九の二 ハーフムーン前夜祭

文字数 2,974文字

 あちこちから墓石を崩す音が聞こえだした。

「全部倒すつもりかね」
 背後からフサフサの声がした。こいつの神出鬼没に慣れてきて、もう驚きはしない。
「見通しをよくするつもりかい。ジューショクがさぞ怒るだろうね」

 沢山の墓石が、俺達を空を飛ぶ異形から守っている。それがなくなっても瓦礫の下で息をひそめ続けていれば……朝になるなり無数のカラスが登場しそうだ。
 それより護符だろ!
 俺は野良猫に手を伸ばす。木札をくわえていなかった。

「でかぶつに襲われたときに落としたみたいだね」
 左手を伸ばしたままの俺へ平然と言う。

「ど、どこに?」
 横根のがあわてている。

「覚えているはずないだろ。ハカバのどこかは間違いないけど」

バッサバサバサバサ

 ばかでかい羽音ともに、二列ほど向こうの墓石が軒並み崩れる。その奥にまともに立つ墓石はほとんどない。いずれあぶりだされる。

「呼ばれて何度も来てやったのだから、私だけ逃げていいかい? すばしこいこの娘なら、連れていってやるけどね」

 ふわふわとしか動けない俺は自力で逃げろ。という意味か。

「わ、私は松本君と残る! ここからは私達だけで頑張るから、はやく逃げてください」
 白猫が野良猫を顔で押す。

 ノミがうつるなんて指摘できない。横根だけでも逃がしてもらい、思玲を呼んでもらうべきだよな。でもこの猫を信じられるのか? またおとりなんかに使われたら。

「……そんなこと言われるとはね。こいつは図太いから平気だと思うがね」
 野良猫が白猫から顔をそらす。「木札を見つければいいのだろ。ちゃんと守っておくれ」

 フサフサが飛びだした。散乱する小道を駆け抜ける。
 こいつ以外に信じる誰がいる! 俺も覚悟を決める。小道にでて姿を露わにする。

「カラス、四神くずれはここだ!」
 背後から罵声。横根もおとりになるつもりだ。「死ねや、ボケ、カス!」

 彼女と思えぬ語彙力だが、あおりすぎだろ。

「食い殺す!」上空から大カラスの声が響く。

 空からの怒気。白猫が崩れた石の隙間にもぐる。そこへと流範が降りる。横根の絶叫が潰れる。大カラスは石をくちばしで放り投げる。横根をむき出しにする気だ。
 俺になにができる? あがけ! 思いつけ!

「後ろに思玲がいるぞ!」

 俺の叫びに、流範がびくりと反応する。逃げるように舞いたつ。
 重みがなくなり、白猫が石の隙間から這いでる。抱きおこした俺に、うす汚れた白猫が笑みを返す。強い横根をかばいながら小道を行く。隠れられる場所を探す。
 背後から突風。横根を抱いたまま横に転がる。黒い影が通り過ぎる。直撃せずとも風圧にはじかれる。頭を強く打つ。




「……君、起きてよ」

 弱い力が襟元を引っぱっる。妖怪のくせに脳震盪を起こしたみたいで頭で理解できない。

「哲人、見つけたよ!」

 野良猫の声が聞こえる。なにを見つけた……木札だ!

「思玲、助けに来てくれたのね」

 横根の声もした。助かるかも。目を開けると真っ黒な巨体があった。きょろきょろとあたりを見回している。
 白猫が俺を覗きこむ。

「逃げるよ」

 俺の手を噛んで引きずろうとする。痛いが、おかげで意識が覚めた。
 思玲などいない。つけ刃の機転を横根も用いて、俺も引っかかっただけだ。這うように横根と歩く。隠れ場所隠れ場所……。

「こざかしいのは日本人だからか?」
 流範がぴょんぴょんと俺達の横を跳ねる。「手を取りあっての逃避行も終点だな」

 隠れるところなんてない。フサフサだって今さら合流できない。終わりが近づいたと感じてしまう。

「俺にも仲間はいた。あいつは置いといて、焰暁は大酒飲みで楽しい奴だった。酒が苦手な竹林も、果汁みたいなアルコールではしゃいで俺達を笑わせた」
 流範は一羽で喋る。弄ばれている。
「だが二羽とも奴らに殺された」

