三の二 十七時からの十四時茶会

文字数 4,134文字

「日本から戻る風軍の上で、私は泣くだけだった」
 ドロシーは泣きやんでもうつむいたままだ。
「台湾を過ぎたあたりで王姐に小突かれた。『どうせ没収される』と扇を預けられた。雅も任された。以後は彼女と会っていないけど、別れ際に言われた。
『お前の力が必要だ。すぐに傷を癒せ』なのにまだ治らない」

 また顔を覆って泣きだした。そろそろ喚問の時間じゃないのか?

「思玲は茶会に来るの?」

 ドロシーが鼻をすすり顔を上げる。

「最後に顔をだすと思う。まずは冥神の輪の引き渡し。それと死者の書の引き渡し。影添大社の者が退席してからになる。だから哲人さんは残らないとならない」

 用心棒を投げだしていることを思いだした。でもそれよりも、思玲よりも……「死者の書?」

 そうだよ、ここにあるんだ。つかみかかるほどに聞きなおしてしまい、ドロシーがベットに後ずさる。
 雅のうなり声が聞こえた。

「……六魄ちゃんが騒ぎだしたのかな? あの物騒な書だって南京に返す。だから影添大社の男に引き渡す。あんなものを宝に思うのは大陸の古びた連中だけだ」
 目を手の甲でこすり、ドロシーが松葉杖を支えに立ちあがる。
「行こう。私がいるから怖がることはない。お爺ちゃんは味方になる。つまり誰もなにも言えない」

 もともと俺は怖くない。為すべきことのために恐れる必要はない。それよりも……六魄が騒ぎだしたらしいよな……死に憑りつかれていると言われたよな。もしかして。
 俺は死者の書に囚われているかも。

 ***

 ドロシーの話によると、本来の十四時茶会は本部でおこなわれるらしい。この支部で開催される理由は、日本人と異形が参加するため急きょだそうだ。
「まだすごく痛い」らしい太ももの傷をかばいながら歩くドロシー。その真横に雅が付き従う。
 俺は彼女達のすぐ背後で回廊を進む。その後ろに六体の人の魄だったものが揺らめきながら続く。部屋の前で見張りをする男達が雅へうなずく。この狼はアンディの式神だったな。彼らは俺と六魄には顔をしかめる。ドロシーを目で追う人もいた。

「雅ちゃんは六魄ちゃん達を見張っていて」
「本来ならば従わないが、我が主に『容易な言い付けは聞いてやれ』と仰せつかっている」

 雅が弁解じみて言うけど、それよりこいつらにさえ『ちゃん』づけかよ。その六体の異形はついてこない。俺を慕う心よりも蒼い狼を怖れる心のが強いようだ。
 雅は極めて無口だけど、主から受けた使命を全うすることに専念しているのだろう。災いもたらすものを誰もドロシーに近寄らせない。

 入るなりジャスミンの香りがした。
 部屋は、都心の居酒屋の十人は入れる個室をもう少しだけ広くした程度だった。南国ぽい花が飾られたでかいテーブルと椅子でほぼ満タンで、周囲の棚に中華ぽい調度品が飾られていた。
 十四時茶会メンバーであろう七人が腰かけていて、梁勲が奥に座り人の言葉で周囲と話していた。俺をちらりとだけ見る。護衛らしき人は入口に二人、座る者の背後にもそれぞれいて過密状態だ。

 みなと離れた末席に麻卦執務室長が座っていた。ケビンとシノはいない。座った人の前にだけチャイナチックで小振りな湯呑み茶碗。点心はなかった。
 執務室長が隣の椅子を指さすけど、彼の背後に立つ。

「梁勲さんに異形をけしかけられました。それで離れ離れだったのです。聞いていますか?」
 何か言われる前に俺から口にする。

「広東語だからよく分からないが、それらしき話題をして笑っていやがった。……どうも敵意を感じる」
 そういう執務室長の前にだけ赤ワインとナッツが置かれていた。
「酒は上玉をだしてくれたけどな。いざとなったら一緒に戦えよ」

 俺は茶会メンバーを眺める。男五人女二人で一番若いのでも四十代ぐらい。彼らも俺を見つめていた。扇をあおぐ者もいれば短槍を椅子に立てかけた者もいる。護衛の一部のポケットからは拳銃の尻がはみでている。俺と麻卦さんで勝てそうもないし戦いたくもない。

「梁勲。ドロシーが外にいるよ。もっと離しておくれ」

 かなりの老婆というしか言いようのない年齢の人が、護衛を二人――でなく鬼を二体連れて入ってきた。小柄なお婆さんは、白シャツで朱色の蛇を首に巻いていた。すたすたと奥へと歩み梁勲の隣に座る。

「孫は警備も兼ねている。あんたがわざわざ来てくれたのだから、厳重にしないとな」
 梁勲はそう言い「老大大が来たので出席メンバー全員が揃った。始めさせてもらおう」

「まだだよ」
 老婆が即座に言う。「六魄までもいた。奴らはドロシーに懐いたのだろ? やっぱり私の見立ての通りだ。あの娘は死に尊ばれている」

「あれは俺に憑りつきました。ドロシーは無関係です」

 百歳ぐらいの縦にも横にも萎びた婆さんだろうが矍鑠(かくしゃく)かつカチンとする物言いなので、思わず口にだしてしまった。
 護衛を含めて全員が俺を見る。腰巻だけの鬼達も。物珍しげな面が敵意に変わっていく。

