四十一の三 一緒に飛ぶに決まっている!

文字数 3,424文字

「遅くなりました」

 遠かりし朝にふさわしい存在がやってきた。老人さえも顔をゆがませる。
 箱をよこせ。俺は護符に怒りをこめる。

「お前は傀儡の術も盗んだらしいな。正装などまとって、しおらしいつもりか。鳳雛窩(ファンツゥウォ)を消しなさい」
 楊偉天が忌々しげに言う。

「お会いするなり、たいそうなお言葉。私は見た術を我がものにできるだけ。斯様なことよりも、そいつらだけは許せません」
 なにもない闇から、漆黒のチャイナドレスが現れた。
 憎しみをまとった峻計。
「連中を狩るのに追われ、封印された実体に気づかぬとは今生の不覚!」

 あいつが黒羽扇を向けた先は、中空に浮かぶ朽ちかけたコウモリとフクロウだった。使い魔達は黒い光を残像のように避ける。

「キキ、あんたとは初対面だろ? ずいぶんな言われ様だな」
「あの娘を人に戻したのが、そんなに許せないのか? ホホ」

「ロタマモとサキトガ。私の心のうわべを読んで満足したのか? 奥底では、今も貴様達への憎悪であふれているのにな」
 峻計は使い魔達だけをにらむ。
「貴様達には、あの頃の私など歯牙にもかけない存在だったろう。だが貴様達と、ゼ・カン・ユへの恨み。たとえこの星が滅びようが忘れぬ」

「お、おい。我らが主の名を呼ぶな。……お前、なにものだ?」

 サキトガが真顔になる。
 ……やはりそうだったのか。峻計は、人が大カラスになったのではない。楊偉天により、異形が異形と化したのだ。人をまとった正真正銘の魔物だ。

「ふふ。サキトガ、ご自慢の念波もさびついたようね」
 峻計がコウモリへと黒羽扇をかざす。

――(タン)よ、運びなさい

 どこかで楊偉天の声がした。ここにいる楊偉天と別に……。
 扇はあいつの手もとから、吸われるように楊偉天へと飛んでいく。

「峻計、ずいぶん昔になにがあったか知らぬが、まずは儂に従いなさい」
 老人が手にした黒羽扇を気にいらなさそうに眺める。
「今しがた人を殺めたな」

「扇の力を戻すために先遣隊を二人ほど」

 峻計は口惜しそうに扇を見つめる。俺の存在など目に入っていない。俺は駆けだし、護符を握る手をあいつへと向ける。

「まだ話し中だ!」
 楊偉天が黒羽扇を向ける。俺は灰色の光に吹っ飛ばされる。仰向けに地面に叩きつけられる。
「斥候がいたのか? それを殺したと言うのか? 香港と上海、あのどちらかを完全に敵にしたと言うのか?」

 俺にかまわず世間話かよ。闇空を焔が二対舞っている。ドーンは見つけられない。
 中空で使い魔達が目くばせを交わす。桜井にうながされ、俺は立ちあがる。

「青龍さえいれば恐れるものはない。常々おっしゃっていたゆえに」
 峻計が嫌味たらしく笑う。そして真顔になる。
「冷静に考えれば、梟どもはじきに消え去る身。ならば、あらためてお伝えさせていただきます。……そいつを生かしていただき救われました」
 ようやく俺へと目を向ける。

