四の二 つまり四神くずれ
文字数 3,499文字
チャイムが近くの小学校から聞こえる。夏休みだし、そろそろ大学から退出しないとならない。川田の部屋の鍵も消えたようだし、どこへ行けばいい? 思玲から事情を説明してもらい、ドーンの家にでも匿ってもらうべきか。武蔵小杉のマンションだから、大学には俺のアパートより近いし。
お宅の息子がカラスになりましたと片言英語で言われても信じるはずないよな。
「もう五時か? 説明など時間だけが過ぎる。とにかくお前達はなり損ないといえども、一応は式神だ。生身の禽獣と思うな」
式神のなり損ない。つまりは四神くずれか。
「桜井が龍になるような話をしたけど、そもそも俺達はどうして四神になったのですか?」
話をまとめようとする彼女にかまわず質問する。
「四神獣? つまり夏奈ちゃんが青龍で私が白虎……。玄武と朱雀は誰?」
「川田が玄武で、和戸が朱雀。四人で東南西北」
思玲はじれている。
「あの男は真の鬼才だ。人を用い四神の式神を生みだす発想は、常人にはあり得ない。まして呪術をこめた玉を用いるなどとはな。今は哲人に隠させているが、あの玉は台湾にて多くの犠牲を生みだした」
四個の玉を思いだす。みな味気ない透明だったが、ひとつだけかすかなブルーだった……それぞれの玉があざやかな色に輝いていたはずだ。ついさきほどのことなのに、もはや遠い記憶みたいだ。
「桜井は操られていたのですか?」
俺の問いに、思玲は飲みほしたペットボトルをぐしゃりと潰す。
「妖術で傀儡と化した。四神を生みだすには、旧知の四人が確実らしい。そのために桜井は操られたまま日本に戻り、見知ったジャパニーズを異形へと導いた。あの男は悪の権化としか言いようがないってことだ。もうよいな?」
打ち切るなよ。
「なぜ桜井が選ばれたのですか? わざわざ日本人をターゲットにするなんて面倒なだけじゃないですか」
「あの娘が生け贄としてよほどの逸材だからだ」
またじりじりと語りだす。
「台湾での四神の復活は、犠牲を生むだけで失敗に終わった。白虎が白猫になるなんてその典型だ。楊偉天は、より強い力を秘めた生け贄を探していたに違いない。見つけたのが、たまたま日本人だったのだろう。資質は二十歳で盛りを迎えるが、彼女はおそらく本来の資質に加え、おそらく二十歳を迎える直前のおそらく生娘……か? だとしたら、まさにあの男が喜ぶ逸材ではないか。ふしだらな意味ではないぞ。あの男は生身の人間への興味など、とうに式神の材料としてだけだ」
語りだすと長い。桜井の誕生日は八月二十一日だから、まさに二十歳手前。そして、三石の話にでてきた老人が楊偉天。
「俺達も選ばれたのか?」川田が舌を垂らしながら言う。
「お前達は猫や鴉のもどきになっただろ。誰に資質が隠れていて、ほかは平々凡々だなんて、私ですら見るなり分かった。お前達は単なるおまけだ」
そう言うと、思玲はハンカチを取りだして首筋の汗をぬぐう。無造作にバッグに突っこむ。
俺の記憶は混乱している。……俺達は五人でいて、思玲が遠くから桜井を見ていた。でもそれは、俺と桜井が二人きりで過ごす前に存在した記憶だ。つまり俺はこのテーブルでの記憶をふたつ持つ。五人がいたときの記憶と、桜井とだけだった記憶……。
そう気づくと、二人だけの記憶がまやかしのようにあやふやになってくる。あのときの彼女の笑みだけは刻みこんでおきたい……のに、一番の笑みは俺に向けられなかったよな。
「松本君が青龍になっていませんか? さっきの松本君が私達にぜんぜん気づかなかったように、夏奈ちゃんはもう家に帰っているかも」
