三十一の二 一番じゃなくてもすごく大切なもの

文字数 4,288文字

 誰もが深刻な顔をしていた。一連の視覚は全員に届いたようだ。

「あいつは弟に傀儡の術を仕掛ける。そうなんだね? 親父と母親は大丈夫。そうなんだね?」

 俺は冷静だ。だからニョロ子は怯えなくていい。俺はみんなへ顔を向ける。

「悪いけど、俺は実家に向かう。ついでに峻計を殺す」

 この静寂は同意の印だ。おちおちしていられるか。藤川匠は命を奪うことを認めない。それ以外は黙殺する。だったら邪悪の具現である峻計は、想像できない残虐な行為を壮信にやらせられる。俺への見せしめとして。

「私も行く」
 夏奈が俺のまえに来る。「たくみ君は、あのおばさんを痛めつけるだけでゆるしてやった。やっぱりたくみ君はたくみ君だった。悪いのは手下。そいつらを殺そう。手助けさせて」

 この眼差しだ。真っ正直にまっすぐ見てくる大きな瞳。同意しかけてしまうけど。
「手先を好き放題のさばらせるのは、ボスの責任だよ。それに夏奈はただの人だ。戦えない。捕らえられて龍になる」

「ただの人間は松本君もだろ」

 たしかにその通りだ。偉そうなこと言っても、貪からも白虎からも逃げるだけだった。ドーンであった迦楼羅より弱かった。
 だからって、ここに籠もらせてもらうなどできない。戦いを魔道士やその式神に任せられない。

「俺はいまの姿でロタマモを倒した」
 唯一の自慢を口にして「ドロシー、一緒に来てくれないかな」

 中身が破綻した災難まき散らし人間だろうと、家族を救うために頼れるのは彼女しかない。峻計に白銀弾をぶち込ませる。

「おっ」麻卦さんが声を漏らした。思玲が口笛を吹いた。文句あるのか?

「へへ、当然だよ」
 ドロシーが俺へと駆け寄る。手を握ってきそうなのでポケットにかくす。……逆側にまわって左手を握りやがった。払いのけるわけにはいかない。

「いつまでたってもデカい声。全員が迷惑しているのに気づけ」

 ……夏奈がにらむのは俺だ。戦いの場へ夏奈を選べないよ。大事な人を危険にさらしたくない。

「弟のが哲人よりハンサムボーイだったな」
 思玲がいきなり言う。「実物をこの目で見たいので、私と京もご一緒する。風軍がいないのなら、桃子をレンタルしてくれ」

 思玲が横柄に麻卦さんへ頼むけど、それなら盤石だ。おそらく敵は逃げる。壮信を守れる。折坂さんと、貪の顔面がゆがむほどのキックを見舞った川田がいるなら、夏奈も不安ない。

「思玲ちゃんがデートしてくれるならいいよ。おさわりオッケーで」
 麻卦さんがにやつく。不適切にもほどがある。
「なんて言うと折坂が激怒する。なので大蔵司もモモン蛾もださない。当然だよな」

 俺の隣をにらみながら、大蔵司が「はい」と即答する。
 でも思玲には雅がいる。ドロシーに封印してもらえば、交通法規をしっかり守る尻尾を生やした車になる……意味ないか。

「都心を抜けるまで電車移動。そこからは車を借りてドロシーが運転する。急いで出発しよう」
 滅茶苦茶女が運転すれば時間がかなり短縮する。パトカーに追われたら記憶を消させよう。

