは二人の長い物語。ハッピーエンドを迎えたって現実世界に山積みの問題。それを二人でゆっくりじっくり解決していく。人でなければ意味がない。

「ならば、梓群の力に頼れ。そして、あの子の力になってやれ。梁勲が嫌がるから口にはしないが、あの子だって私は好きだ。滅多にないことさ」
「俺だってドロシーを大好きだけど、俺の心は桜井夏奈でいっぱいです」
「それは認めてやる。たいしたものだ。だがな本当のところ、行き場のない娘だろうとね、私こそ日本鬼(ヤポングワィ)などに引き合わせたくない。好意で言ったのに、勝手にしろ」
「……誰に頼まれたのですか? みんなは?」
「知るか。達者でな。また私を残して誰もがいなくなるだけだ」

 声かける間もなく消える。俺はまた一人になる。


 ***


 俺はここから動けない。桜井夏奈桜井夏奈桜井夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈しか考えてないから、こんなことになった。そりゃ、夏奈を執念深く思ったから消滅しなかった異形だけど、かといって夏奈が助けに来てくれるはずない。
 ならばドロシーを思えばいいのか? 思玲を思えばいいのか? ドーン達を思えば……川田はどうなった?

 満月、川田、満月、川田、満月……。女の子より友を思えよ、俺。
 まだ間にあってくれ。

「おーい! 王俊宏! 周婆さん!」

 俺は叫ぶ。なにも存在しない。

「思玲! ドロシー!」

 なのに誰もいない。そりゃこんな場所に……

――哲人さん?

 俺の声は彼女には届く。

「ドロシー!」
「哲人さんだ! どこにいるの!」
「ここだよ! ここ!」

 なにもないから虚無。なのに紅色に満たされる。俺も照らされる。

「哲人さん!」

 その光の向こうから、ドロシーが現れた――全裸じゃないか。そのままの身体で俺にしがみつき泣きだす。

「会いたかった。最後の瞬間に哲人さんだけを思った。だから会えたんだ。もう思い残すことはない」

 俺の胸でドロシーがかすんでいく。

「ま、待てよ。死ぬなよ」
「へへ、もう死んでいるって」
「だったら一緒に生き返ろう」
「いやだ。人の世界になんか戻らない」
「みんなは? いまはいつ? ドロシーもマジで死んだの?」
「たったいま折坂に殺された。大蔵司と麻卦を倒すの躊躇した隙に……あいつは強すぎるよ。風軍の(かたき)を取れなかった。へへ」

 薄らいでいくドロシーが俺の目を見つめる。うるんだ目で微笑んでいる。

「風軍と私と哲人さんが死んだ。王姐は人質だけどきっと生きている。ドーン君はカラスのまま。瑞希さんはいじけている。夏奈さんは私に八つ当たりする」
「川田は? 川田は?」
「哲人さんが帰ってくると信じている。でも満月を迎える。……へへ、気にしなくていいよ。だから一緒に行こう。パパとママが待っている」




次章「0.5-tune」
次回「どん底からヒートアップ」



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