四十四の二 死なせないよ、絶対に
文字数 3,172文字
露泥無である闇が薄らいでいく。コウモリが俺達を見おろしている。サキトガは巨大でなくなった。
「露泥無!」
察した白猫が飛びでる。珊瑚が濡れたように光り、闇へと祈り始める。俺は彼女の盾となる……。
露泥無のせいで地上戦じゃないか。藤川匠がゆっくり歩み寄る。
「やっぱりサキトガはその姿が似合う。傷ついたためだとしても」
藤川が涼しげに笑う。
俺がまずすべきこと。サキトガを倒し、ドロシーを復活させる。コウモリめ降りてこい。
『おっしゃるとおり俺はダメダメですよ。もう姿も隠せませんし』
こいつは俺の心の叫びを聞き流しやがった。
『祓いの者に喰らった傷だから、癒してもらっても簡単には治りません』
つまりサキトガは無力。露泥無が言っていたな。魂だけのドロシーでも俺の呼び声に応えるかもと。
『貉も適当だな。だったら呼んでみろよ』
サキトガはこういう心には即答する。
『さっきは、たまたま貉の声が聞こえただけ。覗き見していやがると小突いたら、怒りに満ちた松本が現れて腰が抜けかけたよ。キキキ』
サキトガは俺の手にある独鈷杵を見ている。俺を警戒している。やはりこいつは弱っている。独鈷杵がかするだけで終わりかも。だとしたら、こんな状態でなぜに現れた?
「ドロシー!」心を込めて叫ぶ。
『もっと精魂を込めな』
サキトガが俺へと笑い、ふいに目をはずす。
『匠様。松本が不思議がっていますよ。楊偉天と手を組むなんて、生まれ変わって脳みそが腐ったかと』
そんなことは思っていない。サキトガは宙に浮かぶ老人を一瞥し、
『ロタマモの代わりに諫言しますよ。こいつらは悪人ですって。ロタマモの仇である松本よりも、この爺さんこそ倒すべき存在です』
思いだした。使い魔達は楊偉天の仇敵だ。邪悪同士でいがみあう存在だった。
「ヒヒヒ、蝙蝠よ、ひさしぶりだな」
鏡から這いでた老人が笑う。
「お前も死者の書で調べたぞ。人を喰らう真の魔物が改心したとはな。藤川よ。それを知ったからには、儂はこいつを許す。それこそが書の導きだ」
改心ってなんだ? サキトガは俺の心に答えてくれない。
『俺なんかまで調べちゃったの? キキキ、死者の書に囚われちゃったの?』
老人へと笑い、主である藤川匠へ目を戻す。
『ロタマモはこいつを許しませんぜ。人を異形に変え、失敗すれば鬼や鴉の餌だ。2,1,0』
サキトガは飛んできた炎をさらりと避ける。
『土壁、いまのはモーションの少ないエレガントな攻撃だったな。竹林やめろって。念波は復活しているんで、跳ねっかえしがなければ、いまの俺でもお前に勝てる。
匠様、耳の穴は開いてますか?』
藤川匠はサキトガに目を向けない。地上からどけられない俺だけを見ながら、
「お前の進言はまだ聞かない。僕は知らないとならない。なぜ、いまの世に東洋のはずれの豊かな国に転生したのか。この国でなにをすべきなのか」
剣を両手で持つ。
「楊さんの死者の書。もしくは神殺の鏡。その導きを受けてみよう。そのために松本から青龍の光を取りもどす」
俺へとかまえる。
……大人だった思玲が言っていたな。護布をまとわぬ月神の剣で、俺達に宿した異形だけを消せるかもと。荒っぽいやり口だと。それを藤川匠ができるというなら……、青い光を失ったら俺は終わりだ。
空から星が消えていく。風が強まる。
