二十七の三 影添大社外宮

文字数 4,110文字

 麻卦さんが砂場を囲むフェンスに激突する。その中で数人の園児を遊ばせた保育士さん二人が悲鳴を上げる。
 視界が飛びこむ。襲撃を牙で教えてくれたニョロ子がどこからか伝えてくる。

 サイほどの大きさの巨大な白い虎。こいつが暴雪。森でない地の白虎。そいつは空に浮かんでいた。爪と牙を立てる。地面で呆然とする俺へと向かう。見上げてもなにもいないけど――

「うわあああ!」

 頭を抱えて慌てて逃げる。
 俺のいた場所の硬い地面が爆発する。振り向けば、大型ユンボで削られたように深くえぐられていた。
 また視界。青い顔の俺へと疾走する虎。俺の目には見えなくても。

「わあああ!」

 転がるように避ける。……暴雪が東京二十三区で、影添大社の真隣で襲ってきた。しかも山中と同じく、俺といる執務室長を真っ先に狙った。あの人は10メートルは吹っ飛ばされた。

「麻卦さん!」

 よくて重篤だろう執務室長へと駆ける。
 彼は立ちあがっていた。でも口から血を垂らす。

「俺といれば飛び蛇が攻撃を教えてくれます」
 執務室長の汗ばんだ手を握る。

「その必要はない」
 彼は口もとの血をぬぐいながら俺の手をはらう。

「空封、地封!」
 その声とともに、俺達はしめ縄に囲まれる。地面の丸と空中の十字のタイトな空間。
「飛びこんでこいよ。終わらせてやる」

 凶悪な結界だろうと白虎には意味ないだろう。なぜか攻撃してこない。
 大蔵司のもう片方の手には……くノ一が咥えて忍んでいそうな武器だけど、錆びて輝かないけど……これってあれだよな。
 昼間の異形。人の時間。白銀を恐れて立ち去ったか。

 結界の外では川田が横根を片手で抱えている。爪が伸びた手で四方を見張る……。牙も生えている。人であったフサフサと同じだ。やっぱり人の姿の異形だった。本性が露見されていく。

「俺も入れろ。ていうか哲人戦え」

 結界の上で迦楼羅が騒いでいる。またも異形に……。
 園児がドーンを指さしている。保育士さんがさらに怯える。人の目に見えてるじゃないか。
 結界内だろうとお構いなく、また視界が飛びこんでくる。まだいやがった。

 ドーンを襲うのに躊躇する暴雪。川田を無視する暴雪。空中に浮かぶ暴雪は俺の背中をじっと見つめている。結界が消えるなり一撃必殺されそうだ。でも視覚は続く。
 影添大社ビル屋上から飛び降りる人影。
 機会を待っていたかのように生垣から姿をだす蒼き狼は、その姿を人の目にさらす。
 刀をおろす折坂。牙をむきだす雅。赤色の矢。
 ビルの前でイウンヒョクがアーチェリーを向けていた。

「ぐわあああ」

 人の耳に聞こえるはずない異形の悲鳴に、街路樹の葉が揺れる。

「狼よ、ともに追うぞ」折坂の声が聴覚で。
「我が主の最大の敵。願ってもない」雅の声も聴覚で。
「俺も行くぜ。黒乱(フンナン)ついてこい」イウンヒョクの声も。

「やれやれ……。大蔵司、結界を消せ。おとなの目撃者はあの保母さんだけだ。記憶を消すしかない。俺の弱い術でも、怯えた一般人ならかかる」

 麻卦執務室長は、子ども達を乳母車に乗せる若い保育士二人を見つめていた。白シャツの背が暴雪の爪でざっくり裂かれている。血は流れていない。

「大丈夫ですか?」
 俺は執務室長の肩を支える。彼もただの人間だ。立っているのがあり得ない。

「いらん。俺は体術を学んだし、衣服に分厚く術をコーティングしてある。そもそも若い女以外に触られるのは好きじゃない」
 あり得ぬほど強靭だった執務室長が、またも俺の手をはらう。
「急いで社に入ろう。もはやお前達を人前に置けない。……大蔵司、みっともないからそのボロボロ苦無をしまえ。はやく結界を消せ……ないのか。役立たずめ。――解封」

 しめ縄が消える。

「そんなことできたのですか? 教えてくださいよ」
 言いながら大蔵司が苦無を手から消す。

「ボーナスひと月分でな」
「そしたら0.5か月だけっすよ」

  話題を逸らしてごまかそうと俺には分かる。あれは白銀でできている。しかもとっておきの純度。

「わっ、ニョロ子助かったよ」

 有能すぎる式神が俺の肩へ降りる。横根が川田の手から逃れる。川田の牙は消えていた。

「哲人はやく!」
「そうだった」

 俺はドーンへ笛を渡す。鳴らしてもカラスに戻らない。人の目に見えなくなっただけ。

「夜露死苦のままでいい。全員ついてこい」
 麻卦さんが何もなかったように歩きだす。雨がまた降りだす。

 ***

 俺は歩きながら知り得たことを教えた。

 執務室長は、
「政府が千住新橋の件の説明を懇願してきた。当社は何も知らんと突っぱねた。しかし白虎がここを襲うかよ、世も末だ、はああ」
 とぼやいていた。
 この人は動揺しない。してもすぐに立ち直る。人生経験が豊富だからかな。
「このままだと日本はモンスターワールドだぜ。俺も松本君ぐらい図太い神経が欲しいよ。はああ」


