十七の二 真なるハンター

文字数 3,080文字

「移動すべきかもね。ボス犬が顔をださなかった」フサフサが言う

「……なるほど。こいつらを囮にして、なにか企んだのか」
 露泥無が答える。
「Aランクの守備体制になるべきだ。緋色のサテンがあるのだろ? 松本は体を覆うべきだ」

 それはできない。あの護布には四玉の箱を守ってもらう。いまもみんなの魂を守っている。
 いまは何時だろう。思玲達は無事だろうか。思玲から預かったスマホはあるけど画面は真っ暗だ。電源を入れると琥珀のトラップが発動する。……天珠を使って連絡するのはありかも。『起こすな』と怒らせそうだが時間も聞こう。
 護符をしまい小物だらけの左ポケットを探る。笛がふたつと天珠がひとつ。いったんすべて取りだす。天珠を見るヨタカの目がわずらわしいが、フサフサが笑いながら牽制している。犬笛と鷹笛は右ポケットに移す。こっちには思玲から受けとったスマホがある。リュックサックの外ポケットを借りるべきか。笛は使わずしまいだな。
 このいきさつをドロシー達へどう伝えたらいいのか……。
 やっぱり連絡はやめだ。

――お前か

 背後で声がしたのは一瞬で、俺は頭をくわえられる。牙が刺さるのを感じた。振りまわされる。フサフサの伸びた爪が目の前に現れる。

「フギー!」

 猫の絶叫が聞こえた。俺の首をへし折ろうとした力が弱まる。でも放り投げられる。樹木でバウンドして下草に落ちる。
 痛みが強すぎて分からない。かすんだ目で女性と巨大な犬が落ちてくるのを見る。闇が俺を覆っていく。

「首が取れかけているが耐えろ。今夜ならじきに復活する」
 ヨタカであり女の子でもあった声。俺を包むスライムのような闇。
「これが僕の本性だ。闇に溶けない闇だ。松本をしばらく包んでいてもいいが、僕はフサフサに加勢したい。さもないと、あの町のボス猫は異形のまま山奥で死ぬ」

「私は野良猫だ。いつでもどこでものたれ死んでやるさ」
 フサフサは聞こえていた。「犬にかみ殺されるのだけはごめんだけどね」

 白人のおばさんであるフサフサは狼に押し倒されていた。俺は立ちあがろうとして、首が前に垂れる。……マジでちぎれかけている。首をうしろへと押しながら浮かびあがる。
 手につく血は多くはない。頭に食いこんだ牙の傷が埋もれていくのを感じる。痛みはじわじわとおさまっていく。新月前夜。

「哲人、逃げないでおくれ。こいつに背中を見せたら終わりだ」
 フサフサはマウントを奪おうとしている。

 フサフサのスピードとパワー相手に互角以上に戦っているのが雅。
 狼は青灰色の毛皮をまとい美しかった。狼であった川田より一回り以上はでかい――。
 フサフサの巨体が飛ばされる。同時に青い狼が俺へと向かう。前足に熊のような爪が見えて、瞬時に顔面を切り裂かれる。押さえつけられて生臭い息を感じる。牙が見えた。

「ヤメナサイ、蒼キ狼!」人の声がした。「犬笛ハ受ケ継イダモノデスヨ」

 夕方にお寺で見たおばさんが閉じた日傘で狼を叩く。……これが露泥無の最強形態。狼が振り向いて、女性は溶けて消える。

「ハラペコ、護符を拾え! 哲人に渡せ!」
 入れ替わりに白人女性が狼に飛びかかる。

 俺の手に護符がないことに気づく。天珠だけを握っていた。首をのけぞらせながら、ふわふわと浮かぶ。

「足もとを見せるな!」フサフサの怒声。

 彼女を振り払った狼が俺へと跳躍する。足をすぼめたすぐ下で、ぶつ切り包丁を重ねたような噛み音が二度聞こえた。
 俺は木の股へと着地する。……首の傷は張りつきつつある。食われたわけではないからだ。青い狼は地上から俺だけを見ていた。なぜだか俺だけを狙っている。

