四十四の一 シャツの中の白猫

文字数 3,168文字

 緋色のサテン越しでも体にしびれが伝わる。……心に怯えが走る。それでも俺は転んだりしない。

「ヒヒヒ、昇の盾と剣の勝負か」
 櫓の上から、楊偉天が俺達を見おろし笑う。
「藤川よ。それを破れぬとは、剣の輝きはまやかしかな」

 楊偉天が杖をかかげる。そして降ろす。飛んできた赤い光を、俺は浮かびあがって……避けられない! 昨夜の感覚で戦っては駄目だろ――。顔をかばった手が光をはじき返した。
 手に独鈷杵が戻っている!
 ならば、それを投げる。老人は蜃気楼と消える。独鈷杵は俺の手もとに戻ってくる。背後からの気配。俺は空に逃れる……。
 ラスボスクラスが同時攻撃かよ。緋色のサテンで護りの術を使えたら。それとも。

「大姐に借りたのは十字羯磨だっけ? 結界が張れるとか言っていたよね」
 心がつながる横根へと尋ねる。跳ねかえしでも姿隠しでもいいから張ってくれ。

『え、どうやるの?』
 中学生ぐらいの横根が俺の目を覗きこむ。十字の法具を握っていた。
『そ、外にでてみる』

 白猫がシャツから俺の頭へとよじ登る。
「あの人に借りたもの、また消えちゃったよ……」

 トリセツぐらいつけて欲しい。
 藤川匠は俺を見上げるだけだ。劉師傅みたいに跳躍してこない。俺は楊偉天へと向きを変える。飛んできた光を独鈷杵ではじく。
 座敷わらしみたいに、もっと素早く動きたい。しがみつく横根の爪が痛い。

「人間の爺さんもガキも、あんなのろまに当てられないのかよ」
 土壁の声はどこからだ。
「火焔嶽!」

 崩れた家屋から炎と毒が飛んでくる。あの五叉槍は復活していた。距離があるから余裕で避けられた。まがまがしい花火は離れた場所で破裂する。

「おろかな犬め。倒すのが目的ではない」
 背後からカ・アラハミの声。振り向くけど誰もいない。
「だが楊偉天殿。こいつを殺せば青い光だけ残るのではないか?」

 結界だ。なにもない至近の闇から光が生ずる。独鈷杵ではじこうとするが、迂回して頭上の白猫に直撃する。
 落下しかけるのをつかみ、シャツにしまう。傷ついた横根が俺に倒れこむ。なのに外へと意識を向けないとならない。

「こいつを殺すと夏奈が怒る」藤川匠の声。「彼女は怒ると怖いからね」

 そんなの俺だって知っている。

「夏奈ー、横根がヤバい!」
 俺も叫んでやる。オーロラの上の空は、さきほどより星がひろがっている。
「横根! 自分に祈れ!」

 彼女は目を覚まさない。彼女の魂が遠ざかる。服にいるのは弱った白猫に――。

ドクン

 俺の怒りが独鈷杵に流れこむ。……横根を傷つけた奴は楊偉天の劣化バージョンだ。そしてそいつは、

「そこだろ」

 俺と藤川匠の対角線上だろ。独鈷杵が結界を切り裂き、驚愕したカ・アラハミの頭上に突き刺さる。
 年老いた獣人が闇のなかで溶けていく。

「アラハミ。お前がこいつを怒らした。自業自得だ」

 涼しい声がした。
 藤川匠以外は声もださない。双頭の犬だけが怒り狂っている。
 俺は護布を右手に持ち、飛んできた業火を受けとめる。なんかの矮小種へと独鈷杵を投げる。片方の犬の牙が受けとめ、噛み砕こうとして顎から溶けていく。独鈷杵は俺の手へと戻る。

「起きろ」
 俺は横根へと命じる。腹の中で、白猫がびくりとする。
「祈れ」

 彼女はうつろに祈りだす。彼女の人である魂が戻ってくる。茂みからの気配! 護布で炎を受けとめる。毒の破裂から息を止めて逃げる。
 あいかわらず野良犬は加減をしない。まがまがしい火焔嶽へと独鈷杵を投げる。

「松本のテッポーだ」

 土壁が闇へと尻尾を巻く。独鈷杵は空振りして戻る。
 俺は空を見上げる。夏奈はまだ来ない。
 でも時間が読めた。夜半まであと一時間ほど。露泥無と同じく新月パワーのおかげか? 知ったところでどうなるんだ!

