十五の三 桃畑の八人
文字数 3,170文字
街灯の明かりがかすかにだけ差しこんでいる。
桃の熟した香りのなかで、装甲をまとった馬は静かにたたずむ。
俺はこれまでの経緯の説明にじれている(ケビンも思玲も端折るし、ドーンはくちばしを挟むし、フサフサは他人事のように爪を伸ばして鼻毛を抜いているし……、爪が伸びた?)。
露泥無が俺をちらりと見た。
「僕が話をまとめる」
彼女が、てんでに語るみなをさえぎる。俺達のこれまでをケビンに伝え、ケビンからは本隊のこれまでを聞きだす。さらには七月末の俺達の有り様までも伝える。さすがは沈大姐の式神だ。ずっと覗いていたからこそだけど。
「チャドさんも殺されたというの。十四時茶会のメンバーさえ……」
シノがまた怯える。
「十四時茶会ってなに?」
ドーンが露泥無に説明を求める。露泥無はスルーする。
「悪い異形ならば食い殺そうが文句ないよな」川田が俺へと笑う。「楽しみが増えた」
それもスルーする。
前の記憶を共有する俺と思玲、フサフサさえも黙りこむだけだ。峻計と、おそらくツチカベ。あの野良犬は劉師傅に結界を突き破るほどに殴られたが、異形と化して生き延びたと思うべきか。……さらには魔道士が二人いる。
「お坊さんは知らぬ。だが眼鏡で静かな男なら、間違いなく張麗豪」
思玲が言う。「いまの私では分が悪すぎる」
カマドウマが落ちてきて、頭上のドーンがのけぞる。
「アンディは無念だったな」
ケビンが桃を食べながら言う。物欲しげな思玲へと、もう一個もいで投げる。
皮を吐き捨て、露泥無へと目を向ける。
「上海。アンディの式神は?」
「タカは両方死んだが、オニハイエナは四頭野ざらしだ」
跳ねるカマドウマを目で追いながら露泥無が答える。
「降伏したハイエナどもを、ツチカベが連れかえった。でも峻計の目にかなわなかったようで、連中は山に戻った。あの鴉は、鬼が十二体いても使えなかったのを知っているからな。邪魔なだけだ。
そして蒼き狼は一匹狼と化す。香港が異形を日本に放ったな」
思玲とドロシーが息を飲んだ。
「……私はアンディにいつも言った。あさましい連中を式神にしないでと」
ただ一人しゃがんでいたシノが立ちあがる。
「ケビンお願い。奴らを処分して。アンディの名誉のために。でも雅だけは」
彼女は男へすがりつこうとする。男は桃を食うだけだ。
「無理だよ」露泥無がにやにや言う。「若手グループが一人死亡で済んだのだから、良しとしないと。今夜はこもって明朝に帰りな。専用機は関空だっけ? 遠いね」
ふいに男が桃を投げおとす。「ガブロ!」と叫ぶ。
鋼をまとった馬が彼へと静かに歩み寄る。
「俺はアンディの式神くずれを処分する。お前達は香港に戻るまで結界にいろ」
ケビンの手に槍があらわれる。ドロシーとシノにふるう。彼女達は姿隠しの結界につつまれて見えなくなる。
ケビンは残ったものへ目を向ける。
「なおも分からぬことが多い」槍も向ける。「貴様達がいないと単純になる」
俺の服の中で木札がうずく――。
「噠 !」
結界が粉々に砕け散る。ドロシーが両掌を蟹型にして、印を結んでいた。
「我が五感は結界に閉ざされることなく、我が力は閉ざされるほどに高まる。忘れたか」
夜叉のごとくケビンをにらむ。
「……それほどとは知らなかった」
ケビンは俺達に槍を向けたまま言う。
「おっと、素早いな」
闇から猟犬が飛びでる。首をかばうケビンの腕に噛みつき、鋼のごとき筋肉にはじきかえされる。猟犬は俺の横に戻り、姿勢低くうなる。
「固い奴だ。ドーンと思玲は猫が抱えて逃げた」
川田がケビンをにらんだまま俺に告げる。
「あの猫は、松本の願いにどんどん感づくようになってきたぜ」
ドーンと思玲を守りたい。たしかにそう思った。川田も守りたい、とも思ったけど。
「ケ、ケビン……。僕は沈大姐の式神であって」