夏奈は抱きあった俺と横根に感づいたみたいだ。嫉妬心だろうと、ようやく龍は天下へと目を向けた。ならば俺はなにも知らなくていい。ここにいる全員を倒すだけ。
腹からリュックをだす。
「露泥無、やっぱりこれを守って」
つまり四玉も。復活したかも分からない闇へと声をかけて、俺は立ちあがる。
「横根は俺に頼れよ。もっともっと」
ドロシーのリュックが闇に消える。……完全なる闇に化したな。天珠が俺から離れていくのを感じる。
藤川匠が俺へと駆ける。上空では、老人が杖をかかげる。コウモリは不満げだ。
「え? ……うん」
白猫が俺に飛びこむ。彼女の魂が俺に抱きつく。
「……いまだけ松本君の彼女だよ。ぜ、絶対に死なせないよ、絶対に!」
横根の感情が炸裂する。彼女が手にした十字羯磨が光る。俺達は白く輝く結界に包まれる。ピュアだけど強い結界だ。
「無駄だよ」
破邪の剣が結界を両断する。俺は上空に逃げる――すぐに結界に包みなおされて、楊偉天の朱色の光を跳ねかえす。
浮かぶ老人が俺達の横に現れる。杖をかかげる。
「法具の仕業か」
楊偉天が杖をおろす。「白虎くずれめ。いや、沈め!」
結界が粉々に砕けるが俺達は無傷だ。結界は次の瞬間に復活する。
「松本君、分かるよ!」横根が俺を見あげる。「川田君達はあそこだ!」
舞台の下を指さす。
俺にはなにも分からないけど、当然そこを目指す。
獣人達が陣を組む。首がひとつだけになった巨大な犬も移動しやがる。そいつへと独鈷杵を投げ、まがまがしい五叉槍にはじき返される。
隻腕の異形も闇から姿をだす。
「コ・ウトウ、一緒にやろうぜ」
土壁が魔道具をかまえる。
「火焔嶽!」
異形の犬二匹が放つ炎が合流して……焔暁の強火クラスだ! 避けきれない。結界の中で護布を前にまとう。
灼熱を突破する。溶けた結界は瞬時に復活する。焼けた体も回復していく。あばら家がとばっちりを受けて燃えだす。
「土壁やめてくれ! 儂の言葉に従え」
上空でまた老人が騒ぐ。
横根は目をつむっている。俺は独鈷杵を投げる。獣人が一人消えただけ。
俺は振り向く。藤川匠は剣を空へとかかげていた。またも煌々と輝く。
その光に従うように、嵐の兆しがおさまっていく。また夏奈が遠ざかる。
『キキキ、横根瑞希。これぞ本物の結界だな』
上空でサキトガが笑う。
『だけど松本から青い光が去っていくまで、あと51秒。50,49…』
俺に惑わしはきかないだろ。まずは川田とドーンを助ける。
燃えた廃屋が周囲を照らす。黒煙のさきで陽炎の結界が揺らいでいる……。
前回のバッドエンディングなど思いだすな。前方には土壁、背後には藤川匠。上空にはサキトガ、竹林、楊偉天……。目が痛い。
なにも考えるな。
「川田! ドーン!」俺は叫ぶ。
「私の感が高まっている」
白猫が顔だけをだす。「あそこだよ、絶対に」
伸ばした爪で指し示されても、どこだか分からない。
「サキトガは避難しろ」藤川匠が命じる。「お前が死ぬとヤバいのだろ?」
……ドロシーのことだ。使い魔の片割れに逃れられたら、彼女と二度と会えないかも。
「余計なことを考えるな!」
白猫が爪で俺の頬を掻く。
「二人はここ!」
十字羯磨をくわえた白猫が飛びおりる。
俺を包む結界が消え、結界に包まれた横根が駆けていく。白猫は土壁の振りおろした火焔嶽をはじき返す。獣人達の足もとをすり抜け、見えない結界にはじき飛ばされる。
見つけた!
