二十九の一 弔いの祈り

文字数 2,776文字

3.5-tune


 空色のワンピースを着た女の子が、髪をおろしたままのうす汚れた顔で俺を見ている。俺は立ちあがる。

「信じていたよ。松本君がきっと助けてくれるって」
 横根の目から涙があふれる。

 飛びこんできた横根を受けとめられるはずなく、大カラスの上に一緒に転がる。

「白猫か」流範がうめく。「みんな生きてやがった。くそ」
 大カラスには俺達を押しのける力も残っていない。

「ご、ごめん」
 横根が俺を起きあがらせる。浮かぶ琥珀に気づく。
「あれは……」

 青ざめた顔でまた抱きつかれる。……俺は彼女に身を任せながら知る。横根は人でないと。

「スーリンちゃん、たてこんできたからかけなおすね。昼間から幽霊みたいのまで現れちゃって」
 大蔵司が電話を終える。俺達へと「その鴉は一旦あきらめて、後日当社で封じましょうか? 基本料金は税抜きで四千八百万円になります。通常納期は三十日前後。私は歩合制でもあるので、しみったれていて申し訳ございません」

「台湾への基本報酬は二十万ドルだったぞ。半分も中抜きしていたな」
 琥珀が大蔵司をにらむ。
「こいつに血だけ恵んでくれ。支払いは魔道団もちだ、ってあぶないな」
 横根の投げた石を避ける。横根でなく俺をにらむ。
「昼間だから、そんなのでも当たると痛いんだよ。僕のことを人間くずれの瑞希ちゃんに説明しろ」

 八月中旬の太陽が空き地に逃げ水を湧かしている。横根の体はかすかに透けている。俺も立ちあがり、すべきことをぼやけた頭で考える。
 まず水、そして横根への説明、横根へのお詫び……。それと水、夏奈を迎えにいく。

「そいつは思玲の式神。つまり味方」
 横根に告げる。彼女を見た大カラスは体をなおも裏がえして、両方の爪を向けている。姑息な俺は流範の頭の後ろにまわる。顔を覗く。俺と横根への憎しみしかなかった。
 折れたくちばしに体重を落とす。
「横根、あっちを向いていて」

 両手で護符をもち、流範の首へと刺す。羽根が地面を叩き、爪が中空を裂く。俺にはどちらも届かない。あえぐくちばしがもげかけて、根もとに尻を寄せる。
 容赦のない日差しの下、横根が俺へと歩む。

「来るな!」

 あの若者の魂を、彼女に見せたくない。なのに横根は俺の隣にしゃがむ。彼女の両手が俺の手を包む。彼女に押されて護符への力が強まる。
 これは……。木札が白く輝く。

「私には憎むべきものがいます」横根がつぶやく。「許せないものもいます。……そいつが苦しみ消えるのを見届けます。消え去るものが、なおも私達の怒りや悲しみを引きずらぬように」
 横根の赤いペンダントは濡れたように光っていた。流範が溶けはじめる。
「私達の憎しみは晴れ、死にいくものは苦しみを引きずらぬために」

 大カラスの残滓がみるみる消えていく。太陽が二人を照りつける。

「弔いの祈りかよ」琥珀は神妙な顔だ。「存在は聞いていたけど……」

 異形の消えた地面から、あの青年の魂が浮かびあがる。きょろきょろと見わたし、俺と横根に気づく。目を細め、口を横にひろげる。
 俺達へ満面の笑みを授けたあと、空を見あげて消えていく。

「さすがは魔道団ですね」
 大蔵司が拍手する。
「では出発しましょう。シノさんやスーリンちゃんのもとまで乗せていきます」

 横根は俺の手を一度だけ強く握り、そして離れる。俺は地面に刺さった護符を抜く。穢れは消えていた。
 琥珀が流範が消えたもとへなにかつぶやき、自動車へと去っていく。たぶんだけど、誰もが救われた。

 ***

 ピンクの軽自動車の後部座席に転がりこむ。血みどろのシャツを脱ぐと、クーラーがさらに寒い。血まみれのパンツも脱ぎたい。あいみょんは嫌いじゃないけど、いまはうるさい。
 大蔵司が俺の腕をアルコールで拭く。

「私はO型なので、A型のあなたに輸血可能です。病気はないのでご心配なく」
 彼女がクーラーボックスを開ける。ドライアイスの煙がたつ。
「本来ならば抜いた血の賞味期限は三週間ですが、私の血は元気っぽいので三か月は大丈夫と思います」

 賞味期限でなく使用期限だろ。忌むべき世界に関わる者がいうと、うすら寒くなる。

「根拠は?」琥珀が尋ねる。

「だって私は毎週400CC抜いても平気ですし」

 十数個のパックから、どれが一番古いかなと吟味している彼女から後ずさる。

「お、俺も平気だから」
 そんなものを体に入れさせてたまるか。「それよりも水を」

 彼女の飲みかけのペットボトルを一気飲みする。ぜんぜん足りなくて、また目がまわる。体が脱水&脱血だ。妖怪の体より、はるかに繊細。
 人の目に見えない異形のくせに、横根が汗だくで戻ってきた。人の目には浮かんだ釣り銭を渡される。

「スポーツドリンクとトマトジュース」
 ふたを開けて渡される。「こっちのがいいよ。絶対に」

 心配そうな彼女に見守られ、両方とも飲みほす。ちょっとだけひと息つけた。ようやく自分の体を確認する。パンツは裂けたままだが、体に傷は残っていなかった。
 大蔵司が手をかざしたおかげだろう。張麗豪や楊偉天がおのれへとかざし、傷を消したように。アルコールとタオルを借りて体の血痕を消す。

「ぶっ倒さなくていいのですか?」
 大蔵司が琥珀に言う。
「だったら、お代は半値にサービスします。魔道団様への請求にくわえればいいのですね」

 獣人男を縛っていたしめ縄が消える。

「逃げていいぜ」小鬼が獣人へと言う。「シーユー」

 四つん這いのように駆けていく白人の男へと、琥珀は人差し指と中指をくっつけて口もとから放す。

「手負いの獣がいるらしいな」琥珀が笑う。「だったら印なんてかすかにあればいい」

 *
 
シノからの電話にでられない。琥珀に思玲へ連絡するよう頼む。主従の会話はすぐに終わる。向こうは変わりないようだ。

「飴がある。銀丹(インタン)というらしい」
 琥珀がリュックの外ポケットに手を入れる。
「造血作用が気休めほどあるそうだ。シノが説得してくれたから、哲人が舐めてOKだってさ」

 そう言えばビー玉ほどの飴が紙に包まれていた。それならばいただく。……説得したということは、ドロシーは俺に渡すのを拒絶したのか? 彼女になにか悪いことをしたっけ? 単独で海を目ざしたからか。

「幽霊もどきちゃん、無理しなくていいよ」
 大蔵司が運転席から乗りだして、ドアの重さに苦戦する横根に言う。
「台輔にさせるから」

 ドアがバタンと閉まる。彼女が横根へにんまり笑う。 

「……やっぱり私は人ではないのですか?」
 横根が彼女を見つめる。

「男受けしてたでしょ?」
 大蔵司が横根の頭をなでようとして、ふわりと滑る。
「なにがあったか知らないけど、まったく人ではなさげ」

 横根がうつむく。俺はなにも言えない。大蔵司がサングラスをかけて前を向く。

「台輔、飛ばすよ!」

 俺達を後部座席に乗せて、ピンク色の軽自動車がもたもたと動きだす。




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