八の二 腹の内は見せないように
文字数 2,933文字
「くちばしの前に来い。いつでもつつき殺せるようにな」
命ぜられて、フサフサが無精そうに大カラスの前にでる。俺と目が合うと、にやけ面を向けてくる。なにかアイコンタクトをしたみたいだが、暗くて妖怪の目でも理解できない。
野良猫がさらに深い流範の影に覆われる。
「キジムナーのくせに嘘をつくのか」
闇が固体化したような流範が俺を見おろす。フサフサは眼光でまだ伝えようとしている。お爺さんの霊が消えていった方向を示しているようだ。墓地になにかあるのか? それとも……。
「悪戯のつもりだったんだ。だから許してください」
俺はキジムナーになりきる。
「北国生まれはろくでもないな。立って腹を見せろ」
「おなかが痛いんだ」
俺は体育座りを崩さない。思玲が現れないかと、それだけを願う。
『お守りは?』
俺にうずくまり息をひそめていた横根が声をだす。そうだ、それがあった。
「今の声はなんだ」
流範の形相がさらに変わる。耳ざとい奴だ。
俺は服の中に手を突っこむ。横根がキャッとくすぐったがる。
「どこだよ。探せよ」
彼女に声をかける。今さらどうにもならない。
『松本君の体が邪魔だよ』
人である横根が赤ら顔で見る。だから照れている場合じゃないだろ。俺は外にだけ意識を向けなおす。チラ見してしまう。
「おい猫。俺の股の下に来い。キジムナー、いい奴だろうが許さないぜ」
黒檀みたいなくちばしが近づいてくる。
「俺はキジムナーじゃない」
時間稼ぎの言葉しかだせない。見えない手を見えない襟からだし、見えない膝を抱えなおす。都合よく思玲など現れない。絶望への時計が確実に動いている。
「人の子とでもいうのか? カカカ?」
流範の笑い声が止まる。「……たしかに人間にも感じる。お前はなにものだ?」
返事などしない。時間だけ過ぎて、いてっ、
硬いものにはじかれて俺は転がる。顔を上げると巨大なくちばしがあった。頭蓋骨の痛みがじわじわとひろがる。怨霊のときみたいに護符が発動してくれない。
「次はつつくぞ。そこに四玉があるのだろ」
流範のくちばしからは残飯のような匂いがする。木の箱をだせば、みんな人に戻れない。俺はうつぶせになり、ぎゅっとかたまる。横根の魂を押し倒す形になる。外にだけ気を張れ。俺がやられたら横根もだ。
「仕方がないな。キジムナーを殺すとしばらく夢見が悪そうだが、体を消せば隠したものが露わになるな」
思玲は現れない。護符は守ってくれない。
「ま、待ってください!」
おなかの中から横根が叫ぶ。「松本君、私でるよ」
俺はさらに強く腹を抱える。横根が俺から逃れようともがく。
俺の頭が硬いもので挟まれた。乱暴に持ちあげられる。
「やっぱり隠していたな」
流範が俺をくわえてもごもご言う。
「青龍の娘か?」
激しく揺すぶられ、白猫が飛びおりる。横根の馬鹿野郎……。
木の箱まで落ちないように、身軽になったおなかを抱える。流範のくちばしが開き、俺は落とされる。
「白虎のでき損ないだと? そんなのを大事に隠していたのか」
見上げると、流範は残念そうだった。「ならば、四玉はどこだ」
「知るか!」
俺は横根の前にでる。でも横根はさらに俺の前に駆けだし、背中を丸めて毛を逆立てる。
「松本君を責めないで!」
「思いだした。木だかなんだかのオサラだよね。あれのことだったのかい」
フサフサが口を挟んだ。「でも私を見逃して、その娘猫も殺さないでおくれ。そうしたら教えてやるよ」
この猫は大嘘つきだ。だけど横根をかばってくれた。
「答えるまで端から殺すほうが早い」
「し、白猫を助けるのなら、俺も教える」
俺もとっさに言葉がでた。大カラスが不審な顔になる。
「なり損ないをなんで守るんだ。こいつら数日たてば」
それは言うな!