「ドーン! 川田!」
俺は独鈷杵をぶんぶん振りまわしながら進む。
「きゃっ」
結界をはたいたようで、小柄な大カラスが地面に転がる。獣人達が俺に恐れをなしやがり、転がるように逃げて道を開けた。
土壁すら後ずさる。巨大な犬だけが激怒の面で炎を吐く。
俺は護布を盾にする。紅蓮の炎へと独鈷杵を投げる。灼熱が遠ざかり、犬は溶けて崩れていく。手に法具は戻ってくる。白猫は恐怖の面で俺を見ている。……いや俺の背後を。
『2.1』上空からのカウントダウン。『ジャスト』
ズザン
むき出しの背中に衝撃を受ける。なのに痛くはない。
「サキトガ、道しるべなどぐちゃぐちゃの世界だね」涼しげな声。「一撃で決められなかった。切断したのは弱い異形の光だけだ」
火災の熱が背後をあぶる。赤い灯が灯るだけの真っ暗な世界。視力が人並みに戻っている。俺の体から異形の力が消えたから……。
右目の痛みは消えて、人としての痛みが全身に復活していく。
次回「人だろうが何だろうが」
「露泥無!」
察した白猫が飛びでる。珊瑚が濡れたように光り、闇へと祈り始める。俺は彼女の盾となる……。
露泥無のせいで地上戦じゃないか。藤川匠がゆっくり歩み寄る。
「やっぱりサキトガはその姿が似合う。傷ついたためだとしても」
藤川が涼しげに笑う。
俺がまずすべきこと。サキトガを倒し、ドロシーを復活させる。コウモリめ降りてこい。
『おっしゃるとおり俺はダメダメですよ。もう姿も隠せませんし』
こいつは俺の心の叫びを聞き流しやがった。
『祓いの者に喰らった傷だから、癒してもらっても簡単には治りません』
つまりサキトガは無力。露泥無が言っていたな。魂だけのドロシーでも俺の呼び声に応えるかもと。
『貉も適当だな。だったら呼んでみろよ』
サキトガはこういう心には即答する。
『さっきは、たまたま貉の声が聞こえただけ。覗き見していやがると小突いたら、怒りに満ちた松本が現れて腰が抜けかけたよ。キキキ』
サキトガは俺の手にある独鈷杵を見ている。俺を警戒している。やはりこいつは弱っている。独鈷杵がかするだけで終わりかも。だとしたら、こんな状態でなぜに現れた?
「ドロシー!」心を込めて叫ぶ。
『もっと精魂を込めな』
サキトガが俺へと笑い、ふいに目をはずす。
『匠様。松本が不思議がっていますよ。楊偉天と手を組むなんて、生まれ変わって脳みそが腐ったかと』
そんなことは思っていない。サキトガは宙に浮かぶ老人を一瞥し、
『ロタマモの代わりに諫言しますよ。こいつらは悪人ですって。ロタマモの仇である松本よりも、この爺さんこそ倒すべき存在です』
思いだした。使い魔達は楊偉天の仇敵だ。邪悪同士でいがみあう存在だった。
「ヒヒヒ、蝙蝠よ、ひさしぶりだな」
鏡から這いでた老人が笑う。
「お前も死者の書で調べたぞ。人を喰らう真の魔物が改心したとはな。藤川よ。それを知ったからには、儂はこいつを許す。それこそが書の導きだ」
改心ってなんだ? サキトガは俺の心に答えてくれない。
『俺なんかまで調べちゃったの? キキキ、死者の書に囚われちゃったの?』
老人へと笑い、主である藤川匠へ目を戻す。
『ロタマモはこいつを許しませんぜ。人を異形に変え、失敗すれば鬼や鴉の餌だ。2,1,0』
サキトガは飛んできた炎をさらりと避ける。
『土壁、いまのはモーションの少ないエレガントな攻撃だったな。竹林やめろって。念波は復活しているんで、跳ねっかえしがなければ、いまの俺でもお前に勝てる。
匠様、耳の穴は開いてますか?』
藤川匠はサキトガに目を向けない。地上からどけられない俺だけを見ながら、
「お前の進言はまだ聞かない。僕は知らないとならない。なぜ、いまの世に東洋のはずれの豊かな国に転生したのか。この国でなにをすべきなのか」
剣を両手で持つ。
「楊さんの死者の書。もしくは神殺の鏡。その導きを受けてみよう。そのために松本から青龍の光を取りもどす」
俺へとかまえる。
……大人だった思玲が言っていたな。護布をまとわぬ月神の剣で、俺達に宿した異形だけを消せるかもと。荒っぽいやり口だと。それを藤川匠ができるというなら……、青い光を失ったら俺は終わりだ。
空から星が消えていく。風が強まる。
夏奈は抱きあった俺と横根に感づいたみたいだ。嫉妬心だろうと、ようやく龍は天下へと目を向けた。ならば俺はなにも知らなくていい。ここにいる全員を倒すだけ。
