十四 幻影少女
文字数 4,074文字
「待たせすぎだ」
思玲はみんなの代表に俺をにらみつける。
「まずは流範の残党がいるか探せ。青龍インコも一緒にな」
小学校の校庭から俺達二人は浮かんでいく。最初はそっと木立の陰から。やがて小学校の四階建て校舎も越える。太陽が引き連れた青空から、大学校舎や昨夜の寺を見おろす。お寺にはラジオ体操の参加者が集まりつつあるが、まだ墓地に気づいてないようだ。
空を見わたしても、カラスの一団などどこにも見あたらない。
「あいつらがそうかな?」
桜井が西の空遠くをみつめる。妖怪より鳥のが目はいいようだ。俺にはなにも見えない。
「流……」
言いかけて唖然としてしまう。小鳥が人に戻っていた。人である桜井が昨日の服装で空に浮かび、どうしたのって感じに俺を見ている。
幻だと分かるけど、昨夜もそんな瞬間があったな。
「流範は?」
幻影の彼女へとあらためて聞く。……やっぱりきわめて俺好みだ。うぶだったころのように鼓動が高まってしまう。なぜ人に見えるのか知らないけど、幻覚であろうとインコよりはずっとうれしい。
「大カラスはいないみたい。それってラッキーなのかな?」
幻の桜井が俺に笑みを向ける。その笑顔で分かる。彼女はもう四玉に執着していない。俺達は下へと戻る。
*
みんなと合流する前に、桜井の幻は消えた。
「一団で飛んでいった? このあたりには一羽もいないだと?」
インコの説明に思玲がいぶかる。
「親玉が手負いになったとしても、奴らが見捨てると思えぬが」
彼女は眼鏡の縁をあげる。肩にとまろうとする桜井を追いはらう。
「故郷に戻ろうとするなんて不思議じゃないよ」
「禽獣といえども生まれた地に帰りたい……。一理あるのか?」
横根のまっとうな考えを、思玲は不審げながらも受けいれる。
「だとしても、帰る勇気もない根性なしが残っているだろ。では人の世界に行くとするぞ。……本来ならば、あっちに異形を引きこむなど許されぬ行為だ。お前達は、なにがあろうと人に関わるな。
この国にもお前達を狩る魔道士は存在する。世襲の親玉に霊力などないが、金づるとしてお前達を探す。そして諸国の魔道士に討伐を外注する。騒ぎが増すと、この町は畑に混ざったブタクサの刈り場と化すからな」
俺達は迷惑外来種かよ。お前が校門を破壊したのが騒ぎの発端だろ。口にはださない俺へと、彼女のきつい眼差しが固定される。
「策を伝えるぞ。私が近くにいるのを恐れるから、なるべく空高く浮かんでいろ。流範一味がいたら、すぐに笛を吹け。和戸を守れ。桜井も奴らの狙いのひとつであるから、無理をさせるな。だが逃げられる前に捕らえて尋問しろ。昨日のように理屈を並べても、けだものには通用しないからな。
異形とはいえ、もとは生身の鴉だ。手加減はしてやれ」
彼女はまくしたてるが、カラスを尋問する自信などない。
「思玲達は違う場所を探すんだよな?」
ドーンが俺によじ登りながら尋ねる。
「ひそみそうな陰や裏を探る。あいつらの習性はおおむね分かっているが、長くかかるかもな」
思玲が舌を垂らす川田へとリードを取りつける。横根はみなと離れてスタンバイしている。暇つぶしに尻尾を釣り針型にしようとしている。
犬の散歩の女性と、たまたまそばの塀を歩く白猫。その実態は狼と魔道士と化け猫。そんなシチュエーションを気どるらしい。
「無理だけはするな」
言い残し、思玲達は校門へと去っていく。
インコと飛べないカラスと座敷わらし。このメンバーで作戦が成功するとは思えない。
「和戸君は下で待っていていいよ。私のが奴らのターゲットだし」
桜井が手から離れた風船みたいに垂直に飛ぶ。
「行くに決まっているだろ。妖怪のうちから二人きりにさせねーし」
俺と桜井が成立していることになっている。悪い気はしないから否定もしない。どうせ記憶はなくなるし。
俺達三人は空高くへと浮かんでいく――。
「ちょ、ちょっ高すぎ。いったん戻れ」
すぐにドーンが騒ぎだす。俺の頭へ必要以上に爪を立てる。
「痛いな。夕べはもっと高く飛んだだろ?」
「昨日は暗くて見えなかった。……マジで降りて」
「情けね。屋上までは行こ」
桜井は一羽ですいすいと上っていく。縮こまったドーンを乗せて、ふわふわ追いかける。
屋上は背だかいフェンスに囲まれて貯水タンクがあるぐらいだ。人が日常的に現れる場所ではなさげ。カラスが俺から降りるなりしゃがみこむ。
「ここの隅で隠れていろよ。俺だって逆の立場じゃ怖いに決まっているし」
「悪いけど、そうさせてもらう」
ドーンが辟易とした顔を向ける。飛べないこいつを一人にできないな。
「桜井も、ここから空を見張ってくれる? 俺は近場を探ってみるから」
「だったら羽づくろいって奴をしよ。思玲さんに急かされて、朝のお手入れがまだだし」
コザクラインコが数倍も大きいカラスの脇に降りる。「心は十代の女の子だし、ははは」
「二十代まであと何日?」
ドーンはもう復活している。「俺は水浴びかな。さらに暑くなるし、黒づくめにはこたえるかも。ていうか、桜井はずっと裸じゃね?」
「あんただって全裸だろ。変態カラス!」
この二人がそろうと、人間のときからこんな感じだ。俺は一人で空に戻る。
校舎を中心にふわふわと浮かぶ。俺一人で空にいても意味がないと、半周したところで気づく。……サイレンが聞こえた。パトカーだ。反対側からは消防車も。お寺に騒々しく人が集まっている。
思玲は問題ないと言ったが、あの墓地の剣幕に大騒ぎにならないはずがない……。救急車まで見ると不安になる。空からもう一度手を合わせて、巡回だけはする。
今は七時ぐらいかな。はやくも太陽の熱を感じる。妖怪じゃなくても日陰に行きたいが、人の光よりはましだ。空から見ると、母校が街の一角を占めるのがよく分かる。大ケヤキが空を求めるように枝を伸ばしている。
「松本君!」
よく届く声。空よりも鮮やかな青い小鳥がフェンスにとまっていた。
「学校を見て。あいつらかも」
青龍たる感か? 二号館らしき屋上にカラスらしき黒いものが……たしかに三羽いる。大カラスはいないが、草鈴を吹くべきか?
