三十六の一 俺のスマホで国際電話

文字数 4,570文字

3-tune


 またも本格的に降りだした。合羽などない二人は濡れながら日暮里に到着する。
 ヘリコプターが絶え間ない。交通規制。渋滞と落ち着かない町。当事者だった俺達……。千葉から動かなかったら、亡くなった人々も土曜の夜を迎えていたのに。
 俺達だって犠牲者だ。誰彼にかまわず叫びたい。
 無免許運転の思玲は、警察の誘導にサムズアップで答えて迂回路に入る。ようやく見慣れた道にでる。十七時近い。

 ***

 ビル地下へのスロープを降りる。到着を夏奈に連絡すると、しばらくして大蔵司もスロープ経由で現れた。

「地下フロアにみんないる。執務長も来る。バイクをその辺に停めてついてきて」
 素っ気なく言う。

 濡れたままの二人は彼女の後に続く。ちょっと寒くなってきた。
 大蔵司は『ボイラー室立入厳禁』の扉にカードキーをかざす。薄暗いスペースから殺風景なエレベーターに乗る。またカードキー。彼女はB2のボタンを押す。一階降りるだけなのに、やけに長く下っていく。
 ドアが開くとビジネスホテルを思わせる廊下にでた。七部屋分のドアがあった。

「思玲は女子部屋に行って」
 大蔵司がエレベーター隣の部屋を指す。
「松本は向かいの部屋で川田と一緒。何かあったら内線電話の0を押して。私が応対する。……中から開けられないはずなのに、川田が別部屋のドアを破壊した。修理代は後日清算だって。次に壊したらワンフロア下に行ってもらう」

 実態なき金の出し入れが多すぎてどうでもよくなる。それよりもエレベーターのボタンはB2までしかなかったよな。

「ヘリの十億円はどうなった? ダイヤを渡しておくぞ」
 思玲がバックを肩から降ろす。

「いらないよ。明け方前の戦い(対ドロシーのことだ)の功績で、かなり減らしてもらった。良くも悪くも歩合制」

 大蔵司はそう言うと女子部屋を開ける。思玲と二人が室内へ消える。
 廊下に一人取り残された俺は女子部屋のドアを叩いて、あらためて大蔵司に男子部屋を開けてもらう。彼女はきれいで怖いけど抜けている。
 窓がなくベッドがふたつの無機質な部屋。川田が床に寝ころんでいた。

「冷蔵庫に食い物がある」そう言って欠伸する。

「ありがとう」
 俺はベッドに転がる。スマホを見てもドーンからも壮信からも連絡がない。こちらからはかけない。ニュースの通知を解除する……。ニョロ子の帰りが遅い。

 ふいに川田が目を開ける。立ち上がりかけてやめる。

「ハローハロー」
「わあ」
 トイレから麻卦さんが現れた。

 *

「男だけだから、どろんと来た。唯一まともな松本君と話すで充分だしね」
 麻卦さんが煙草をくわえながら、ずぶ濡れの俺を見る。
「また降りだしたか。前夜祭は月見えぬ雨天かな」

 今宵のことか。じきに夜になる。異形の時間が訪れる。

「この部屋は禁煙です」
 それだけは譲らない。「情報は届いていますか?」

「ここは喫煙ルームだ」
 平気で火をつけやがる。「瑞希ちゃん経由で聞いたよ。峻計をぼこり、白虎を撃退。でもどちらにも逃げられた。つまり何も変わっていない。ヤッパが死んだだけ」

「そういうことです。ヤッパは素晴らしい式神でした」
 変わったことはあるけど、まだ横根にも夏奈にも教えていない。影添大社にもいまは伝えない。木札の入ったパンツの左ポケットを外からさするだけにする。
「ドロシーの件で魔道団から連絡ありましたか?」
 立ち上がり、換気扇ボタンを押しながら尋ねる。

「もちろん昨日のうちにな。つまりここを襲われる前だから、知らないと正直に答えた」
 煙を吐きながら言われる。「次に連絡あったら、捕らえて確保してあると正直に言う予定」

