三十九の一 六本木神獣

文字数 5,552文字

3.5-tune


 俺のレオタードの背中の柄は亀甲紋らしい。人の記憶に残ったままだから、知人に会いたくない。幸いにも六本木で夜遊びしそうな知り合いはいない。

「ドロシーは人の世に紛れられる。彼女を見て湧きでる負の感情を、おそらく魅惑された劣情と勘違いする。異形でなければ私も惹かれただろう」
 六本木上空でホバリングする翼竜の上でデニーが言う。
「だが松本はパニックを起こす。君はここで殲と待機だ。空中戦に備えていろ」

 それだとドロシーは無敵じゃない。そもそも上海と共闘なんて、彼女が認めるはずない。

「へへっ、デニーさんも私を貪の餌にするつもりだ。さすが上海、姑息だ」
 やはりドロシーは彼をにらむ……俺も姑息と思われていたのか?

「貪を逃さないために、あれを使えぬ異形になってもらっただけだよ」
 それを姑息と呼ぶのかもしれないけど。

「だから? 横根さんは下に行かせない。ファンキーな哲人さんもだ。だから上海と二人で戦ってやる。だから早く結界を解除して。というか、もうする!」
 俺の手を振り払う。
「噠!」

 六本木上空高度600メートルで、殲の結界が粉々になる。同時にドロシーが飛び降りる。闇に紛れぬ鮮やかな赤いドレス……。

「なんて奴だ!」デニーが叫んだ。
「仕方ない。貪が上空に逃れたら、そこからが君達の役目だ。松本には私の服を残しておこう。通信は、横根の番号を入手してあるので電話する。殲よ、私にごく弱めに結界をかけろ」

 雨が叩きつけるなか、デニーも飛び降りる。……ドロシーが俺を置いていった。追いかけたい。でも横根がここにいる。置いていけない。しかも結界に包まれた。

「……二人とも行っちゃったね」横根がぽつり言う。
「ああ」
「リュックサックを持っていったね」
「ああ」
「影添大社の女の子も折坂さんも怖かった。……みんなと残ることが罰。あの言葉で勇気がくじかれた。でも、もう大丈夫だから」
「その話は今はいいよ」

 いらつくなよ。彼女に当たるなよ。

「松本の護符も私の結界を砕こうとしている」
 重低音ボイスが響いた。
「私のかけた跳ね返しも姿隠しも弱まっている。次の段階の戦いでは、お前は外で戦え」

 ……思いだした。お天狗さんの木札は、思玲の結界をたやすく破った。楊偉天の結界には通用しなかったが、あれは焦げていたからかも。つまり……俺は胸ポケットから木札を取りだす。

「穢れているかも」
 ホームで白虎を殴っただけだけど。「横根にお願いしていい?」

「え? ……うん」
 横根が胸もとに木札を当てる。
「私は祈ります。これからの戦いで傷つくものがないように」

 さっそく彼女を頼りだしてしまったけど仕方ない。

「変わらないな。つまり穢れてなかった」
 殲が言う。

「そうだとすると、ドロシーのがお天狗さんより強いというの?」
 横根が俺に護符を戻しながら言う。

「それはない。護符が本気で守ろうとしていないだけだ。理由など分からないが」
 殲のつぶやきはドロシーの声ぐらいでかい。
「あの娘は緊張をもたらすほどに麗しすぎる異形と化して、星五つの私より強くなったのは間違いない」

「……つまりレジェンド?」

 なぜだか横根が珊瑚を握りしめる。
 俺は木札を握ってみる。お天狗さんはそわそわしているような。

「部分的にだよ。結界を破る力は、人のときから異常だった」
 否定しながらデニーの残した服を手にする。

 ……赤いドレス。日本よりずっと南で育ったくせに、引きこもる時間が多いからか、誰よりも白い肌。すぐに紅潮する頬。
 無茶苦茶女がいなくなった安堵。それを上回る嫉妬。だからこそ、ここにいないとならない。俺は梁勲のように取り込まれない。……ドロシーがいないだけで、子どものころ走っていた振り子式特急電車ぐらい心が揺れる。
 そして、おそらくデニーも取り込まれる。
 あの人も強いから、魔女の目にかなう。



 **デニー**

 私を包む結界のボールを制御する。路地をめざし、偃月刀で結界を裂く。5メートルの高さから両足で着地する。

「へへ、やっぱりかっこいい。でも雨合羽はかっこわるい」

 見上げると、香港出身の若い娘が浮かんでいた。
 雨は彼女にかからない。セットされた髪は少しも崩れていない。上品なのに挑発的に開いた胸もと。幼さを隠す化粧が本来の容姿を引き立てている。パーティを抜けでたようなスタイルで迷彩柄のリュックサックを背負う。それがチグハグに感じられない。
 口にはしなかったが、私の読みでは半獣半人の化け物が生まれるはずだった。松本の姿はある意味それに近い。だが、どうすれば美しき異形になれる?