「今回の主は古来より一番弱かった。だが優しかった」
 雅がうなる。
「いずれ私にふさわしい者になると誓ったので従った。だが、どの主よりも一番早く死んだ」

 狼が跳躍する。俺は空に逃れる。
 森が沢を覆っている。首がつながったと感じる。

「ア、アンディは素晴らしい人だった」とにかく説得だ。「その恋人であったシノが――」

 見おろした地面に雅はいなかった。

「貴様と同罪の名を呼ぶな!」

 高い木の枝から青灰色の影が跳躍した。俺は足をすくめる。雅は首を狙っていた。とっさに手で避けるが、雅とともに沢へと落ちる。深みにはまる。空と同じ要領で浮かぶ。
 水滴は俺には付着しない。岩の上に降りた狼を見る。雅がくわえたものを吐きだした。……俺は自分の左腕がないことに気づく。捨てられた俺の腕は、岩から転がりながら溶けていく。
 百鬼の時間だ。腕には痛みも血もない。顔から血の気が引いていくだけだ。

「名残である笛を手にするのは、あの主を愚弄することだ」
 雅が俺を見あげる。
「お前が笛をだしたとき、あの女の匂いもした。裏切り者どもの頭領でなかったとしても、貴様とシノは消す」

 俺は犬笛を持つから狙われた。ハイエナ達は誰かにそそのかされ、狼のもとに戻ったが裏切りは見抜かれていた。そして、

「ふざけんな!」
 片腕を失った俺はなおも叫ぶ。
「シノさんに牙を向けたら、お前を説得などしない。ドロシーの頼みでもだ!」

 なんで恋人の形見を握った人が狙われなければならない。やはりこいつも消されるべき異形だ。こいつを倒せばシノを守れる。俺の腕のことは、それから心配してやる。

ウォーン

 沢を見おろす巨岩の上で雅が吠える。これは弔いの鳴き声だ。雅が俺へと飛びかかる。

「倒せ」

 俺は眺めるだけの木霊達に命じる。だが木霊は従わない。……だったら逃げないと。

「フギー!!!」

 森から跳ねでたフサフサが空中の雅へと飛びかかる。ともに淵に落ち、水しぶきが高々と舞う――。雅が飛びでてくる。また俺へと向かう。その尾を水の中から伸びた手がつかむ。狼を岸の岩へと叩きつける。

「いまさら分かったよ。哲人は人を守るために私を呼ぶのだね」
 水の中から、びしょ濡れのフサフサが上半身をだす。
「だったら私が哲人を守るのも仕方ないことさ」

 フサフサは肩からみぞおちまで切り裂かれていた。流れる血が暗い水面に浮かび、流れながら消えていく。蒼い狼は森へと退く。そこからまた俺だけを狙うだろう。

「護符の力を知る機会だとしても痛恨だな」
 ヨタカが飛んできた。「人に戻れば腕も戻る。それまで死ななければの話だが」

 俺の前に雷型の木札を落とす。残された腕でそれを拾う。ヨタカは地面に落ち黒猫となる。黒猫はフサフサに飛びつき、うごめく闇となり傷を覆う。
 沢の流れだけが聞こえる。森から狼が姿をあらわす。もはやひそんで飛びかかろうなどしない。その佇まいは死すべき俺達に敬意をはらっているようだ。

「俺はまだ死なない!」護符をかかげる。「貴様は悪しき異形だ」

 紙垂型の木札がうっすら輝く。なのにドロシーを思いだす。輝きが消えていく。

「なにを思った!」

 雅が俺へと飛ぶ。俺は力なき護符を向ける。

ビュン

 しなる音が聞こえ、狼が脇へと逃れる。頭上へと牙を向ける。

ビュン

 また空気を切り裂く音――。俺の手から木札が消える。

「お前が雅か」頭上からの静かなる声。「たしかに私にふさわしいかもしれない」

 人間が巨岩の上に着地して、眼鏡の縁をあげる。片手には書物を、もう片方の手には鞭を持っていた。術の光で作られた鞭。
 男は鞭の先の護符を沢に落とす。書物をひろげる。

「……まだ読めない」静かに言う。「護符の仕業ではなかった。妨げる宝珠でもあるというのか?」

「それは、死者の書(スーヂュアシュ)……」
 フサフサに張りつく闇がつぶやく。

「哲人……」
 フサフサは人に興味を見せず、下流だけを見つめる。
「ツチカベが来ちまったよ」




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