腹からリュックをだす。
「露泥無、やっぱりこれを守って」
つまり四玉も。復活したかも分からない闇へと声をかけて、俺は立ちあがる。
「横根は俺に頼れよ。もっともっと」
ドロシーのリュックが闇に消える。……完全なる闇に化したな。天珠が俺から離れていくのを感じる。
藤川匠が俺へと駆ける。上空では、老人が杖をかかげる。コウモリは不満げだ。
「え? ……うん」
白猫が俺に飛びこむ。彼女の魂が俺に抱きつく。
「……いまだけ松本君の彼女だよ。ぜ、絶対に死なせないよ、絶対に!」
横根の感情が炸裂する。彼女が手にした十字羯磨が光る。俺達は白く輝く結界に包まれる。ピュアだけど強い結界だ。
「無駄だよ」
破邪の剣が結界を両断する。俺は上空に逃げる――すぐに結界に包みなおされて、楊偉天の朱色の光を跳ねかえす。
浮かぶ老人が俺達の横に現れる。杖をかかげる。
「法具の仕業か」
楊偉天が杖をおろす。「白虎くずれめ。いや、沈め!」
結界が粉々に砕けるが俺達は無傷だ。結界は次の瞬間に復活する。
「松本君、分かるよ!」横根が俺を見あげる。「川田君達はあそこだ!」
舞台の下を指さす。
俺にはなにも分からないけど、当然そこを目指す。
獣人達が陣を組む。首がひとつだけになった巨大な犬も移動しやがる。そいつへと独鈷杵を投げ、まがまがしい五叉槍にはじき返される。
隻腕の異形も闇から姿をだす。
「コ・ウトウ、一緒にやろうぜ」
土壁が魔道具をかまえる。
「火焔嶽!」
異形の犬二匹が放つ炎が合流して……焔暁の強火クラスだ! 避けきれない。結界の中で護布を前にまとう。
灼熱を突破する。溶けた結界は瞬時に復活する。焼けた体も回復していく。あばら家がとばっちりを受けて燃えだす。
「土壁やめてくれ! 儂の言葉に従え」
上空でまた老人が騒ぐ。
横根は目をつむっている。俺は独鈷杵を投げる。獣人が一人消えただけ。
俺は振り向く。藤川匠は剣を空へとかかげていた。またも煌々と輝く。
その光に従うように、嵐の兆しがおさまっていく。また夏奈が遠ざかる。
『キキキ、横根瑞希。これぞ本物の結界だな』
上空でサキトガが笑う。
『だけど松本から青い光が去っていくまで、あと51秒。50,49…』
俺に惑わしはきかないだろ。まずは川田とドーンを助ける。
燃えた廃屋が周囲を照らす。黒煙のさきで陽炎の結界が揺らいでいる……。
前回のバッドエンディングなど思いだすな。前方には土壁、背後には藤川匠。上空にはサキトガ、竹林、楊偉天……。目が痛い。
なにも考えるな。
「川田! ドーン!」俺は叫ぶ。
「私の感が高まっている」
白猫が顔だけをだす。「あそこだよ、絶対に」
伸ばした爪で指し示されても、どこだか分からない。
「サキトガは避難しろ」藤川匠が命じる。「お前が死ぬとヤバいのだろ?」
……ドロシーのことだ。使い魔の片割れに逃れられたら、彼女と二度と会えないかも。
「余計なことを考えるな!」
白猫が爪で俺の頬を掻く。
「二人はここ!」
十字羯磨をくわえた白猫が飛びおりる。
俺を包む結界が消え、結界に包まれた横根が駆けていく。白猫は土壁の振りおろした火焔嶽をはじき返す。獣人達の足もとをすり抜け、見えない結界にはじき飛ばされる。
見つけた!
「ドーン! 川田!」
俺は独鈷杵をぶんぶん振りまわしながら進む。
「きゃっ」
結界をはたいたようで、小柄な大カラスが地面に転がる。獣人達が俺に恐れをなしやがり、転がるように逃げて道を開けた。
土壁すら後ずさる。巨大な犬だけが激怒の面で炎を吐く。
俺は護布を盾にする。紅蓮の炎へと独鈷杵を投げる。灼熱が遠ざかり、犬は溶けて崩れていく。手に法具は戻ってくる。白猫は恐怖の面で俺を見ている。……いや俺の背後を。
『2.1』上空からのカウントダウン。『ジャスト』
ズザン
むき出しの背中に衝撃を受ける。なのに痛くはない。
「サキトガ、道しるべなどぐちゃぐちゃの世界だね」涼しげな声。「一撃で決められなかった。切断したのは弱い異形の光だけだ」
火災の熱が背後をあぶる。赤い灯が灯るだけの真っ暗な世界。視力が人並みに戻っている。俺の体から異形の力が消えたから……。
右目の痛みは消えて、人としての痛みが全身に復活していく。
次回「人だろうが何だろうが」