 影添大社であるビジネスビルの二階までは外付けの非常階段で移動した。
 そこは空きテナントに偽装されたスペースだった。八畳ほどの大きさの白木の祭壇には、大極図の布幕が、横向きで黒を上に飾られていた。
 儀式のためだろう木台とかはありふれたもの。お供えなのか一升瓶なども飾られていて俗ぽい。マイクやスピーカーもある。二十脚ほどの折り畳み椅子も。
 蛍光灯がつけられて薄暗さから解放されれば神聖さなどどこにもない。クーラーもつけられた。

 そこで横根が鳴らす横笛は音調も合わなくてつたないけど、珊瑚を濡れたように輝かせる。ドーンが迦楼羅からハシボソカラスに戻る。

「カカカ、もう瑞希ちゃんから離れられねーし」
「彼女は身を削っているのが分からねーのかよ。お前らのために」

 俺の頭にとまったドーンを大蔵司がにらむ。

「お前は邪魔だ。殺されるまえに出ていけ」
 川田が大蔵司をにらむ。「瑞希は俺の女だ」

 こんな奴ばかりだ。俺は二人の間に立つ。

「やめろよ。川田こそ追いだされるよ」
 それから、湿布を張って遅れて現れた執務室長へと、
「上海不夜会の狙いはさきほど告げたとおりです。夏奈とドロシーはすでに襲われているかもしれない。すぐに応援を送ってください」

「筋合いがないだろ。それに、こっちだって人手不足だぜ。なので折坂はとっくに宮司のもとに戻っている。狼と韓国人はまだ白虎を追っているみたいだがな。とにかくだ、お前らみたいに人を割く間抜けはしない。
世のため人のため、桜井はここで庇護してやる。香港ガールは香港へ帰らせろ。パスポートがないなら手配する。黙っていれば、とち狂った日本人に見えないこともない」

 それだと意味がない。いままでと同じなだけだ。夏奈の居場所が影添大社に替わるだけ。それにドロシーは香港に帰れない。よほどの土産がない限り。

「夏奈ちゃんに電話してある。出発準備中。ドロシーはまだ眠っているって」
 横根が会話の隙間に教えてくれて「麻卦さん、ここは祭祀場ですか?」
 健気に話題を変えようとする。

「外向けのな。なんで外宮(げくう)と呼ばれている。どこぞの神宮のぱくりじゃないぜ。ここに人を招き入れてご祈祷してやる。本来ならとてつもなく銭がかかるけど、お前らは特例の特例で入館無料だ」

「あ、あのいいですか」と横根が執務室長の饒舌をとめる。「告刀はいくらですか?」
「十億円。ヘリコプターよりは安い」

 麻卦が笑いながら即答する。かなりムカついてしまったが、その感情をさえぎるようにまた聴覚が。

「親玉がアメリカにいる状態では難しいだろうが。これはSランクの極秘情報だぞ」

 デニーの声だ。首に巻きついているニョロ子が、伝え忘れたらしきを補足で教えてくれた。こいつはマジで有能。
 つまり宮司はここにいない。ならば告刀は授けられない。では折坂さんはどこに? 宮司を守る演技を続けているだけ?

「川田、スマホを貸して」
 とりあえず自分の耳で二人の安否を確かめよう。履歴の先頭にある琥珀を押す。

『もしもーし、やっぱり哲人……天珠が…きなり切れてつながら……川……にかけてもでな…………我らが……は?』
「天珠はレンタル期間終了でデニーに取られたっぽい。沈栄桂がそっちに行くと思う」
『……をゆがめら……よく聞きとれな……思玲様は?』
「まだ。だから二人と一緒に逃げて」
『……ドロシーを起こ』

 電話が切れる……。

「済まないな。外宮は恒常的に電波をゆがめている。解除料は一分――」
「結構です」

 状況を察して琥珀達は急いでここへ向かうだろう。さすがにドロシーを連れてこれないから近辺までか。そして大惨事に驚くだろうな。貪め……。

「告刀もいりません。ドロシーの件は俺からも謝ります。申しわけございません」

 麻卦へ深く頭を下げる。横根もつきあう。川田の頭上でドーンもくちばしを下げる。

「お前達に怒っていない。だから社内に入れてやった。そんで俺は俺で動いている。
白虎がここを襲った件を韓国政府のある機関に伝えた。そこからキム老人に伝わるだろう。明日には特別機に乗って虎を迎えにくる。
韓流スターのイウンヒョク君も連れ帰ってもらう。あいつは野放図すぎる」

 俺達も九郎を韓国に送ったが、言う必要はない。麻卦さんの漫画世界的ルートのが確実だろうし。

「上海はどうにもならないが、おそらく影添大社の敵にならない。……そうするとやっぱり早めに桜井ちゃんを確保すべきかな。俺達は大蔵司をだす。お前達は川田をだせ。二人に行かせる」

 夏奈を人扱いしていない匂いがぷんぷんして気にいらないが、それこそ安心できる。

「社命ならば仕方ないっすね」大蔵司は同意するけど。

「俺は瑞希と離れない。松本の女も連れてくる」

「わ、私も一緒に行くよ」横根が川田へと告げて「その前に、奴らの狙いを教えてよ。仲間になったのならお願い」

 俺の首もとの赤い蛇が大儀そうに鎌首を上げ、俺の目をのぞき込む。指図を待っている。
 俺は執務室長を見る。うなずかれる。腕にはめた高そうな時計を指さしながら。

「うん。ダイジェストに要点をまとめて、みんなに教えて」

 影添大社外宮にいるのは、麻卦執務室長、大蔵司、俺、川田、ドーン、横根。
 六人を見下ろすように、ニョロ子が高くはない天井へと浮かぶ。
 あいつらが視覚として現れる。




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