「わ、私も行きます」
 麻卦さんが来てから縮こまっていた横根がやはり挙手した。そうすると川田も来る。

「横根と川田は夏奈と一緒にいて」
 彼女にはもう頼らない。

「やっぱり私は一緒に行きたい」
 夏奈が俺の前へと歩む。「戦えなくても松本君に守ってもらいたい」

ドクン

 大きな瞳はすがっていない。俺へと挑んでいる。握られていた手を振りほどいてしまう。
 それでも、

「俺がいま守るのは弟だ」
 夏奈の瞳を見つめかえす。

 夏奈も見つめかえす。俺は思いだす。俺が生き延びてきたのは、目の前にいる人のおかげ。その笑みを独占するため必死にあがいてきた。

「わかった」と夏奈が背を向ける。「またも別々。たくみ君が来たとしても、また松本君はいない」

「やっぱり私もいかない」

 隣りにいたドロシーがうつむきだす。……また自己主張が始まった。でも彼女抜きで峻計と戦うのはハードというか無謀だ。

「そりゃダメだ。お孫ちゃんは一緒に動くべきだ。さもないと……」

 麻卦さんが異様というほどに慌てふためいている。俺は混乱しだしている。俺といれば夏奈は『たくみ君』から離れるかも。峻計の結界を見抜くドロシーにこそ来てもらうべき。
 わざとらしいほどのため息が聞こえた。

「家族を守る。弟を守る。わがまま女どもより大切に決まっているだろ」
 思玲がなぜか俺をにらむ。
「決めた。哲人は私と二人だけで行く。いや行かない。イウンヒョクに頼む。なので麻卦さん連絡してくれ」

 俺を見殺しにした韓国の魔道士か。なんであれ白虎に太刀打ちできる人だ。でも、俺と思玲で餌をやっている場合ではない……。
 彼女にしては珍しく声を荒げない。なのにみんなが静まる。雨はまたやんでいる。秋雨は明晩の月も隠してくれるだろうか。
 夏奈はすぐに『たくみ君』。ドロシーはわがまま身勝手。守ることにも、すがることにも疲れてしまう。思玲だって滅茶苦茶で傍若無人だけど、この二人よりはましだ。容姿だって……人に戻った目で見てもきれいなままだし。眼鏡をはずせばそれこそ。

「王思玲は気づいているか?」
 麻卦さんが真顔で尋ねる。

「だったらどうする?」

「どうもしないよ。ウンヒョクと三人でプレイしろ。現状ならベストだ」
 麻卦さんがポケットからスマホをだしながら、
「松本君だけに話すことがある。ちょっと来てくれ」

 影添大社本社ビルへ歩きだす。またかよ。

「時間がありません。それに思玲と組むとは決めてないです。……彼女は何に気づいているのですか?」
「すぐに終わる。しかも到着時刻を大幅に短縮させてやる。そして松本君は自力で感づけ。他力だとよくないことが起きそうだ」

 やっぱり桃子を貸してくれるのかな。だったら彼のあとを追う。……感づけとはドロシーの件だ。あれが奪われたものの正体だ。だったら知る必要ない。

 ***

 麻卦さんは電話しながら地下へのスロープに向かった。急な勾配をくだる。
 意外に狭い駐車場。車は数台あるだけ。台湾から空を飛んできた大型四駆が停まっていた。
 俺は水没したスマホの電源ボタンを再度たしかめる。反応ないまま。
 麻卦執務室長が明かりも届かぬような隅で立ちどまる。

「残金? あんたは何もしてないだろ。手付けを返してほしいぐらいだ。……王思玲は隣の公園にいる。……わかった。伝える。今後は彼女がクライアントで俺はボランティアのメッセンジャーだ。なので俺から金はでない。ではアンニョンヒカセヨ」

 執務室長が電話を終えるなり振り向く。

「俺も折坂もボランティアじゃない。君達を助ける筋合いはない。なのに手助けする。その理由は無音様すなわち影添大社のためだ。それを考えて行動してくれるなら、多少は力になってやる」