『ま、松本君怖いよ。川田君とドーン君を探してよ』
 俺のなかで横根が怯える。

 二人が村落跡にいるのか森にいるのかすら分からない。かすかに残る座敷わらしに、新月の力を見せろと命じる。分からない。

「楊偉天。あの二人を解放しろ」
 俺は言うけど、あのジジイが聞くはずがない。

ヒヒヒ

 上空からの老いた笑い声。結界が降ってくる。避けきれない。独鈷杵ではじくが、逆さまの臥龍窟は増殖して、そのまま俺を地面へと叩きつける。

「お前も閉じこめてやる」
 鏡を持たぬ老人が上空から冷淡に見おろす。
「いや、無理か」

 いまの俺に怯えはない。独鈷杵を通じた砂粒ほどの力が結界を裂く。俺はふわりと飛びだす――。いや、無理だ。いろいろ収納した体がのろすぎ。増殖する結界に足を挟まれる。

「うわああ」

 叫んでしまう。結界を独鈷杵で切り裂き、なんとか脱出する。穴の開いた屋根へと着地する。……ちぎれかけた足は治っていく。
 いよいよ俺は新月に舞う妖怪だ。
 夏奈は宇宙。ドロシーはサキトガ。いま助けるのは親友二人。
 下に注意しながら空をちらりと見る。まだ神殺の結界は天上を閉ざしていない……! 二度見した目に激痛が走る。

「カカカ、えぐったよ」幼い少女の声。「まずいけど頑張って飲みこんだ。もう復活しない」

 右の目玉を竹林に食われた……。
 横根が俺へと祈る。喪失した眼球の痛みは消えない。闇への恐怖が復活して、闇雲に独鈷杵を投げる。空振りして戻ってくる。

「降りてきな」藤川匠が俺へと声かける。「君は逃げるべきじゃないと思う」

 逃げ場を探って見上げたわけじゃない。感づいたからだ。

「冷静になれ」
 頭に張りついた闇が小声で言う。
「松本に加担するように命じられた。本来の姿の僕は、新月の夜だけは宙に浮かべるからね」

 加担じゃないだろ。珊瑚や護布の見返りにレンタルされた。割に合うのか?

『露泥無?』横根が気づく。『昼間のお寺みたいに松本君を隠してよ。それと、十字なんとかの使い方を教えてよ』

 鏡の楊偉天が放った赤い光の大蛇が這いのぼってくる。独鈷杵で霧散させる。妖術を受けて家屋が崩れる。
 俺は竹林に怯えながら空に浮かぶ。失った右目が痛い。

「まずは念押ししておく。大姐は、松本が楊偉天を追いつめるのを危惧している。もしくは鏡を破損することを」

 露泥無が言うけど、奴を倒すに決まっているじゃないか。俺は舞台を見る。鏡を下げた老人はいなくなっていた。上空で偽りの老人が笑う。
 暗渠になった右目が痛い。

『鏡の龍が復活してもいい!』
 横根がきっぱり言う。
『五人が向こうの世界に戻るためならば』

「僕はそれを阻止するために来た。厳密に言うと、その姿勢を韓国の老人にアピールするためにね」
 闇が淡々と告げる。
「藤川匠を倒す手助けだけしよう。まずは覆ってやる」

 俺は露泥無の闇に包まれる。……やさしい闇だ。こいつも仲間だと、助けるべき仲間だと座敷わらしの残滓が訴える。

「十字羯磨が消える理由を知りたいか? それは横根の甘えのせいだ」
 包む闇が告げる。
「法具は所有者の感情に呼応する。それを阻害するのは松本への甘え。そして自分へと目を向けてくれる期待。それを捨てれば法具は輝く」

 中学生である横根が俺から顔をそむける。……彼女が甘えているかなんて、甘えて生きてきた俺に分かるはずがない。
 甘えゆえに激情する。夕立の寺で露泥無が言ったよな。それが悪いことなのかも、俺には分からない。

「横根」
 だから俺は俺のなかで彼女を抱きしめる。
「もっと甘えろよ」

 端から手をつけてやれ。どうせ記憶なく人に戻るか、異形で消えるかだけだ。横根の素肌を感じてやる。

「ま、松本君、は、恥ずかしいよ」
 彼女は赤面だ。熱さえ伝わる。

「上空の空気が変わった。お前達、なんかしているのか?」
 露泥無がつぶやく。
「だとしても、もし青龍が来るのならば、それこそが機会、ぐえっ」

 俺達を包む闇が落下する。

『キキキ。貉、完全なる闇とかになっとけよ』
 闇の向こうでサキトガの声がした。




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