三十八の二 亀となるか蛇となるか

文字数 5,040文字

 情報がクラッカーのように飛びでてきた。

 不死身の悪しき龍。
 だから鏡に封じられていたのか。
 聞いてはいた。ではどうやって戦う?
 麻卦さんは俺達に託した。俺達ならばできるのだろう。

 手負いの虎。
 より凶暴なのだろう。明日の夜には殊更(ことさら)
 餌になれと言われた。俺も思玲もなるはずない。懲りている。だけど満月を迎えさせるわけにはいかない。おびき寄せる餌はない。

 龍の資質だけを抜きだせる。
 夏奈のハッピーエンドが見えた。人を龍に変えるものを、不夜会が上海へ持ち帰ろうとも。

 ドロシーが受けた呪い。
 いまは彼女の温かい手とつながっている。この手を離したくない自分がよみがえっている。なので消してあげたい。
 わかってきてもいる。
 彼女は人を取り込まない。惹きつけるだけだ。

 俺が受けた呪い。否定したら、大姐は肯定しなかった。……受けたけど受けていない呪い。この戦いが終わったら、麻卦さんを問い詰めよう。もしくは無音ちゃんを。

 火伏せの護符の存在は、沈大姐とデニーに見せるまでもなく知れた。
 十二磈やムカデの化け物には通用する。でも峻計のように、知恵ある敵は護符から逃げる。

 魂が削れた思玲と生き延びた峻計。
 善と悪は、また相まみえるかもしれない。

「我が師傅は、貪だろうと倒せると言っていたが」
 思玲が眼鏡の縁をあげる。

「倒すだけならな。復活させないとなると、劉昇と私とデニーと楊偉天。キムジジイが白虎を連れ、魔道団から梁勲と、老大大(くそババア)が参加する。そしたら可能だ」
 大姐が言う。「ドロシーならば戦いを見学できる。思玲は無理だ」

「貪を過大評価しすぎです。そのメンバーが必要なのは……別の龍でしょう」
 デニーが俺をちらりと見る。

「藤川匠は貪を従えた。でも貪は、奴でなく月神の剣に怯えた。強力な魔道具があれば龍を倒せると思います」
 俺は沈大姐へと言う。

「松本は、その娘が持っていた純然たる白銀弾のことを言っている」
 沈大姐がドロシーを顎でしゃくる。
「だが溶けて消えた。広州の偽物マーケットでエルメスやヴィトンと一緒につかまされたのだろ」

「だったら月神の剣を手に入れましょう!」
 ドロシーがふいに大声をだす。「……手にしたい。ゼ・カン・ユをさきに倒そう」

 彼女は隠している。いまだ純度百の白銀弾を持つことを。つまり貪の餌になるのを実践してくれる。俺の作戦が正解なのか、今さら心はぶれかけている。でも俺だって存在を暴露しない。だってこの人達は夏奈を人として扱わなかった。龍の入れ物としか見ていなかった。……でも師傅と違い、いきなり殺そうとはしなかった。

「貪は封じる。それが結論だ」
 デニーはドロシーの発言を無視して、ポケットから青色で細長い石をだす。螺旋状の模様と象形みたいな文字が描かれている……天珠だ。
「大姐から預かったものだ。聞き覚えあるだろうが賢者の石とも呼ばれる。極めて貴重で神聖な代物だ。瀕死にしてここに閉じ込める。それならば可能性がある」

「……分かりました。協力します」
 俺はうなずく。別の意見を持っていない。

 それ以上誰も意見をださず、沈黙が束の間流れた。

「あっそうだ。思玲、あれをだして」
 横根がふいに言う。思玲が肩掛けバッグから横笛をだす。
「おかげでカラスは人に戻れました。なので不要になりました。ありがとうございました」

「私のコレクションは、藤川匠の一撃ですべて消えた。四十年使い続けた二胡もだ」
 沈大姐がぞんざいに受けとる。
「十字羯磨と珊瑚と護布。すべてが終わったら、すべてデニーに渡せ」

「珊瑚? 護布?」

 思玲の目の色が変わったぞ。大姐との口約束を伝えていなかったというか、都合いいほどに忘れていた。

「わ、私も儀式を受けます。なので夏奈ちゃんを呼びましょう」
 横根は続いて手をあげた。懇願の眼差し。
「駄目ならば、私とドロシーでもできるはずです。彼女には龍の資質もあるのですよね」