「煙い。臭い」川田が立ち上がる。「消さないと首を引きちぎる」

「だいぶ怖くなってきたな」
 麻卦さんが四人掛けテーブルへと歩く。灰皿が置いてあって、もみ消す。
「まず松本君がすることは、こいつを説得して水牢に入ってもらうこと。次は龍退治かな。貪は満月系だ。いまのままで明日の夜を迎えさせるわけにはいかない」

「それよりもドロシーを引き渡すのですか? 香港の知人から聞いているけど、処刑団が組まれる状況です。彼女は無事で済まないですよ」

「だけどなあ、君と香港に行ったときに、ホテルに泊まらず深圳に向かったり、南京との約束を反故にしたりしただろ? ちょっと友好的にしないと日本人の評判が落ちて……そういや死者の書は?」

 執務室長が手を伸ばしてくる。……不幸中の幸いだ。俺と思玲で後先考えずに破ったけど、白虎が拾ってくれた。直してくれるとも言っていたような。

「思玲から聞いていませんか? 暴雪が持っています。キム老人さんが韓国から来たら取り上げてもらいましょう」

 それを聞き、麻卦さんが俺をじっと見る。

「台湾ガールは見たこともないと言っていたが……いきさつは何であれ、よろしくねえな。あの爺さんはあの寺と懇意だ。うちを通さずに直接返すぜ。そしたら大金がぱあだ」

 俺を舐めるように見だしたぞ。やはりこの人は、人並外れて金にこだわりがありそうだ。

「だったら虎狩りもします。奴は傷を負ってひそんでいるので、ニョロ子に探させます。そしてとどめを刺します」
 口約束だけだ。そんな手間をするはずない。

「ずいぶん強気になったな。ポケットに何が入っているか知らないけど、香港ガールから輪っかも回収しとけよ。それも君の仕事だ。どちらも叶わなかったら、君がいまの記憶をなくそうが取り立てに向かわすからな」

 麻卦さんからフレンドリーが消滅してしまった。うまくないぞ。

「分かりました。なにより最初に梁勲さんと話したいです。連絡を取ってください」
「はあ? まったく筋が通らぬ話だぞ、おい」
「俺達を囲ってくれる当面の資金に、思玲のダイヤを預けます」
「松本君は若いのに難しい言い回しを知っているね。金の使い方も理解している。梁勲の電話番号ならば知っている。でるかどうか分からねえけど教えてやるさ、ははは」

 *

 麻卦さんがトイレからどろんと消えたところで、横根経由で思玲に電話する。捨て金だと文句を言いながらも、ダイヤを渡すのに承知してくれた。……ドロシーと一緒に香港へかけるべきかな。でも無責任な言動を見せられると不快だ。
 なので川田と二人きりの部屋で電話する……高額請求の予告画面だ。通話代はいくらになるだろう? 早めに切りあげるべきだな。SNSの通話なら無料だったのに。

『ハロー、ディスイズ、ミスターレオンズ、テレフォン』

 女性がたどたどしい英語で応答した。レオンってのは梁勲のイングリッシュネームだろう。それよりも、この声は?

「シノさんですか?」
 言いながら気づく。おそらく梁勲は日本語をできない。広東語でやり取りするしかない。たぶん問題ない。

『わお、松本さんですか? 日本の国際番号だから影添大社と思いました。あそこの人は英語を使うので緊張します。あなたはなぜ梁大人の番号を知っていますか?』
「ミスター麻卦に聞きました。いろいろお願いしてすみません」
『大丈夫です。そしてシスターから返事がありましたが、まだ任務です。私は梁大人の監視役の一人です。……彼女の件ですか?』

