三十六の二 埃まみれの伝承

文字数 3,799文字

『あなたと話すことをボスが認めてくれました。ただしドロシーの所在が条件です』
 再び電話にでたシノは広東語だった。

「ボスって誰?」
『十四時茶会の方です』

 それ以上細かく伝える気はないようだ。俺だって知る必要ない。

「彼女がどこにいるか教えられない。協力してくれたのにごめんなさい」
『残念ですが、そのように伝えます』
 あっけなく電話が終わってしまう。

 ゼカニュの時代の司祭長について。それと龍の弟について。

 以前シノに尋ねたこと。過去の出来事だって、十四時茶会の人名ほどに知らなくていいはずだ。
 俺は冷蔵庫を開ける。市販の弁当が三個とミネラルウォーターが三本入っていた。同じ種類だから選ぶ必要ない。

「川田は食べたんだ?」
 冷蔵庫の上の電子レンジに入れながら聞く。

「ああ。まずいし糞がでるが、腹にいれないと怒りぽくなるからな。松本ぐらいにだ」
「俺は滅多に怒らないよ。……川田はちょっとだけ閉じこもらないとならない」

 水牢ってどんなだろう。レジェンドの大和獣人が抜けだせない堅牢なものだと思うけど。

「瑞希と一緒ならば入る。それ以外はいやだ」
「横根はもうすぐあっちの世界に帰る。俺と一緒ならいい?」
「松本は松本の女と入れ。俺は瑞希を守る」

 川田は人であった時分から頑固だった。むしろリクトのが素直なぐらいだった。

「俺はドロシーとそんなところに入らない」
 ペットボトルを一口飲んだあとに言う。

「わかった。敵にまわすと手ごわいが、まだ松本を信じている。いまのうちに寝込みを襲うべきだな」

 こいつは観察しまくりだ。

「俺の言った意味を勘違いしているよね。彼女は仲間のままだ。だから牢屋に入れない」

 レンジが鳴ったので、人に戻って二度目の食事にとりかかる。温かい白飯に鮭や唐揚げ。思玲と食べたサンドイッチのがうまく感じる。

「たぶん一晩だけだから(牢屋に)入ってよ。横根とは、その後いくらでも会える」
 コロッケをほおばりながら言う。

「ドーンは生きているかな? 雅が水牢に入り、俺がドーンを守るでどうだ?」
 川田はそう言ってまた床に転がる。

 たしかに雅だって満月系かつ凶暴系だ。でも思玲が妖怪博士に聞いてある。

「あの狼は主に絶対服従だから明日の夜も冷静らしい」
 それにドーンに選択権があったら、雅を選ぶだろう。

「思玲が死んだら雅はどうなる?」
 川田が床から俺を見上げてくる。

「ど、どうなるって、もう誰も死なない。死なせない」
「さすがはボスだ。……ニョロ子が戻ってきた。あいつが松本の新しい女だな」
「冗談で言っているよね?」
「もちろんだ。スマホが揺れているぞ」

 ベッドの上で俺のスマホが振動していた。手にすると同時に止まる。不在着信は登録してない番号――852から始まっている。梁勲と同じく香港からだ。

「ニョロ子がここに入れないで困っている。折坂の仕業だ。迎えにいくか?」
「電話をかけなおしてからね。ドアを壊すなよ」
 国際電話へリダイアルする。

『ニーハオ、リクトは元気か? 思玲の胸はでかくなったか?』
 広東語で若い男の声がした。

「ケビンですか?」
『ああ。俺はシンプルだからお前のことが分からない。だがシノが困っていたから手助けしてやった。俺からボスへシンプルにお願いしたので、ドロシーのことは言わなくていい。ではシノに換わるぜ』

『もしもし、さっきはごめんなさい』
 さきほどよりずっと明るくてくだけたシノの声がした。
『頼まれたことはふたつですよね? まず司祭長ですが、やはり書物に残っていません。あの時代は歴史上でも混乱の絶頂なので仕方ありません。ただし“龍の弟”は埃にまみれながらも伝わっています。悪である大魔導師ゼガニュよりはるかにです。この人は英雄です』

 正しき名が残らぬゼ・カン・ユこそ遺棄された存在だけど。
 英雄……。梁勲との会話ででてきたばかり。

『本名は知りません。呼び名だけが残っています。龍の弟がフロレ・エスタスにとどめを刺したそうです。共倒れだったとしても、邪悪な巨大な龍を殺しました』

 弟が姉を倒した? しかも、

「共倒れ?」
『はい。なぜ龍の弟と呼ばれたかというと、この女性は龍に匹敵する力を持っていたからです。おそらく、いまで言う魔導師もしくは魔道士――忌むべき力を携えていたのでしょう』