横根の質問に、思玲が面倒くさげにしばし考える。
「青龍生誕の光は、あの強力な札がはじき返したと思う。私などの憶測になるが、異形の系統に照らす限り哲人だけは四神ではない」
俺を潰したペットボトルで指し示す。
「こいつは難を逃れたはずなのに、なぜに物の怪に変げしたのか。それは私になど分からぬ」
俺だけは仲間ではないだと? 妖怪なんかになったうえにかよ。
「なぜ台湾で桜井の術を解かなかったのですか?」
やや強い口調で尋ねてしまう。
「まさか日本人がターゲットとは思わぬだろ。ゆえに出遅れた。お前らが昼寝でもしていた頃、私は桜井の家に行ったが爺さんがいるだけだった。ついでここへ向かい、鴉どもを見つける僥倖を得た。お前達が思いのほか素直に彼女に従ったためにか、ぎりぎり間にあわなかったがな」
たいそうな言い分だ。
「なんで師傅は一緒に来なかったのですか?」
「あの老人を日本に来させぬために戦っておられる。ものを知らぬ者は幸せだ」
「つまり楊偉天を倒してから、師傅は日本へ来るのですね。巻きこまれた人間を助けるためにですか? なぜにそこま」
「しつこい!」
いきなり怒鳴りやがる。……扇をだしやがった。
「二三歳児の図体で問い詰めるな。私は本来の世界を仕切る定めに巻きこまれたことがあってな、弁護士にまとわりつかれたことがある。二十歳過ぎの娘をエセ占い師に仕立てたかったらしいが、こちらに深入りしかけたゆえ、少々怖い思いをしてもらった」
「カッ、さすが導師だね。でも哲人もいずれ弁護士かもしれねーし」
思玲の押し殺した口調を、ドーンが挑戦的に笑う。
「導師じゃない。道士だ。心にはそこまで伝わるからな。魔もつけろ。本当の道士に迷惑がかかる」
「王魔道士さんに俺からも大事な質問があるけどね。俺のスマホはどこっすか?」
さすがドーン。一撃で話の流れが変わってしまった。
「もっと大切なことがあるよ」
横根まで割りこんでくる。
「私達が猫や座敷わらしになったことを、みんなに伝えてください。母や姉達だったらきっと気づいてくれます」
「毎度恒例のお願いタイムか」
思玲は鼻で笑い、川田に目を向ける。「日本は犬を放し飼いにできぬよな。ましてや狼ならなおさらだろ」
「話を変えるな……。俺は犬でなく狼なのか?」
「自分で気づかぬのか。もっともっと力があれば、式神としても通用するかもな」
思玲の答えに、やはりと納得する。ただよう獰猛さが違っていた。
「川田の首輪と紐を調達する。そのほうが大事な用件だ」
思玲がペットボトルを投げ捨て立ちあがる。
「哲人、案内してくれ」
また俺へと扇を指す。……なんで俺だ? というより、それって今すべきことか?
「ちょっと待てよ。スマホとか家族に連絡するほうがずっと大事じゃね?」
ドーンにちょこちょこと回りこまれて、思玲が顔をゆがめる。
「川田を守るのも大事だろ。そもそも持ち物など心配するな。こっちに来ずに三人でかたまれ」
扇でドーンを追いはらい、
「人に戻れば、所持していたものはすべて手もとに現れる。着衣もタキシードなどに変わらず、着ていた汗臭い服のままで人に復活する。財布も携帯電話も一緒にな。それとだな……」
ちょっとだけ言いよどみ、
「お前達が異形であるあいだは、その存在はこの世界から消滅する。お前達がいない状態で過去は存在し、未来は進んでいく」
たしかに桜井と二人きりのとき、川田達のことを忘れていた。みんなは存在すらしていなかった。一連の出来事なのに、違う世界のそれぞれの記憶になっていた……。ヤバくないか?