「助けないのなら、死んでも教えない!」
おのれの言葉だけをつなげろ。「ありかは……、俺とフサフサしか知らない」
「カカッ。どっちかを見せしめで殺せるな」
「そ、それは駄目だ。それだと……」
頭をフルシフトしろ。言い訳をこじつけろ。
「埋めた場所は猫のおばさんだけが知っていて……、箱をだす呪文は俺だけが知っている! だから俺と猫で案内する」
フサフサがぎょっとした顔を俺に向ける。
「このために呼びだしたのかい? ……なんでこんな目にあわされるのかね。長生きなどするものじゃない」
うんざりした顔になるけど「付き合ってやるさ。所詮、野良猫なんていつ死ぬか分からぬ運命だしね」
俺へとにやりと笑う。
「俺を挟んで会話するな!」
流範は正面の俺だけをにらむ。
「お前はその呪文を用いて、人を喜ばしたり困らせたりするのだな」
嘘が通った!
俺は強くうなずく。でも流範はまだ疑っているようでもある。
「それはどこにある? 同時に言ってみろ」
「墓地だ!」
「ハカバだよ」
俺とフサフサの声が重なる。
「うっとうしい奴らだが、まだ生かしてやる。案内しろ」
流範が横根へとくちばしを向ける。「白猫は俺の背中に乗れ。穴熊は巻き添えを嫌うからな」
人の盾かよ。それで飛ぶつもりじゃないだろうな。
「大丈夫だよ」
横根はためらうことなく大カラスの背中に飛び乗る。黒い羽根に白い毛並みが浮かぶ。
「もっと爪を立てろ。お前のなどかゆくもないし、落ちたら逃げたとみなすからな」
流範が羽根をひろげる。片側だけでも大人が横になったほどだ。ぎろりと見おろす。
「貴様らが先に行け」
俺とフサフサは命ぜられるままだ。野良猫が辟易とした顔で墓地へと向かう。俺はそのあとを追う。背後で飛びたった気配がした。
*
墓地への小道は街灯がうっすらひとつ照らすだけだ。お化けカラスにせっつかれて、いずれはばれる嘘を抱えこみ、深夜に野良猫と墓地に向かうなんて、そんな日を想像すらしなかった。昨日の今ごろはコンビニでレジを打っていたのに。
「本当はお前の中にあるのだろ?」
フサフサが小声でつぶやく。俺は返事をしない。こいつになんか真実を伝えるべきじゃない。
「言わないであげたよ。恩に感じな」
誰が野良猫なんかに礼を言うか。そもそも、あんなのばらしたも同然だ。
「ハカバは道が入り組んでいる」
無視されたことにかまわず、フサフサがささやく。「でかい奴は小回りがきかないから、うまくすれば松本哲人でも逃げられる。ジューショクどころか野良犬相手に通用したしね」
「分かっているよ。あいつは耳がいいから気をつけろ」
俺も小声で返す。上空を見上げる。大カラスがどこにいるか分からない。
いざとなったら墓地を逃げまわる。思玲が来るまでラリーを続ける。見事なまでに消極的作戦だ。それより、なんで護符が発動しない。お爺さんの霊の場合は、当初は俺に害意を持っていなかったからだろう。今回は敵意のかたまりなのに、お札は俺の保護を放棄している。
懐に手を突っこむ。木箱が手に当たるだけだ。奥まで手を入れる素振りをする……。
服の中をかきまわす。
「なにをしているのだい? あいつは目もいいから気をつけておくれ」
フサフサの嫌味たらしい声がする。木札はどこにもない。あのときの状況を思いだす……この野良猫が俺の服に入りこもうとしたときに落としたのかも。
絶望へのカウントダウンが一気に進む。
次回「墓場の異形と野良猫」
命ぜられて、フサフサが無精そうに大カラスの前にでる。俺と目が合うと、にやけ面を向けてくる。なにかアイコンタクトをしたみたいだが、暗くて妖怪の目でも理解できない。