「駄目だ」と思玲が言う。「二度と瑞希を異形にさせない。ここでハラペコと寝ていろ」
 それからデニーを見つめる。
「だが桜井単独で治験してもらいたい。是非にだ」

「……どうしたものですか?」デニーが大姐に尋ねる。

「なんで躊躇する? お前が首領だろ。決断を見せてくれ」

「僕が意見を言わせてもらえるならば、まだすべきでありません。もちろん千葉での大姐の判断を非難しているわけではないです」
 茶碗をトレイに乗せて露泥無が戻ってきた。
「デニーお(かしら)は、まずは志願者で試すべきと思っているのでは。その結果で判断すべきと。もちろん先ほどの大姐を暗に咎めてなどいません」

「べきべきべきべき言うな。昼間とは状況が違うだろ。あのときは、影添大社は金だけ数え、松本は桜井を置いて駆けずりまわり、裏切るまえの飛び蛇がそれを眺めていた。龍を試すのが最善だったんだよ」
 またまた大姐が仕切りだした。
「その蛇は猟犬だ。私達が狩る立場になった。なので龍も急いで試す必要ない。……そういや蛇の名前は聞いたのか?」

「忍です。改名しました」

 ドロシーが誰よりも先に言う。……彼女は賢い。彼女も気づいている。
 おそらくデニーは式神を名前を呼ぶことで奪う。

「忍か。よい名をもらえたな。――松本は、護符の存在をひた隠した小賢しい蛇に命じてほしい。儀式でなく貪を見てきてくれと」
 デニーが薄く笑う。
「異形となるのに、向かいあう二人は裸で抱きあう必要がある。さすがに見せたくないだろ。露泥無にも蛇にも。……忍よ出かけてくれ」

 ドロシーが俺を見たぞ。みるみる赤くなってきたぞ。ニョロ子はウインクして消えたぞ。こいつはデニーを(たばか)ったぞ。俺はなにもコメントできないままだぞ。
 ドロシーと(全裸で)抱きあう。いまの俺に嫌悪が湧くはずない。問題は思玲と横根に聞かれていて、おそらくデニーが立ち会うことだ。二人きりで抱きあうのもうまくないが。

「私はちょっと見たいが我慢する」
 思玲が眼鏡の縁をあげる。「九郎はどこですか?」

「そいつは誰だ?」大姐が尋ねかえす。
「飛脚のことです」露泥無が教える。「車で海を渡っていた」

「ああ。あの後も、うろちょろしていたね。知らぬ間にいなくなったが、南極にでも帰ったのだろ。大燕は上海に五体ほどいるから、やかましいのはこれ以上不要だ。しかも明晩はなおさら賑やかになる」
 沈大姐がソファで横になる。
「待っているあいだに思玲は肩を揉め。横根は足を揉め」

「ちなみに抱きあうは、松本には残念なことに冗談だ。成功の保証も人に戻せる保証も皆無だし、異形と化して後悔しないのならば、服を着たままついてくるがいい」

 デニーが奥の部屋へと歩いていく。
 俺はドロシーを見る。赤面のままのドロシーも俺を見ていた。
 お互いにうなずきあい、デニーのあとを追う。手をつないでさえいれば、俺に後悔は現れない。そもそも成功するに決まっている。
 俺達は無敵だから。もっと強くなるだけ。

 ***

「君達は恋人同士か?」
 和室の明かりをつけながらデニーが言う。畳の上でも靴は履いたまま。だから俺達も見習った。

「哲人さんから言ってください」
 ドロシーがはにかんでうつむく。いつもの無茶苦茶はどうなった。

「みたいなものです」違うだろ。「俺が一番好きな人です」

 言いながら室内を眺める。
 なによりも畳二畳ほどもある漢字がぎっしりの紙――魔法陣がいやでも目に入る。ほかにはデスクトップパソコンとノートパソコンが、背丈の低いテーブルに置いてあった。英文と漢字のテキストも。
 部屋の片隅に透明な玉が四つあった。ボーリングの球ほどあるけど、いずれも透明。青色も赤色もない。黒色も。

「松本は桜井に好意あると聞いていた。不躾だったかな」
 言いながら、デニーは机に腰を下ろす。

 ドロシーがぴくりとしたぞ。

「俺達が異形になるとしてどうなるか? デニーの予測を教えてください」
 不躾すぎる質問だから話題を変える。

「データがない。そもそもうまくいくとも限らない。達筆すぎて判読すら難しい論文だけではな」
 デニーが机から手にした紙には、繁体字がぎっしりと手書きされていた。
「やめるならばいまのうちだ。実のところ、私も妖術をおこないたくない」