「……女性ですか」
 なぜか安堵を覚えてしまう。峻計と藤川匠の会話でも、娘が現れたな。

『彼女は戦場に立つため男装して鎧をまとったそうです。実際は、とても美しい女性でした。伝承ですから、どこまでが現実でどこからがおとぎ話か分からないですけどね』

「サマー・ボラー・ブルート」
 俺はつぶやいてしまう。

『……なぜにそれを知っているのですか? それは龍の弟の、別の通り名です。夏の花を意味します。……彼女は若き魔女でした。そのときの名前です。バルカンでのヴァルプルギスナハトを取り仕切りるほどの黒き魔女。それが改心して、おのれの命と引き換えにフロレ・エスタスを殺しました。
ひと月前なら笑い飛ばした物語は以上です』

「ありがとう。とても助かりました」
 またも湧きだした頭痛に耐えながら告げる。

その娘をとめろ

 思玲の声がよみがえる。

『私の本心は、あなたは人に戻れたのならば、ドロシーから遠ざかるべきです。私は正直に言うと、あの子が怖い。自己中心的で分別ない行動はもちろんだけど……心のどこかに隠したものが、たまに顔をだす。それは闇というか……』

 人に対する憎悪。言葉にされなくても分かっている。

「ドロシーは弱いだけです。……ケビンに換わってもらえますか? お礼を言いたい」
『彼はもう持ち場に戻りました。話したければ香港に来てください。ふふっ』
「シノもまた日本に来てください。それではサヨウナラ」

 シノが笑ってくれたので、俺も日本語で別れを告げる余裕ができた。
 いつも通り頭痛は瞬間的だ。おとなしいままの川田を見ると、俺の食べかけの弁当を平らげていた。器を舌で舐めるのは、かなり前にやめさせている。

「新しいのが冷蔵庫にあるだろ」
「それは後で食べる。ニョロ子は公園にいるみたいだな」

 なんでそれが分かるかは聞かない。備え付けの内線電話にかける。しばらく鳴らしても応答がない。あきらめて受話器を降ろした一分後に、大蔵司からかかってきた。

「公園に行きたい」
『なんのために?』

 飛び蛇と合流するため。正直に答えるべきだろうか。

「川田の気晴らし。冷蔵庫を壊しそう」
『いったん切るけど待っていて』

 なんで隔離されないといけないのかと疑問を抱きながら待つ。数分後に大蔵司からかかってきた。

『執務室長から了承を得た。折坂さんも、社内に入れないならば飛び蛇と会うのは好きにしろだって。私が同伴する』

 バレバレだったのか。「ありがとう」と電話を切る。急いでトイレに行く。麻卦さんがどろんと現れないだろうな。
 しかし放尿だけで多幸感を感じていたとは。しばらく異形をしたおかげで気付かされる。

「外出するなら瑞希も呼びたい」
 開けたままで用を足す俺の背中へという。

「ちょっとだけだから我慢しな」
 ファスナーを上げながら答える。

 俺は新しい弁当を温めることなくベッドに横たわる。全身の打ち身は悪化していない。湿布は面倒だから貼らない……。目を閉じると、間近で目をつむる思玲の顔が浮かんだ。

「川田の女子の順位を教えてよ。横根は除外」
「意味が分からない。松本が教えろ」
「俺も分からないから聞いた」

 俺は誰が好きなのか? そんなの戦いに必要なく、むしろ邪魔になるものだ。なのに気になるのは梁勲との電話のせいだ。漠然だけどそう感じる。

 それこそずっと、サークルを決めるほどに桜井夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈だった。『たくみ君』をあれだけ聞かされるまでは。
 二人して生き返り白虎の戦いを経て、ドロシーへ変わった。でもこれは心理学的に説明できるかも。極限状態で恋愛感情が芽生える奴だ。その証拠に、あっという間に醒めて、反動で嫌悪感さえ生まれていて……また心は揺らぎだしている。声を聞くといらだちそうで、それも怖い。

 思玲は(理由は何であれ)俺と抱き合うことを望んだ。俺だって夢想していた。彼女が恥じらいをもって接してきたら、帰りは一時間ほど遅れただろう。それで関係が変わるとも思えない。顔を合わせるたびに、心地よい気まずさはあるとしても……。
 お互いが望もうとも、彼女とはいまの関係以上になることないだろう――いまの関係って何だろう? 思玲はなんでここにいるのだろう。
 ドアをノックされて、解錠される音がした。

 ***

 来たときと同じルートで戻る。大蔵司は無言だから俺も川田も黙ったまま。外は暗くなっていた。雨はやんでいるけど雲は重いまま。
 スロープの出口――ドロシーのいた場所でニョロ子が待っていた。公園へゆっくり飛んでいく。

「誘導しているね。台輔、異常は?」
「特にないかな。キューキュー。桃子さんも空から見張っているな。キューキュー」

 モモン蛾のが陸海豚より立ち位置が上らしい。アスファルトからの返事を受けて、俺達は飛び蛇の後を追う。大蔵司が神楽鈴を手に現す。
 薄暗い公園に人はいない。ぬかるんだ小道。ニョロ子は反対側まで飛んでいく。水遊び場の手前で浮かんで俺達を待つ。

「影添大社の者もいるのか。だけど仕方ない。僕が想定した範囲内だ」
 完全なる闇の声が生垣からした。




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