野良猫がさらに深い流範の影に覆われる。
「キジムナーのくせに嘘をつくのか」
闇が固体化したような流範が俺を見おろす。フサフサは眼光でまだ伝えようとしている。お爺さんの霊が消えていった方向を示しているようだ。墓地になにかあるのか? それとも……。
「悪戯のつもりだったんだ。だから許してください」
俺はキジムナーになりきる。
「北国生まれはろくでもないな。立って腹を見せろ」
「おなかが痛いんだ」
俺は体育座りを崩さない。思玲が現れないかと、それだけを願う。
『お守りは?』
俺にうずくまり息をひそめていた横根が声をだす。そうだ、それがあった。
「今の声はなんだ」
流範の形相がさらに変わる。耳ざとい奴だ。
俺は服の中に手を突っこむ。横根がキャッとくすぐったがる。
「どこだよ。探せよ」
彼女に声をかける。今さらどうにもならない。
『松本君の体が邪魔だよ』
人である横根が赤ら顔で見る。だから照れている場合じゃないだろ。俺は外にだけ意識を向けなおす。チラ見してしまう。
「おい猫。俺の股の下に来い。キジムナー、いい奴だろうが許さないぜ」
黒檀みたいなくちばしが近づいてくる。
「俺はキジムナーじゃない」
時間稼ぎの言葉しかだせない。見えない手を見えない襟からだし、見えない膝を抱えなおす。都合よく思玲など現れない。絶望への時計が確実に動いている。
「人の子とでもいうのか? カカカ?」
流範の笑い声が止まる。「……たしかに人間にも感じる。お前はなにものだ?」
返事などしない。時間だけ過ぎて、いてっ、
硬いものにはじかれて俺は転がる。顔を上げると巨大なくちばしがあった。頭蓋骨の痛みがじわじわとひろがる。怨霊のときみたいに護符が発動してくれない。
「次はつつくぞ。そこに四玉があるのだろ」
流範のくちばしからは残飯のような匂いがする。木の箱をだせば、みんな人に戻れない。俺はうつぶせになり、ぎゅっとかたまる。横根の魂を押し倒す形になる。外にだけ気を張れ。俺がやられたら横根もだ。
「仕方がないな。キジムナーを殺すとしばらく夢見が悪そうだが、体を消せば隠したものが露わになるな」
思玲は現れない。護符は守ってくれない。
「ま、待ってください!」
おなかの中から横根が叫ぶ。「松本君、私でるよ」
俺はさらに強く腹を抱える。横根が俺から逃れようともがく。
俺の頭が硬いもので挟まれた。乱暴に持ちあげられる。
「やっぱり隠していたな」
流範が俺をくわえてもごもご言う。
「青龍の娘か?」
激しく揺すぶられ、白猫が飛びおりる。横根の馬鹿野郎……。
木の箱まで落ちないように、身軽になったおなかを抱える。流範のくちばしが開き、俺は落とされる。
「白虎のでき損ないだと? そんなのを大事に隠していたのか」
見上げると、流範は残念そうだった。「ならば、四玉はどこだ」
「知るか!」
俺は横根の前にでる。でも横根はさらに俺の前に駆けだし、背中を丸めて毛を逆立てる。
「松本君を責めないで!」
「思いだした。木だかなんだかのオサラだよね。あれのことだったのかい」
フサフサが口を挟んだ。「でも私を見逃して、その娘猫も殺さないでおくれ。そうしたら教えてやるよ」
この猫は大嘘つきだ。だけど横根をかばってくれた。
「答えるまで端から殺すほうが早い」
「し、白猫を助けるのなら、俺も教える」
俺もとっさに言葉がでた。大カラスが不審な顔になる。
「なり損ないをなんで守るんだ。こいつら数日たてば」
それは言うな!