 知らぬ間に手に現れた煙草に、知らぬ間に持っていたライターで火をつける。

「倒すべきは藤川匠。小便臭いガキが遠回しにのたまっていたが、要するに異形を使って世界を思いのままにしたいだけだ。それこそ悪の大魔導師だ。
貪が言っていたよな、力ある魔道士が人を従えるほうがましだと。たしかにその通り。だがそれをできるのは無音様だ。そしてあの子はそんなことをしない。諸国の魔道士同様に裏からこの世を守るだけ。つまり、あの子も藤川匠には邪魔ってわけだ。これはゆるせない」

 煙を吐きだして、ひと呼吸する。

「青龍の奪い合いだ。俺達は桜井夏奈を守る。君達は奴の配下を倒せ。そのために一番大事なものを思いだせ。ヒントはこれ以上言えない。さもないと呪をゆがませて、もっと悲惨が待つからな」

 この人は理路整然とのたまってくれたけど、肝心なことをぼかしている。“呪”とは禰宜がドロシーにかけた呪いだろうけど……。ちょっと背中が凍えてしまった。でも、そっちはどうでもいい。

「大蔵司にも夏奈を守らせる。そういうことですね。俺達だけで戦えということは、俺達にはそれだけの力がある。いまも思玲と俺だけで戦える。そういうことですね。そして俺が大切なものは全てです。一番なんて――ひとつなんてあり得ない」

 弟が狙われてよく分かった。

「松本君のオンリーワンなんて言ってないけど、案外重なっているかもな。俺の話は以上であって、聞いてもらったお礼がこれとこれだ」

 麻卦さんの手に濃紺の扇がひとつ現れる。それを振るう。片隅の空間が削げ落ち、大型バイクが現れる。白色を主体に赤と青がさしてあるスポーティなデザイン。でもとにかくごつい。

「アフリカツインだ。持ち主は、買わせるだけ買わせて足が届かず、一度も乗らずにベガスへ行った。なので自由に使わせてもらう。――洋波(ヤッパ)でてこい」

 麻卦さんがまた扇を振るう。

「わあ!」

 のけぞってしまう。扇から四対のつのをはやした巨大な鹿が現れる。薄い青色の毛肌。麻卦さんへと頭を下げる。

ヤッパ(・・・)は、妻に先立たれ傷心だ。大蔵司に頼んだが、なんでも連れ戻せるわけではないようだ。で、こいつの仇である娘がいかないのだから、こいつをバイクに封印できる。……ここから先は見せられない。呪文も聞かせないから先に戻ってくれ。いくら空飛ぶ軽自動車の目撃情報があろうとな」

「貸してくれるのですね。ありがとうございます」
 お礼を言うべきに決まっている。俺達を死地に向かわせるためだとしても。

「飛び蛇のおかげで機先を制したかもしれない。必ず仕留めろ」

 そんな声を聞きながら、俺は一人でスロープを登る。
 麻卦さんにとっては、俺の弟より峻計を倒すことが大事らしい。仲間の女子達は無条件に手助けを望んでくれた。どちらにも感謝して、思玲と故郷へ向かう。
 また雨が降っていた。それでも空の明かりが差し込む。入り口をでたところにドロシーがいた。

「ごめんなさい。やっぱり私が行きたい。……みんなと会った途端、なんだか離れていきそう」

 この女は自分の都合を押し付けるだけ。

「なにが?」俺は笑みをつくって尋ねる。

「なにって……」
 ドロシーはうつむく。それでも俺と並んで歩く。
「やっぱり行かない。夏奈さんをゼ・カン・ユから守るから、無事に帰ってきて」

「ありがとう」
「哲人さんにだけ教えるね。告刀の儀式で何があったか」
「誰にも言っちゃ駄目だよ」

 そのせいでこいつがどうなろうと勝手だけど、まだ戦力になってもらわないと……。

「ドロシーの一番大事なものって、なんだったのかな?」
 なんとはなしに聞いてしまう。

「パパとママの思い出」
 彼女は即答する。「でも奪われなかったから平気」

 胸がきゅんとした。無茶苦茶ドロシーをせつなく感じてしまった。
 二人は濡れて歩く。




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