四十九の一 醜くきは人

文字数 2,966文字

4.7-tune


「哲人、やめろってんだろ!」
 思玲のグーパンチが腹にめりこむ。
「雅! 主は私だぞ。川田も自分の尻尾でも追っていろ」

 目が覚めた。……俺は思玲を信じる。でも早くしてくれ。夏奈が手遅れになる。

「ドーン、琥珀、露泥無。夏奈を人に戻す。はやく箱を持ってこい」

 生き延びさせるために。
 俺は叫ぶ。思玲は眉をひそめる。

「滅べ!」
 ドロシーが扇を振るった後に、振りかえる。
「哲人さん。私の祈りは夏奈さんに拒絶された」

「貴様らも嚙み合わぬな」
 見えない峻計があざ笑う。

 夏奈め……。
 代わりにドロシーはあいつの気配を追う。その肩では、護布を掛け布団に風軍が羽根を休める。

「峻計と土壁がいるぞ。箱など開けたら、玉は毒ソースをかけた卵焼きになる」
 それでも思玲は天珠を取りだす。
「ハラペコか? 琥珀と和戸を呼べ。背荷物を持ってこさせろ」

「ドーン君を呼んじゃだめだよ」
 横根は祈りに集中できない。「あのお坊さんが来る。あの魔道具は危ないよ」

 横たわる青龍に向かった黒い光が弾かれる。結界が夏奈を包んでいる。横根はフル稼働だ。
 雅が思玲の斜め背後でうなる。主の前へとでる。

「松本、いやな光が来たぜ。でも、お前は龍を置いて逃げないのだよな」
 川田も俺のもとに来る。

 俺も悟る。異形の身だと、こんなにも悪寒が走るのか。

「ようやくみんな消えたな。二体の龍と戦うほど、私達はおろかではない」
 静かな声とともに張麗豪が森の空に現れる。

 ドロシーが風軍を肩から追い払い、扇を振るう。麗豪は蜃気楼と消える。

「老師、おいたわしい。治らぬ傷をこうも受けられるとは。杖をお借りします」
 麗豪が楊偉天のもとに現れる。その口もとに笑みがもれる。
「死者の書も」

 鞭が持ち帰った泥だらけの書を手にし、さらにほくそ笑む――。
 身の凍る気配。
 白銀の風火輪が龍へと向かう。結界に跳ねかえされるが、切り裂きもする。その隙間から、俺は独鈷杵を投げる。

「松本哲人、異形になったな」
 法董は素手で叩き落とす。
「貴様と薄らいだ青龍くずれ。どちらが先に消えるか」

 魔道具と法具は、それぞれの主の手に戻る。……青龍くずれ。つまり不完全な龍。夏奈は光がそろわぬから剣の光にたやすく倒されたのか。
 俺は夏奈の頬に寄り添う。もはや人の魂は伝わらない。琥珀、ドーン。はやく来てくれ。
 ふいに龍が吠える。断末魔のような叫び。のたうち、結界が割れる。

「戦うものはでろ!」

 思玲が飛びだす。
 雅と川田が続く。俺も夏奈のもとを離れる。
 おもてにただ一人いたドロシーのもとへ集結する。

「油断するなよ。弱者はいない。子どもさえもだ」
 法董が張麗豪の隣に並びたつ。

「この二つを手にすれば、もはやここには用はない」
 麗豪が浮かぶ。
「だが玲玲だけは許したくない。蒼き狼をどのように従えた?」

「私が強き力に寄り添わせていただいただけ」
 雅が答える。

 双鞭が飛ぶ。雅の牙が切り落とす。

「貴様の相手はせぬ。ドロシー! 坊さんは魔道士だけで倒すぞ」
 思玲が天宮の護符をかかげる。
「雅と川田が麗豪だ。先ほどみたいに深追いするな」

(つい)
「御意」
「人は食わないぜ」

 それぞれの返事を受け、思玲が走りだす。……正攻法かよ。小学生の女の子が突撃はないだろ。すぐに鞭を喰らって吹っ飛ぶ。
 狼達が立ちどまるが、思玲との間に火焔が走る。二頭は闇へとうなる。