露泥無が腰を抜かしながら言う。
「だから?」
ドロシーも指揮棒を露泥無に突きつける。
「雅達も松本達も殺させない。でも上海の覗き見野郎だけは消す。こいつは異形のくせに異形の気配がない。人の形になるとなおさら気色悪い」
「よせ!」桃畑のどこかで思玲が叫ぶ。「殺すなら私達が去ってからにしろ!」
「殺させねーし。助けてもらっただろ」ドーンの声もした。
「私はどっちでもいいけどね」フサフサも続く。「いまは痩せた黒猫じゃないしね」
夜の畑には桃の香りと肥料の匂いが入り混じり広がっている。人の耳には聞こえぬ声達も。
「お願いだから、これ以上敵を増やさないで」
シノが仲間二人へと声かける。「それに、いやしい覗き魔はあいつら……」
胸にまた十字を描く。
ケビンの手から槍が消える。ドロシーは、なおも露泥無に指揮棒を向ける。
「犬笛がある」
シノがバッグを開ける。「鷹笛も。彼の形見として燃やせなかった」
「ヘヘッ。これがあるなら、まだ可能性がある」
ドロシーがようやく指揮棒をおろし、ケビンへと挑発的な目を向ける。
「この異形達は本隊が消滅したことを知った」
ケビンは言葉を連ねるのが面倒そうだ。「俺が立ち去れば、こいつらも寝返るかもしれない」
俺でも分かる。この男の懸念は、俺達のメンバーの一部を見れば至極当然だ。
ケビンがドロシーに体を向ける。コガネムシがたかる腐った桃を足でどかし、
「誰が妖魔と戦える? 心も行動も筒抜けだ。――最低限の人と動き。シンプルにすべきだ」
またも静かすぎる闇。さっき俺が考えこんだ末の結論も、ロタマモ達には丸見えだったのか。思玲もドロシーも反論できない。
「こ、こいつらは僕が抑える。松本は、僕に後ろ盾があることを理解している。だから僕は重要だ」
露泥無が立ちあがる。泥がべったりついた尻をこする。
「それに使い魔どもには今の僕達は見えていない」
パンツのポケットからなにかを取りだす。
「天珠 ?」間近のドロシーが言う。
露泥無がうなずき、
「しかも緋耀石で作られている。近辺にうろつく邪を妨げるだけではない。離れていれば、ロタマモの千里眼から姿を隠せる。近づかれても心を読ませない。サキトガの念波さえ多少は妨害できるはずだ」
人を追いこむカウントダウンのことか。さきほどの恫喝の秒読みなんかでなく、前回の奴は起きるべき事象を予測していた。
露泥無が居合わせるものを見わたす。
「天珠は対であるけど、香港にも台湾にも渡せない。松本が持て」
俺へと放り投げる。
「これで、こいつも重要だ」
筒状に加工された赤色の石だ。表面にはシンメトリーな幾何学模様が曲線と直線を織りまぜて、白色に焼きつけられている。
「もうひとつはドロシーに渡せ」
ケビンの手にまた槍が現れる。
「灯すよ」
ドロシーもさらに指揮棒を突きだす。なんて奴らだ。
「渡すかよ」
露泥無が溶けていく。スライムが黒猫の形になる。
「これで天珠は僕の体の中だ。僕を殺して奪っても、穢れて役立たずだ」
「無益に殺してもいいのだけどな」
ケビンの手から槍が消える。
「フサフサ、降ろせ」思玲のもがく声がする。「喧嘩にならなそうだ」
カラスを頭に乗せて、少女を抱えた白人女性が戻ってくる。思玲が腕からすとんと降りる。
ケビンは異形達をしばし見わたす。その後にシノを見つめる。
「奴らからあたえられた任務は、思玲を捕らえること。お前達は、それに反したことをしている。こいつらは信ずるに足るか?」
「うん」ドロシーがうなずく。
「シノに聞いた。お前は異形に贔屓する」
傷ついた桃を探してドウガネブイブイが飛んでいる。シノも強くうなずく。
「あなた達が目ざす険しき高峰の先は」
俺を見つめる。
「アンディや式神達の復讐につながる。アンディの無念を晴らすのを、私はあなたにも託したい」
いま夜半を過ぎた。妖怪である俺には分かる。ここからが本当の、百鬼が集う前夜祭だ。俺もうなずきを返す。
