三十五の一 年上の年下女子を部屋に連れこむ

文字数 4,210文字

 雨上がりの甲州街道上り線はすいていた。
 通学用指定白色ヘルメットで大型オフロードバイクを運転する高校生ぐらいの眼鏡女子。カーナビの記録を晒されそう。……即座に消去されたりして。アップした本人も特定されて……。俺の知ったことじゃない。

 長いトンネルを抜けて、コンビニで休憩する。安全運転だけど、後ろに乗るだけでも疲れる。好奇の目で見られまくったし。

「ずっと喉が乾いていた。哲人も飲むか?」
 ドーンの財布は思玲が持っていた。
「倍にして返すと合意の上だ。覚えてないだろうけどな」

 一万円札を崩したくないから俺も借りる。コーラとサンドイッチを買ったら、残りは二十三円になった。もともと小銭だけだったらしい。
 ひさしぶりの食事。パンとトマトとレタスとマヨネーズ。卵とチーズとハム。涙がでてしまう。

「まだ泣くな。カーナビによると、下の道だと二時間近くかかる。影添大社に着くのは十六時ごろだな」
 思玲もコーラを飲みながら言う。コンビニ脇に並んで立つ二人。

「俺の部屋に寄って。シャワーを浴びて着替えたい。湿布も張りたい」
 涙をぬぐって言う。
 鍵はポケットに入っている。スペアはドロシーの右小指に隠されている。……行きのバイクで思玲が言いかけたこと。それも聞きたい。

「相互の連絡はニョロ子がしてくれるからいいとして、あのアパートは先日も行ったが狭すぎだ(台湾の帰り。総勢七名とカラスがいたのだから窮屈に決まっている)。
だが少女で一泊したな。あのときは哲人に記憶なく、フサフサが全裸で現れた……。午睡はせぬが寄ってみるか。しかしニョロ子とは凄まじいネーミングセンスだな」

 前の主のつけた名前を流用する奴に言われたくない。
 スマホの電源を押す。反応ないからポケットにしまう。目立つバイクの目立つ二人へ誰も話しかけてこない。心の声を交わすだけの二人は近寄りがたいのだろう。
 思玲がさっそうと乗り、俺はよたよたと乗りサイドスタンドを足で上げる。ヤッパだったバイクは再び出発する。


 カーナビに沿って、一時間ちょっとで俺のアパートに到着する。やっぱり思玲の運転は落ち着く。武器を手にしない彼女はスマートだ。俺は思玲の腰に一度も手を回さなかったけど当然だろう。
 アパートのまえにドーンと雅がいた。

 *

「川田に追われるなんてエグすぎだから逃げてさ、家のまえに張られていそうだから、ここへ来たわけ。ていうかそのバイクでかすぎ。その子は誰? めっちゃかわいくね? ていうか彼女じゃないよね、若すぎだし犯罪だし。俺は和戸駿。いまも哲人を信じる親友。ドーンって呼んで。……君も関係者?」

 ちょっと小柄で、おそらくあの時と同じシャツ(首もとが伸びているけど)。人の目に見えぬ大きな狼に背後へまとわりつかれているとしても、人の姿のドーンを見るのはいつ以来だろう……。
 新月から満月だからほぼ半月なだけだ。帰省していたらもっと長く顔をあわさなかった。いきなりまくしたてられると感慨が吹っ飛ぶ。
 それよりも、『いまも信じる?』『関係者?』
 ちょっと背筋が寒くなる。

「松本思玲(しれい)です。家庭教師と教え子の関係です。同姓なので結婚しても」
「ドーン、もしかして覚えている?」
 同じネタを披露しだした思玲を押しとめて尋ねる。

「何を?」ドーンはきょとんとする。

「なんでもない」
 安堵とすこしの落胆。ドーンは忌むべき世界を忘れている。
「思玲が関係者って何の?」

「スーリン?」
思玲(しれい)のニックネームだった」

 即座によく言葉がでてくるなと、思玲が心の声で感心する。
 耳貸してと、ドーンが顔を寄せてくる。

「川田や瑞希ちゃんや桜井がはまった宗教団体だよ。……哲人もだけど」
 ドーンが小声で言う。「俺は哲人を信じているから、みんなの洗脳を解いてくれる。そう信じている」

 二重で信じられたけど、俺達に第三者から連絡が少ないというか皆無なのはそういうことか。
 あっちの世界に半分残っている俺達四人は、カルト宗教かネット配信系スピリチュアルの信者にでも改ざんされたのだろう。不気味で、三石も夏奈と疎遠になる。ドーンは川田から逃げる。そう考えると、横根も家族からの連絡が少ない。相手してくれたのは夏奈の一家だけかも。

「ここまでどうやって来た?」
 ふいに思玲が疑りの目をドーンに向ける。
「ごめんなさい。どうやって来ました?」

「なにそれ? 電車でだけど、遠回しに帰れって言っている? JKやばくね? ていうか財布とスマホをなくしてやばい。ポケットにむきだしで五千円入っていたからいいけどさあ、スマホはきつすぎだし。ペイペイ使われたらアウトだし。哲人、紛失届を手伝って」

