二の一 見た目ほど若くない

文字数 2,742文字

 大通りにでて前後左右に人がいると安心する。自動販売機を見つけ、水のペットボトルを飲み干す。背後や路地をびくびく見ながら駅へと向かう。汗まみれの挙動不審な若者に見られようがかまわない。ここから去らないと……逃げないと。
 なんで異国の魔術師みたいな一団に襲われなければならない。昨日の昼を思いかえす――。


 *******


「私が設定をいじったために、今朝がた位置情報を発信させてしまった。香港製のアプリを入れているのにだ。早々に立ち去る必要がある」

 伸びたおかっぱ頭を小さく結んで、スーリンが扇子で踊りながら言う。なまけていた鍛錬を再開したそうだが、剣舞みたいでかわいらしい。

「哲人、どこかあてがないか?」女の子の問いに、

「あっちの世界に行けばいいんじゃないの?」

 俺は、膝の上で昼寝するリクトのむくむくした毛並みををさすりながら言う。この部屋主であるらしい片目の黒い子犬は、屋上で受けとってから半月以上たつのに、いっこうに大きくならない。俺は色々と違和を感じ始めている。

「ふざけて言うなよ。俺はいつでも行ってやるけどな」
 ドーンが本気の顔で怒ってくる。

「フーポーが戻る可能性はついえたが、代わりにこいつが来ると言っていたな」
 スーリンが亮相のポーズをとる。扇子を俺へと向ける。
「だが無理強いするな。カラスと座敷わらしでは、さすがに砕けにいくだけだ」

 たしかにあの雨あがりの夕方、ここに戻るなりそう言ったけど、
「スーリンちゃん。どたどたしていると、また下の学生が怒りだすよ」
 いまは話題をそらすだけだ。

「あのアニオタは一昨日帰省した。そんなことにも気づけぬ奴と行けるものか」
「だからこそギャンブルだし。箱を開けるじゃん。スーリンのおとなの体が戻るかも。魔法も」
「魔法ではない! ……なにがあろうと勝手に箱を開けるな」

 スーリンはドーンをにらみ、ひたいの汗を手でぬぐう。ちいさいキッチンに向かい、冷蔵庫から麦茶のポットをだす。両手で抱えて直接口をつけて飲み、ひと息つく。口もとを手でぬぐい、
「おとなに戻れぬだけならいい。もし瑞希がこの世にすでにないとしたら、白虎の玉が輝いているかもしれぬ。その光に狙われても、いまの私では抗えない」
 また台湾舞踊を始める。

「猫になるのが怖いのかよ。瑞希ちゃんがどうなったか知らなくていいのかよ」
 ドーンが小学生の女の子をにらむ。
「のんきに踊るなよ。師傅さんの仇はどうなったんだよ」

「貴様には関係ない」
 スーリンが絶妙なバランスで舞いを止め、ドーンをにらみかえす。
「せめて新月が過ぎてからだ」

 二人とも箱の中身のことで言いあっている。
 あの夕べ、瑞希ちゃんらしき女の子が残した手紙(あえて手紙と呼ぼう)を読んでから日にちは過ぎた。それでも、あの話が夢物語だなんて思いなおしたりしない。むしろ箱の重量(まさに人の重さだ)を知り、風がスーリンの命ずるままに物を運ぶのを見ると、さらに信じざるを得ない。自分の脳みそがいかれているのでないかぎり……。
 当然だと思うけど、信じれば信じるほど箱を開けることが怖くなった。誰だって好きこのんで異形になんかなりたくない。ましてや座敷わらしなどに。瑞希ちゃんにしろ夏奈ちゃんにしろ、実質的には面識のない女の子だし。リクトが親友だったなんて言われても……。
 子犬を人に戻してやるために妖怪になりたくない。誰であろうと当然と思う。この男以外は。

「カッ、このあいだは満月で、今度は新月かよ。びびってんだろ? 中身はアラサーのくせに」

 ドーンがまくしたてる。この子はそんな年だったんだ。スーリンは聞こえぬようにキッチンへ向かい、なにかをあさったあとに舞いを再開する。

「円形の扇だと、どうもさまにならぬな」

 また包丁と扇子を両手に持ち交差させる。狭い部屋で、これだけはやめて欲しい。

「スルーかよ。スーリンが猫になったらなったで、俺は瑞希ちゃんのことはあきらめる。でも、まだ異形になったままの川田と夏奈ちゃんがいるじゃん。この二人は生きているのだから、人に戻してやる。それにあの小鬼が味方だったから、俺達は助かったのだろ? そいつが捕まったままでいいのかよ?」

 ドーンは包丁を手に踊る小学生へとつかみかかる勢いだ。深刻な精神状態だったこいつも最近は立ちなおりかけている。身だしなみももとに戻り、四六時中赤い布をかぶらなくなった。……高校時代から続いた彼女と別れたらしい。聞いてほしくないようだから、俺も触れないでいる。

「私が猫になったら術も使えぬ。……私なら雪豹かな。どのみち、お前達とでは三つならんだアサガオだ。あっちの世界で半日も咲いていられぬ。……フーポーがいればな」
 スーリンが包丁をデスクに放り、無造作にたたんであった衣服を持つ。汗まみれでユニットバスに向かう。
「シャワーを浴びるゆえ、しばらくトイレを我慢しろ。お前らが少女への性的嗜好に目覚めたら不快ですまぬからな」

 女の子がドアの向こうに消える。年齢に関係なく、包丁を振りまわす女に嗜好を持てない。

「カッ、あの言いざまは姉ちゃんのときのまんまだ。哲人は覚えていなくてうらやましいぜ」
「あの子は三十前後だったのか?」
「もうちょい若かった。あおっただけだし。て言うか、すこしぐらい覚えてないのかよ? 瑞希ちゃんがどうなったのか、ヒントでいいからさ。哲人は頭いいから、そっから思いだすじゃん」

 パズルの断片ならばある。あの朝の出来事で、あっちの世界に関わりそうなことで、覚えていることはある。でも……、二人には悪いけど伝えたくない。もうひとつ存在する世界がすぐそばにあると知ってしまっては、それを教えるわけにはいかない。正直に言って一緒に行きたくない。
 爆睡していたリクトがいきなり顔をあげる。

トントントン

 風がサッシ窓を叩くように揺らす。子犬が尻尾を振りながら、俺の膝から飛び降りる。

「大ツバメが来たようだね」

 俺は毎度のように話題をそらして窓を開けてやる。風が部屋のなかを一周する。リクトが嬉しそうにその下を駆ける。ひんやりした部屋が外気の熱と混ざらぬように、窓をすぐに閉める。

「チューラン。スーリンはシャワーを浴びているよ。哲人の頭で休んでいろよ」
 ドーンが自分の目にも見えないなにかに声をかける。
「お前と俺、どっちが飛ぶの速いかな? カラスになったら勝負するじゃん。カカカッ」

 俺はもはやすべてを信じている。気にしていないと気づかないほどに頭に重みがかかったのは、大ツバメのチューラン(九郎と書くらしい)が俺に乗ったからだと信じている。でも超常めいたものの存在を三石にすら言っていない。あのロッカーを開ける前の俺のように、誰も信じるはずがないから。




次回「知らない知り合い」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み