次回「越すべき峰のひとつ」
桃の熟した香りのなかで、装甲をまとった馬は静かにたたずむ。
俺はこれまでの経緯の説明にじれている(ケビンも思玲も端折るし、ドーンはくちばしを挟むし、フサフサは他人事のように爪を伸ばして鼻毛を抜いているし……、爪が伸びた?)。
露泥無が俺をちらりと見た。
「僕が話をまとめる」
彼女が、てんでに語るみなをさえぎる。俺達のこれまでをケビンに伝え、ケビンからは本隊のこれまでを聞きだす。さらには七月末の俺達の有り様までも伝える。さすがは沈大姐の式神だ。ずっと覗いていたからこそだけど。
「チャドさんも殺されたというの。十四時茶会のメンバーさえ……」
シノがまた怯える。
「十四時茶会ってなに?」
ドーンが露泥無に説明を求める。露泥無はスルーする。
「悪い異形ならば食い殺そうが文句ないよな」川田が俺へと笑う。「楽しみが増えた」
それもスルーする。
前の記憶を共有する俺と思玲、フサフサさえも黙りこむだけだ。峻計と、おそらくツチカベ。あの野良犬は劉師傅に結界を突き破るほどに殴られたが、異形と化して生き延びたと思うべきか。……さらには魔道士が二人いる。
「お坊さんは知らぬ。だが眼鏡で静かな男なら、間違いなく張麗豪」
思玲が言う。「いまの私では分が悪すぎる」
カマドウマが落ちてきて、頭上のドーンがのけぞる。
「アンディは無念だったな」
ケビンが桃を食べながら言う。物欲しげな思玲へと、もう一個もいで投げる。
皮を吐き捨て、露泥無へと目を向ける。
「上海。アンディの式神は?」
「タカは両方死んだが、オニハイエナは四頭野ざらしだ」
跳ねるカマドウマを目で追いながら露泥無が答える。
「降伏したハイエナどもを、ツチカベが連れかえった。でも峻計の目にかなわなかったようで、連中は山に戻った。あの鴉は、鬼が十二体いても使えなかったのを知っているからな。邪魔なだけだ。
そして蒼き狼は一匹狼と化す。香港が異形を日本に放ったな」
思玲とドロシーが息を飲んだ。
「……私はアンディにいつも言った。あさましい連中を式神にしないでと」
ただ一人しゃがんでいたシノが立ちあがる。
「ケビンお願い。奴らを処分して。アンディの名誉のために。でも雅だけは」
彼女は男へすがりつこうとする。男は桃を食うだけだ。
「無理だよ」露泥無がにやにや言う。「若手グループが一人死亡で済んだのだから、良しとしないと。今夜はこもって明朝に帰りな。専用機は関空だっけ? 遠いね」
ふいに男が桃を投げおとす。「ガブロ!」と叫ぶ。
鋼をまとった馬が彼へと静かに歩み寄る。
「俺はアンディの式神くずれを処分する。お前達は香港に戻るまで結界にいろ」
ケビンの手に槍があらわれる。ドロシーとシノにふるう。彼女達は姿隠しの結界につつまれて見えなくなる。
ケビンは残ったものへ目を向ける。
「なおも分からぬことが多い」槍も向ける。「貴様達がいないと単純になる」
俺の服の中で木札がうずく――。
「
結界が粉々に砕け散る。ドロシーが両掌を蟹型にして、印を結んでいた。
「我が五感は結界に閉ざされることなく、我が力は閉ざされるほどに高まる。忘れたか」
夜叉のごとくケビンをにらむ。
「……それほどとは知らなかった」
ケビンは俺達に槍を向けたまま言う。
「おっと、素早いな」
闇から猟犬が飛びでる。首をかばうケビンの腕に噛みつき、鋼のごとき筋肉にはじきかえされる。猟犬は俺の横に戻り、姿勢低くうなる。
「固い奴だ。ドーンと思玲は猫が抱えて逃げた」
川田がケビンをにらんだまま俺に告げる。
「あの猫は、松本の願いにどんどん感づくようになってきたぜ」
ドーンと思玲を守りたい。たしかにそう思った。川田も守りたい、とも思ったけど。
「ケ、ケビン……。僕は沈大姐の式神であって」
露泥無が腰を抜かしながら言う。
「だから?」