「心配する必要はない。人間に戻った暁には、もともとお前達が存在する世界として動きだす。お前達の異形の間の記憶も消える。空白の数日も、本人も誰も気にしない。その間のバイト代はもらえぬだろうが、他に悩むことなどない」
思玲は扇をひろげ、
「私は桃園 (台湾の空港だったな)で食ったきりだ。お前達も、これから万が一に腹が減ろうと我慢しろ。閉じこめられるのにも、しばらく我慢してくれ」
質問を受けつけぬ速さで三人にかざす。瞬時にみんな見えなくなる。気配もなくなる。
彼女は腰を屈め、「達者にしていろ」と中空をノックする。立ちあがり、俺を見おろす。
「連れていけ。哲人にだけ伝えたいこともある」
俺達の立場じゃ従うしかないけど、確認すべきことがある。
「この箱があって師傅が来たら、俺達は人に戻れるのですね?」
この念押しに意味があるのだろうかと、ふいに感じる。
「過去の事例は、楊偉天は台湾国内で朱雀や白虎を生誕させようとした。今回は日本に出向いて、ましてや青龍。本来の世界に戻れるかなど、それぞれが最善を尽くすだけだ」
思玲は歩きだす。やはり答えてくれなかった。おそらく答えられない。
川田達と離れたくないが、思玲のあとをついていく。西日が歩道に彼女の影をえがく。後ろに浮かぶはずの俺の影はどこにもない。
陽にあたると実感する。俺は陰にひそむ存在だ。
次回「座敷わらしと女魔道士」
お宅の息子がカラスになりましたと片言英語で言われても信じるはずないよな。
「もう五時か? 説明など時間だけが過ぎる。とにかくお前達はなり損ないといえども、一応は式神だ。生身の禽獣と思うな」
式神のなり損ない。つまりは四神くずれか。
「桜井が龍になるような話をしたけど、そもそも俺達はどうして四神になったのですか?」
話をまとめようとする彼女にかまわず質問する。
「四神獣? つまり夏奈ちゃんが青龍で私が白虎……。玄武と朱雀は誰?」
「川田が玄武で、和戸が朱雀。四人で東南西北」
思玲はじれている。
「あの男は真の鬼才だ。人を用い四神の式神を生みだす発想は、常人にはあり得ない。まして呪術をこめた玉を用いるなどとはな。今は哲人に隠させているが、あの玉は台湾にて多くの犠牲を生みだした」
四個の玉を思いだす。みな味気ない透明だったが、ひとつだけかすかなブルーだった……それぞれの玉があざやかな色に輝いていたはずだ。ついさきほどのことなのに、もはや遠い記憶みたいだ。
「桜井は操られていたのですか?」
俺の問いに、思玲は飲みほしたペットボトルをぐしゃりと潰す。
「妖術で傀儡と化した。四神を生みだすには、旧知の四人が確実らしい。そのために桜井は操られたまま日本に戻り、見知ったジャパニーズを異形へと導いた。あの男は悪の権化としか言いようがないってことだ。もうよいな?」
打ち切るなよ。
「なぜ桜井が選ばれたのですか? わざわざ日本人をターゲットにするなんて面倒なだけじゃないですか」
「あの娘が生け贄としてよほどの逸材だからだ」
またじりじりと語りだす。
「台湾での四神の復活は、犠牲を生むだけで失敗に終わった。白虎が白猫になるなんてその典型だ。楊偉天は、より強い力を秘めた生け贄を探していたに違いない。見つけたのが、たまたま日本人だったのだろう。資質は二十歳で盛りを迎えるが、彼女はおそらく本来の資質に加え、おそらく二十歳を迎える直前のおそらく生娘……か? だとしたら、まさにあの男が喜ぶ逸材ではないか。ふしだらな意味ではないぞ。あの男は生身の人間への興味など、とうに式神の材料としてだけだ」
語りだすと長い。桜井の誕生日は八月二十一日だから、まさに二十歳手前。そして、三石の話にでてきた老人が楊偉天。
「俺達も選ばれたのか?」川田が舌を垂らしながら言う。
「お前達は猫や鴉のもどきになっただろ。誰に資質が隠れていて、ほかは平々凡々だなんて、私ですら見るなり分かった。お前達は単なるおまけだ」
そう言うと、思玲はハンカチを取りだして首筋の汗をぬぐう。無造作にバッグに突っこむ。
俺の記憶は混乱している。……俺達は五人でいて、思玲が遠くから桜井を見ていた。でもそれは、俺と桜井が二人きりで過ごす前に存在した記憶だ。つまり俺はこのテーブルでの記憶をふたつ持つ。五人がいたときの記憶と、桜井とだけだった記憶……。
そう気づくと、二人だけの記憶がまやかしのようにあやふやになってくる。あのときの彼女の笑みだけは刻みこんでおきたい……のに、一番の笑みは俺に向けられなかったよな。
「松本君が青龍になっていませんか? さっきの松本君が私達にぜんぜん気づかなかったように、夏奈ちゃんはもう家に帰っているかも」
横根の質問に、思玲が面倒くさげにしばし考える。