貴様は雑魚に怖じ気ついて、早々に私を呼びつけたのか。
思玲の声が聞こえてきそうだ。それなら桜井達と合流するか? 囮にしろなんて、俺には思玲の作戦など実行できない。奴らの狙いをわざわざ露わにできるはずがない。そもそもミカヅキみたいな地元の連中かもしれないし。
だから一人で向かう。
「私も行こうか?」
桜井の声にはっと振り向く。俺は両手でバツをえがく素振りをする。しかし桜井の気配はすさまじいな。離れるほどによく分かる。
***
三羽は屋上まで来た俺に興味も示さない。異形の気配も伝わらない。普通のカラスっぽい。
――どうするのよ
――まったくだ。どうすればいいんだ
仲間うちの会話に集中している。……俺の耳に別の声も割りこんでくる。
『あいかわらずお困りだな』
『あの女は助けにならないよ』
ここは図書館に近い。使い魔だかの声が露骨に届く。はやく立ち去りたい。
――ピリピリするな。お前達は朝飯でも食いにいけ
――あんただろうと、その言いかたはないぜ。俺達は好きで腹が減ったわけではない
――そもそも、こんな人間だらけの場所で、どうやって飯を探すのさ
――だからこそ流範様と合流して、また力を授けてもらう
……こいつらは使いのカラス。
――カカッ、あの大将は三下にしこたまやられたらしいぜ。だから俺らは力を失ったのだろ? で、他の連中は逃げた。それを今さら
――だいたい、あの大カラスがどこにいるか分からないだろ。会いようもないさ
つまり、こいつらだけが残っていて、かつ流範の居場所を知らないようだ。よっしゃ、俺達の役目は早々に完了だ。
――俺は力など授からなくても、
――本当に、ここに残って流範様を探すのか? カンナイさんがそこまで言うのなら、俺は付き合っていいが
カンナイ? 立ち去ろうとした俺は振りかえる。流範がそんな名前をだしたよな。
――ここは下品な暑さで食いものはネズミの抜け殻すらない。あいつらみたいにあてもなく去るより、あんたと一緒のが生き長らえるかしらね
――そうとも限らないけどな。俺はあの二羽を捕らえて、なにかしら聞きだしてみる。さきほどのわざとらしい動きが気になるが、奴らが流範様を虜にしているかもしれないしな
――物の怪だろ? 危なくないか
ドーンと桜井の存在がばれていた!
「あいつらに手をだすな!」
俺は声を荒らげてカラス達に寄っていく。両手を大きく振る素振りをする。
「妖怪変化がここにいるぞ!」
まったく気づいてくれない。
『お前のことは誰も覚えていない』
『仲間にもいずれ忘れられる』
図書館からの誘う声が返ってくるだけだ。
――太陽が異形から見守ってくれるさ。来たい奴だけ来ればいい
カンナイが小学校へと向きを変える。朝陽に照らされて羽根が群青色に輝く。
俺は懐から草鈴を取りだす。
――なんだありゃ? カンナイさん、ちょっと待ってくれ
カラスは目ざとい。一羽が俺へと顔を向ける。ピョンピョン、バサリと跳ねて俺のもとへ来る。俺が見えないのだから俺への悪意を持ちようもないカラスが、護符の存在を知ることもなく草鈴をくちばしで奪いとる。
――ただの草かよ。浮いているから虫かと思った。ぺっ
カラスがぐしゃぐしゃになった草鈴を吐きだす。
――そうやって飯をあさって生きていろ
カンナイが飛びたった。他のカラスもあわてて羽根をひろげる。三羽は小学校へと連なっていく。
汚いとか言っていられない。俺は草鈴を拾い、口にあてる素振りをする。プスプスとも音がしない。
カンナイ達は狭い空などひとまたぎで、すでに小学校の屋上を旋回していた。カーカーと威嚇の鳴き声が届く。俺は草鈴を裾に放りこむ仕草をして浮かびあがる。
『お前に助けはない』
『救いもないぜ』
誘う声から逃れるように空へと戻る。
次回「雷と轟音と朝日」