一の二 揺れる脳みそ

文字数 2,208文字

「ドントウォ~リ~。ユー、リメンバー、ナッシング」

 もう一人が欠伸しながら言う。
 この子はかわいくて生意気だ。俺に目も向けない。

「スーリンちゃんは子どもだよ」
 俺は言葉でしか抗えない。あの子を売るわけにはいかないし、俺の記憶をいじるなんて論外だ。
「警察を呼ぶよ」
 こんな言葉でしか抗えない。

『日本人、英語で話してよ。私にも分かるように』

 いきなり脳みそが揺れる。頭の中に言葉が飛びこんできた。
 なんだ今のは?

『日本の若者とちがって、私達は暇じゃないの』

 さらにねじこんでくる。中国語(広東語だな)なのに、母国語のように意味が伝わる。心に釘を打ちこまれたようで、あの声と同じじゃないか。ただ、この声は……つまらなさそうにしている、かわいい子の声だ。

ニョロッ

 足もとをさすられたような不快感に俺は転ぶ。あやうく手をつき地面を見る。当然だけどなにもいない。でも、そんなはずはない。
 シノが俺を見おろしている。もう一人はなにもない地面へと微笑んでいる。……こいつらは危険すぎる。

「いい加減にし……、やめてください」
 俺はショートヘアの女に声をかける。もう一人が舌を打つ音がした。そうだ英語だ。
「シー、ステイズ、ザッツルーム。(彼女はあの部屋にいます。俺は英会話をそこそこできる)」
 川田という人のアパートを指さす。

『彼女はいなかった。もぬけの殻』

 また心に声が飛びこむ。頭がぐらつく。英語で話したのだから英語で返せよ。声の主はそっぽを向いている。

『どこにいるの? 待たせないで』

 連発だ。吐き気がしてくる。立ちあがり逃げようとするが、足もとになにかがからまっている。なのになにも見えない。

「ドロシー! グオドー!」
 シノがもう一人へと怒鳴り、俺の前にしゃがむ。「あきらめは必要です。さあ教えてください」

――来ないとは思うが、ドロシーってかわいい娘には気をつけろ。あの自称天才少女は人を人扱いしない。出会ったのならば……、あきらめろ

 なにが来るのは一人か二人だ。名前をあげた連中が集結しているじゃないか。

「分かりました。では一緒に行きましょう」
 オッケー、レッツゴー、ツギャザー。
 俺は英語で降伏する。あきらめた振りをする。
「だから足の下にいるだろう怪物をなくしてください。それと、もう心へと話さないでください」

 足もとがすっと軽くなる。焼けたアスファルトに手をついて立ちあがる。……逃げる手段を考えろ。あれを使うか? いや相手は若い女性だ。ならば。
 俺はポケットを探る。これの説明をしたとき、スーリンは性根の悪そうな笑みを浮かべたな。

――諸刃の剣だ。鬼がでるか蛇がでるか分からぬ(小学生がネットで学んだ言い回しだ)。枯れて術は弱まっているが、ただの人間であるお前が使ったら相手は驚くに決まっているな

「その前に煙草を吸わせてください」
 俺は返事もきかずに口もとに手を寄せる。あの朝にポケットに入っていた草笛をくわえる。

シーン

 音などならない。なのに二人の顔色がみるみる変わる。奏でろと、もっと強く息を吹きこむ。

「カ、カオリン……」
 シノがつぶやく。彼女のカバンからスマホが鳴る。

『だから? 草鈴なんか吹いて誰を呼ぶの? ヘヘ、しかも音漏れしてない?』

 ドロシーのあきれた声が飛びこむ。
 彼女のリュックからも同じ音が鳴る。これは警報音だ。

「アンディ!」
 シノが怯えた顔で走りだす。

「シノ、モーマンタイ!」
 ドロシーが逃げていく相方に呼びかける。とまどいながら、背中から迷彩柄のリュックをおろす。手を突っこみ、やかましい警報音をとめる。更になにかを取りだそうとする。
『ケビンには聞こえた。お前の記憶を消すべきだな』

 この女の声は警報音よりもうるさい。

「言葉を口から伝えろ!」

 俺は日本語で怒鳴る。せめて、やさしく語りかけろ。
 彼女がびくりと動きをとめる。ちょっとだけ見つめあって目をそらされる。

『……その声、どこかで聞いたかな』
 心への声はやめる気ないようだ。
『お前はもうしばらく私達のことを覚えていろ。だから王姐(ワンヂェ)に伝えろ。逃げるだけだと、魔道団も本気になるだけだと』

 そしてリュックを片方の肩にかけて、俺へと投げキスをする。「再見」と彼女も去っていく……。
 俺は灼熱の日差しに照らされていたことに気づく。声を打ちこまれた不快感と頭痛の中で、姉御のように呼ばれた女の子の話を思いだす。

――香港魔道団。大陸で一二を争う魔道士団だ。私は金銭的問題だけでなく、ヤンウェイテンとの関係も疑われているらしい。あのジジイは連中になにかやらかしたな。ふざけた話だが洒落にならない。香港に連行されてまた喚問だ。ゆえに逃げるぞ

 俺は反対側へと踵をかえし全力で走る。吐き気すらする頭痛のうえに、爆弾のような太陽が容赦なく照らしつける。
 深入りすべきではなかった。いつだったかスーリンが、言いだしにくそうに切りだした話まで思いだす。

――ドロシーからの話、やはり告げておくべきだな。桜井は龍になった。香港が言うのだから間違いないのだろう。ただヤンには従っておらず、微細な厄災さえ起こしてないようだ。しかしだな、師傅が恐れていたとおり、あちこちの魔道士がこの国に来ている。たとえ私の力が戻ろうと立ちゆかぬ次元になってしまったな。
 だが、お前にその気が戻ったのならば、無論付き合う

 すべてが論外だ。同行してもらおうが行きたくもない。




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