ドロシーも指揮棒を露泥無に突きつける。
「雅達も松本達も殺させない。でも上海の覗き見野郎だけは消す。こいつは異形のくせに異形の気配がない。人の形になるとなおさら気色悪い」
「よせ!」桃畑のどこかで思玲が叫ぶ。「殺すなら私達が去ってからにしろ!」
「殺させねーし。助けてもらっただろ」ドーンの声もした。
「私はどっちでもいいけどね」フサフサも続く。「いまは痩せた黒猫じゃないしね」
夜の畑には桃の香りと肥料の匂いが入り混じり広がっている。人の耳には聞こえぬ声達も。
「お願いだから、これ以上敵を増やさないで」
シノが仲間二人へと声かける。「それに、いやしい覗き魔はあいつら……」
胸にまた十字を描く。
ケビンの手から槍が消える。ドロシーは、なおも露泥無に指揮棒を向ける。
「犬笛がある」
シノがバッグを開ける。「鷹笛も。彼の形見として燃やせなかった」
「ヘヘッ。これがあるなら、まだ可能性がある」
ドロシーがようやく指揮棒をおろし、ケビンへと挑発的な目を向ける。
「この異形達は本隊が消滅したことを知った」
ケビンは言葉を連ねるのが面倒そうだ。「俺が立ち去れば、こいつらも寝返るかもしれない」
俺でも分かる。この男の懸念は、俺達のメンバーの一部を見れば至極当然だ。
ケビンがドロシーに体を向ける。コガネムシがたかる腐った桃を足でどかし、
「誰が妖魔と戦える? 心も行動も筒抜けだ。――最低限の人と動き。シンプルにすべきだ」
またも静かすぎる闇。さっき俺が考えこんだ末の結論も、ロタマモ達には丸見えだったのか。思玲もドロシーも反論できない。
「こ、こいつらは僕が抑える。松本は、僕に後ろ盾があることを理解している。だから僕は重要だ」
露泥無が立ちあがる。泥がべったりついた尻をこする。
「それに使い魔どもには今の僕達は見えていない」
パンツのポケットからなにかを取りだす。
「
露泥無がうなずき、
「しかも緋耀石で作られている。近辺にうろつく邪を妨げるだけではない。離れていれば、ロタマモの千里眼から姿を隠せる。近づかれても心を読ませない。サキトガの念波さえ多少は妨害できるはずだ」
人を追いこむカウントダウンのことか。さきほどの恫喝の秒読みなんかでなく、前回の奴は起きるべき事象を予測していた。
露泥無が居合わせるものを見わたす。
「天珠は対であるけど、香港にも台湾にも渡せない。松本が持て」
俺へと放り投げる。
「これで、こいつも重要だ」
筒状に加工された赤色の石だ。表面にはシンメトリーな幾何学模様が曲線と直線を織りまぜて、白色に焼きつけられている。
「もうひとつはドロシーに渡せ」
ケビンの手にまた槍が現れる。
「灯すよ」
ドロシーもさらに指揮棒を突きだす。なんて奴らだ。
「渡すかよ」
露泥無が溶けていく。スライムが黒猫の形になる。
「これで天珠は僕の体の中だ。僕を殺して奪っても、穢れて役立たずだ」
「無益に殺してもいいのだけどな」
ケビンの手から槍が消える。
「フサフサ、降ろせ」思玲のもがく声がする。「喧嘩にならなそうだ」
カラスを頭に乗せて、少女を抱えた白人女性が戻ってくる。思玲が腕からすとんと降りる。
ケビンは異形達をしばし見わたす。その後にシノを見つめる。
「奴らからあたえられた任務は、思玲を捕らえること。お前達は、それに反したことをしている。こいつらは信ずるに足るか?」
「うん」ドロシーがうなずく。
「シノに聞いた。お前は異形に贔屓する」
傷ついた桃を探してドウガネブイブイが飛んでいる。シノも強くうなずく。
「あなた達が目ざす険しき高峰の先は」
俺を見つめる。
「アンディや式神達の復讐につながる。アンディの無念を晴らすのを、私はあなたにも託したい」
いま夜半を過ぎた。妖怪である俺には分かる。ここからが本当の、百鬼が集う前夜祭だ。俺もうなずきを返す。
次回「越すべき峰のひとつ」