六の三 絶対にめくってはいけない

文字数 3,233文字

 空へと跳ねる台輔は想像以上に速い。そして粗雑な乗り心地だ。ビルにかすめても破壊しない、何とでも同化する肉体。もちろん上に乗る異形にそんな特技はない。

「お願いだから建物に寄らないで」
 背びれにしがみつく川田にしがみつきながら哀願する。

「現在時刻を教えておくな。二十三時二分前だ」
 自力で追うのをあきらめた琥珀が、川田の頭に抱いたままで言う。パーカーが後ろに垂れて小さな角がむき出しになっている。
「瑞希ちゃんとは僕のスマホに手書き入力でやり取りした。それで、川田の親から電話があったらしい」

「それに横根はでたの?」
 川田のスマホは横根が預かったままだ。

「でた。彼女と匂わせて、里帰りできないと伝えた――ははは、台輔! もっとジャンプしろよ! 飛ばせ飛ばせ」

 ビルの屋上から屋上へと半月に届きそうな跳躍に興奮しやがる。
 ともかく、幼いころに事故で片目を失ったと改竄されているとしても、川田はみんなの記憶に戻っている。だったら、
「川田にほかの人からの連絡は? SNSは?」

「相変わらず皆無らしい」
 琥珀が答える。人付き合いの悪い偏屈な男とも改竄されているみたいだ。4-tuneに在籍にはなっているけど。
「モトカノから以外はね」

 ……日向七実。彼女だけが何度もスマホを鳴らす。正式には元ではない彼女の記憶にも川田は蘇っている。俺は彼女と会う約束をしたけど、俺の存在は記憶から消えているだろう。夏奈と同様に……。
 七実ちゃんと自然消滅して、サークル内でくっつかないだろうな。いまの横根とは犯罪だ。

「そっちはさすがに(横根が)出られないしな……メールが来ているかも」

 彼女はガラケーだった。やり取りがあるのなら、成りすまして返信すべきかもって、犯罪者のアリバイ作りみたいだ。そこまで関わる必要ない。本人は会話にまったく興味がないみたいだし。

「悪い」
 俺がしがみついているのに屁をするし。

 *

「病み上がりだから疲れた。川田が爪をたてるから痛いきゅー。もうすぐ社だし降りてな」
 ピンクのイルカが日暮里近郊の広大な霊園に着地する。墓石は壊していない。
「やっぱし車に封じられるほうが楽だな。今度はバスがいいな、きゅーきゅー」

「こんな場所に降りるなよ。霊がちらほらいる」と琥珀がふわりと浮かぶ。うらやましい。
 たしかに死霊は俺達と関わるとろくでもないことになる。

「霊だろうと人の形は喰わないからな」
 川田が飛び降りる。ぶつかって倒した墓石を直させる。こいつがいたら怨霊も寄ってこないだろう。

「台輔もまあまあ早かったじゃん、カカカ」
「車よりはな、チチチ」
 二羽の異形が俺と川田の頭に降りる。

「静かにしろ」
 琥珀が天珠を耳に当てる。
「いまどちらでしょうか? ……あのあと台輔が

尽力により復活しました。はい、タフです。すでに絶好調です。我々は奴に乗り近くの墓場に来ております。はい、全員がです。……御意。ただちに移動します。
仕方ないから隣の公園に来るようにと仰せだ。大蔵司の喜びの雄叫びが聞こえたぜ」

「俺も社には入れない。公園で合流な、きゅきゅきゅ」

 台輔が地面に潜る。尾びれだけをだして左右に振って消える。地面に穴は開いてなかった。
 俺達は日暮里の駅を横断しないとならないな。

「川田はサングラスを持ってきてないよね?」
「ある」

 ジャージのポケットからとりだして顔にかける。強面だけど外したほうがさらに怖い。

「さきに行っている」と琥珀と九郎が飛んでいく。

 飛べない二人は地面を歩く。カラスが道案内のように低く飛ぶ。
 線路をまたぐ橋を降りて商店街に入る。歩道の端をうつむいて歩くように川田へ指示する。人通りは少なくないが、誰も川田と目を合わせない。俺は慣れているけど、夜の川田からは暴力の匂いが漂う。警察も職質をためらうだろう。