「降りてくれ」
「浮かんじゃう」
「……私が抑えてやる」

 私はドロシーの手を握る。人のままの温かさ。

「これもデニーさんが持って」

 何かを取りだし手に隠したあと、リュックサックを押しつけられる……。不夜会の新しい頭領が、魔道団の娘に顎でつかわれる。とても人に見せられないな。

 濡れたままで表通りにでる。雨で人通りが少ないのが幸いだ。それでも出身の村よりはわらわらいる。
 忍という名の飛び蛇が現れた。名を呼ばれたこいつは、すでに私へ従っている。龍のひそむ窟へといざなう。

「デニーさんはなんで目が緑なの?」
 ドロシーが私の顔を覗きこむ。

 飛び蛇が恋人の場から離れているのも、松本が指図したと思っているだろう。賢かろうが、飛び蛇はそこまで融通がきかない……。
 赤い魔物の目で、いつまで見つめ続ける。切れ長の瞳で。それでいて丸みを帯びた瞳。涼しげで甘い瞳。何も知らない十代の娘のくせに、すがるように誘う眼差し。

「差別されるためだ」
 顔を逸らし、横根瑞希の新しい番号へ電話する。「私だ。彼女と合流した」

 その言葉だけで電話を切る。……日本の回線に異国の番号で発信したが、このアイフォンは馴染みだからクリーニングで済まそう。中国の機種を使う気がしない。
 あそこは私の生まれた国だけど祖国でない。中国だ。

「デニーさんは何歳?」
「いくつに見える?」
「三十八歳」
「二十七だ」
「へへ、言われるとそうかも。私と九歳しか離れて……」

 飛び蛇が地下へ続く階段前でとまる。看板はない。見張りもいない。
 傘もささずに手をつなぐ二人を、通りすがりの若い男どもがはやしたてる。

「人が四人もいる。こっちを見てる」

 ドロシーの握る手が強まる。でも不良連中は彼女を見て魅入り、我にかえり逃げていく。

「……へへ。弱い連中だ。今夜の私のが強い」
「お化けでなくても彼らより強い。一般人に関わらぬようにしろ」
「いまの私は目が赤い。信号みたいな二人だ」

 なぜに見当違いの返事をする。

「赤は停まれ。緑は進め。では進むぞ」

 蛇が視覚を伝える。ホールで踊る人は四十人ほど。貪は奥のソファに座っている。両脇に男を侍らせて……こいつらも異形だな。
 人と人でなきものが混ざりあう退廃の場。二人だけで向かうは危険か。しかも人質がいる。そいつらが腐った連中だとしても。……戦いに心身を食われた魔道士の幾人かと同様に、ヤク中だとしても。

「引き返そう」
 そもそも私は何故ここにいる。状況は分かっていたのに殲から降りた? 松本と横根を置いてきた?

「いやだ。私はせっかく異形になれた」
 さらに手を強く握ってくる。階段に足をつけず降りようとする。
「上海が私を置いて逃げるなら、あちこちの魔道士に触れまわってやる」

 子どもの言い分。それが似合う魔性の娘。……地の底へ引きずられる予感。

「私はお前と死ぬ気はない」
「同感よ」
 背後から声がした。「うしろが詰まっているから早く降りな」

 中東の民族衣装。顔を布で覆った女性がいた。その片側の目は潰れていた。

「貴様は峻計……ひいっ」

 ドロシーの握る手から怯えが伝わる。人の姿の異形でなく、その背後の無数の人影に対しての。



 **松本哲人**

 ニョロ子は忙しい。ドロシーとデニーが手をつなぎ、地下への階段前で立っているのを伝えるなり消える。すでに彼女達は敵地へ降りただろうか。

「飛び蛇は、結界も人の作りし壁も自在に出入りできる。だが私を恐れないのは初めて見た。あの蛇を誰も退治できぬのだから怯える必要ないか」

 殲が言う。なおも結界を閉ざしたままで東京上空にたたずんでいる。

「でも、うぬぼれる。だから俺に捕まった」
 頑張ってくれているおのれの式神を卑下しながら、天珠をタップする。……琥珀がでてくれるはずないけど。

「松本か?」
 やはり露泥無の声がした。「デニーお頭から連絡はない。こちらは異常なし」

「彼はドロシーと二人で向かった。俺と横根は上空で待機」
「ドロシーが松本から離れた? ……お頭と戦うのを選んだのか。若い人間はどんどん羽ばたいていく」
「ドロシーは羽ばたかなくても飛べるよ」

 つっけんどんに電話を切る。……いらいらするなよ俺。

「夏奈ちゃんの様子は聞かなくていいの?」
 横根がふいに言う。

「影添大社にいれば安全だよ」
「そういう意味じゃなくて……」

 横根は口ごもる。俺はいら立ったまま。



 **デニー**

 梁勲の孫娘は極度の人間恐怖症。
 露泥無から聞いているし、その原因も知っている。
 彼女は幼いときに、イギリスで暴動に巻き込まれた。多数の死傷者に彼女の両親も含まれていた。表向きの話にしろ、そのせいだ。
 魔女狩りのように襲ってくる人々に、彼女の代わりに両親が目前で惨殺される、幼少期の悲惨な体験。
 持って生まれた力のせいで、親に殺されるよりはましだろ。親を殺してしまうよりも。