 その割には堂々と待ち構えている。……異形にならずに人として戦うなんて考えられない。お天狗さんの木札があろうと生身で戦いたくない。できれば空を飛びたいけど、亀と蛇が合体した神獣がもとならば無理だろうな。

「俺は受けたい。ドロシーは?」
「そのためにここにいる。それに異形になれば受けた呪いもリセットされる」

「私は楊偉天でない。そこまで強いものを作れるはずない。だが始めるとしよう。好きな玉を選んで抱えてくれ」
「色がついてないですね」
「完璧なものでない証拠だ。魔法陣に東西南北が記されているから、松本は北、ドロシーは南に座ってくれ」
 それからデニーはちょっと思案する。「異形になったときに護符を持っていたのか?」

  四玉の箱を大学で開けたときの話だ。

「玄武の光は弾かれました。でも青龍の光と一緒にあった透明の光を浴びました」
 つまり護符の力を凌駕したコバルトブルー。

「だったら手放して魔法陣の外に置け。松本しか守らない札だから(かす)めたりしない」
「白銀はどうしますか?」

 質問をはさむドロシーの手に冥神の輪が現れる。

「それをなんで持っている? ……どうなるかは、正直に言って分からない。異形になるなり溶かされるかもしれないから、私ならば身につけたままでいない」
「だったらリュックにしまいます。置いてきたので取りにいきます」

 ドロシーが部屋からでていく。おそらく彼女は純度百の白銀弾もリュックサックに移すだろう。

「怖いほどの美人に惚れられるとはうらやましい」
 彼女がいなくなるなりデニーが笑う。

「でも中身は滅茶苦茶です。彼女に限った話ではないけど」
「それは大姐もだ。忌むべき力をもって生まれた者は破綻ぎりぎりで生きてきた。大目に見てやってくれ」
「デニーさんは落ち着いています」
「スモーカーだからだ。ワインも飲んで憂さ晴らしする……。異形に進んでなるなんて信じられない。松本こそ誰より無謀だ。それに付き合わせるのだから、もうすこし優しくしてやれよ。中国のティーンエイジャーはのぼせても、すぐに醒める。失ってから後悔する」

「大きい声で話さないでください。忌むべき声だろうと丸聞こえです」
 誰よりもでかい声のドロシーが戻ってきた。
「哲人さんはとても優しいです。だから仲間も恋人も同等に扱うだけです。それと私は香港人です」
 そう言って透明な大玉へと向かう。両手で抱き上げる。
「軽い。何でできているのですか?」

「琉璃ガラスに術がぎっしり詰まっている。重さを感じないのは、それはこっちの世界に存在しないからだ。松本も玉を持ち、二人とも座れ」

 俺も無作為に玉を選ぶ。風船よりも重さがない。でも浮かびそうもない。……楊偉天の四玉と違い、この玉の光は人を襲わないのだろう。望んだ者だけを異形に変える。そのくせ第三者の力が必要――あの老人ならば未完成と笑っただろう。
 火伏の護符は静かなままだ。それを手の届く場所に置き、北の字の上へと座る。自分の鼓動を感じる。立ち去るはずがない。
 ドロシーが正面に座る。緊張はしていない。期待で紅潮した顔。

「始めるぞ」

 デニーが目をつむり小声でぶつぶつ唱え始める。同じトーンが三度繰りかえされる。
 いきなり玉が重くなる。……俺の人としての体は、この玉に吸われた。
 俺は目の前を見る。ドロシーは玉を落としそうで必死に抱いていた。胸もとが品よく開いた深紅のカクテルドレス。アップにした髪型は派手過ぎぬ赤茶色。武器である目もとをさりげなく強調するアイライン。ピンクブラウンの艶あるリップ。チークも完璧。……ビューティフルだ。
 一挙におとなびた彼女が俺を見る。その瞳は赤くなっていた。

「私から人であった君達の記憶が消えない。私が仕切ったのだから当然と言えば当然だ。しかし……失敗ではないが成功と言えるだろうか」
 デニーは引きつった顔を向けていた。
「本来の姿に近いままで人の目にも見える。二人とも、

忌むべき異形になってしまった」

「哲人さんのスタイル、アミューズだ。肌がちょっとだけ日に焼けている……。この玉、重すぎる」

 ドロシーが、人であった自分が詰まる玉を魔法陣に落とす。同時に彼女はふわりと浮かぶ。スカートの裾を慌てて押さえる。




次回「玄武ボーイと空飛ぶ朱雀ガール」
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