 横根がなにかにつまずく。巻きこまれて俺もふわりと転ぶ。

「もう一度、みんなで飲みたかったな」

 流範が俺達の前にくちばしを差しこみ、無理やり起きあがらせる。もう歩けない。

「思玲がいるぞ」
 そんな言葉でしか抵抗できない。

 大カラスが振りかえる。
「よお穴熊。あいかわらずの仏頂面だな」
 挨拶みたいに片羽根をあげる。あざけた顔を俺達に戻す。
「辛気くさい名前をだすな。もうすこし話を聞け」

 俺達は流範のくちばしと目玉を見つめるだけだ。

「まず焰暁がやられた。俺は遠く離れていたが感じとれた。そのあとに竹林だ。あのチビは結界をまとって飛べたのだぜ。逃げられただろうに、焰暁の野郎が死にやがって動転したのかな」
 流範が寂しげに笑う。
「お前達だって仲間が死ぬのはつらいだろ。だから選ばせてやる。どちらが先にもだえて死ぬか、どちらが片割れの抜け殻を見るか。俺は四玉探しが振りだしに戻るだけだ」

 俺は横根である白猫を抱える。服の中に隠そうとする――横根はひげを立てていた。

「化けカラス、思玲だよ」フサフサの声。

 流範があきれ笑いをうかべて振り返る。
「いい加減にしろよ。何度も」

 その足もとに灰色の影が突進する。流範は動じない。後ろ爪を蹴りあげる。野良猫はその動きが分かっていたように、寸前で向きを変える。俺のもとへ転がりこむ。
 口もとから木札を落とす。

「お札まで、呼びやがった。お前を、守りたい、ようだ」

 荒い息だ。どれだけ全力疾走してくれたのか。俺は木札を拾いあげる。凄まじいまでの存在感。野良猫をかばうため前に這いでる。流範へと突きだす。

「護符? そんなものを必死に探したのか」
 流範はあざ笑う。
「面と向かったところで……、たしかに力はありそうだな。だが俺に勝ると思うのか? お前の死にざまを、猫どもに見せてやる」

 流範が羽根をひろげる。じきの半月を越えて上空に消える。

「木札ごとばらばらにしてやる。キジムナー、マタヤー」
 異形のカラスの声が空鳴りのように響く。

「その札は私のよだれでびっしょりだろ。猫の気配にまみれている」
 背後のフサフサが息を整えながら言う。
「だから奴はその怖さに気づけなかった」

 風切り音が向かってくる。俺は木札を両手でつまみ上空にかかげる。次の瞬間にはじき飛ばされる。


 でも痛くはない。猫達がクッションになってくれたからではない。振り返ると、横根は呆然としたままだ。

「本当にやっつけちまったよ。とんでもないお札だね」

 フサフサが俺の横にくる。前へと目を見開いている。そこから流範の歪んだ声が聞こえる。もうあんな光景は見たくないけど、俺も顔を向ける。

「畜生……。俺のご自慢を……」
 流範は地面でもだえていた。そのくちばしは折れ曲がっていた。
「キジムナーもどきめ。まだ爪がある」

 流範はよろめきながらも飛びあがる。残る墓石に着地する。
 俺は木札を再び向ける。大カラスがひるむ。その背後に人影がふっと現れた。かまえた両手をゆったりと静止させる。
 どのみち、このカラスはおしまいだ。

「思玲がいるぞ」俺はつぶやく。

 女魔道士が扇と小刀を交差させる。金色と銀色の光が螺旋をえがく。流範は羽根をひろげ飛びあがる。その片羽根に螺旋の光が直撃する。

ガァーアーアー……

 悲鳴が轟く。その残響の中を、流範はよたよたと飛び去る。

「やった……。やったぞ」
 月光が眼鏡に反射する。思玲の顔が暗闇に浮かびあがる。
「あの大鴉の羽根を潰した。もう二度と、速き流範などと呼ばれない」




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