「室内で話したほうがよさそうだな」

 私は動揺を一切見せずに峻計へ言う。
 どうせ電波はゆがめられているだろう。だが松本ならば気づいてくれる。そしたら殲が強襲する。大姐も唐を向かわせる。そして、私や大姐へ力を譲りすぎたあの海月(クラゲ)は、今夜で終わるだろう。

「夏梓群が異形になるとはね。松本と思玲は回復してないのか? 私はこの杖のおかげでこんなに元気なのに。百歳を過ぎた老人が飛び跳ねるほどにね」
 峻計が忌々しい杖を向けてくる。

「危ないな。ならば私もこれをだそう」
 手に偃月刀を現す。「彼女をエスコートする。先導してくれ」

 扇による記憶消し。そちらのが強い。ただし効かぬ相手がいる。扇による念動力も強い異形の首を折るまでではない。この魔物はその両方に当てはまるだろう。刀による斬りあいが確実だ。

「余裕を見せるな」
 峻計がにらむ。だけど私に従う。接近して戦えば十中八九どちらも死ぬ。それが分かっているのだから。

「助けて……哲人さん助けて……」

 無謀だったドロシーは地面に足が落ちている。私は震える彼女を引きずるように階段を降りる。
 心では思っている。一人だけだったら囚われるはずなかった。この娘をパートナーに選んで大失敗だ。
 背後には傀儡が十人ほど。漆黒のアバヤで身を隠した峻計がドアを開ける。狂乱じみた音が飛びでてくる。

「静かにさせろ」峻計が命じる。



 **松本哲人**

「静かだな」殲が言う。
「なにが?」俺が言う。

「お前を守る木札がだ。結界を攻撃してこない」

 俺は胸ポケットを探る。お天狗さんの木札がなくなっていた。……青ざめてしまう。さっきまではあったはずなのに。



 **デニー**

「雨具は脱がなくていいかな」
 褐色肌の人の姿をした異形へ言う。

「勝手にしろ。……まだ若い異形。だがそれがいい。どっちにしろこんな美女は鏡越しでも見たことない。傾城だ」
 体をソファに沈める貪は、震えるドロシーを眺めていた。
「峻計さんよ、俺は怯えたこいつを犯すぜ。何十回と犯す。それから殺す」

「松本と思玲を呼ぶためだけの餌だ。好きにするがいい」
 ホールの人間すべてを傀儡にした峻計が言う。表情は見えない。
「私は上海不夜会に聞きたいことが少しだけある。それが済むまでは、残念だがお前は死ねない」
 外からうかがえる目を私に向ける。

 私はいつ死んでもいい。どんな拷問も禊ぎとして耐えられる。それでも犬死はしない。なのでホールを見渡す。
 うつろな目の人間は三十人ちょっと。それ以外が人の姿をした異形……十体ほどか。貪の左右にいる若い白人男と中年の黒人男も化け物だ。

「僕は女に興味ない。ママに怒られる」
 白人男が私を見ながら笑う。

「私はどちらも遠慮しておく」
 黒人男がジョイントをふかしながら言う。「痛めつけるのにだけ参加しよう」

「もうやだ。助けてください。人をどかしてください。換気してください」
 ドロシーが泣きながらしゃがみこむ。

 こいつはもう駄目だ。見捨てるしかない。……殺してやってから逃げだすか。

「誰も助けないぜ。か弱いドロシー。異形が似合う梓群」
 貪が立ち上がる。「俺様と楽しもうぜ」

 ドロシーは震えている。私は偃月刀にかすかに力を込める。二秒後には彼女の首は体から離れ、奴らに汚されることなく消滅する。

「デニー、楽しくないことをするな」
 峻計は私の目論見に気づく。
「もっと楽しくさせてやる」

 あいつはドロシーの頭に手を当てる。傀儡の術……。怯えきった彼女が跳ね返せるはずない。

「ぎゃっ」
 だけど峻計が吹っ飛ぶ。「な、なぜ……」

 立ち上がるが、その右手が溶けていく。

「て、哲人さんだ……」
 ドロシーも立ち上がる。その右手には小さな木札があった。火伏せの護符……。
「だったら私は無敵だ!」

 裏返すように陰から陽へ。その左手に冥神の輪が現れる。薄暗かったホールが白銀色に照らされる。
 人の姿をした異形達が悲鳴をのこし溶けていく。人であった美麗な異形は、邪悪な笑みを浮かべて白銀を掲げている。それでも美しい。
 光に姿をさらされた飛び蛇が、ドロシーを遠巻きに見ていた。

「お前が運んだのか。有能すぎるな」処分せねばならぬほどに。

 忍は小首をかしげて白銀の光から逃げ去る。




次回「麗しき朱雀」
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