 監視役? 孫の責任を取らされたのかも。ほかに考えられない。

「はい」
『彼女はあなたになついていました。でも見捨てるや見離すも、あなたのために必要です。ミスター梁に換わりますので待ってください』

 見限っていたら電話しない。しばらくして広東語が聞こえた。

『松本哲人か? その名を梓群から聞いた覚えがある。孫は無事か?』

 やはりこの人も俺を忘れている。俺だってみんなを忘れた。ドロシーを忘れた。でもドロシーは俺を覚えていた。

「ニーハオ、梁大人。先日は

がご迷惑をかけて申し訳ございませんでした。それで、俺が彼女の所在を知っていて教えたら、どうなりますか?」
『無事かどうかを聞いた』
「疲れていますが元気です。だから質問に答えてください」
『君もずいぶん焦っているな。処遇は十四時茶会が決める。辞任した私はもはや知りえない。だが梓群に傷ひとつ負わせない。報いとして、預かったままの異形すべてを解き放つ。それは伝えてある』

 ちょっとだけ安堵できた。でもこの人の孫かわいがりが、ドロシーの甘えを増長させたのだろう。やはり梁勲にこそ責任がある。

『なので孫娘の居場所を教えてくれる必要ない。梓群はいずれ捕まり、何十年を地下牢で過ごすことになる。それまでは自由にさせてやれ』
「ドロシーが日本で龍を倒しゼ・カン・ユを倒したら、彼女は赦されますか?」
『赦すもなにも英雄だ……。その手があったか。よし、すべての武功を梓群のものにしてくれ。当然だがそれ相応の謝意を示す。だが孫を前線にだすな。ほかの者は死を恐れるな。松本もだぞ』

 俺は思う。この人は孫を愛しているのでなく、孫に取り込まれているかもと。そうでなければ、このような言葉を口にできない。

「老大大から聞いていますか?」
 俺は返事せぬまま話題を変える。

『いや。だが梓群が死んだという話か? 風軍が日本から伝言をもって帰ったが、鼻で笑っただけだ。人は死んで生き返らない』
「……魔女もですか?」
『そんなものは存在しない。強者はならず、弱者が名乗ろうと強者に消される』
 梁勲がやけにきっぱりと答える。『お前も茶会の連中と同意見か? ならば殺す』

 頭痛がしてきた。

「俺達も梁大人と同意見です。そして俺達は栄誉などいらない。彼女と王思玲、そしてアンディにすべて渡します。でも梓群――」

ドクン

君を名前で呼びたい。

 俺だって君を本当の名前で呼びたい。さもない町中で。国境なんて関係あるはずなく、ただの人と人で。

 そんなことを思っていた。戦いでなく未来を想っていた。

「……でもドロシーのために戦うわけではない。そして彼女は先頭で戦う。なぜならばドロシーこそが龍を倒す者だからです」

『あの子はそんなたいそうでない。ちょっと秀でた力を過信して、人にみせびらかすだけだ』
 しばらくして梁勲が言う。『影添大社は信用できない。日本人に失礼だが、あの日本豚は金を積まれれば梓群を売る』

「ドロシーは弱い。俺だって分かっています。でも彼女は無敵になれる。すべてを解決してくれる。そうでなければ、麻卦執務室長はとっくに彼女を売っていた」

 そして俺達を見捨てた。夏奈を殺していたかもしれない。
 だけど俺にすがった。俺も無敵になれるから。

『あの子は私の光だ。だが私は遠く離れている。……会ったこともない君に梓群を任せたい』

 娘夫婦に先立たれた老いた祖父が言う。
 俺は返事できない。言葉を探る。

「ドロシーとも話したいですか?」
『私は梓群を叱れない。なので、まだ結構だ。――シノも話があるみたいだな。そのままで待っていろ』

 任せてください。
 そんなちっぽけな言葉を聞けることなく、梁勲は俺との会話を終える。でも心では答えていた。ドロシーを任せてくださいと。
 おそらく俺は彼女とも戦いを続けて、結末を見るだろう。……なんのために?

 梓群。

 突き進むには問題山積みの未来。だけど、わくわくする未来を感じさせる名前。
 おのれが口にしたおかげで、その輪郭がはっきりしだす。ちょっと前よりもずっと、それが力になる。それを力にしたい。自己都合だらけの俺。




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