 人になってもうるさいなと、思玲が心の声で毒づく。俺は感心してしまう。こいつは幼い思玲に財布を渡す際に、お札を抜いていた。さすがドーンだ。

「ドーンの財布はまだ出さないで」と思玲の心へ告げたあとに、
「川田からスマホを預かっている。部屋に来いよ」

「呼ぶな」思玲が心の声を飛ばしてくる。「関わらせるな」

「……やっぱりここで待っていて。彼女が疲れているから休みたいって」

 思玲が思わせぶりの笑みを浮かべてドーンに会釈する。
 彼女と一緒に部屋へ入る。黙ったままの雅はドーンに侍っている。SPを彷彿させる。

「財布は現金を足してから返す」と言いながらユニットバスへ入る。やはり湯船のふちにスマホがあった。バスケットには洗い足りないチャイナドレスと弾痕つきの服……。

どくん

 あの女の汚れた服にときめくなよ。せめてお尻を思いだして笑ってやれ。だけど……紅色に染まった林。誰よりも天宮の護符を輝かせる、俺を守ってくれる人。
 頭が痛くなる。ユニットバスからでる。

「顔を見ればわかる」
 汚れた服のままでベッドに寝転がる思玲がにやつく。「ドロシーを考えているな」

「布団の上ならいいけど、枕に頭を乗せないで」
 それだけ言ってドーンのもとへ戻る。

「財布も川田が持っていると思う。それを返すために追いかけたのじゃないかな」
 スマホを渡しながら言う。たしかに嘘がぺらぺらでる。

「カッ、ていうかさあ、うらやましすぎだし。メイクしてなくて素朴だけどさ、俺はギャル系好きだけど苦手だし、しかもきれいだし胸もあるし、でも背が高過ぎだし、バイクはうといけど、でかくて高そうだし。俺も彼女とよりを戻そうかな。思玲ちゃんよりブサだけど、カカカ」

「そうすべきだよ。あの子のがずっとかわいいし……」

 沈黙が漂ってしまう。やばい。泣いてしまう。なにか言葉を継ぎ足せ。

「俺はみんなを連れて帰る。だから、もうちょっとだけ待っていて。ちなみにスーリン違った思玲(しれい)とは何も起きない」

「カカカッ、自分の部屋に連れこんで? まあいいや。俺は帰るよ。とにかく川田をよろしく。本来のあいつに戻してやって」

 どういう意味で言ったのだろうか。俺はうなずきポケットからスマホをだす。

「ドーンと連絡を取りたいけど、こいつが壊れて――」

 起動画面になったじゃないか。ようやく復活してくれた。

「……ていうか哲人にだけ言っておくけど」
 ドーンは快活な笑みを向けたままだ。「俺、大学やめる」

 ***

「早いな。目も赤くないし」

 部屋に戻ると、思玲は俺の着替えを漁っていた。

「それにも術をコーティングするの? 洗濯で落ちるの?」
 重い服を平時に着たくない。

「魔道士の護りを汚れみたいに言うな。私のは弱いから何もせずとも半日で消える。哲人にもかけてやろうか」
 いまさら言ってくる。

「何キログラムぐらいかな?」
「実戦で使える強さなら最低30キロだが、私は軽めに15キロ……やはり、いとしいドロシーにかけてもらえ。堅牢な80キロか薄皮の5キロのどちらか選べる」

 あいかわらず両極端だ。いとしくねーし。

服に着替えるよ。まずシャワーを浴びる。……ドーンが退学するらしい。今日決断したって」

「理由は?」
「教えてくれなかったけど、今回の件のせいかも」
「かもしれぬが、いまはまだ関わるな。それが良き方向かもしれぬしな」
「そこまで残酷になれない」
「雅を見習え。哲人がうろたえようが、奴は和戸の影のごとくひそみ続けた。人の世界に関与しない、出来過ぎた心構えでないか。きっと主も素晴らしい方だろう。それでシャワーだが、私も浴びるからすぐに出てくれ。服が少なくなってきたが……これにするか。哲人はこれにしろ」

 思玲のがさつがうらやましい。でも見習って、ドーンのことはしばし忘れよう。にこにこした笑みを見れただけで充分だ。
 思玲はドアを半分開けて、外の様子をうかがう。粗雑だけど入念だ。俺はユニットバスに向かう。


 荒川(区ではない)の匂いをようやく流せた。石鹸とシャンプーでしっかりと汚れを落とす。思玲の選んだシャツとパンツに着替えて、ドアの壊れたユニットバスから出る。
 思玲は俺のスマホをいじっていた。パスワードは『3901(サクライ)』。こいつの式神だった小鬼に拡散されている。

「瑞希に電話したついでに保存画像とラインの履歴とネットの閲覧履歴を見ただけだ。桜井も電話にでたぞ。ゆっくり気を付けて帰れだと。飛び蛇より電話のが速いに決まっている」
「競争意識を持つなよ。勝手に見るなよ。ニョロ子はシャワー浴びているときに来た。異常なしを伝えて戻った」
「その名前を聞くと気が抜けるから改名してくれ。“(しのぶ)”なんてどうだ?」

 ひどすぎるセンスだ。
 俺へとスマホを投げて、彼女もユニットバスに入る。

「汚いドレスがあるぞ。見覚えある汚い服も」
「チャイナドレスはドロシーが周婆さんから借りた。もうひとつは俺がドロシーから借りたパパの服」
「お前達は、すべてが貸し借りでぐちゃぐちゃだな」

 ドアが破壊されているからトイレの音が丸聞こえ。すぐにシャワーの音に変わる。……チャイナドレスと父親の服。処分するわけにはいかないな。でも持ち歩きたくない。
 スマホが揺れた。日向七実からだから無視する。彼女からも『川田君を脱会させて』と頼まれるのだろうか……。かすかに川田の記憶を残していた七実ちゃん。
 ドアのチャイムが鳴り、びくりとする。即座にシャワーの音がとまる。

「誰だ?」髪を濡らした思玲が顔だけだす。しずくが垂れる。

 俺はお天狗さんの木札を握り、ドアスコープを覗く。またスマホが揺れだす。
 レンズの向こうで、川田の正式彼女であった日向七実がスマホを耳に当てていた。




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