 目があうと怒りが破裂する。握りこぶしで突っこむ。
 あいつが指を鳴らす。峻計の背後に手長が現れる。多足がビルの壁をつたわる。

ゴクリ

 桜井が唾をのむ音がした。彼女の願望が伝わる。俺はTシャツを抱えて、異形達に背中を向ける。

「そいつらの役目を聞いてないのか? お前はまたも一羽で先走っているのか?」

 楊偉天のあきれた声が聞こえる。
 こいつらにかまっていられない。俺は桜井の心に「耐えて」と訴える。小鳥は服の中で暴れる。

『桜井夏奈よ。好物が目の前にあろうと乙女らしく恥じらいなさい』
 ロタマモの呼ぶ声が割りこむ。
『さきほどの清算をしよう。あの鴉は私が追いこむ』

 桜井は聞いていない。俺だけが呼ぶ声に耳を傾ける。

『サービスで教えてやる。王思玲達はいずれも生かされてはいる』
 サキトガの誘う声も続く。
『和戸駿が劉昇を呼んだ。じきにカウントダウンを始めるからな』

 ……誘われるままに話を信じるなら、みんなは生きている。ふくろうが俺を見たあとに、ホホホと笑い声をあげる。

「ムカデとサルが餌の件、その鴉は不知を演じるしかあるまい。罪をなすりつけるには、つじつまをあわす必要がある」

 ロタマモは、止まりそうな羽ばたきをごまかしながら全員を見おろしている。なのに、その声は誰もを惹きつける。

「老祖師、妖魔の声に耳を傾けぬように。まずは私の話をお聞きください」
「梟よ。聞かせてみなさい」

 老人はあいつの声に耳を向けない。ロタマモを見上げる。

「キキ。ロタマモのさえずりをかよ。やめときな」
 サキトガはよろよろと笑いながら『奴は楊偉天を倒した』
 俺へと呼ぶ声をかける。

 奴って劉師傅のことか? 楊偉天は何人いるのだ。

『余計なことを考えるな』現実へと誘う声。『33.3秒から始めるぞ。31,30……』

 勝手に秒読みを始めやがるが、なにをすればいいのだよ?
 サキトガと歩調を合わせるように、

「ホホホッ。この鴉には気にいらないものがいた」
 ロタマモが語りだす。
「嫉み、羨み。人が持つべき感情を抱いた。……哲人君なら分かるかな?」

「ふざけるな。私が琥珀に弱い感情を持つはずがない」
 峻計がフクロウをにらむ。

「琥珀?」老人の顔色が変わる。「あの子はどこだ」

 手長と多足は指示を待ち、あいつだけを見ている。峻計はロタマモをにらんでいる。

『お前まで聞きいるなよ。奴が来るんだぞ』
 サキトガの呼びかけで我に返る。

『なにをすればいいの?』

 落ちつきを取りもどした桜井が、俺だか使い魔に尋ねる。
 俺は宙に浮かぶやつれたコウモリに顔を向ける。ふらふらになりながら必死に羽ばたいていた。

『地にいるものは蹂躙される。かと言って、ジジイがいたら誰も逃げられない』
 俺だか桜井に告げる。『達者でな。17,16……』

 ……地を行く者は師傅にはかなわない。俺達も空に逃れないとならない!
 フェンスによじ登るか? 万が一を考えると低すぎる。

「ホホホ、小鬼の居場所はあなたが手にする扇が知っているかな」

 ロタマモは楊偉天の気をそらしている。俺は必死に跳躍する。……すごい。1メートル以上の垂直ジャンプだ。体はそのまま落ちる。

「峻計。琥珀はどこだ」
『11,10……』

 楊偉天の声とサキトガの誘う声が重なる。後ろポケットにさしたスマホが振動している。別の楊偉天からの着信かもしれないけど、それどころではない。俺の中にある秘めた力に働きかけ、再度ジャンプする。……やはり宙に浮かべない。どうすればいい。

「なにをしている」
 峻計が俺を見た。顔色が変わり、俺達へと背を向ける。あいつも感づいた。

『5,4……』
「峻計。逃げるつもりか?」

 楊偉天の怒気がカウントダウンをかき消す。
 時間がない。桜井だけでも空に逃す――。

『松本君!』
 Tシャツに突っこんだ俺の手を桜井が握りかえす。俺を強く見つめる。
『一緒に飛ぶに決まっている!』

 桜井の気がはちきれそうだ。俺は抱えていたコザクラインコに持ちあげられる。楊偉天達を見おろす。峻計は手長へと飛びかかる。

『1,0』サキトガはカウントダウンを終えない。『マイナス1。キキキ』
 コウモリが笑いながら消える。

ひゅん、ひゅん、ひゅん

 妖術を切り裂く音が上空から聞こえだす。

「梟。たばかったな」

 楊偉天が杖をかかげる。その目前に劉師傅が着地する。
 剣を地面へと突き刺す。にび色の光が四方へと伝わる。光が地を這う雷となり爆発する。宙に浮かぶ俺の真下も強烈な術で包まれる。木札が怯え、足もとがしびれる。
 ……桜井の息が荒い。俺を必死に持ちあげている。眼下は、にび色の火口のようだ。
 巨大な手長が光のマグマにおぼれるように消えていく。壁には半分にちぎれた多足がなおも貼りつき、紫色の煙を吐きだしていた。
 ドーンを苦しめた化け物め。

『はやく消して』

 俺の意志を感じとった桜井が、俺を多足のもとへと運ぶ。俺は護符を握りしめた拳で、軽自動車ほどもある顔をぶん殴る。
 大ムカデはおさまりつつある光の中に落ちる。護符の力と魔道士の術を浴び、もだえながら溶けていく。


 じきに光は消えた。
 地上には、剣を手にした劉師傅だけが立っていた。巻き添えで破壊された車がくすぶる。もはや楊偉天も手長も多足もいない。使い魔達もどこかへと消えた。……なおも地面を這いずるものがいた。

「劉昇め……、哲人め……」

 あいつだけがまだ存在する。アスファルトに爪をたて、必死に逃れようとしている。あいつのすらりとした脚は消えていた。

「峻計、終わりだ」
 劉師傅が鋼色の光を放つ。




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