四十三の四 陽炎の村

文字数 2,305文字

 沈大姐が二胡から分離された術の弦を俺に向ける。張麗豪の鞭みたいに光が伸びて、俺を捕らえ(充分に痛い)、彼女のもとへ運ぶ。

「殲、急げ」沈大姐が命ずる。「神殺に閉ざされる」

 俺と横根はまた結界に包まれて、翼竜の姿があらわになる……。
 神殺? なぜに楊偉天が? それよりも!

「川田とドーンが取り残される! 助けにいかないと!」

 俺の言葉に、沈大姐は不愉快そうな顔を向ける。
「いいか? あの鏡には貪を封じてある。私が顔をだせば、あの老いぼれはあれを解き放つ。この国に厄災が降りそそぐ。今の世のルールも変わる」

 さらに邪悪な龍が復活するというのかよ……。だとしても、

「だったら私達だけで行きます。結界を消してください」
 白猫が俺の腕のなかで訴える。

 大姐が値踏みするように俺達を見つめる。
「なぜに、あの二人は手を組んだ? 松本を倒すためか?」

 ……そんなことがありえるのか? 俺こそ知りたいが、もはや関係ない。

「楊偉天は死者の書を持っている。それの導きかと思います」
 俺は巻きついたままの術の光をほどく。
「でも俺達も導きを受けている」

 カラスの導きだけど。俺は浮かびあがって下界を見る。赤い松明が遠のく。
 沈大姐が星を見上げる。

「新月だろうと、松本は弱い」
 二胡に弦をつなげる。
「猫もどきはもっと弱い。今風の言い方をすれば星が半分もない。松本にしろ秘めた力を使って、ようやく二個半だ」

 そこまで弱くないだろ? そもそもサシトヨを倒せたのは。

「二人合わせれば星みっつです」
 行くしかないだろ。
「俺には独鈷杵も劉師傅の護布もある。横根には珊瑚がある。だから星は五個です」

 五つ星は言い過ぎだろうか。沈大姐はなおも俺達を見ていたが、

「楊を殺すと後々厄介になる。倒すのは藤川匠だけにしろ。だったら手助けはしてやる」
 その手に革製のちいさな巾着があらわれる。
「見返りはいただくがね」

 見返りは……、川田に決まっている。認められるか!
 白猫がびくりと俺の顔を見上げる。

「さ、珊瑚の玉を渡していいかな?」
 横根が言う。思玲が怒りそうだ。

「台湾の宝か」
 沈は白猫の首もとをくだらなそうに見る。
「私は強い式神が欲しいんだよ」

 川田は渡さない。どうにでもなれ。

「ならば、この布を」

 俺は付け足す。どうせ人に戻ればもういらない。思玲が怒ろうが知ったことじゃない。

「手を打ってやる」沈が即答する。「両方ともすべてが終わってからでいい」

 珊瑚もよこせということか。大姐が巾着に手を入れる。

「これを貸す」
 その手に横笛が現れる。
「小天狗に渡せ。これでも吹いておとなしくさせておけ。白猫はこれを使え」

 横根が金属製の大きな手裏剣みたいなものをくわえさせられる。

「十字羯磨だ。これは魔道具でない。祈りの資質に乗じて邪を祓う。結界を張り、霊気をたかめる」

 見れば分かる。これは法具だ。滝の独鈷杵。これと同じ類だ。大姐が何かつぶやくと、それは消える。

「あの社の護符は手負いの獣にくわえさせろ。ついでに露泥無も貸してやる。……松本のもつ法具は忿怒に呼応するが、今夜は使わざるを得ないな。以上だ」
 大姐はいきなりだ。
「殲、こいつらを送りこめ」

 俺の怒りに呼応? さらに尋ねる間もなく、結界がまた解かれる。俺は横根をしっかり抱えて宙に浮かぶ。横笛をポケットに突っこむ。

加油(ジァヨウ)

 大姐が発した人の言葉とともに、俺達は強烈な波動に吹っ飛ばされる。真っ暗な大地と、血の色の松明が近づいてくる。『加油』は頑張れだったよな、そんなことだけ考える。

「陽炎だ……」横根が言う。

 儀式の場は神殺の結界に包まれようとしていた。俺達は意思に関係なく、開かれたままの上空から飛びこんでいく。

 ***

 地面に激突するまえには波動の勢いも弱まり、俺はふわりと浮かぶ。上空の陽炎はさらに高く伸び、まるでオーロラのようだ。
 おびき寄せられて閉ざされつつある。赤い光に灯された周囲を見回す。降りる場所は……お天宮さんが呼んでいる。

 勾配に挟まれた空間にあばら家が五件。尾根上は縦にも左右にも広く、山道は整備されている。廃村なのに生活感を感じる。ここは獣人達のアジトか?
 俺は小さな広場の中心に降りたつ。そのはずれに、舞台のように低い櫓が建つ。
 川田とドーンはいない。足もとにある天宮の護符を拾い、シャツにしまう。

「鏡の導きと書の教えにより、お前が来るのは分かっていた」
 舞台の上に楊偉天が現れる。
「沈栄桂が逃げることもだ」

 楊偉天が杖をかかげる。……こいつこそ諸悪の根源。
 大姐との約束など関係ない。俺の怒りがヒートアップする。

「川田とドーンはどこだ。すぐに返せ」

 夏奈もドロシーもだ。舞台のまわりを獣人達が囲んでいる。槍や弓を持つものもいる。狼とカラス天狗だけがいない。……藤川匠はどこだ?

「ヒヒヒ、東京の小さなビルを思いだせたぞ。お前達はたしかにそこにいた」
 楊偉天が俺を嘲笑する。
「ここにいないのは、思玲と夏奈。そして昇」

「それと焔暁と流範」竹林の声が上空からした。「峻計、おそいな」

「チビの大鴉。もう少しだけ待てよ」
 楊偉天の背後に侍る影が答える。
「もうそこまで来ている。俺には分かる」

 やはり土壁も合流していた。そして、あいつも現れる。まだ離れているのに、あいつの怒りを感じる。

「あの朝以来だな」
 背後から、さわやかな人の声が伝わる。
「君がロタマモを消滅させたんだってね」

 俺は振りかえる。
 小柄ですこし長めの茶髪。えんじ色のTシャツにジーンズ。どこにでもいそうな同年代の若者だけど、容姿はタレント……。俺だって忘れていない。こいつこそが、

「お前が藤川匠だな」




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