二十五の一 改竄されたとしても

文字数 2,831文字

『……彼、なにかやらかしたの?』
 逆に尋ねられる。『松本君がなんで藤川を知っているの?』

 小声だ。知らないと言われるのを覚悟していた。どう答えるべきだ。

「も、もう一人聞いていい? 桜井夏奈って知っている?」

 哲人の頭は落ち着かねえと、九郎が頭から離れる。俺のセリフだ。

『それ誰? おばの苗字は桜井だけど』
 こちらは予想通りの返事が来る。

「だったら藤川匠を教えて。俺はよく知らないから」

 脈絡がなかろうが押しとおす。
 ちょっと忙しいからあとでラインすると言うのを、いま聞きたいと押しとめる。すぐにかけなおすと電話が切れる。

「女の子が相手だと堅苦しそうで絶妙だな。そうそう、ドロシーかわいかっただろ?」
 浮かんで聞き耳を立てていた琥珀が話しかけてくる。
「僕の好みは、ドロシー、瑞希ちゃん、思玲様、桜井ちゃんの順かな。あれでウザくなければな」

「あの女は、かまってちゃんだからな。俺が知っている美人の順位なら、京、ドロシー、思玲様かな。ほかの二人は会ったことねえ」

 どちらも自分の主が三番目かよ。異形の好みに興味はない。

「でも九郎。子どもであられる思玲様はかわいかっただろ」

 琥珀がにやりとする。俺は国道を右に曲がる。二十分も歩けばJR駅につく。

 *

 ブドウ畑に住居が点在する二車線。県外ナンバーがやや目立つ。
 シノから使い魔やゼ・カン・ユのことを聞きたいが、こみいった話になりそうなので三石からの連絡を待つ。……そうだ、お礼を。

「琥珀。東京ではありがとう。……助けられずにごめん」
 俺はこいつを見捨てた。ドーンと横根を守ることを優先した。

「我が主からの下命に従い動いただけだ。礼も詫びも思玲様に伝えろ」
 小鬼は素っ気ない。
「それより、哲人が寝ているあいだに貉をちょっと尋問した。大嘘だと思ったが、ほんとに沈大姐が現れたんだな。ドロシーはキレなかったか? 香港と上海には軋轢があるから。
百年ほど昔どこかの国が大陸を支配したときに、その軍隊があまりに悪辣だから、香港の魔道士達が決起しようとした。それを上海の連中が嗅ぎつけて、大陸の魔道士を集めて魔道団を押さえこんだ。それ以降、魔道団は不夜会を憎んでいる。これが、復讐の誓いの基だ」

 セキレイが飛びたちもせずに前を歩く。こいつも異形かと、すべてに疑心暗鬼になってきそうだ。

「術や式神を使えば、軍隊なんか簡単に倒せるだろ。国を開放するためだろ? それは香港の人が怒るに決まっているよ」

 三石から電話が来るまでの時間つぶしだ。彼女のすぐは、すぐではない。

「魔道士は人の世界に関われないんだよ。自発的にそうしている」
 琥珀の弁に熱がこもる。
「洋の東西を問わず、その力を用いて現実の世界を支配しようとした人間は存在した。……あさましき者どもはあさましき魔物に憑りつかれるのが常だった。紅蓮の炎に消えるか、白魔にすべてを失うか……、そういうことだ。魔道団はその覚悟で蜂起しようとした。それをとめた上海がただしいと、僕は思うね」

 こいつはこんなに見識があったのか。さすがは楊偉天が傍においた小鬼だけはあるな――。
 問い詰めることがあった。でも、まだペンギンが浮かんでいる(ツバメと思うのは無理がありすぎる)。
「九郎、そろそろ露泥無を追えば?」

「哲人に言われるまでもねえ。お前らの小難しい話を聞いてられねえしな。癪だが貉を抱えてやるか」
 九郎が向きを変える。「俺の本領を見せてやら。おおよその場所さえ知れば一刻もかかんねえ」

 ペンギンが風を残す。速いというか消えた。入れ替わりにスマホが鳴る。

『ごめんね。まだ帰省中だから、お婆ちゃんもお母さんも横にいてさ』
 三石が話しだす。外からのようだ。
『さすがに近所の話をしづらいわけ』
 ほんとかよ。いきなりゴールが見えた。
『で、松本君がなんで藤川を知っているの? あれはいまどこにいるの?』

 そう簡単にはいかないか。

「地元の知り合いの知り合いの知り合いらしい」
 脳内で予行しておいた。
「よく知らないけど、トラブルがあったみたい。それで俺も聞かれて、三石が松本出身だから知っているかなと思って。匠ってのは、どういう人なの」

 流ちょうな大嘘に、琥珀が呆れていやがる。温泉ランドを過ぎる。

『こっちにいるときから、トラブルだらけだよ。松本君は関わらないほうがいいと思うけど』
 すでに関わっている俺へと『藤川匠は私の同級生。遊んだ記憶なんてほとんどない。複雑な家庭だったから、親からも言われていたし』

 ***

「ありがとう。俺も忙しいからまた連絡する」
 三石との電話を終える。

『マジで近寄らないほうがいいよ。よくない噂ばかりだから』
 彼女はかすれた声で最後に言い残す。

 信号を渡る。十分以上歩いたのに、いまだ歩行者とすれ違わない。
 藤川匠は小学五年生のときに、三石の実家のすぐ近くに越してきた。家族は父親だけで、兄弟は母親が引き取ったらしい。父親は畑や現場の手伝いで日銭を稼ぎ、昼間から酔っぱらっていたという。中学生になっても匠は華奢で小柄だったが、不良グループのリーダー的存在になっていった。男子達の噂によると、喧嘩にナイフを使ったとか。彼女とちがう高校に入ったが、すぐに中退。本来ならば、絶対に関わりたくない人間だ。
 そこで彼女の記憶の改ざんが、すこしだけ挟まった。

『誰だったかな……。とにかく、そのころ仲よくしていた子がいてさ。それと夏休みのころ、一週間ぐらい毎日遊んでいたわけ。高校一年生の、今ごろの季節。その子が藤川となかよくなっちゃってさ』
 その子とは、おそらく桜井夏奈。
『あいつは女の子関係でも非常に良くない噂ばかりだから、私の母親とかが死ぬほど心配して』

 夏休みに遊びにきた親戚の娘が、地元の不良と懇意になったらそうだろう。周囲の目によるためか、二人の関係は橋から川を見おろして話したり、河川敷の公園でならんでアイスを食べたりと、かわいいものだったらしい。……夏奈が千葉に帰ってまもなく、藤川匠の行動はがらりと変わったそうだ。

「その子はそれからも会っているのか?」
 メールアドレスは知っていた。傀儡のときに連絡したようだ。
「その子は、藤川匠のことが好きだったのか?」

 同じ年の従妹なら聞いているだろ。三石はしばらく黙りこむ。

『……ごめん。ちょっと頭痛がしてきた。それに、思いだそうとすると』

 彼女が嗚咽しだす。ねじられた記憶の向こうに、夏奈の笑顔が浮かんだのだろうか。これ以上、彼女を追いつめられない。

 藤川匠は二学期から定時制高校に入学しなおし、日中も建築現場でまじめに働きだした。でも三石が成人式で聞いた噂によると、最近はまたあやしい奴らと付き合うようになった。会社もやめて、誰にもいうことなく行方不明になった。
 それが今年の一月の話。以降の足取りを、彼女が知るはずなかった。父親は更生施設にいるらしい。手がかかりをピンポイントで当てたのに、たったこれだけしか知り得なかった。




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