「七実ちゃんも覚えてないよね?」
 人の姿に戻っても、川田は両親も妹も思いださない。それでも聞いてみる。

「俺が知っている人間はケビン、松本、瑞希、思玲、龍、松本の女とその仲間ぐらいだ」

 松本の女というのはドロシーのことだろう。それを否定するよりも、ドーンを加えてないことよりも、

「龍と呼ぶな。桜井夏奈だ」
「松本が怒ると思ったから人に入れた。なのに怒るな」

 川田がむくれる。俺も怒っているのでお互いむっつり歩く。人に見える異形と見えない異形が並んで歩く。ドーンは降りてこない。目立ちすぎるものな。

「夏奈から龍を追いだす。ドーンを人に戻す。横根を二十歳に戻す」
 やっぱり俺から話しだす。「俺と川田も人に戻る。しかも急ぎでだよ」

 思玲とドロシーもだけど、それは俺だけでやるしかない。最優先は隣を歩く片目の大男だ。満月の夜祭までに、手負いの獣人から大柄な二股狙い男に戻さないとならない。

「弱くなるなら、これ以上人間になりたくない。瑞希と松本を守れなくなる」
 川田が歩を緩めずに言う。「特に松本をだな。さもないとお前はいきなり死ぬ」

 妖怪のくせに、ずっと何も食べてないくせに、胃からこみ上げるものを感じた。

――鏡の導きをすこしだけ見た

 涼しげな声を思いだしてしまう。

――未来の断片を教えておこうか。松本は、死んだことも気づかずに殺される。こいつらと並び立つ存在にね

 立ちどまってしまう。藤川匠は死者の書を見た。俺の未来を暗示した。白虎に殺されることを……。
 未来は決まってないから未来だ。死者が予見できるはずない。それよりも、藤川匠は死者の書を投げ捨てた。奴は書に囚われなかった。ならば俺だって……。
 そうだった。ここには古来からの智が凝縮されている。五人が人に戻る方法もしたためられているに決まっている。

「そこのお寺に寄ろう」
 川田へ言う。書だけが浮かんで人を驚かさない暗闇へ行こう。

「俺は瑞希のもとに行きたい」
「ちょっとだけだよ」
「腹に隠してあるのものを見るのか?」

 川田がサングラスを上げる。残された目で無表情に俺を見る。

「……ちょっとだけ死者の書に尋ねてみたいけど、どう思う?」
「絶対に見てはいけない。よこせ。噛み砕いてやる」

 川田が大きな手を俺のシャツへと向けてくる。

「駄目だよ。これを読めば、みんながもとに戻れるかもしれない」
「だが松本はあの二人みたいに惨めに死ぬ」

 楊偉天と張麗豪のことだ。
 路上で立ちどまり中空をにらむ川田を見て、俺が見えない二十代後半の男女が反対側の道へ去る。
 俺は夜空を見上げる。ドーンはいない。さきに向かったのだろう。

「藤川匠は平気だった。俺も無事かもしれない」
「あの人間は心も強い。松本では無理だ。どうしても見たいと言うのならば笛を寄こせ。俺がドーンを守る」

 俺へと手をつきだしたままだ。
 川田の言葉が正しいに決まっている。月神の剣は藤川匠を選んだ。悪だとしても奴のが強者だからだ。俺は弱いからつけ入れられる。でも死者の書を手離したくない。

「……勝手にしろ。俺はもう行く」
 川田が歩きだす。「松本はもう群れのリーダーではない。お前の仲間は奴らだ」

「奴らって?」
 言った後に陰鬱な気を感じてしまう……。あいつらだ。香港から中国経由で俺を追いかけてきやがった。手負いの獣が俺を見捨てるなり近づいてきた。

「お前らは香港に帰れ!」
 背後の六体の人の形の黒い陽炎へ怒鳴る。川田へと、
「待て! 俺がいないと誰も守れない。川田だけじゃ横根を守れない。……だから俺を守ってよ」

 川田が振り返る。
「分かった。よこせ」
 また手をつきだしてくる。

「これは俺のものではない。南京って町のお寺の宝物だよ」
 俺は首を横に振る。腹を押さえる。
「だから破かない。俺が管理しないとならない」

 川田はしばらく俺を見ていたけど、
「ドーンが戻ってきた。雅も合流したな」
 また歩きだす。

 俺は川田の横に並んで歩く。お互い黙ったまま歩く。六魄の気配はなくなった。

「何かあったの? ていうか笛あるよな? そろそろ腹減りそう」
 ドーンが電線からまくし立てる。




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