「麗豪さん死にに来たのか?」
 土壁が林から姿を現す。
「飛び蛇に聞いたぜ。捕まってコーシューベンジョに転がされたってな」
 火焔嶽を振りまわす。

「居たのならばなぜ老師を救わない。峻計はどうした?」
 麗豪の不快そうに言う。

 土壁は方向転換した二匹の狼に毒の煙幕をしかけ、
「峻計さんは法董さんと一緒に居たくないだと。俺達とそのジューショク、どちらを選ぶか決めてくれ」
 また闇の林へともぐる。

 麗豪と法董が顔を見合わせる。

「貴様達に選択肢があるのか? 私の手もとを見ろ」

 張麗豪が顔をゆがませて杖をかかげる。そして下ろす。杖から白い鞭が飛ぶ。木の幹を突き抜ける。昨夜とも昼間とも、早さも威力も桁が違う。

「さすがに難しい魔道具だ。実戦で使いこなすには研鑽が必要だ」
 張麗豪が書の表紙を愛おしげにさする。
「いずれはここに、レイモンドの杖と記されるだろうか」

「麗豪まで囚われるな。――野犬。これが済んだら、鴉に俺のもとへ来るように伝えろ。麗豪の代わりに俺が可愛がってやる」
 法董が笑う。

 笑いながら風火輪を投げる。森へと消えるが……、あの輪は土壁を狙ったわけじゃない。

「うるさい!」
 白猫の感情が爆発した。
「空気をよどませるな! ペンギンひるむな! はやく寄こせ!」

 龍が目をかすかに開ける。
「瑞希ちゃん……」すぐに瞳を閉じながら、「箱が来てくれた」

 上空からノートパソコンが落ちてきた。黒い光を意識しながら、俺はかろうじてキャッチする。

「遅くなって面目ないです。でも、あの状態じゃ待機するしかないですって」
 九郎が転がる思玲の前に着地する。
「生きてるなら聞こえてますよね? 琥珀からの預かりものはドロシーに、パソコンはとりあえず哲人に持たせました。では琥珀を迎えにいってきます。梅ヶ島なんて空からだとすぐなんで」

 九郎は思玲の前から消え去る……。
 ドロシーがリュックサックを持っていた。

「ドロシー、結界に入って箱をだして」俺は言うけど、

「護布で包んでない。剥きだしに触れたら私も吸いこまれる」
 当然の理由で拒まれる。
「哲人さんが来て。私は歩けない。ごめんなさい」

 彼女は気丈に立っているけど、片足が血まみれだった。ショートパンツの太ももが裂かれている。それでもリュックを両手で強く抱えなおす。

「ほかの奴らを見習え。常に狙われている覚悟をな。場数が足りない若い娘の血は甘い」
 法董が冥神の輪を舐める。

ズドン

 黒い螺旋を受けてドロシーが飛ばされる。横根の結界にぶつかりはじかれる。

「お前だけは殺さないとな。張麗豪よりも先に」
 あいつの憎しみの声。

 ドロシーが泥に横たわる。劉師傅の護布だけが守っている。
 俺は駆ける。気配。鞭を避ける。ドロシーを抱き起こす。意識はある。気配。黒い光を護布で妨げる。太ももの傷は、深くはないが横にざっくりだ。血の水たまり。
 傷口に緋色のサテンをきつく縛りつける。

「誅……」
 それでもドロシーは扇を振るう。
「そのパソコンは声で認証。いまので起動した。――有限公司立ち上げ。延滞者一覧、台湾、琥珀、完納者へ移動。そこからプラチナメンバーへ移動。……深圳の()に連絡済だから、これに電波がつながった時点で琥珀のスマホは無制限に使える。……Mp5の制限解除はどのみち不要だ。ヘヘヘ……」

 蒼白のドロシーが目をつぶる。その手からリュックが落ちる。

「その女も群れの一員だよな。背中に乗せろ。瑞希に守らせる」
 手負いの獣が言う。

 気を失ったままの思玲をくわえた雅が横根のもとに急ぐ。ドロシーを乗せてパソコンをくわえた川田もだ。
 しんがりの俺も、リュックを抱えて背後に目をやりながら追う。
 術の鞭、黒い光、毒と焔。独鈷杵で叩きかえす。冥神の輪がかすめかけた。それだけで肩がえぐられる。血が流れて消える。
 白銀の傷は回復が遅い。怖いのは、力も知恵もある法董。




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