「助けないのなら、死んでも教えない!」
おのれの言葉だけをつなげろ。「ありかは……、俺とフサフサしか知らない」
「カカッ。どっちかを見せしめで殺せるな」
「そ、それは駄目だ。それだと……」
頭をフルシフトしろ。言い訳をこじつけろ。
「埋めた場所は猫のおばさんだけが知っていて……、箱をだす呪文は俺だけが知っている! だから俺と猫で案内する」
フサフサがぎょっとした顔を俺に向ける。
「このために呼びだしたのかい? ……なんでこんな目にあわされるのかね。長生きなどするものじゃない」
うんざりした顔になるけど「付き合ってやるさ。所詮、野良猫なんていつ死ぬか分からぬ運命だしね」
俺へとにやりと笑う。
「俺を挟んで会話するな!」
流範は正面の俺だけをにらむ。
「お前はその呪文を用いて、人を喜ばしたり困らせたりするのだな」
嘘が通った!
俺は強くうなずく。でも流範はまだ疑っているようでもある。
「それはどこにある? 同時に言ってみろ」
「墓地だ!」
「ハカバだよ」
俺とフサフサの声が重なる。
「うっとうしい奴らだが、まだ生かしてやる。案内しろ」
流範が横根へとくちばしを向ける。「白猫は俺の背中に乗れ。穴熊は巻き添えを嫌うからな」
人の盾かよ。それで飛ぶつもりじゃないだろうな。
「大丈夫だよ」
横根はためらうことなく大カラスの背中に飛び乗る。黒い羽根に白い毛並みが浮かぶ。
「もっと爪を立てろ。お前のなどかゆくもないし、落ちたら逃げたとみなすからな」
流範が羽根をひろげる。片側だけでも大人が横になったほどだ。ぎろりと見おろす。
「貴様らが先に行け」
俺とフサフサは命ぜられるままだ。野良猫が辟易とした顔で墓地へと向かう。俺はそのあとを追う。背後で飛びたった気配がした。
*
墓地への小道は街灯がうっすらひとつ照らすだけだ。お化けカラスにせっつかれて、いずれはばれる嘘を抱えこみ、深夜に野良猫と墓地に向かうなんて、そんな日を想像すらしなかった。昨日の今ごろはコンビニでレジを打っていたのに。
「本当はお前の中にあるのだろ?」
フサフサが小声でつぶやく。俺は返事をしない。こいつになんか真実を伝えるべきじゃない。
「言わないであげたよ。恩に感じな」
誰が野良猫なんかに礼を言うか。そもそも、あんなのばらしたも同然だ。
「ハカバは道が入り組んでいる」
無視されたことにかまわず、フサフサがささやく。「でかい奴は小回りがきかないから、うまくすれば松本哲人でも逃げられる。ジューショクどころか野良犬相手に通用したしね」
「分かっているよ。あいつは耳がいいから気をつけろ」
俺も小声で返す。上空を見上げる。大カラスがどこにいるか分からない。
いざとなったら墓地を逃げまわる。思玲が来るまでラリーを続ける。見事なまでに消極的作戦だ。それより、なんで護符が発動しない。お爺さんの霊の場合は、当初は俺に害意を持っていなかったからだろう。今回は敵意のかたまりなのに、お札は俺の保護を放棄している。
懐に手を突っこむ。木箱が手に当たるだけだ。奥まで手を入れる素振りをする……。
服の中をかきまわす。
「なにをしているのだい? あいつは目もいいから気をつけておくれ」
フサフサの嫌味たらしい声がする。木札はどこにもない。あのときの状況を思いだす……この野良猫が俺の服に入りこもうとしたときに落としたのかも。
絶望へのカウントダウンが一気に進む。
次回「墓場の異形と野良猫」