「青龍生誕の光は、あの強力な札がはじき返したと思う。私などの憶測になるが、異形の系統に照らす限り哲人だけは四神ではない」
俺を潰したペットボトルで指し示す。
「こいつは難を逃れたはずなのに、なぜに物の怪に変げしたのか。それは私になど分からぬ」
俺だけは仲間ではないだと? 妖怪なんかになったうえにかよ。
「なぜ台湾で桜井の術を解かなかったのですか?」
やや強い口調で尋ねてしまう。
「まさか日本人がターゲットとは思わぬだろ。ゆえに出遅れた。お前らが昼寝でもしていた頃、私は桜井の家に行ったが爺さんがいるだけだった。ついでここへ向かい、鴉どもを見つける僥倖を得た。お前達が思いのほか素直に彼女に従ったためにか、ぎりぎり間にあわなかったがな」
たいそうな言い分だ。
「なんで師傅は一緒に来なかったのですか?」
「あの老人を日本に来させぬために戦っておられる。ものを知らぬ者は幸せだ」
「つまり楊偉天を倒してから、師傅は日本へ来るのですね。巻きこまれた人間を助けるためにですか? なぜにそこま」
「しつこい!」
いきなり怒鳴りやがる。……扇をだしやがった。
「二三歳児の図体で問い詰めるな。私は本来の世界を仕切る定めに巻きこまれたことがあってな、弁護士にまとわりつかれたことがある。二十歳過ぎの娘をエセ占い師に仕立てたかったらしいが、こちらに深入りしかけたゆえ、少々怖い思いをしてもらった」
「カッ、さすが導師だね。でも哲人もいずれ弁護士かもしれねーし」
思玲の押し殺した口調を、ドーンが挑戦的に笑う。
「導師じゃない。道士だ。心にはそこまで伝わるからな。魔もつけろ。本当の道士に迷惑がかかる」
「王魔道士さんに俺からも大事な質問があるけどね。俺のスマホはどこっすか?」
さすがドーン。一撃で話の流れが変わってしまった。
「もっと大切なことがあるよ」
横根まで割りこんでくる。
「私達が猫や座敷わらしになったことを、みんなに伝えてください。母や姉達だったらきっと気づいてくれます」
「毎度恒例のお願いタイムか」
思玲は鼻で笑い、川田に目を向ける。「日本は犬を放し飼いにできぬよな。ましてや狼ならなおさらだろ」
「話を変えるな……。俺は犬でなく狼なのか?」
「自分で気づかぬのか。もっともっと力があれば、式神としても通用するかもな」
思玲の答えに、やはりと納得する。ただよう獰猛さが違っていた。
「川田の首輪と紐を調達する。そのほうが大事な用件だ」
思玲がペットボトルを投げ捨て立ちあがる。
「哲人、案内してくれ」
また俺へと扇を指す。……なんで俺だ? というより、それって今すべきことか?
「ちょっと待てよ。スマホとか家族に連絡するほうがずっと大事じゃね?」
ドーンにちょこちょこと回りこまれて、思玲が顔をゆがめる。
「川田を守るのも大事だろ。そもそも持ち物など心配するな。こっちに来ずに三人でかたまれ」
扇でドーンを追いはらい、
「人に戻れば、所持していたものはすべて手もとに現れる。着衣もタキシードなどに変わらず、着ていた汗臭い服のままで人に復活する。財布も携帯電話も一緒にな。それとだな……」
ちょっとだけ言いよどみ、
「お前達が異形であるあいだは、その存在はこの世界から消滅する。お前達がいない状態で過去は存在し、未来は進んでいく」
たしかに桜井と二人きりのとき、川田達のことを忘れていた。みんなは存在すらしていなかった。一連の出来事なのに、違う世界のそれぞれの記憶になっていた……。ヤバくないか?
「心配する必要はない。人間に戻った暁には、もともとお前達が存在する世界として動きだす。お前達の異形の間の記憶も消える。空白の数日も、本人も誰も気にしない。その間のバイト代はもらえぬだろうが、他に悩むことなどない」
思玲は扇をひろげ、
「私は
質問を受けつけぬ速さで三人にかざす。瞬時にみんな見えなくなる。気配もなくなる。
彼女は腰を屈め、「達者にしていろ」と中空をノックする。立ちあがり、俺を見おろす。
「連れていけ。哲人にだけ伝えたいこともある」
俺達の立場じゃ従うしかないけど、確認すべきことがある。
「この箱があって師傅が来たら、俺達は人に戻れるのですね?」
この念押しに意味があるのだろうかと、ふいに感じる。
「過去の事例は、楊偉天は台湾国内で朱雀や白虎を生誕させようとした。今回は日本に出向いて、ましてや青龍。本来の世界に戻れるかなど、それぞれが最善を尽くすだけだ」
思玲は歩きだす。やはり答えてくれなかった。おそらく答えられない。
川田達と離れたくないが、思玲のあとをついていく。西日が歩道に彼女の影をえがく。後ろに浮かぶはずの俺の影はどこにもない。
陽にあたると実感する。俺は陰にひそむ存在だ。
次回「座敷わらしと女魔道士」