「周婆さん、俺達は日本を朝早くにでて、ここへ直行した。疲れているから早く始めてくれ」
 俺の前に座る麻卦さんがそう言ってワインに口をつける。まさにヒーローだ。

「グヒヒヒ、我が主よ。こいつを倒しますか?」
「ゲヒヒ、後ろの弱そうなのを食っちまいましょうか?」
 でも鬼達が喜びだした。

「客人の言うとおりです。始めましょう」
 一番若いツーブロック髪型の中年親父が口を開く。
「麻卦氏は広東語にも英語にも不慣れと言うので、魔の言葉を用います。これより先は人の言葉を使わぬようにしてください。そこから誤解が生じます」

「ダトヨ。気ヲツケナイトナ」
 麻卦さんが振り向いて日本語で言う。こいつのが敵意丸出しじゃないか。

「儀式めいた挨拶は我々魔道団は好みません。さっそく南京の魔道具の引き渡しと報酬の受け取りに進むべきなのですが、その前に麻卦氏に尋ねたいことがあります。――レジーから話してくれ」

「日本で我々にとって悲しむことが起きた。それに対して何ら弔悼の言葉をいただいていない」
 五十ぐらいの薄い髪で薄い水色シャツの男が麻卦さんをにらむ。
「聞かせてくれないか? すべてはそれからだ」

「悼辞をか? 何が起きたかをか?」
「両方だ」

 吐き捨てるように言われて、麻卦さんが立ち上がる。

「あなた方の尊い仲間に痛ましい不幸が襲ったことは存じております。あえて口にしなかったのは、それがまだ終わっていないからです。
龍を倒すこと。その主を倒すこと。それを為し得ないと、私の口から軽々しく弔意を告げられません。あなた方の貴重な犠牲のおかげで、日本にはまだ惨禍が訪れていません。そして、このまま両方の世界が水平に保たれることを私は望んでいます。
更なるお力添えがあれば、影添大社の宮司から、弔いの告刀が彼らの魂に授けられるでしょう」

 麻卦さんが一礼して座る。
 室内は沈黙に包まれるが、それは決して敵愾心からでない。告刀……という嘆息めいた声が聞こえた。俺の鼓動も早まった、異形のくせに。

「金を積まれようがね、私達はもう団員を送らないよ」
 周婆さんが口を開く。
「龍の相手などしたら命がいくつあっても足りない。どうしてもと言うのならば、梁勲が孫を連れていけばいいさ」

「もちろん私も梓群もいかない」
 梁勲が続けて言う。
「本来ならば更に聞きたいのだが、影添大社の立場を理解できた。我々はそれに力添えできないのだから、私達もとやかく言うべきではないだろう」

「ドウチェ」
 麻卦さんが頭を下げて座る。内心では笑っていそうな気配が、背後にいると伝わってくる。
「では本来の約束を済ませましょう」

「私は会計を任されている」
 四十ぐらいの男が挙手しながら俺を一瞥する。
「大蔵司京という娘が日本で異形だか人に輸血したと聞く。それらの請求も我々に回っている。これではあなた達と友好的になれない」

「なれなくて当然だ。口を慎め」
 梁勲が男をにらむ。
「ここから先は私と麻卦氏と老大大で済ませる。全員でてくれ。鬼も松本哲人もだ」

「入口に張りついていろ。呼んだらすぐに来いよ」
 麻卦さんに言われる。入口に一番近い俺から退室する。

 *

「どうだった?」

 出るなりドロシーに聞かれる。六魄まで寄ってきてうっとうしい。鬼がゲヒゲヒうるさい。

「うまくいったみたい。……魔道団も告刀を知っていたんだ。当然か」
「魔道士とは違う系統の呪術だよね。いまは日本に残るだけらしいけど、興味ないからよく知らない。……最後に入ったお婆さんがいるでしょ? 私のことを言っていなかった?」

 言われて思いだし、漂う六魄達を見つめる。

「こいつらの主をドロシーと勘違いした。懐かれるのってあまりよくないみたいだね」
 どう考えてもそうに決まっている。追い払いたい。日本には連れ帰らない。

「そう? 抜け殻でも時を経たからかわいくなったのに」
 そう言って黒い陽炎を触ろうとして、するりと滑る。ほかの魄も慌てて逃げる。

「君があの法董を倒したらしいな。さらには人の姿で、使い魔を消滅させたんだってな」

 レジーと呼ばれた男性に話しかけられる。異形にフレンドリーな人がドロシー以外にいたとは。でも、やっぱり蔑んだ目を隠せない。

「俺だけの力じゃないです。それこそドロシーやシノやケビン、なによりアンディがいたからです。ほかの方々のおかげでもあります」

 麻卦さんを見習い殊勝な言葉を口にする。法董を倒せたのは峻計と手負いの獣のおかげだがそれは言わない。

「異形になった感覚はどんなものだ?」
 名前を知らない別の男にも話しかけられる。敵意は消えているけど。

「人のときと代わりませんよ。怪我すれば痛いし疲れるし眠くもなる。食欲がないだけです」
 性欲はあるかもしれない。それは教えない。好奇心を満たさせない。

「しかし進んで化け物になるなんて――」
「それが哲人さんの素敵なところだ、へへ」
「や、やはり君はすごいな。異形に……」

 ドロシーが俺の腕にしがみついたことに、俺への羨望は全くない。誰もが、彼女こそを化け物みたいに見るだけだ。

「終わったぜ。みんな入れよ。俺もオブサーバーで居させてもらう」
 ナイスタイミングで、麻卦さんが赤らんだ顔を回廊へとだした。
「護衛は王思玲を連れてこいだとさ」




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